聖金口イオアン教訓下/第61講話

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第61講話[編集]

<<せい「パスハ」におけるの説教せっきょう>>


たれ敬虔けいけんにしてかみあいするものは、いとうるはしく、かついとよろこばしき大典だいてんたのしむべし。たれなるぼくよろこんで其主そのしゅ喜悦よろこびるべし〔マトフェイ廿五の廿一〕。ものいみしてろうしたるもの今日こんにち「デナリ」をうくべし〔マトフェイ廿の十三〕。第一だいいちよりはたらきし者は今日こんにち相當そうとう賃金ちんぎんをうくべし。第三だいさんのちきたりしもの感謝かんしゃともしゅくすべし。第六だいろくのちきたるをものすこしくもこころやすんぜざるなかれ、けだしなにうばはれざればなり。おそなはりてだい九時くじいたりしものも、ごううたがはずしてなにおそれずして〉きたくべし。たゞだい十一じゅういちきたるをものかれえんしたるをおそれざるべし。けだし鴻恩こうおんなる主宰しゅさいのちなるものをもさきなるものごとくうけ、だい十一じゅういちきたりしものやすんぜしむること第一だいいちよりはたらきしものおなじうして、のちなるものあはれみ、さきなるものためおもんばかり、かれにもあたへ、これにもたまひ、其行そのおこなひはこれをうけ、其志そのこころざしはこれをみし、勤勉きんべんには尊敬そんけいくはへ、心情しんじょうをば賞讃しょうさんすればなり〔マトフェイ廿の十六〕。ゆえみなわれしゅ喜悦よろこびるべし、さきなるもののちなるものしょうをうくべく、もの貧者まづしきものたがひすべく、節制者せっせいしゃ怠慢者たいまんしゃこのとうとぶべし、ものいみしたるものものいみせざるもの今日こんにちよろこたのしむべし。食膳しょくぜん豊盛ほうせいなり、みなくべし、こうしおほいなり、たれうえ退しりぞくことなかるべし、みな信仰しんこう凱旋がいせんをたのしむべく、みなじんとみすべしたれまづしきをうつたへざるべし、けだし一般いっぱん共同きょうどうこくひらかれたればなり。たれつみためかざるべし、けだしゆるしはかよりはじめたればなり。たれおそれざるべし、けだし救世きゅうせいしゅわれゆうならしめたればなり。かれかこまれてほろぼせり、かれごくくだりてごくむなしうし、にくれしものくるしませり。此事このことイサイヤもこれをあらかじめり、んでいへり、いはく『ごくくるしみて、なんぢときなんぢむかへん』〔イサイヤ十四の九〕。かれくるしめり、けだしむなしうせられたればなり、くるしめり、けだしはづかしめられたればなり、くるしめり、けだしほろぼされたればなり、くるしめり、けだしおとされたればなり、くるしめり、けだししばられたればなり。かれからだとらへしに、かみたり、とらへしに、おいてんむかへり、たるものとらへしにざりしものへり。よ、なんぢはり何処いづこにあるごくなんぢかち何処いづこにあるコリンフ前十五の五十五〕。ハリストス復活よみがへりてなんぢおとされ、ハリストス復活よみがへりて魔鬼まきたふされ、ハリストス復活よみがへりてしん使よろこび、ハリストス復活よみがへりて生命いのちきょさだめ、ハリストス復活よみがへりてしゃの一もはかにあるし。より復活よみがへりしハリストスしゃ復生よみがへりかしらとなれりコリンフ前十五の廿〕。かれ光栄こうえい権柄けんぺい世々よよす。アミン。

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なんぢくち恩寵おんちょうひかりごとかがきてぜんてらし、かいためよくたからわれため謙遜けんそんたかきをあらはせり。しん金口きんこうイオアンや、なほなんぢことばもつおしへて、ことばなるハリストスかみわれたましいすくはれんことをいのたまへ。


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