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聖詠講話上編/第十聖詠講話

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第十聖詠講話

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ダウィドの詠(えい)〔ダウィドの凱旋(がいせん)歌(か)〕[1]

一。 『我(われ)主(しゅ)を恃(たの)む、爾(なんぢ)等(ら)何(なん)ぞ我(わ)が霊(たましひ)に謂(い)ふ、鳥(とり)の如(ごと)く飛(と)びて爾(なんぢ)の山(やま)に至(いた)れ』他(た)の訳者(やくしゃ)は『鳥(とり)の如(ごと)く山(やま)に上(のぼ)れ』〔アキラ[2]〕となし、第三(だいさん)の訳者(やくしゃ)は『移(い)住(じゅう)せよ』〔不明の訳者〕となす。『盖(けだし)視(み)よ、悪人(あくにん)弓(ゆみ)を張(は)り其(その)矢(や)を弦(つる)に注(つが)へ、暗(くらき)に在(あ)りて心(こころ)の義(ぎ)なる者(もの)を射(い)んと欲(ほっ)す。』『基(もとい)壊(やぶ)られたらば、義(ぎ)人(じん)何(なに)をか為(な)さん』。他(た)の訳者(やくしゃ)は『律法(りっぽう)にして壊(やぶ)られたらば』〔シムマフ[2]〕となし、第三(だいさん)の訳者(やくしゃ)は『教(おしえ)にして投(なげ)棄(す)てられたらば』〔不明の訳者〕となす、神(かみ)を仰望(たの)む力(ちから)は大(おほい)なるものなり。此(この)力(ちから)は近(ちか)づく可(べ)からざる柵(さく)、侵(おか)し難(がた)き墻壁(しょうへき)、勝(か)たれぬ援助(たすけ)、静(しづか)なる港(みなと)、破(やぶ)るべからざる城(しろ)、防(ふせ)ぎ難(がた)き武器(ぶき)、勝(か)ち難(がた)き力(ちから)、通(つう)過(か)すべからざる途(みち)なり。武(ぶ)装(そう)せざる者(もの)は此(この)力(ちから)を以(もっ)て武(ぶ)装(そう)せる者(もの)に打(うち)勝(か)ち、妻(つま)は夫(おっと)に勝(か)ち、子(こ)供(ども)は此(この)力(ちから)を以(もっ)て戦術(せんじゅつ)に経験(けいけん)ある者(もの)よりも容(よう)易(い)に甚(はなは)だ強(つよ)き者(もの)となれり。彼(かれ)等(ら)は全(ぜん)世(せ)界(かい)の上(うえ)に勝(しょう)利(り)を博(はく)したるも、其敵(そのてき)に勝(か)ちたるは驚(おどろ)くべきことにあらず。万有(ばんゆう)は彼(かれ)等(ら)の前(まえ)に己(おのれ)の天性(てんせい)を忘(わす)れて之(これ)に利(り)益(えき)を與(あた)へたり、猛獣(もうじゅう)は已(すで)に猛獣(もうじゅう)たらざりき、爐(いろり)も已(すで)に爐(いろり)たらざりき、神(かみ)を仰望(たの)むことは凡(すべ)てのものを変(へん)ずればなり。狭隘(きょうあい)なる牢獄(ろうごく)、猛獣(もうじゅう)の鋭(するど)き歯(は)、其(その)天性(てんせい)の猛悪(もうあく)、其(その)苦(く)痛(つう)の飢餓(きが)、其腮(そのあご)は預(よ)言者(げんしゃ)の身辺(しんぺん)に在(あ)り、而(しか)して彼(かれ)等(ら)は之(これ)を防御(ぼうぎょ)すべき何(なに)ものをも有(ゆう)せざりしが、唯(ただ)神(かみ)を仰望(たの)むことは、千(せん)百(ひゃく)の轡(くつわ)よりも猛獣(もうじゅう)の腮(あご)を強(つよ)く抑(おさ)へつつ彼(かれ)等(ら)を後方(こうほう)に轉(てん)ぜしめき。聖詠者(せいえいしゃ)は此事(このこと)を思(おも)ひつつ、彼(かれ)に安全(あんぜん)なる場所(ばしょ)に避(さ)け、逃走(とうそう)して救(すく)はるべきことを勧(すす)めたる人々(ひとびと)に対(むか)ひて『我(われ)主(しゅ)を恃(たの)む、爾(なんぢ)等(ら)何(なん)ぞ我(わ)が霊(たましひ)に謂(い)ふ』と云(い)へり。爾(なんぢ)は何事(なにごと)を云(い)ふや。我(われ)は己(おのれ)の佑助者(ゆうじょしゃ)として世(せ)界(かい)の主宰(しゅさい)を有(ゆう)し、常(つね)に凡(すべ)てを容(よう)易(い)に為(な)し行(おこな)ふ者(もの)を己(おのれ)の大将(たいしょう)及(およ)び保護者(ほごしゃ)として有(ゆう)するに、爾(なんぢ)は住居(すま)はれざる場所(ばしょ)に我(われ)を遣(つかは)し、安全(あんぜん)を曠(こう)野(や)に求(もと)むべきことを勧(すす)むるか。凡(すべ)てを至(い)と容(よう)易(い)に為(な)し得(う)る者(もの)に勝(まさ)る所(ところ)の佑助者(ゆうじょしゃ)は曠(こう)野(や)にあるか。何(なん)の為(ため)に爾(なんぢ)は強(つよ)く武(ぶ)装(そう)したる我(われ)を、恰(あたか)も裸(ら)体者(たいしゃ)の如(ごと)く、武(ぶ)装(そう)せざる者(もの)の如(ごと)く逃走(とうそう)せしめ、又(また)放逐者(ほうちくしゃ)たらしめんと欲(ほっ)するか。爾(なんぢ)は軍隊(ぐんたい)を有(ゆう)し、墻壁(しょうへき)及(およ)び武器(ぶき)にて防御(ぼうぎょ)せらるる者(もの)に対(たい)して、曠(こう)野(や)に逃走(とうそう)すべきことを勧(すす)めざりしならん、若(も)し勧(すす)めたらんには笑(わら)はれん、何故(なにゆえ)に爾(なんぢ)は世界(せかい)の主宰(しゅさい)と偕(とも)にする者(もの)を窘逐(きんちく)し、罪人(ざいにん)の攻撃(こうげき)より流(る)浪(ろう)逃走(とうそう)せしむるか。