脫忽喇兀惕トクラウト(脫忽喇溫の複稱)、五人イツタリの塔兒忽惕タルクト、蒙格禿 乞顏モンゲト キヤンの子コ 汝ナンヂ 汪古兒オングル、敞失兀惕シヤンシウト 巴牙兀惕バトウトを率ヒキゐ、汝等ナンヂラ 我ワレに一ヒトつの團ダンとなりて、汝ナンヂ 汪古兒オングルは、霧キリ不丹の裏ウチに迷マヨはざりしぞ、汝ナンヂ。亂ミダレ不勒合の裏ウチに離ハナれざりしぞ、汝ナンヂ。濡ヌるゝに濡ヌれ合アひて、寒サムきに寒コヾえ合アひて行ユきたりしぞ、汝ナンヂ。今イマいかなる恩賞オンシヤウをか要モトむる、汝ナンヂ」と宣ノリタマへば、汪古兒オングル 申マウさく
汪古兒オングルに屬する巴牙兀惕バヤウト 部
「恩賞オンシヤウを擇エラばしめば、我ワが巴牙兀惕バヤウトの兄弟アニオトヽは、部落ブラク 部落ブラクごとに散チりたり。恩賜オンシせば、巴牙兀惕バヤウトの兄弟アニオトヽを聚アツマらしめん」と申マウせば、「然シカり。かく巴牙兀惕バヤウトの兄弟アニオトヽを聚アツめて、汝ナンヂ 千戶センコを知シれ」と勅ミコトありき。
汪古兒オングル 孛囉兀勒ボロウル 食物の給散
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 勅ミコトあるには「汪古兒オングル、孛囉兀勒ボロウル 二人フタリは、右左ミギヒダリの側カタハラにて汝等ナンヂラ 二人フタリの厨官カシハデは、食物クヒモノを配クバる時、右ミギ巴剌溫の側カタハラに立タ巴亦てるもの坐スワれるものに缺カけさせず、左ヒダリ沼溫の側カタハラに列ツラナ者︀兒格列れるもの未イマダなるものに缺カけさせず、汝等ナンヂラ 二人フタリにてかく給散キフサンすれば、我ワが喉ノド 噎ムセばず心コヽロ 安ヤスくあり。今イマ 汪古兒オングル、孛囉兀勒ボロウル 二人フタリは、馬ウマに乘ノりて行ユきて、食物クヒモノを多オホくの人ヒトに給散キフサンせよ」と勅ミコトありき。「坐クラヰに坐スワる時トキは、大オホイなる酒局シユキヨクの右左ミギヒダリの側カタハラに食物クヒモノを掌ツカサドりて坐スワれ。脫侖トルン 等ラと共トモに北キタに向ムカひ坐スれ」と坐クラヰを吿ツげて與アタへたり。
§214(09:11:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは、孛囉忽勒ボロクル(卽ち孛囉兀勒)に宣ノリタマはく「我ワが母ハヽは、失吉 忽禿忽シギ クトク、孛囉忽勒ボロクル、古出グチユ、闊闊出ココチユ、汝等ナンヂラ 四人ヨタリを、民タミの營盤イヘヰより地チ闊薛兒より得エて、脚アシ闊勒の處トコロに入イれて、子コ可兀赤連とし育ソダてて養ヤシナふ