- 人我に向ひて、我等主の家に往かんと云ふ時、我喜べり〔一節〕。
一。 然るに今や多くの人々は斯る招待を受くるも不満なりしならん。何人か競馬場或は不法の観物に行かんと招待する時は之に応ずる人々の多かれど、祈祷の家に行くことを怠らざるは蓋少し。然れどもイウデヤ人には斯の如くにてはあらざりき。『ハリスティアニン』にしてイウデヤ人よりも無分別なる時は何ものか之に勝る悲しきことあらん。何故に彼等は斯くの如き者となりしか。我は重複して云はん、彼等は囚によりて、善良なる者となれりと。以前には聖堂を蔑視しおよび、神聖なる言を聴くことを蔑視して之を避け、山及び森林に行きて大なる不虔に耽りし者も、今や妄信に対する執着を棄て、喜びて此招待に注意し、奮起して其心内に於て歓喜するに至れり。彼等は飢渇に苦めり『是は餅に乏しきにあらず、水に渇くにあらず、主の言を聴くことの飢饉なり』〔アモス書八の十一〕。且つ彼等は斯る罰を受け、大なる希望を以て以前に離れしことに進むなり。彼等はシオンの地板を抱きて『爾の諸僕は其石をも愛し、其塵をも惜めばなり』〔聖詠百一の十五〕といひ、又〔『〕我何の時にか至りて神の顔の前に出でん』〔同上四十一の三〕といひ、又『我イオルダンの地よりエルモンより小山より〈正教訳のには「ツォアルの山より」とあり〉爾を記憶す』〔同上四十一の七〕といひ、又『我此を記憶して、我が霊を注ぐ』〔同上四十一の五〕といへり。我に告げよ、『爾は何を記憶したるか』。『我曾て大衆の中に行き神の家に入れり』〔同上四十一の五〕即ち我は此等の人々、此厳なる集会此奉事に至らんとなり。
『イエルサリムよ、我等の足は爾の門の内に立てり』〔二節〕。爾は非常なる喜を見るか。彼等は恰も望むべきことを受けて其招待を楽み、大なる愛を以て祈祷の家及び市を繞れり。
神は常に斯く行ひ給ふなり。吾人若し幸福を領けて之を感ぜざれば、神は吾人の手より之を奪ひ給はん、是れ受けながら之を感ぜざりしことを、奪ひて之を感ぜしめん為なり。彼等も亦聖堂を繞り、市を繞りつゝ彼等に生国を返せしが為、大に神を感謝しつゝ同じく行へり。
『イエルサリムは稠密の城邑の如くに築かれ』〔三節〕。他の訳者に拠れば『我等は城邑の如くに建造られたるイエルサリムに帰れり』とありて、囚はれし後の事件を示せり。當時全市は破壊されて太く荒敗し、高塔は衝倒され墻壁は破壊され唯生国の旧墟の存したるが故に、今や還り来れるイウデヤ人等は此の荒敗を見て其以前の幸福なりしを想起し、讃美歌を歌ひて、嘗て聖堂あり、首長あり、王と祭司長とを有し、秀麗絶美にして繁栄なりし城邑が、斯くの如き憫然なる状態に変じたりしことを追想せるなり。而して之が美麗なりしことは『イエルサリムは城邑の如くに築かれ』てふ言によりて知るべし、當時イエルサリムは未だ城邑たらざりしなり。又此事は預言者が『稠密の』と附加へし言によりても見ゆ。爰に豫言者はイウデヤ人の囚はれし以前に於てイエルサリムの建築物の堅固稠密にして連接したること、市中に些の空所なく、凡ての場所に間隙なく密接して家屋の建造されしことを言ふなり。然れば他の訳者は之を言ひ顕しつゝ『接続する所の』イエルサリムといへり。次に豫言者は他の讃美をもイエルサリムに言ひ顕せり。
『諸支派即主の支派がイズライリの法に遵ひて、上りて主の名を讃栄する処なり』〔四節〕。壮麗と建築とが市を飾りしよりも人民或は教会の集会又は何事かに就きて疑問の顕るゝ所に凡ての人民群集して特に市を飾れり。爰には聖堂あり、凡ての奉神礼行はれ、司祭等あり、レウィト等あり、王の宮殿もあり、近かづくべからざる場所、〈至聖所〉あり、前門あり、犠牲あり、祭壇あり、諸祭日あり、祝典あり、祈祷あり、読物もありき、一言にて云へば、爰には社会を組織する凡ての実質の集められたるが故に、諸支派は特に一年に三次、即ちパスハ祭、五旬節及び天幕祭には集合せざるべからざりき、何となれば此等のことは他の処に於て許されざりしに由る。是故に豫言者は市を讃美して『諸支派上りて』といへり。他の訳者は『其処に帝笏上る』といへり。単に『支派』と云はずして『主の支派』といへり。諸支派は主に属したれども、彼等には此等のことを己の生国に於て行ふことを許されざりき、斯る名誉は衆人を集め及び牽引けし都会に負はされしなり。