我(われ)は以(い)上(じょう)に述(の)べたることの外(ほか)にも逃走(とうそう)せざる他(た)の理(り)由(ゆう)を有(ゆう)す。神(かみ)若(も)し助(たす)け、而(しか)して攻撃(こうげき)する者(もの)の罪人(ざいにん)なる時(とき)は、臆病(おくびょう)なる鳥(とり)に倣(なら)ふことを勧(すす)むる者(もの)は甚(はなはだ)しき不(ふ)虔(けん)に陥(おちい)らざるか。爾(なんぢ)が我(われ)に対(たい)して備(そな)へし軍隊(ぐんたい)は、蜘網(くものす)よりも弱(よわ)きことを知(し)らざるか。此(この)世(よ)の王(おう)の敵(てき)が、何処(いづこ)に行(ゆ)くとも到処(いたるところ)危(き)険(けん)に遭遇(そうぐう)して恐(きょう)懼(く)戦慄(せんりつ)する時(とき)は、况(まし)て萬物(ばんぶつ)を造(つく)りし神(かみ)の敵(てき)をや、彼(かれ)は何処(いづこ)に行(ゆ)くとも、凡(すべ)ての人々(ひとびと)は彼(かれ)の敵(てき)なり、万有(ばんゆう)も亦(また)彼(かれ)の敵(てき)とならん、何(なん)となれば天然(てんねん)及(およ)び猛獣(もうじゅう)も神(かみ)の友(とも)を畏(おそ)れ、万有(ばんゆう)も之(これ)を尊(たっと)ぶが如(ごと)く、無(む)生(せい)の万物(ばんぶつ)も亦(また)神(かみ)の敵(てき)、神(かみ)の反抗者(はんこうしゃ)に対(たい)して武(ぶ)装(そう)し、之(これ)を攻撃(こうげき)すればなり。視(み)よ、之(これ)に由(よ)りて或者(あるもの)は其(その)未(いま)だ地(ち)に触(ふ)れざる前(まえ)既(すで)に猛獣(もうじゅう)に掻(かき)裂(さ)かれ、或者(あるもの)は火(ひ)の焚(や)く所(ところ)となりて滅(ほろ)びたるを。敵(てき)は箭(や)と箭(や)筒(づつ)とを持(ぢ)し、凡(すべ)ては彼(かれ)等(ら)に準(じゅん)備(び)せられたり、即(すなは)ち預(よ)言者(げんしゃ)の曰(い)ふが如(ごと)く、已(すで)に其(その)矢(や)を『弦(つる)に注(つが)へたり』然(しか)れども彼(かれ)等(ら)には何(なん)の勢力(せいりょく)もなし、吾人(われら)は毫(ごう)も斯(かか)るものを恐(おそ)れざればなり、我(われ)若(も)し人(ひと)の矢(や)を発(はな)つを見(み)るとも、斯(かか)る時(とき)にも尚(なお)恐(おそ)れざりしならん。実際(じっさい)武器(ぶき)にして効力(こうりょく)なくば何(なん)の益(えき)あらんや。斯(か)くの如(ごと)く彼(かれ)等(ら)には勢力(せいりょく)なく、神(かみ)の祝福(しゅくふく)なし。彼(かれ)等(ら)は詭計(いつわり)を設(もう)けて直接(ちょくせつ)に攻撃(こうげき)せざれども、彼(かれ)等(ら)が特(こと)に己(おのれ)の矢(や)を暗黒(くらやみ)に於(おい)て投(とう)ずるは笑(わら)ふに堪(た)へたり。何(なに)ものも詭計(いつわり)を行(おこな)ふ人(ひと)の如(ごと)く無(む)力(りょく)ならず。他(た)の人々(ひとびと)を以(もっ)て彼(かれ)を攻撃(こうげき)するの要(よう)なし、彼(かれ)は自(みづか)ら己(おのれ)の手(て)によりて倒(たふ)れ、己(おのれ)の奸計(わるだくみ)に由(よ)りて滅(ほろ)ぶ。何(なに)ものか己(おのれ)の武器(ぶき)にて征服(せいふく)さるる者(もの)より無(む)力(りょく)なるあらん。加之(しかのみ)ならず彼(かれ)等(ら)は神(かみ)によりて固(かた)められたる吾人(われら)を、罪人(ざいにん)としてのみならず、而(しか)も奸計(わるだくみ)を以(もっ)て攻撃(こうげき)するのみならず、彼(かれ)等(ら)に如何(いか)なる悪(あく)をもなさざりし無(む)罪者(ざいしゃ)を攻撃(こうげき)す。是亦(これまた)彼(かれ)等(ら)を弱(よわ)き者(もの)となすこと少(すくな)しとせず。荊(いばら)を踏(ふ)む者(もの)は〔使徒行実九の五〕如何(いか)なる害(がい)をも之(これ)に蒙(こうむ)らしめざるも、自(みづか)ら己(おのれ)の足(あし)を害(がい)するが如(ごと)く、彼(かれ)等(ら)も亦(また)斯(か)くの如(ごと)し。之(これ)と偕(とも)に尚(なお)彼(かれ)等(ら)の攻撃(こうげき)の力(ちから)を無(む)力(りょく)ならしむる所(ところ)の原因(げんいん)あり。其(その)原因(げんいん)とは如何(いか)なるものなるか。預(よ)言者(げんしゃ)曰(いへ)らく『基(もとい)壊(やぶ)られたらば、義(ぎ)人(じん)何(なに)をか為(な)さん』と。此(この)言(ことば)の意味(いみ)は左(さ)の如(ごと)し、彼(かれ)等(ら)は爾(なんぢ)の誡(いましめ)と爾(なんぢ)の命令(めいれい)とを壊(やぶ)りつつ攻撃(こうげき)して爾(なんぢ)と戦(たたかい)をなす。眞(しん)に彼(かれ)等(ら)は爾(なんぢ)の誡(いましめ)、而(しか)も『完全(かんぜん)なる』誡(いましめ)を『壊(やぶ)ること』に尽力(じんりょく)す。或(あるい)は預(よ)言者(げんしゃ)は之(これ)を言(い)ひ、或(あるい)は彼(かれ)等(ら)が律法(りっぽう)の犯罪人(はんざいにん)たることを云(い)ふなり。彼(かれ)等(ら)の弱(よわ)きことの小(しょう)ならざる證(しょう)據(こ)は、彼(かれ)等(ら)が爾(なんぢ)の誡(いましめ)を守(まも)らずして戦(たたかい)に出(い)でしことにも存(そん)す。彼(かれ)等(ら)は爾(なんぢ)の命令(めいれい)を聞(き)かざるによりて『義(ぎ)人(じん)』に対(たい)して戦(たたか)ひ、又(また)奸計(わるだくみ)を廻(めぐ)らすなり。


