Page:成吉思汗実録.pdf/185

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を​望​​ノゾ​み​得​​エ​ば(明譯​若​​モシ​​差​​ツカハシ​​一箇​​ヒトリノ​​可​​ベキ​​倚仗​​タヨル​的​人​​ヒトヲ​​來呵​​コバ​)、​罕 額赤格​​カン エチゲ​の​處​​トコロ​に​住​​ユ​かん、​我​​ワレ​」と​言​​イ​へ」と​云​​イ​ひて​遣​​ヤ​りぬ。​又​​マタ​ ​言​​イ​はく「​我等​​ワレラ​は、​汝等​​ナンヂラ​に​續​​ツヾ​き​動​​ウゴ​きて、​客魯嗹 河​​ケルレン ガハ​の​阿兒合勒苟吉​​アルカルカウギ​に​約​​ヤク​し​合​​ア​はん。​汝等​​ナンヂラ​そこに​來​​コ​よ」と​約​​ヤク​し​合​​ア​ひて、​便​​スナハ​ち​合里兀荅兒​​カリウダル​、​察忽兒罕​​チヤクルカン​ ​二人​​フタリ​を​遣​​ヤ​ると、​主兒扯歹​​ヂユルチエダイ​、​阿兒孩​​アルカイ​ ​二人​​フタリ​を​先驅​​サキガケ​として、​巴勒主納 納兀兒​​バルヂユナ ナウル​より​成吉思 合罕​​チンギス カガン​ ​續​​ツヾ​き​起​​タ​ち​合​​ア​ひて、​出​​イ​で​出馬​​シユツバ​したるまゝに​客魯嗹 河​​ケルレン ガハ​の​阿兒合勒苟吉​​アルカルカウギ​に​到​​イタ​りぬ。


§184(06:48:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​王罕​​ワンカン​ 金帳の​筵會​​ウタゲ​

 ​合里兀荅兒​​カリウダル​、​察忽兒罕​​チヤクルカン​ ​二人​​フタリ​、​王罕​​ワンカン​の​處​​トコロ​に​到​​イタ​りて、​合撒兒​​カツサル​の​言​​コトバ​とて、​此處​​コヽ​より​言​​イ​ひて​遣​​ヤ​りたる​言​​コトバ​を​言​​イ​ひき。​王罕​​ワンカン​は​金​​コガネ​の​天幕​​テンマク​を​起​​オコ​して、​不意​​フイ​にて​筵會​​ウタゲ​して​居​​ヲ​りき。(金の天幕は、蒙語​阿勒壇 帖兒篾​​アルタン テルメ​。宗の彭大雅の黑韃 事略に「其金帳、柱​以​​モテ​​製​​ツクル​、故と云ひ、徐霆の疏證にその製を述べて「卽​是​​ナリ​草地大氈帳。上下用ヒテ​爲​​シ​、中閒用​編​​アミテ​​爲​​ツクリ​窗眼透明ナリ、用ヒテ千餘條​拽住​​ヒキトヾム​。閾柱、皆以、故。中​容​​イル​數百人とあり。これは、元の太宗の時の製を述べたるなれども、王罕の金帳も、この類︀なるべし。)​合里兀荅兒​​カリウダル​ ​察忽兒罕​​チヤクルカン​ ​二人​​フタリ​の​言​​コトバ​につき、​王罕​​ワンカン​ ​言​​イ​はく「​然​​シカ​あらば、​合撒兒​​カツサル​ ​來​​コ​よ」と​云​​イ​ひて、「​賴​​タヨ​るべき​亦禿兒堅​​イトルゲン​(前の亦都︀兒堅、親征錄 亦禿兒干)を​遣​​ヤ​らん」とて​遣​​ヤ​り​合​​ア​ひき(回る二人と共に遣りき)。かくて​來​​ク​ると、​約會​​ヤククワイ​の​地​​トコロ​に​阿兒合勒苟吉​​アルカルカウギ​に​到​​イタ​れば、​形影​​ケハヒ​ ​大​​オホイ​なるを​見​​ミ​て、

​亦禿兒堅​​イトルゲン​の捕はれ

​亦禿兒堅​​イトルゲン​なる​使​​ツカヒ​ ​回​​カヘ​り​走​​ハシ​りき。​合里兀荅兒​​カリウダル​の​馬​​ウマ​は、​速​​ハヤ​くありき。