<<神は何故患難に試みらるゝを許すか>>
金工の物を製するや。金を坩堝に投じて、其の最純粋になれるを見ざらん間は、これを火中に置て鎔解せしむるなり、実に此の如く、神も人々の霊魂の純潔にして光るものとなり、試練によりて大なる益を得ざらん間は患難にて試みらるゝを許すなり……。それ金工の物を製するは、金を炉中に置く幾時間を要すべきか、又彼を何時彼処より取出すべきかを知り、金の焼変りて腐るに至る迄火中に置くを許さずんば、况て神は此を知るが故に、我等のいよ〳〵純潔なるものとなるを見る時は、試練より救出して、患難の過度の為に我等が躓き仆るゝを免れしむるなり。されば我等は何か期せざる事変に遭うあらば、不平を鳴らさず、小胆をあらはさず、確実に此を知る者に一任して、彼の欲する間我等が霊魂をきよめしめん、けだし彼は試みらるゝ者の善と益との為に此を為せばなり。
数回火を経たる金にこれあるが如く、試練の感化の下にある金にひとしき霊魂も亦常にこれと同じからん。金の実質は金工の必要とする時間だけ火中にありて、火の働きにより更に純然光明なるものとならん、金にひとしき霊魂を有する人々もかくの如し、連綿たる試練の坩堝を経て、比類なく光り輝くものとなり、すべての金より貴重なるものとならん。