二。 預(よ)言者(げんしゃ)は敵(てき)の弱(よわ)きを示(しめ)し、而(しか)して之(これ)を示(しめ)すや他(た)の者(もの)が示(しめ)す所(ところ)の事(こと)に於(おい)てせず、(故(ゆえ)に預(よ)言者(げんしゃ)は他(た)の者(もの)が財貨(たから)をも、城砦(しろ)をも、同盟者(どうめいしゃ)をも、市街(まち)をも、戦術(せんじゅつ)をも有(ゆう)せずとは云(い)はずして、此(これ)等(ら)のことをば、毫(ごう)も知(し)らざる者(もの)の如(ごと)くに之(これ)を遺(す)て、之(これ)を軽蔑(けいべつ)し、而(しか)して彼(かれ)等(ら)の不(ふ)法者(ほうしゃ)なること、彼(かれ)等(ら)に対(たい)して如何(いか)なる悪(あく)をも為(な)さざりし人々(ひとびと)を攻撃(こうげき)すること、彼(かれ)等(ら)が神(かみ)の誡(いましめ)を破(やぶ)ることを云(い)へり)次(つぎ)に之(これ)によりても彼(かれ)等(ら)が敵(てき)に勝(か)つことの容(よう)易(い)なるを顕(あらは)しつつ、義(ぎ)人(じん)の武(ぶ)装(そう)に就(つ)きて云(い)へり。吾人(われら)も亦(また)強(つよ)きものと弱(よわ)きものとを分(わか)ちて、特(こと)に笑(わら)はるべき人々(ひとびと)が畏(おそ)るる所(ところ)のことを畏(おそ)るべからず。彼(かれ)等(ら)は実際(じっさい)何事(なにごと)を云(い)ふか。敵(てき)は斯(かか)る残酷(ざんこく)者(しゃ)なり、奸計(わるだくみ)を行(おこな)ふ者(もの)なり、多(おほ)くの財貨(たから)と大(おほい)なる権(けん)利(り)とを有(ゆう)すと。然(しか)れども我(われ)は是(これ)に由(よ)りて特(こと)に彼(かれ)等(ら)を笑(わら)ふなり、此(これ)等(ら)は皆(みな)薄弱(はくじゃく)なるものなればなり。然(しか)れども爾(なんぢ)は云(い)はん、彼(かれ)は奸計(わるだくみ)を為(な)し得(う)るかと。爾(なんぢ)は此事(このこと)に於(おい)て我(われ)に任弱(よわ)きことの新(あたら)しき状態(じょうたい)を示(しめ)せり。

