<<何故一は此世に於て罰せらるゝも、他の同く罪ある者は罰せられざるか>>
汝はいはん一は此世に於て罰せられ、他は彼世に於て罰せらる、されど皆此世に於て罰せられざるは何故なるかと。これ何故なるか、これもしかくあらんには我等皆亡ぶべきによる、けだし皆定罪の下にあればなり。されど又一方よりこれを見るならば、もし誰も此世に於て罰せられざりしならば、最多くの者はいよ〳〵怠慢なるべく、多くの者は神の先見なしといはん。けだし今日も罪人の中多くの者の罰せらるゝを見るに拘らず、かくの如く多くの者は神を藝瀆すならば、もし罰なからんには彼等何をかいはざらん、其時はいかなる悪にか達せざらん。此が為に神は一を此世に於て罰すれども、他を罰せざるなり、一を罰するは其の罪を断ち、彼処の罰を軽うし、或は全くこれより免れしめんが為なり、且此を罰するを以て他の無法に生活する者等を清潔にせんが為なり、されどこれに反して他の者を罰せざるは、彼等もしよく己を省みるときは、悔改すべく、神の恒忍を耻ぢて、此世の罰よりも、彼処の苦みよりも救はるゝを得んが為なり。されども神の恒忍を善く利用せず、依然として無法に止るならば、其の甚しき怠慢の為に大なる罰に服せん。さりながら識者の中誰かいふあらん、罰せらるゝ者は不公平を忍ばん、けだし彼等猶悔いんとすればなりと、かくいふものあらんも、我等は此に答ていはん、もし神は彼等の後悔すべきを予見せしならば彼等を罰せざらんと。けだし神は依然として改めざるべきを知るも、其者を忍耐するならば、况して神の久忍を善く使用せんとするを知らば、其者を現生に於ても忍耐せざらんや、けだし彼等は猶予の時を悔改の為に利用すべければなり。さりながら今や神は彼等の心を奪ひ、甲の為には彼処の罰を軽うし、乙をば甲を罰するを以て教へんとするなり。然れども何故神は悉くの罪人に此を為さゞるか。これ生存する所の者が他人の罰によりおそれをのゝきて自ら己を完全清潔にし、神の恒忍を讃揚するによりても、其の寛容に耻づるによりても無法をとゞめんが為なり。さりながら汝はいはん、彼等何も此の如くなさゞるにあらずやと。然れども此事に於て罪あるものは最早神にはあらずして、己の救に対する如此の助けを利用するを欲せざる者の怠慢なり。それ汝は神の之が為に此く為すを信ぜんと欲するか、謹て聞けよ。昔ピラトがガリレヤ人の血を祭物の血と混ぜしや、或者来りてこれをハリストスに告げたり、然れどもハリストスこれに答ていひけるは『此等のガリレヤ人はかく難に遭ひしに因て、すべて一切のガリレヤ人よりも罪人なりしと汝等思ふや。我なんぢらに告ぐ然らず、汝等も悔悛むるに非ずんば皆同じく亡びん耳』〔ルカ十三の二、三〕。又ある塔の倒れて、圧死せし者十八人ありしに、彼等の事をもハリストスは同くの給へり。けだし主は『此のガリレヤ人はかく難に遭ひしによりて一切のガリレヤ人よりも罪人なりしと汝等思ふや、我なんぢらに告ぐ然らず』と言ひて、生存せし者等も同じく罪あるをあらはせり、然れども『悔悛むるに非ずんば、皆同く亡びん耳』といへる言を以て、生存せし者等も他に生じたる事件に震慄き、悔悛めて天国の嗣者とならんが為に、主は其の難に遭ふを許し給ひしを示せり。汝はいはん、何ぞや、某々の罰せらるゝは我が更に善きものとならんとするがためなるかと。然らず、彼の罰せらるゝはこれが為にあらず、己の罪の為なり、さりながら此の時に於て彼は注意深き者等の為には復た救に達するの方便とならん、けだし某々の遭ひし所のものを以て彼等をおそらし、彼等をして善に最勉励する者とならしむればなり。世の主人たる者も此の如く為すなり、一の僕をたび〳〵罰し、これを以て他を恐れしめて、最清潔なる者と為すなり。故に人あり、或は破船の際に亡び、或は家にありて圧死し、或は火難に亡び、或は河に溺れ、或は其他何なりとも非命に終るものあるも、他は彼等と同様、又は彼等より尚悪しき者たりとも、何もかくの如き難にあはざるを見る時は、汝これによりて心を乱すなかれ、此の同じく罪ある者にして同じく難に遭はざるは何故なりやといふなかれ。さりながらこは左の如く思ふべし、即神は一者には彼処の罰を軽うし、或は亦全くこれを免れしめんがために、其の殺され且圧死せらるゝを許容すといへども、他者には一もかくの如きをうくるをゆるさゞるは、前者の罰により後者を更に善なる者とならしめんが為なり。されどもし汝は罪に止まるならば、これ己が怠慢により、慰む可らざる苦みを自ら予備するものにして、神は此の堪ふべからざる罰の因由者にあらざるなり。
又汝は義人の患難にかゝるを見、或は凡て我が前文に言ふ所のものをうくるを見るときも、これが為に落胆するなかれ、けだし不幸は義人にも最美はしき栄冠を備ふればなり。之を要するに何の罰に論なく、もし罪人に及ぶならば、罪の重きを軽うせん、されどもし義人に及ぶならば、彼等の霊魂を更に清明なるものとなさん、即彼にも、又此にも、患難によりて大なる益あらしむるなり、唯我等感謝してこれを忍耐せん、けだし是れ求むべきの事なり。