(五)第五か條[編集]
- 『第三日に聖書に應ふて復活し』
問 イイスス ハリストスが死より御復活なさったことは其お苦と其死が私共人間を救った確かな証拠であると仰有いますが、左様で御座いますか。
- 答 左様ですとも、若し御復活が無かったならば、私共はイイスス ハリストスのお救贖を信ずることが出来ないので御座います。
問 イイスス ハリストスがお死になってから、其御復活になる迄の間は其御霊は何うなって居たので御座いますか。
- 答 其事は教会で歌ふ復活の歌の内によく説かれて御座います、其歌は次の様な歌で御座います。
- 『像り難きハリストスよ、爾は体にて墓に在り、霊にて神として地獄に在り、盗賊と偕に天堂に在り、父及び聖神と偕に宝座に在りて一切を満て給へり』
問 地獄と申しまするのは何う謂ふ処なので御座いますか。
- 答 私共の正教会で地獄と申しまするのは、仏教で申しまする様な、血の池があったり剣の山が有ったりする様な、其様なものでは御座いませぬ、教会で地獄と申しまするのは神様の前に出ることの出来ぬ様な大罪を犯しながら少も悔ひ改むる所なく死んだ人の霊の居る処で、幸のない永遠に苦のある擯斥[1]すべき処を申すので、教会では又其処を幽暗の処〔イウダ(ユダ)一の六〕とも申して居ます。
問 何の為にイイスス ハリストスは其お死になった時に其様な処にお降りになったので御座いますか。
- 答 其はハリストスが地上にお降りになって人の贖をなさる迄は如何なる義人の霊も神の前に出づることが出来ず皆地獄の内に他の霊と一所に居ましたので御座いましたから、主は実に其様な救主のお降を待って居ました義人の霊に贖の成ったことを知らせ、彼等を苦の内より救って楽しき処に移らせん為で御座いました。
- 答 聖書の中に此事を説き明かして次の様に申されて御座います『ハリストスも一次我等の罪の為に義者にして不義者に代りて苦を受けたり、我等を引きて神に詣らん為なり、彼は身にて殺され、神にて生かされ、此の神を以て下りて獄に在る諸神に宣傳せり』〔ペトル前三の十八、十九〕
問 『第三日に聖書に應ふて復活し』と謂ふ言は何処から出た言で『聖書に應ふ』と謂ふ言は何を意味したもので御座いますか。
- 答 此言は聖使徒パエルがコリンフ人に書き送った書の内に在りまする『彼は葬られ、第三日に復活せり、聖書に録せるが如し』〔コリンフ前書十五の四〕と謂ふ言を其儘引用したもので、『聖書に應ふ』とは、イイスス ハリストスが三日目に御復活なさったことは旧約聖書中に屡々預言されて有った事の少しも間違なく適應したもので有るとの意味で御座います。
問 旧約聖書中に言はれてあった預言と申しますると何様預言で御座いますか。
- 答 其は沢山ありますから茲に『主の復活を表した預言』を一つ二つ引いて御目に掛けることに致します。
- 先づイサイヤの書の内に斯う謂ふ句が御座います、『彼は我等の愆の為に傷けられ、、我等の不義の為に砕かれ、親ら懲罰を受けて我等に平安を與ふ、其打たれし痍によりて我等は癒されたり』〔イサイヤ(イザヤ)五十三の五〕此句はイイスス ハリストスのお苦をお受けになることを預言したもので御座います、イオナ(ヨナ)の書の内に『イオナは三日三夜魚の腹の中に在りき』〔イオナ(ヨナ)一の十七〕此言は主の三日の間墓にお居でになったことの預めの象で御座います。
問 イイスス ハリストスが三日目に御復活なさったことは何うして人々に知れたので御座いますか。
- 答 先づ主の墓を守って居た多くの兵卒等はハリストスが御復活なさる前に神の使が顕れて墓に覆ってあった石を轉し、其と同時に大なる地震の有った為に、イイスス ハリストスがお復活りになったことを覚りましたし、マリヤ「マグダリナ」及び其他の数人は神の使から主のお復活なさった事を聞きましたので其事を知り、ペトル及び其他の三人は主自ら御復活の日にお顕れになって御自分の復活なさったことをお告げになりましたし、其他の使徒及び信徒等も、或は門徒の言により或は主自からのお顕れに由って主の御復活を信じたので御座います、そして其様なる御顕れは一日に五百人の前に主が御自分のお姿をお顕しになったことも御座います〔コリンフ前十五の六〕。
問 イイスス ハリストスが御復活の後四十日の間其お弟子の間に屡々御自分のお姿をお顕しになったのは何の為なので御座いますか。
- 答 其は彼等に天国の深き教を知せん為に御顕れになったので御座います〔行実(使徒行伝)一の三〕。
脚注 [編集]