Page:成吉思汗実録.pdf/236

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​迭該​​デガイ​、​兀孫 額不干​​ウスン エブゲン​(卽ち巴阿𡂰の豁兒赤 兀孫 翁)、この​四人​​ヨタリ​は、​見​​ミ​たる​事​​コト​を​諱​​イ​まず、​聞​​キ​きたる​事​​コト​を​匿​​カク​さざりき。[​云云​​シカジカ​にて]これら​四人​​ヨタリ​はありしぞ。(これら四人の上に脫文あり。明譯には​但曾​​タヾカツテ​​聞見的事​​キヽミタルコトヲ​、​不​​ズ​​曾隱諱​​カツテカクシイマ​、​便來​​スナハチキテ​​對​​ムカヒ​​我​​ワレニ​​說了​​イヒタリ​とあり。この一節︀は、明譯に「又說」とある如く、太祖︀の勅語なるべし。


§211(09:05:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


をさななじみの​者︀勒篾​​ヂエルメ​

 ​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​者︀勒篾​​ヂエルメ​に​宣​​ノリタマ​はく「​札兒赤兀歹​​ヂヤルチウダイ​ ​翁​​オキナ​は、​風匣​​フイゴ​を​負​​オ​ひて、​者︀勒篾​​ヂエルメ​は​搖車​​エウシヤ​の​內​​ウチ​より[​擧​​ア​げられて]、​不兒罕 合勒敦​​ブルカン カルドン​より​下​​クダ​りて​來​​ク​る​時​​トキ​、​斡難︀​​オナン​[の​河邊​​カハベ​]の​迭里溫 孛勒荅黑​​デリウン ボルダク​に[​我​​ワ​が​母​​ハヽ​]​我​​ワレ​を​生​​ウ​みたる​時​​トキ​、​貂鼠​​テウソ​の​襁褓​​ムツキ​を​與​​アタ​へてありき。かくて​伴​​トモ​となりたるに​依​​ヨ​り、​閾​​シキミ​​孛莎合​の​奴​​ヤツコ​​孛斡勒​、​門​​カト​​額兀點​の​近習​​キンジユ​​奄出​となりたるぞ。​者︀勒篾​​ヂエルメ​の​功​​イサヲ​は​多​​オホ​くあるぞ。​生​​ウマ​るゝと​共​​トモ​に​生​​ウマ​れたる、​長​​タ​くると​共​​トモ​に​長​​タ​けたる、​貂鼠​​テウソ​の​襁褓​​ムツキ​なる​根源​​コンゲン​ある、​福︀​​サイハヒ​ある​慶​​ヨロコビ​ある​者︀勒篾​​ヂエルメ​、​九次​​コヽノタビ​の​罪​​ツミ​を​犯​​オカ​すとも​刑​​ケイ​に​勿​​ナ​ ​入​​イ​れそ」と​勅​​ミコト​ありき。


§212(09:07:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


父と別に千戶となれる​脫侖 扯兒必​​トルン チエルビ​

 ​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​脫侖​​トルン​(卷八なる脫欒)に​宣​​ノリタマ​はく「​父​​チヽ​と​子​​コ​と​別​​コト​に​千戶​​センコ​をいかでか​知​​シ​りたりし、​汝​​ナンヂ​。​國民​​クニタミ​を​聚​​アツ​め​合​​ア​ふ​父​​チヽ​に​片方​​カタカタ​の​翅​​ツバサ​となり、​拽​​ヒ​き​合​​ア​ひて​國民​​クニタミ​を​聚​​アツ​め​合​​ア​ひたる​故​​ユヱ​に、​扯兒必​​チエルビ​の​號​​ナ​を​與​​アタ​へたるぞ。​今​​イマ​ ​己​​オノレ​の​得​​エ​たる​置​​オ​きたる[​民​​タミ​]に​依​​ヨ​り​己​​オノレ​ ​千戶​​センコ​となりて、​禿嚕罕​​トルカン​に​議​​ハカ​り​合​​ア​ひて​居​​ヲ​らずや、​汝​​ナンヂ​」と​勅​​ミコト​ありき。(禿嚕罕の名は、前後に見えず。脫侖に兄弟 多ければ、その兄弟の一人なるべし。


§213(09:08:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​艱難︀​​カンナン​を共にせる​汪古兒​​オングル​

 ​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​汪古兒​​オングル​ ​厨官​​カシハデ​に​宣​​ノリタマ​はく「​三人​​ミタリ​の