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聖金口イオアン教訓下/第9講話

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第9講話

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<<矜恤あわれみ>>


矜恤あわれみちからごとし、かれせず、ちず、けつしてほろぶることあたはざるなり。人間にんげんばん敗壊はいかいせざるものはあらじ、しかれども矜恤あわれみ結果けっか事情じじょうのいかにへんずるにもかゝはらず、つね凋衰ちょうすいせずしてそんずるなり。人体じんたいやぶるゝといへども、矜恤あわれみ生命いのちともほろびず、かへつ生命いのちためハリストスところ第宅だいたくそなへん、へらくちちいえおほくの第宅だいたくありと〔イオアン十四の二〕。かくのごとくなれば矜恤あわれみけんなるをもつても、またうきぶつたえゆうすべからざるへんえきもつても、人間にんげん一切いっさいぶつひいづるなり。しめさんか。かれやまいによりておとろへん、おいによりてえん。権柄けんぺいしめさんか。かれはしば〳〵へんずるなり。あるいとみあるいなに現世げんせいおい栄達えいたつ顕著けんちょなるものをしめさんか、かれあるい人々ひとびとせいつべく、あるい死後しご人々ひとびと裸体はだかにし、なにたざるものとしてのこさん。矜恤あわれみ結果けっかかくごとくならざるなり、かれときもつてもほろぼされず、もつてもやぶられず、かへつ平穏へいおんなる生命いのちいたときこと安然あんぜんなるものとしてとゞまらん。