斯(かか)る人々(ひとびと)の中(うち)多(おほ)くの者(もの)は何故(なにゆえ)に勝(か)つや。爾(なんぢ)は能(よ)く彼(かれ)等(ら)と戦(たたか)ふことを得(え)ず、爾(なんぢ)は自(みづか)ら彼(かれ)等(ら)を弱(よわ)きものとなす所(ところ)の栄(えい)誉(よ)・権(けん)威(い)を切願(せつがん)するに由(よ)る。宜(よろ)しく仇(あだ)の此(この)源因(げんいん)を避(さ)けて反対(はんたい)者(しゃ)を攻撃(こうげき)すべし、換言(かんげん)すれば、謙遜(けんそん)を以(もっ)て傲慢(ごうまん)なる者(もの)を攻撃(こうげき)し、無(む)慾(よく)を以(もっ)て利(り)を貪(むさぼ)る者(もの)を攻撃(こうげき)し、節制(せっせい)を以(もっ)て不(ふ)節制(せっせい)なる者(もの)を攻撃(こうげき)し、友(ゆう)誼(ぎ)を以(もっ)て嫉妬(しっと)する者(もの)を攻撃(こうげき)すべし、然(さ)らば爾(なんぢ)は容(よう)易(い)に彼(かれ)等(ら)に勝(か)たん。我(わ)が前(まえ)に述(の)べたるが如(ごと)く、預(よ)言者(げんしゃ)は反対(はんたい)者(しゃ)の任弱(よわき)を顕(あらは)して、如何(いか)に義(ぎ)人(じん)の武(ぶ)装(そう)することを画(えが)くを見(み)よ。曰(いは)く『義(ぎ)人(じん)は何(なに)をか為(な)さん』と。乃(すなは)ち爾(なんぢ)は問(と)はん、敵(てき)が斯(か)く準備(じゅんび)するに際(さい)して『義(ぎ)人(じん)は如何(いか)に武(ぶ)装(そう)するか』と。聞(き)かれよ。曰(いは)く『主(しゅ)は其(その)聖殿(せいでん)に在(あ)り、主(しゅ)の宝(ほう)座(ざ)は天(てん)に在(あ)り』〔四節〕と。爾(なんぢ)は彼(かれ)が如何(いか)に簡短(かんたん)に其(その)保護(ほご)を言(い)ひ顕(あらは)したるを見(み)るか。爾(なんぢ)は彼(かれ)が何(なに)を為(な)せしと問(と)ふか。彼(かれ)は天(てん)に住(すま)ひて何処(いづこ)にも在(いま)す所(ところ)の神(かみ)に趨(はし)り就(つ)けり。彼(かれ)は敵(てき)の如(ごと)く弓(ゆみ)を張(は)らず、箭(や)筒(づつ)を備(そな)へず、暗(くらやみ)に向(むか)はずして、此(これ)等(ら)の一切(いっさい)を棄(す)て、神(かみ)に於(お)ける希(き)望(ぼう)を以(もっ)て凡(すべ)てのものに対(たい)する防御(ぼうぎょ)となし、又(また)斯(かか)ることにも、時(とき)にも、場所(ばしょ)にも、武器(ぶき)にも、金銀(きんぎん)にも必要(ひつよう)を有(ゆう)せず、一(いつ)の手號(さしづ)を以(もっ)て凡(すべ)てを為(な)す所(ところ)の者(もの)を彼(かれ)等(ら)に対表(たいひょう)せり。爾(なんぢ)は勝(かた)れぬ迅速(じんそく)にして容(よう)易(い)なる其(その)保護(ほご)を見(み)るか。『其(その)目(め)は貧(まづ)しき者(もの)を見(み)、其(その)瞼(まぶた)は人(ひと)の諸子(しょし)を試(こころ)みる。主(しゅ)は義者(ぎしゃ)を試(こころ)み、其(その)心(こころ)は悪人(あくにん)と暴虐(しへたげ)を好(この)む者(もの)とを疾(にく)む』〔五節〕。他(た)の訳者(やくしゃ)は『其(その)瞼(まぶた)は穿鑿(せんさく)す』〔アキラ〕となし、第三(だいさん)の訳者(やくしゃ)は『主(しゅ)は義(ぎ)なる試(し)験者(けんしゃ)なり』〔不(ふ)明(めい)の訳者(やくしゃ)〕となし、第(だい)四(し)の訳者(やくしゃ)は『義者(ぎしゃ)を試(こころ)み、其(その)心(こころ)は悪人(あくにん)と不義(ふぎ)を好(この)む者(もの)とを疾(にく)めり』〔アキラ〕となす。『其(その)心(こころ)は暴虐(しへたげ)を好(この)む者(もの)を疾(にく)む』。爾(なんぢ)は到処(いたるところ)に存在(そんざい)し、凡(すべ)てのものを見(み)、凡(すべ)てのものを観察(かんさつ)して助(たす)くるに備(そな)ふる者(もの)、恃(たの)むべき保護(ほご)者(しゃ)を見(み)るか、彼(かれ)は何人(なんびと)の彼(かれ)に願(ねが)はずとも自(みづか)ら照管(しょうかん)し、自(みづか)ら配慮(はいりょ)す、即(すなは)ち陵辱(りょうじょく)する者(もの)に障害(さまたげ)をなし、陵辱(りょうじょく)さるる者(もの)に助(たす)け、或者(あるもの)には善行(ぜんこう)の為(ため)に報賞(ほうしょう)を與(あた)へ、他(た)の者(もの)には罪(つみ)の為(ため)に罰(ばつ)を定(さだ)む。