<<死者を過度に哀むなかれ>>
死者を見ば、其の目を閉ぢ、声なうして横はるに注意せず、彼の復活して、いふべからざる、驚くべき、奇異なる栄をうくるを思ふべし、思を現在見る所のものより未来の希望に昇すべし。さりながら汝は習慣に従ふ、故に哀み且泣くか。然れどもこれ奇怪にあらずや。たとへば汝女を嫁せしめんに、もし夫は彼を携へ、去りて遠地に行き、彼処にありて幸福に生活するならば、これを不幸とは思はざらん、何となれば離居の哀みは彼等が幸福の事を聞くを以て減ぜらるべければなり、然れどもこゝに汝の親族を取去る者は人にあらず、又汝と同じき或僕にもあらずして、主が自ら取り給ふなり、然るを汝は哀み且嘆くか。汝はいはん、哀まざらんことはいかんして人に為し能ふべきやと。我は此事をいふにあらざるなり、又哀むを禁ずるにもあらずして、哀むことの過度なるを禁ずるなり、けだし過度に哀むは無分別なる、喪心なる、且は懦弱なる霊魂に属すればなり。少しく悲めよ、少しく泣けよ、呟くことなかれ、落胆することなかれ、悔恨することなかれ。取りし者に感謝せよ、逝りし者を飾りて、彼に清らかなる葬服を衣せよ。もし呟くならば、死せし者を哀ませ、取りし者を怒らせ、自己には害あらん、さりながらもし感謝するならば、彼をも飾るべく、取りし者をも讃美すべくして、自己にも益をなさん。汝の泣くは主が我等の為に越ゆべからざる悲みの度と規則と界限とを定めて、ラザリの為に泣き給ひし如くなるべし。さればパウェルも左の如くいへり、曰く『兄弟や死せる者に至ては我れ汝等の知らざらんことを欲せず、他の望をもたざるものゝ如く哀むなかれ』と。彼の意いへらく哀めよ、然れども復活を待たず又来世を信ぜざる異教人の如くなるなかれ……。