聖詠講話中編/第百二十二聖詠講話

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第百二十二聖詠講話[編集]

てんものよ、われげてなんぢのぞ〔一節〕。


。 なんぢ如何いか囚擄とらはれえきいたところあらはれしをるか。つねつながれ、アッシリヤじんおよエギペトじん信用しんようし、城壁じょうへきおほくのざいらいせし人々ひとびとは、いまこれのものをはなれてかたれぬ右手ゆうしゅわしき、このぼうむかひ、高尚こうしょうなるそうまた聖堂せいどううばはれてかれ聖堂せいどうかいされたり〉つひてんよりかみまねけり。かみてんいまものづけらるゝは場所ばしょかぎられざるがめ、いな萬有ばんゆうおほふにるにあらず、すなはかみこと人々ひとびとうちにもじうし、すなはち『われかれうちり、かれうちかん』〔コリンフ後書六の十六〕とへるごとく、彼処かしこぐんてん使うちじうするにりてなり。くのごとイウデヤじん種族しゅぞくくにおいすくなからぬしんまなべり、すなはよりはなるることおよかれかみときかみ何処いづこおいてもすみやかちうすることをとくせり。つひ新生命しんせいめい光線ひかりあらはれたるがゆえ預言者よげんしゃ場所ばしょまもることにかんする律法りつぽう漸々ぜんぜんおよあん排斥はいせきしつゝらいかんすることをはじむ。


よ、ぼく主人しゅじんのぞみ、主婦しゅふのぞむがごとく、われしゅかみのぞみて、そのわれあはれむをつ』〔二節〕。よ、ここふたたイウデヤじん敬虔けいけん如何いかふんせしかを、すなはかれただざんかみけるぼうやしなふのみならず、何時いつぼうわたされ、ぼうもつかためらるゝなり。ればイウデヤじんかくりてぼくしょくおよすべての給養きゅうようおのれ主人しゅじんよりくる唯一ゆゐいつ方法ほうほうゆうし、おのれ主人しゅじんることをめずしてくるのときしかうしてこれくるときおんかんずるものとなり、つねおこなふがごとく、何人なんびとよりも自己じこ助力じょりょくせいたず、また何人なんびとにもけざることをあらはすなり。くのごと預言者よげんしゃぼくきてぶるは、イウデヤじんつねこれおこなふこと、かれ如何いかなるぼうをもゆうせず、せつかみ佑助ゆうじょつこと、これ注意ちゅうい等閑とうかんにしてけるものは、いまこうさいしてかみよりはなるゝをほつせず、つとおよかれもとそのわれあはれむをつ』ほど如何いか善良ぜんりょうなるものとなりしを。預言者よげんしゃしょうあたふるはいづれのときなるかともはず、あるい報酬ほうしゅうをなすいづれのときかともはずしてあはれむをつ』といへり。ればひとよ、なんぢくるとけざるとにかかはらずつね前進ぜんしんせよ、けずとも退しりぞなかれ、らばかならけん。嫠婦やもめ退しりぞかざりしことにして残忍ざんにんなる首長しゅちょうぜんかたむけしならば〔ルカ福音十八の五なんぢすみやかかみより退しりぞき、うれもだよわりつゝ如何いかにしてゆるされんや。なんぢ下婢かひ如何いかこころれず、せんをもげずして主人しゅじんより退しりぞかざりしをるか。なんぢまたおこなへ、一なるかみしたが一切いつさいてゝかみかずれ、らばかならえきもつおのれためねがひしところけん。