彼(かれ)は萬(ばん)事(じ)を知(し)り、其(その)目(め)は全(ぜん)世(せ)界(かい)を見(み)る、啻(ただ)に知(し)るのみならず、凡(すべ)てを改良(かいりょう)せんと欲(ほっ)す。故(ゆえ)に預(よ)言者(げんしゃ)は他(た)の個所(かしょ)に於(おい)て同一(どういつ)のことを表言(いひあらは)しつつ、彼(かれ)を『義(ぎ)人(じん)』〔七節〕と名(な)づく。彼(かれ)若(も)し義(ぎ)なる時(とき)は唯(ただ)斯(かか)る業(ぎょう)事(じ)を見(み)ざらん。彼(かれ)は悪人(あくにん)を避(さ)け、義(ぎ)人(じん)を嘉(よみ)す。次(つぎ)に彼(かれ)は前(まえ)の聖詠(せいえい)に於(おい)て言(い)ふ所(ところ)と同一(どういつ)なること、即(すなは)ち悪癖(あくへき)は自(みづか)ら充分(じゅうぶん)に罪人(ざいにん)に罰(ばっ)することを此(ここ)にも表言(いひあらは)しつつ『其(その)心(こころ)は暴虐(しへたげ)を好(この)む者(もの)を疾(にく)む』と附加(つけくは)ふ。悪癖(あくへき)は心(こころ)に反対(はんたい)し、即(すなは)ち仇(あだ)をなし、又(また)亡滅的(ぼうめつてき)なり、悪(あく)を行(おこな)ふ者(もの)は罰(ばつ)を受(う)くるの前(まえ)已(すで)に罰(ばつ)を甞(な)む。爾(なんぢ)は義(ぎ)人(じん)が斯(かか)る幇助(ほうじょ)者(しゃ)を有(ゆう)するも、諸敵(しょてき)は如何(いか)に諸方(しょほう)より捕(とら)はれ易(やす)く、又(また)彼(かれ)等(ら)は自(みづか)ら己(おのれ)に害(がい)と亡滅(ほろび)とを蒙(こうむ)らしめつつ、其(その)保護(ほご)せらるるべき己(おのれ)の武器(ぶき)を以(もっ)て征伐(せいばつ)さるるを見(み)るか。爾(なんぢ)は此(この)幇助(ほうじょ)の容(よう)易(い)なるを見(み)るか。何処(いづこ)に行(ゆ)き、何処(いづこ)に走(はし)り、又(また)財産(ざいさん)を費(ついや)すの要(よう)あらず、神(かみ)は何処(いづこ)にも在(いま)して萬物(ばんぶつ)を照覧(しょうらん)し給(たま)ふに由(よ)る。『彼(かれ)は熱炭(やけずみ)・烈火(れっか)・硫(い)磺(おう)を雨(あめ)の如(ごと)く悪人(あくにん)に注(そそ)がん、炎風(やきかぜ)は彼(かれ)等(ら)が杯(さかづき)の分(ぶん)なり。盖(けだし)主(しゅ)は義(ぎ)にして義(ぎ)を愛(あい)し、其(その)顔(かんばせ)は義(ぎ)人(じん)を視(み)る』〔六節七節〕。他(た)の訳者(やくしゃ)は『彼(かれ)は不(ふ)法(ほう)を行(おこな)ふ者(もの)に熱炭(やけずみ)を注(そそ)がん』〔不(ふ)明(めい)の訳者(やくしゃ)〕となし、第三(だいさん)の訳者(やくしゃ)は『彼(かれ)等(ら)』(義人)若(もし)くは彼(かれ)(神)の『顔(かんばせ)は公正(こうせい)を視(み)る』〔同上〕となす。預(よ)言者(げんしゃ)は悪癖(あくへき)より生(しょう)ずる所(ところ)の罰(ばつ)に就(つ)きて語(かた)り、又(また)多(おほ)くの者(もの)は之(これ)を観(み)ざることを知(し)りて、遂(つい)に強硬(きょうこう)なる表言(いひあらはし)、畏(おそ)るべき罰(ばつ)を用(もち)ひつつ、上(うえ)より遣(つかは)さるる罰(ばつ)を以(もっ)て不(ふ)虔者(けんしゃ)の霊(たましい)を震動(しんどう)す、預(よ)言者(げんしゃ)が上(うえ)より烈火(れっか)・硫(い)磺(おう)・暴風(あらし)・熱炭(やけすみ)の彼(かれ)等(ら)に注(そそ)がるることを云(い)ふは、此(これ)等(ら)寓(ぐう)意(い)的(てき)の表言(いひあらはし)を以(もっ)て復讐(ふくしゅう)の避(さ)くべからざること、非(ひ)常(じょう)なる苦(くるしみ)、罰(ばつ)の迅速(じんそく)なること及(およ)び破(は)壊的(かいてき)勢力(せいりょく)を顕(あらは)さんことを欲(ほっ)すればなり。