二。 此等のことをイエルサリムに於て行ふことを定められしはイウデヤ人の敬虔を保護する目的にして、四方に彷徨ひしイウデヤ人に偶像崇拝に至る発端と途とを有せざらしめん為なり。然れば神は彼処に於て犠牲を献げ、彼処に於て祈祷し、彼処に於て祭典を行ふことを命じ、不虔に傾ける彼等の思想を抑制し、之を制限せんと欲して場所を限れり。預言者は又『主の支派イズライリの法』てふ言を以て此事を顕せり。『イズライリの法』とは何事を意味するか。是れ至大なる神の照管の証明、憑拠、記号を意味するものにして、彼等もし背きて偶像に迷ひ、之に心を傾くるときは如何なる弁解をもなすことを得ざるなり。此は神の照管、能力及び睿智の至大なる証明なり。古の大事件の報告物語を含める律法は彼処に於て誦まれたり。彼等は彼処に於て互に相迎へつゝ愛を以て合せられき、彼処に行はれし祭典は彼等の為に相互に交際の発端となり、機会となれり〈神の〉畏は強まり、敬虔は増し、無数に多くの幸福はイウデヤ人の此市に集まりしより生じたり。『主の名を讃栄す』とは、感謝し、奉神礼を行ひ、祈祷し、供物と犠牲とを献ずることにして、此事は彼等を敬虔に導き且つ社会の秩序を一層堅固なるものとなせり。
『彼処に審判の宝座ダウィドの家に宝座は立つ』〔五節〕。視よ市の他の特点をも。如何なる特点なるか。彼処に王の宮殿のあることなり。『彼処に審判の宝座ダウィドの家に宝座は立つ』てふ言は即ち之れを示すなり。他の訳者は『ダウィドの家の』〔訳者不明〕となす。司祭及び王の二重の権勢は彼処に於て一つに合せられたり、即ち市は二倍の装飾―栄冠及び王冠を以て飾られたり。彼処には他の人の智識に優る事を判断する裁判官ありき。若し或る他の市に於て疑問の起る時はイエルサリムの裁判官に上告せしめて其決定を受けたり。古に於ては斯くありき、然るに今や凡ては憫然なる状態にありき、全然たる荒敗、破壊、墟址、唯以前の福なりし状態を暗示し記憶せしむる憫然たる建築の遺物の僅かに存するあるのみ。然れば預言者は此悲哀なる記憶を以て己の説話を限らず悦ばしき希望を起さしめて『イエルサリムの為に平安を求めよ』〔六節〕といへり。この言は何を意味するか。換言すれば、請へよ、要求せよとなり。他の訳者は『イエルサリムを安問せよ』〔シムマフ〕といへり、即ちイエルサリムが以前の福なりし状態に帰り、多回の戦争より救はれ、終りに幸福を受けんことを祈れよとなり。或は彼〈預言者〉は之を言ひ或は預言するなり。『イエルサリムの為に平安を求めよ』とは平安は彼に與へられんとなり。『又爾を愛する者は裕ならん』。他の訳者は『平安ならん』〔シムマフ〕といひ、第三の訳者は『願くは爾を愛する者は安寧を得ん』〔訳者不明〕といへり。爰に安寧は唯城邑にのみ限らず之を愛する者が却て以前にありしが如き幸福を楽むは其安寧の至大なるものなり。當時彼を嫉み彼を攻撃せし者は殊に強く、他の者よりも強く且つ光栄にして容易に勝利を得たり。然れども今や爾を愛する者は大なる安全の中にあり、爾と偕に保護せられん。爰に預言者は或は彼等に助くる者を意味し、或は市民其者を意味するなり。
