<<神の書を読むの益>>
神の書を練習するはおだやかなる港なり、破りがたき城なり、堅き要塞なり、奪ふ可らざる栄誉なり、侵しがたき武器なり、乱されざる安全なり、易らざる快楽にして且ことごとくの善なることは我等僅にこれを想像することを得ん。彼は憂鬱を逐ふべく、善心を守るべく貧者を富者より富ましめて、富者には安然を得しむべく、罪人を義人となして、義人をば危険なき避所に立たしむべし、有らざる所の善を植うべく、怨悪を逐ふて徳行に復らしむべし、且たゞにこれに復らしむるのみならず、心神上の療方となり、欲を滅する神妙にして言ふ可らざる歌となり、徳行を涵養して、堅固不抜なるものとなさん。彼は罪の荊棘を去り、田をきよめ、敬虔の種子をまきて、果実を成熟せしめん。それ薫物の芳香を発するは分量によるにあらずして、其の天性に依る、かくの如く神の書も我等に大なる益を得しむるは言の多きが為に非ず、たゞ其の含有する所の力によるなり。薫物は自己の天性によりて自ら香し、然れどもこれを火に投ずる時は、自からすべての愉快を発するなり、かくの如く神の書も自ら甚だ愉快なり、然れども我等が霊魂に徹る時は、恰も香炉に落るが如く、芳香を全家に充たしめん。