三。 『彼(かれ)等(ら)が杯(さかづき)の分(ぶん)なり』とは何(なん)の意(い)なるか。言(い)ふ意(こころ)は、此(これ)は彼(かれ)等(ら)の分(ぶん)なり、此(これ)は彼(かれ)等(ら)の所有(もの)なり、此(これ)は彼(かれ)等(ら)の生活(せいかつ)に及(およ)び、彼(かれ)等(ら)は之(これ)によりて亡(ほろ)びんとなり。次(つぎ)に彼(かれ)は其(その)原因(げんいん)をも引用(いんよう)す、凡(すべ)てを見(み)給(たま)ふ所(ところ)の者(もの)は、不(ふ)法(ほう)にして通(つう)過(か)することを許(ゆる)さざればなり。他(た)の預(よ)言者(げんしゃ)が『汝(なんぢ)が目(め)清(きよ)くして、肯(あえ)て悪(あく)を観(み)たまはざる者(もの)、肯(あえ)て不義(ふぎ)を視(み)たまはず』〔アワクム(ハバクク)一の十三〕と言(い)へる如(ごと)く、彼(かれ)も亦(また)『盖(けだし)主(しゅ)は義(ぎ)にして義(ぎ)を愛(あい)す』てふ言(ことば)に於(おい)て同一(どういつ)のことを表言(いひあらは)せり。義(ぎ)、即(すなは)ち正(せい)義(ぎ)を受(う)くるは特(こと)に神(かみ)に適(てき)す、然(さ)れば神(かみ)は何時(いつ)も義(ぎ)に背(そむ)けることを許(ゆる)し給(たま)はざるなり。

