王罕ワンカンの千センの侍衞ジヱイの官人クワンニン 豁哩 失列門 太石ゴリ シレムン タイシをと云イひ合アへり。彼カレの後援ゴヱンには、その王罕ワンカンの大ダイ 中軍チウグンの軍イクサにて立タたんと云イひ合アへり。又マタ 王罕ワンカン 言イはく「札木合ヂヤムカ 弟オトヽ、この軍イクサを汝ナンヂ 整トヽノへよ」とて、我ワレに委ユダねんと言イへり。これにて見ミれば、酌中シヤクチウの伴トモなり。軍イクサを整トヽノへ合アふことは何ナニぞ能ヨくせん。前サキに我ワレは安荅アンダに敵テキすること能アタはずして行ユきたるに、王罕ワンカンは、我ワレより彼方カナタに在アりき。安荅アンダ 勿ナ 恐オソれそ。戒愼カイシンせよ」と云イひて遣ヤりき。
§171(06:07:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
この傳言デンゴンに來コらるゝと、成吉思 合罕チンギス カガン 言イはく「兀嚕兀惕ウルウトの主兒扯歹ヂユルチエダイ 伯父ヲヂ、(成吉思 汗の同族にて、字兒只斤 氏の長者︀なるが故に、尊びて伯父と云へり。)汝ナンヂ 何ナニと云イふらん。汝ナンヂを先鋒センポウとせん」と云イへり。主兒扯歹ヂユルチエダイの聲コヱ 出イダす前マヘに、忙忽惕モンクトの忽亦勒荅兒 薛禪クイルダル セチエン(卷四の忽余勒荅兒。薛禪は、成吉思 汗より賜はれる號なり。元史 畏荅兒の傳に見ゆ。)言イはく「安荅アンダの前マヘに我ワレ 戰タヽカはん。この後ノチ 我ワが孤子ミナシゴどもを養ヤシナはんことを安荅アンダ 知シロしめせ」と云イへり。(成吉思 汗の忽亦勒荅兒と約して安答となれること、畏荅兒の傳に見ゆ。)主兒扯歹ヂユルチエダイ 言イはく「成吉思 合罕チンギス カガンの前マヘに、我等ワレラ 兀嚕兀惕ウルウト、忙忽惕モンクト、先鋒センポウとして戰タヽカはん」と云イひき。かく云イひて主兒扯歹ヂユルチエダイ、忽亦勒荅兒クイルダル 二人フタリ、兀嚕兀惕ウルウト、忙忽惕モンクトを率ヒキゐ、成吉思 合罕チンギス カガンの前マヘに整トヽノへて立タちたり。立タちたれば敵テキは、只兒斤ヂルギンを先鋒センポウとして到イタりて來キぬ。來キぬれば、兀嚕兀惕ウルウト、忙忽惕モンクト、迎ムカへ衝ツきて只兒斤ヂルギンを敗ヤブれり。敗ヤブりて往ユく時、土綿 土別干トメン トベゲンの阿赤黑失㖮アチクシルン