<<聖書に人といふ言は何を意味するか>>
もし汝は我等人類一般の名称を熟考するならば、此によりても徳行に対する至大なる教訓と勧戒とをうけん。けだし此の名称~人~は我等これを定義するに外教者の如くせず、神の書の命ずる所に随はん、人とは人間の手と足とを有する者のみをいふにあらず、又たゞ霊智を有する者のみをいふにあらず、敬虔と徳行とを熱心に練習に練習する者をいふなり。されば聖書に約百の事を言ふをきくべし、聖書に『アウシティデイステの地に人あり』といひて、其後彼の事を録するに外教者の言ふ如き徴候を以てせず、又二の足と廣き爪とを有せりといはず、却て其の敬虔の徴候をすべて合し、『眞実に、かつ正しく、神を畏れて諸の悪事に遠ざかる』〔イヲフ一の一〕といひて、これぞ則人なるをあらはせり、又他の処にも同くこれをいへり、曰く『神を畏れて其の誡命を守れ、是はすべての人の本分なり』〔傳道之書十二の十三〕。さりながら人といふ名称はかくの如く徳行に対する勧戒を含有するならば况や信者てふ名称に於てをや。汝が信者と名づけらるゝは、神を信じて、彼より称義と、成聖と、心の潔浄と、義子たることと、天国とを自らうくるが為ならん、神は汝を信任して、此のすべてを汝に許し給へり、さらば汝は自からも亦信任して他の矜恤と祈祷と貞潔と其他のあらゆる徳行を彼に顕すべし。さりながら我れ何ぞ矜恤といはん。もし汝は一盃の冷水〔マトフェイ十の四十二〕だも彼に與ふるならば、是も汝の為に失はれざらん、彼は其日に至る迄此を守りて、大に報いて余りあらしめん、けだし彼はたゞ其の信任されたるものを守るのみならず、更に報復を以て此を増殖するは驚くべきなり。且又彼は汝にも其の力に応じて汝が信任されたる所の者を行ひ、汝が受けたる所の聖事をます〳〵大にし、聖洗に頼りて其義をいよ〳〵光らし、此の賜をます〳〵燦然としてあらはさんことを命じ給へり。