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聖金口イオアン教訓下/第46講話

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第46講話

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<<なんぢ人々ひとびとおのれさんとほつするところことまた人々ひとびとせ〔馬太七の十二〕>>


ゆえなんぢ人々ひとびとおのれさんとほつするところことまた人々ひとびとせ』〔馬太マトフェイ七の十二〕。けだしハリストスいへらくことばおほきも、広大こうだいなる律法りっぽうも、種々しゅじゅなる教訓きょうくん要用ようようにあらず、たゞなんぢ意旨いし律法りっぽうとなるべしとなり。なんぢおんをうけんことをほつするか、おんほどこせ、なんぢあはれまんことをほつするか、となりあはれめ、なんぢ賞讃しょうさんせんことをほつするか、賞讃しょうさんせよ、なんぢあいさんことをほつするか、みづかあいせよ、しゅたらんことをほつするか、づこれをひとにゆづるべし。なんぢみづかおのれこう裁判者さいばんしゃとなれ、みづか立法りっぽうしゃとなれ。聖書せいしょまたふあり『にくところことたれにもすなかれ』〔トウィト四の十五〕。訓言くんげんつみとほざからしむるなり、されどもまへ訓言くんげん徳行とくこうすにみちびくなり、にくところことたれにもすなかれあなどりをうくることをこのまざるか、あなどるなかれ、なんぢにくむことをこのまざるか、ぶんにくむなかれ、なんぢあざむくことをこのまざるか、ぶんあざむくなかれ、いづれのあいおいてもたゞの二の格言かくげんまもれ、しからば教訓きょうくんにはようあらざらん。けだし徳行とくこうるのしきかみじん天性てんせいしあたへたり、しかれども実行じっこうにみちびきてこれをぐることはじんゆうまかたまへり。