視(み)よ、何(なに)に由(よ)りて預(よ)言者(げんしゃ)は此(この)聖詠(せいえい)の始(はじめ)に於(おい)て『我(われ)主(しゅ)を恃(たの)む、爾(なんぢ)等(ら)何(なん)ぞ我(わ)が霊(たましい)に謂(い)ふ、鳥(とり)の如(ごと)く飛(と)びて爾(なんぢ)の山(やま)に至(いた)れ』と云(い)ひしか。世(せ)上(じょう)の幸福(こうふく)を望(のぞ)む者(もの)は、人々(ひとびと)の為(ため)に容(よう)易(い)に捕(とら)へらるる野(の)の鳥(とり)に勝(まさ)らず。富(とみ)を欲(ほっ)する者(もの)も亦(また)斯(か)くの如(ごと)し。鳥(とり)は網(あみ)若(もし)くは係蹄(わな)、其(その)他(た)種々(しゅじゅ)の方法(ほうほう)にて子(こ)供(ども)等(ら)の為(ため)に捕(とら)はるるが如(ごと)く、富者(ふうしゃ)も亦(また)友(とも)又(また)は敵(てき)の為(ため)に捕(とら)はるるなり。悪人(あくにん)は己(おのれ)を捕(とら)へんと欲(ほっ)する多(おほ)くの人々(ひとびと)を有(ゆう)しながら、鳥(とり)よりも大(おほい)なる危(き)険(けん)の中(うち)に生活(せいかつ)す、然(さ)れど爾(なんぢ)を捕(とら)ふるものは、何(なに)ものよりも先(ま)づ己(おの)が悪癖(あくへき)の希(き)望(ぼう)なりとす、彼(かれ)は常(つね)に時(とき)の事(じ)情(じょう)に左右(さゆう)せらるる放逐(ほうちく)者(しゃ)なり、彼(かれ)は劊(きり)手(て)[3]の残忍(ざんにん)をも、王(おう)の怒(いかり)をも、諂媚(こびへつらう)者(もの)の奸計(わるだくみ)をも、友(とも)の欺騙(あざむき)をも畏(おそ)る、諸敵(しょてき)の彼(かれ)に対(たい)して起(た)つ時(とき)は、彼(かれ)は衆人(しゅうじん)よりも多(おほ)く戦慄(せんりつ)す、又(また)彼(かれ)は平安(へいあん)の時(とき)にも奸計(わるだくみ)を危懼(おそ)る、其(その)堅(けん)固(ご)にして奪(うば)はれざる財貨(たから)を有(ゆう)せざればなり。故(ゆえ)に彼(かれ)は山(さん)野(や)を通(つう)過(か)し、暗黒(あんこく)の中(うち)に住(じゅう)し、日中(にっちゅう)に深(ふか)き暗黒(くらやみ)を見(み)出(いだ)し、且(か)つ奸計(わるだくみ)を作(な)しつつ、常(つね)に一(いつ)の場所(ばしょ)より他(た)の場所(ばしょ)に流(りゅう)離(り)輾転(てんてん)す。義(ぎ)人(じん)は然(しか)らず。『義者(ただしきもの)の途(みち)は旭光(あさひ)のごとし、いよいよ光輝(かがやき)を増(ま)す』〔箴言(しんげん)四の十八〕。彼(かれ)等(ら)は奸計(わるだくみ)を作(な)さんともせじ、不(ふ)正(せい)を行(おこな)はんともせずして其(その)心(こころ)は平安(へいあん)なり。然(さ)れど悪人(あくにん)は常(つね)に奸計(わるだくみ)を行(おこな)ひ、盗賊(とうぞく)・強盗(ごうとう)及(およ)び姦淫(かんいん)者(しゃ)の如(ごと)く、何時(いつ)も暗黒(くらやみ)と恐懼(おそれ)との中(うち)に在(あ)り、彼(かれ)等(ら)は日中(にっちゅう)に於(おい)て暗黒(くらやみ)を見(み)る、彼(かれ)等(ら)の霊(たましい)は恐懼(おそれ)を以(もっ)て抑(おさ)へらるればなり。此(この)暗黒(くらやみ)は如何(いか)なる状態(ありさま)に散(さん)布(ぷ)せらるるか。爾(なんぢ)は縦(よ)し、大罪人(だいざいにん)たらんも、若(も)し此(これ)等(ら)のことを避(さ)けて神(かみ)に於(お)ける希(き)望(ぼう)に固(かた)めらるれば如何(いかん)。睿(えい)智(ち)者(しゃ)曰(いは)く『古(いにしえ)の族(やから)を観(み)て誰(たれ)か主(しゅ)を信(しん)じたる、又(また)誰(たれ)か耻(はぢ)ざりしかを視(み)ん』〔シラフ書二の十〕と。彼(かれ)は『義(ぎ)人(じん)』と云(い)はずして『誰(たれ)か』と云(い)へり。彼(かれ)曰(いへ)らく、縦(たと)ひ此(これ)は罪人(ざいにん)たりしも、罪人(ざいにん)等(ら)も此(この)錨(いかり)を持(ぢ)して衆人(しゅうじん)の為(ため)に征服(せいふく)されぬ者(もの)となることは驚(おどろ)くべきなり、神(かみ)に対(たい)する順従(じゅんじゅう)の特質(とくしつ)は斯(か)くの如(ごと)きものなり、爾(なんぢ)諸罪(しょざい)の重(おも)荷(に)を負(お)へる者(もの)も、神(かみ)の仁(じん)慈(じ)の中(うち)に嘉(よみ)せらるることを見(み)出(いだ)さん『人(ひと)を恃(たの)む人(ひと)は詛(のろ)はるるが』如(ごと)く『主(しゅ)を恃(たのみ)とする人(ひと)は』福(さいわい)なればなり〔イエレミヤ書十七の五、七〕。然(さ)れば他(た)の一切(いっさい)を棄(す)てて此(この)錨(いかり)を持(も)て。神(かみ)は凡(すべ)てを見(み)て正(ただ)しく審判(しんぱん)す、否(いな)審判(しんぱん)するのみならず、乃(すなは)ちその審判(しんぱん)を実行(じっこう)す。是(これ)に由(よ)りて預(よ)言者(げんしゃ)は神(かみ)の正(せい)義(ぎ)に就(つ)きて述(の)べ、以(もっ)て火(ひ)及(およ)び不(ふ)安(あん)の精神(せいしん)を以(もっ)て罰(ばっ)することをも顕(あらは)せり。彼(かれ)の之(これ)を為(な)すは、罪人(ざいにん)の為(ため)に慮(おもんばか)り、罰(ばつ)を以(もっ)て彼(かれ)等(ら)を矯正(きょうせい)せんと欲(ほっ)してなり。吾人(われら)は凡(およ)そ此(これ)等(ら)の理(り)由(ゆう)によりて彼(かれ)に趨(はし)り就(つ)きて常(つね)に己(おの)が目(め)を彼(かれ)に向(む)けん。然(さ)らば吾人(われら)は光栄(こうえい)の世々(よよ)に帰(き)する所(ところ)の吾人(われら)の主(しゅ)イイスス ハリストスによりて凡(すべ)ての福(さいわい)を得(え)ん。アミン。

