く、その子駱駝コラクダ孛脫罕を後跟アトアシ孛兒必より咬カむ 駝駝ラクダ不兀喇(明譯風雄駝フウユウダまた風駝)の如ゴトく、風雪孛囉罕に靠ヨり[頭口トウコウ孛多を害ソコナふ](明譯靠ヨリ㆓風雪フウセツニ㆒害ソコナフ㆑物モノヲ的)狼オホカミ赤那の如ゴトく、その子コ可兀惕どもを追オ格鄰ひかねて(明譯趕オヒ㆓不ズ㆑動ウゴカセ㆔兒子コドモヲ㆒)、その子コ可兀惕どもを喫クラふ鴛鴦ヲシドリ昂吉兒の如ゴトく、その臥處フシド客卜迭思を動ウゴ款迭かせば黨護タウゴする豺狼サイラウ啜額孛哩の如ゴトく、拏トラ巴哩へて猶豫タメラはざる虎トラ巴兒思の如ゴトく、妄ミダリ巴剌木惕に衝ツく巴嚕思バルース(獸の名)の如ゴトく、殺︀コロしたり。影カゲ薛兀迭兒より外ホカに伴トモなく、尾ヲ薛兀勒より外ホカに鞭ムチなきに、泰赤兀惕タイチウトの兄弟アニオトヽの苦クルシめを受ウけかね居ヲるに、「怨ウラミを誰タレか報ムクいん」と云イひて居ヲるに、いかに過スゴさんとて、かくは爲ナし合アへる、汝等ナンヂラ」とて、その子コどもを、舊フル合兀臣き辭コトバを尋タヅ合荅侖ね、翁等ヲキナラ斡脫古思の辭コトバを引ヒ斡兒乞敦き、甚イタく憂ウレへたり。
§79(02:13:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
かく住スめる程ホドに、泰赤兀惕タイチウトの塔兒忽台 乞哩勒禿黑タルクタイ キリルトクは、その侍衞ジヱイを率ヒキゐて「雖ヒナ豁魯合惕ども翎 伸ハネ ノ豁斡只主兀びけん。羔ヒツジ失魯格惕ども(失魯格惕は、涎くりの義にて、二歲の家畜)生立オヒタ失別哩主兀ちけん(この二句確かならず 下の明譯文の意に依り譯せり。原モト 撇下ベツカ 的セル 帖木眞テムヂン 母子每ボシラ、如今イマ 莫ナケン㆑不ザル㆘似ニテ㆓飛禽 的 雛兒ヒキン ノ ヒナドモノ 般ゴトク㆒毛羽︀マウウ 長ノビ了、走獸 的 羔兒ソウジウ ノ コドモノ 般ゴトク 大了オホキクナラ㆖)」と云イひて來キぬ。罹オソれて母子 兄弟オヤコ アニオトヽども、繁シゲき林ハヤシの中ナカに寨トリデ 作ツクりて、別勒古台ベルグタイは、木キを折ヲり引寄ヒキヨせて垣カキに據ヨりて、合撒兒カツサルは、箭ヤを射合イアひて、合赤溫カチウン、帖木格テムゲ、帖木侖テムルン 三人ミタリを崖縫ガケノワレメの閒アヒダに投イれて、鬭タヽカひ居ヲる時トキ、泰赤兀惕タイチウト 叫サケびて言イはく「兄アニ 帖木眞テムヂンを出イダせ。汝等ナンヂラ 外ホカの者︀モノに用ヨウなし」と叫サケばれて、帖木眞テムヂンを馬ウマに載ノせて、逃ノガれんと林ハヤシの中ナカに走ハシりて去サれる