<<聖「パスハ」に於るの説教>>
誰か敬虔にして神を愛する者は、此の最美はしく、且最喜ばしき大典を楽むべし。誰か智なる僕は喜んで其主の喜悦に入るべし〔マトフェイ廿五の廿一〕。齋して労苦したる者は今日「デナリ」をうくべし〔マトフェイ廿の十三〕。第一時より働きし者は今日相當の賃金をうくべし。第三時の後に来りし者は感謝と共に祝すべし。第六時の後に来るを得し者も少しくも心を安んぜざるなかれ、けだし何も奪はれざればなり。遅なはりて第九時に至りし者も、毫も疑はずして〈何も畏れずして〉来り就くべし。たゞ第十一時に来るを得し者は彼も其の遅延したるを恐れざるべし。けだし鴻恩なる主宰は後なる者をも先なる者の如くうけ、第十一時に来りし者を安んぜしむること第一時より働きし者と同うして、後なる者を憐み、先なる者の為に慮り、彼にも與へ、此にも賜ひ、其行はこれをうけ、其志はこれを善みし、勤勉には尊敬を加へ、心情をば賞讃すればなり〔マトフェイ廿の十六〕。故に皆我等が主の喜悦に入るべし、先なる者も後なる者も賞をうくべく、富む者と貧者と互に賀すべく、節制者と怠慢者と是日を尊ぶべし、齋したる者と齋せざる者と今日歓び楽むべし。食膳は豊盛なり、皆飽くべし、犢は大なり、誰も飢て退くことなかるべし、皆信仰の凱旋をたのしむべく、皆仁慈の富を利すべし誰も貧しきを訴へざるべし、けだし一般の共同国開かれたればなり。誰も罪の為に泣かざるべし、けだし赦は墓より照り始めたればなり。誰も死を畏れざるべし、けだし救世主の死は我等を自由ならしめたればなり。彼は死に囲まれて死を滅せり、彼は地獄に下りて地獄を空うし、肉に触れし者を苦ませり。此事はイサイヤもこれを預知り、呼んでいへり、曰く『地獄は苦みて、汝の入る時に汝を迎へん』〔イサイヤ十四の九〕。彼は苦めり、けだし空うせられたればなり、苦めり、けだし辱められたればなり、苦めり、けだし滅されたればなり、苦めり、けだし貶されたればなり、苦めり、けだし縛られたればなり。彼は躰を執へしに、神を見たり、地を執へしに、地に於て天を迎へり、見たる者を執へしに見ざりし者に遭へり。死よ、汝の刺は何処にある。地獄よ汝の勝は何処にある〔コリンフ前十五の五十五〕。ハリストス復活りて汝は貶され、ハリストス復活りて魔鬼は倒され、ハリストス復活りて神使は喜び、ハリストス復活りて生命は居を定め、ハリストス復活りて死者の一も墓にある無し。死より復活りしハリストスは死者復生の首となれり〔コリンフ前十五の廿〕。彼に光栄と権柄は世々に帰す。アミン。
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爾が口の恩寵は火の光の如く輝きて全地を照し、世界の為に無慾の宝を得、我等の為に謙遜の高きを顕せり。神父金口イオアンや、猶爾の言を以て訓へて、言なるハリストス神に我等の霊の救はれんことを祷り給へ。
聖金口イオアン教訓 下 終