かくも奪ウバへり。一ヒトつにいかで過スゴさん、我等ワレラ」と云イふと、門カドを開アけて出イでて去サれり。別克帖兒ベクテルは、小山コヤマの上ウヘに葦毛アシゲの騸馬センバ 九匹クヒキを眺ナガめて居ヰたるに、帖木眞テムヂンは後シリヘより隱カクれて、合撒兒カツサルは前マヘより隱カクれて、箭ヤを抽ヌきて到イタれる時トキ、別克帖兒ベクテル 見ミると言イはく「泰赤兀惕タイチウトの兄弟アニオトヽの苦クルシめを受ウけかね(受くるに堪へず)、怨ウラミを誰タレか報ムクい得エんと云イひて居ヲる時トキ、我ワレを何ナンぞ目メ你敦の毛ケ速哩木孫、口クチ阿蠻の梗トゲ合合孫と爲ナせる、汝等ナンヂラ。影カゲ薛兀迭兒より外ホカに伴トモなく、尾ヲ薛兀勒より外ホカに鞭ムチなきに、何ナンぞかく思オモへる、汝等ナンヂラ。我ワが火盤ヒバチを勿ナ 毀ヤブりそ。別勒古台ベルグタイを勿ナ 廢スてそ(別勒古台は、別克帖兒と火盤を共にして住みたるなり。明譯には我死便死ワレシナバスナハチシナン。您ナンヂラ休ナ㆘將ヲ㆓我ワガ別勒古台ベルグタイ㆒棄了スツル㆖)」と云イひ、盤脚アグミ 居ヰて待マてり。帖木眞テムヂン 合撒兒カツサル 二人フタリは、前マヘより後シリヘより垜アヅチとして(垜の如く射中てて)去サれり。
§78(02:11:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
家イヘに來キて入イりたれば、兀眞 額客ウヂン エケは、二人フタリの子コを顏色カホイロにて覺サトりて言イはく「殺︀コロしたる、(蒙語巴喇黑撒惕バラクサト。この詞は、了へたる、棄てたるとも譯すべし。動詞上の形容詞にして、下に名詞 代名詞ありと見るなり。こゝにては、帖木眞なる名詞、又は汝なる代名詞ありと見て、「別克帖兒を殺︀したる帖木眞は」と云へる意ならん。)我ワが熱處ホド合剌溫よりむく合剌惕と出イ合嚕㖮づる時トキ、手テ合兒に黑クロ合喇き血塊チコヾリを握ニギ合惕渾りて生ウマれたりき、此コの[子コ]。胞衣エナ合兒必速を咬カ合札忽む合撒兒カツサル(狗の名)の狗イヌの如ゴトく、崖ガケ合荅を衝ツく合卜闌カブラン(獸の名)の如ゴトく、怒イカ阿兀兒りを抑オサふる能アタはざる獅子シシ阿兒思闌の如ゴトく、活イ阿米都︀きたるを呑ノむと云イふ蟒ヲロチ莽古思の如ゴトく、己オノが影カゲ薛兀迭兒を衝ツく海︀靑カイセイ升豁兒の如ゴトく、聲コヱ薛米耶兒 無ナしにて呑ノ札勒吉忽む出喇合チユラカ(魚の名)の如ゴト