脚注

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  1. ↑ 投稿者注:第十聖詠(せいえい)は詩(し)篇(へん)第十一篇に相当する。
  2. 1 2 投稿者注:アキラ(アキュラ)、シムマフ(シュンマコス)はヘブライ語聖書のギリシャ語訳の翻訳者。w:ヘクサプラを参照。
  3. ↑ 投稿者注:「劊手」は音読みでは「かいしゅ」と読み、首斬り役を意味する。〔中原中也「山羊の歌」外字考察を参照。〕

参考

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第十聖詠(せいえい)

伶長(れいちょう)に之(これ)を歌(うた)はしむ。ダワィドの詠(えい)。

1 我(われ)主(しゅ)を恃(たの)む、爾(なんぢ)何(なん)ぞ我(わ)が霊(たましい)に謂(い)ふ、鳥(とり)の如(ごと)く飛(と)びて爾(なんぢ)の山(やま)に至(いた)れ。

2 蓋(けだし)視(み)よ、悪人(あくにん)弓(ゆみ)を張(は)り、其(その)矢(や)を弦(つる)につがへ、暗(くら)きに在(あ)りて心(こころ)の義(ぎ)なる者(もの)を射(い)んと欲(ほっ)す。

3 基(もとい)壞(やぶ)られたらば、義(ぎ)人(じん)何(なに)をか爲(な)さん。

4 主(しゅ)は其(その)聖殿(せいでん)にあり、主(しゅ)の寶(ほう)座(ざ)は天(てん)に在(あ)り、其(その)目(め)は貧(まづ)しき者(もの)を見(み)、其(その)瞼(まぶた)は人(ひと)の諸子(しょし)を試(こころ)みる。

5 主(しゅ)は義者(ぎしゃ)を試(こころ)み、其(その)心(こころ)は悪人(あくにん)と暴虐(しへたげ)を好(この)む者(もの)とを疾(にく)む。

6 彼(かれ)は熱炭(やけずみ)烈火(もえび)硫黄(いおう)を雨(あめ)の如(ごと)く悪人(あくにん)に注(そそ)がん。炎風(やけかぜ)は彼(かれ)等(ら)が杯(さかづき)の分(ぶん)なり。

7 蓋(けだし)主(しゅ)は義(ぎ)にして義(ぎ)を愛(あい)し、其(その)顔(かんばせ)は義(ぎ)人(じん)を視(み)る。

詩(し)篇(へん)第11篇(文語訳旧約聖書)

うたのかみに謳(うた)はしめたるダビデのうた

1 われヱホバに依頼(よりたの)めり なんぢら何(なん)ぞわが霊魂(たましひ)にむかひて鳥(とり)のごとくなんぢの山(やま)にのがれよといふや

2 視(み)よあしきものは暗處(くらき)にかくれ心(こころ)なほきものを射(い)んとて弓(ゆみ)をはり絃(つる)に矢(や)をつがふ

3 基(もとい)みなやぶれたらんには義者(ただしきもの)なにをなさんや

4 ヱホバはその聖宮(きよきみや)にいます ヱホバの寳座(みくら)は天(てん)にありその目(め)はひとのこを鑒(み) その眼瞼(まなぶた)はかれらをこころみたまふ

5 ヱホバは義者(ただしきもの)をこころむ そのみこころは惡(あし)きものと強暴(あらび)をこのむ者(もの)とをにくみ

6 羂(わな)をあしきもののうへに降(ふら)したまはん火(ひ)と硫(い)磺(わう)ともゆる風(かぜ)とはかれらの酒杯(さかづき)にうくべきものなり

7 ヱホバはただしき者(もの)にして義(ただし)きことを愛(あい)したまへばなり 直(なほ)きものはその聖顔(みかほ)をあふぎみん