『願はくは平安は爾の力の中にあらん』〔七節〕〈正教会訳のには『願くは爾の城の中は平安』とあり〉他の訳者は『爾の保護の中にあらん』〔訳者不明〕となし、第三の訳者は『爾の近辺にあらん』〔シムマフ〕となす。『爾の力の中にあらん』とは何を意味するか。爾の懐の中に爾の住人の中に、爾の幸福の中にあるを意味するなり。戦争は破壊的にしてイエルサリムを亡したるが故に、預言者はイエルサリムに対して平安を希望するなり。『爾の宮の中は安寧ならん』。啻に艱難より救はるゝのみならず、無数の幸福を受くること即ち其平安と安寧と富裕とを受くることを彼等に預言するなり。若し艱難、貧窮、飢餓の中に生活せば平安より如何なる益あらんや。又戦争あらば安寧より如何なる益あらんや。然れば預言者はイウデヤ人に彼と此との幸福、即ち富裕の中にあることをも安寧平安の中に於て幸福を受くることをも預告するなり。『我が兄弟我が隣の為に』。是れ或は彼の亡滅を喜びし隣を意味し、且つ其等の人々が温柔となりて神の能力を識らん様平安に就きて祈り、或は城邑に住居せし兄弟に就きて云ふなり。然れば。『我が兄弟我が隣の為に』願くは平安なれ、是れ爾等が、縦し後くとも艱難によりて善良なる者となりて安んぜん為なり。
『云ふ、爾等平安なれ。主我が神の家の為に我爾に福を願ふ』〔九節〕。預言者は。『我が兄弟我が隣の為に』といひ、及び彼が此事に就きて祈るは彼等の功徳の為にあらず、乃ち神が益々彼等に福を賜はん様祈ることを示して『主我が神の家の為に』と附加へたり、即ち我は神の光栄の為奉神礼を興すが為、大に神の教を弘布むるが為に、平安を望むの意なり。或イウデヤ人は囚擄の中に生れたるも、或者は囚擄となりて曳かれ及び古郷に帰りし時の証者たりき。囚擄の中に生れたるイウデヤ人は甞て奉神礼を行ふ時にありしこと、彼等の古郷の美麗なりしこと彼等の幸福なりしこと等につきては老人より聞きて之を知れり。爾は預言者が如何に彼等の傲慢を謙遜にするを見るか、是れ彼等が當然の罰を受けしが故に幸福を受けたるが如く思はず、乃ち彼等をして神の光栄の為に己の生国に還されしことを知らしめん為、及び之を知りつゝ以前の罪を犯して同一の罰を甞めざる様注意せしめん為なり。
吾人も亦之を知りて亡びざる様力めん、時として罪に陥りしことありとも、速に起ちて以前の罪を犯さざる様力めん、是れ癱瘋者に対して『視よ、愈えたり、復罪を犯す勿れ、患に遭ふこと更に甚しからん』〔イオアン福音五の十四〕と云はれたる言を聴かざらん為なり。而して主の斯く云はれしは、吾々衆人が光栄権柄の世々に帰する吾人の主イイスス ハリストスの恩寵と仁慈とによりて受くべき天の幸福を偕に受けん様、善行を固く守り、又罪を免されし者をば其善良なる改心を持続すべきことを教へん為なり。アミン。
第百二十一聖詠
- 1 人我に向ひて、我等主の家に往かんと云ふ時我喜べり。
- 2 イエルサリムよ、我等の足は爾の門の内に立てり。
- 3 イエルサリムは稠密の城邑の如くに築かれ、
- 4 諸支派即主の支派がイズライリの法に遵ひて、上りて主の名を讃栄する処なり。
- 5 彼処に審判の宝座、ダウィドの家の宝座は立つ。
- 6 イエルサリムの為に平安を求めよ、願はくは爾を愛する者は安寧を得ん。
- 7 願はくは爾の城の中は平安、爾の宮の中は安寧ならん。
- 8 我は我が兄弟、我が隣の為に云ふ、爾平安なれ。
- 9 主我が神の家の為に我爾に福を願ふ。
詩篇第122篇(文語訳旧約聖書)
- 1 人われにむかひて率ヱホバのいへにゆかんといへるとき我よろこべり
- 2 ヱルサレムよわれらの足はなんぢの門のうちにたてり
- 3 ヱルサレムよなんぢは稠くつらなりたる邑のごとく固くたてり
- 4 もろもろのやから即ちヤハの支派かしこに上りきたり イスラエルにむかひて證詞をなし またヱホバの名にかんしやをなす
- 5 彼處にさばきの寳座まうけらる これダビデの家のみくらなり
- 6 ヱルサレムのために平安をいのれ ヱルサレムを愛するものは榮ゆべし
- 7 ねがはくはなんぢの石垣のうちに平安あり なんぢの諸殿のうちに福祉あらんことを
- 8 わが兄弟のためわが侶のために われ今なんぢのなかに平安あれといはん
- 9 われらの神ヱホバのいへのために我なんぢの福祉をもとめん