しゅよ、われあはれみ、われあはれたまへ、けだしわれあなどりれり。われたましひはなはれり』〔三節〕。なんぢ傷害しょうがいされたるたましひるか。イウデヤじんあはれみによりてかれすくはんことをねがふものにあらずまたあはれみるによりてねがふにあらず、すなはダニイルも『われぜん諸民しょみんよりもおとされたり』〔ダニイル書三の三十七〕といへるごとく、イウデヤじんおほいなるばつけたるによりてねがふなり。かれまたそのとううちおいおなじくふなり、いは吾人われらじょうなる艱難かんなんけ、生国しょうこくゆうとをうばはれ、種族しゅぞくれいとなり、軽蔑けいべつせられ、かつ迫害はくがいによりて衰弱すいじゃくし、つばきせられ、つねあしもてふみけられたり、これため吾人われらゆるあはれたまへと。ことたましひれり』とはなに意味いみするか。こころは、吾人われらたましひおほいなる艱難かんなんによりて衰弱すいじゃくせり。多くの人々はし、艱難かんなん遭遇そうぐうしたれども、おほこれ忍耐にんたいせり、しかるに吾人われらこれをもうばはれたり、吾人われら艱難かんなんとき憂悶ゆうもん痛傷つうしょうすと。かれたまはられたる特点とくてん當然とうぜんようせざりしがゆえに、かみつねたまふがごと反対はんたいなることをもつかれ矯正きょうせいせり。ればかみアダムどうることをようせざりしにより、どうより放逐ほうちくしてこれ矯正きょうせいし、其妻そのさいをつと同等どうとうそんより極悪人ごくあくにんとなりしにより、かみ服従ふくじゅうすべきことと従属じゅうぞくすべきこととをめいじてこれ改善かいぜんせり。くのごとおのれ生国しょうこくおいゆう安寧あんねいとをけながら極悪人ごくあくにんとなり、放縦ほうしょうなるものとなり、節制者せっせいしゃとなれるこれイウデヤじんをも、かみそれ反対はんたいなることをもつ矯正きょうせいするなり。


イウデヤじん等はあはれみねがひてかみわれたましひおごものはづかしめほこものあなどりとにはなはれり』〔四節〕といへり。訳者やくしゃたましひ平安へいあん生活せいかつするものなん傲慢者ごうまんしゃ軽蔑けいべつとにはなはれり』〔シムマフ〕となし、だい三の訳者やくしゃ自負じふしゃぼう〔アキラ〕となし、だい四の訳者やくしゃもっと平安へいあん生活せいかつするものあなどり〔訳者不明〕となせり。彼等は皆同一の意味をあらはすなり、すなはたましひあなどりれり』てふことばをもつて艱難かんなんを嘆くなり、れどいま訳者やくしゃのことをへり、すなはこれのことがイウデヤじんむかはんがためかれみづか吾人われら遭遇そうぐうせしことを経験けいけんせんがためかれ自負じふ傲慢ごうまん謙遜けんそんならしめんためなり。数々しばしばくのごとおこなはるることあり、かみつねおごれるもの謙遜けんそんにし、ほこれるものくだすはかれ亡滅ほろびいたみちよりけしめんためなり、いななにものも傲慢ごうまんよりしきはなし。誘惑ゆうわく艱難かんなんのあり、すべきからだあたへられ、おほくのこうつかはされ、つうおよ疾病しっぺいのあるは、軽率けいそつにして自負じふ驕傲きょうごういたたましひかた抑制よくせいせんためなり、ればあいすべきものよ、誘惑ゆうわく遭遇そうぐうすともこころみだなかれ、すなは預言者よげんしゃの『なんぢおきてまなばんためくるしみしはわれためぜんなり』〔聖詠百十八の七十一〕てふことばおくしつゝ、治療ちりょうためこうけ、誘惑ゆうわく當然とうぜんようせよ、らば吾人われらみな光栄こうえい権柄けんぺい世々よよする吾人われらしゅイイスス ハリストス恩寵おんちょう仁愛じんあいとをもつくべきおほいなる平安へいあんけん。アミン。

参考[編集]

第百二十二聖詠せいえい

登上の歌
1 てんものよ、われげてなんぢのぞむ。
2 よ、ぼく主人しゅじんのぞみ、主婦しゅふのぞむがごとく、われしゅかみのぞみて、そのわれあはれむをつ。
3 しゅよ、われあはれみ、われあはれたまへ、けだしわれあなどりれり。
4 われたましひおごものはづかしめほこものあなどりとにれり。


へん第123篇(文語訳旧約聖書)

1 てんにいますものよわれなんぢにむかひてをあぐ
2 みよしもべそのしゅをそそぎ 婢女はしためその主母とじをそそぐがごとく われらはわがかみヱホバにをそそぎて そのわれをあはれみたまはんことをまつ
3 ねがはくはわれらをあはれみたまヘ ヱホバよわれらをあはれみたまへ そはわれらに軽侮あなどりはみちあふれぬ
4 おもひわづらひなきものの凌辱はぢしめと たかぶるものの軽侮あなどりとはわれらの霊魂たましひにみちあふれぬ