聖詠講話上編/第十聖詠講話

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
wikisource:宗教 > 聖詠講話上編

第十聖詠講話[編集]

ダウィドえいダウィドがいせん[1]

。 われしゅたのむ、なんぢなんたましひふ、とりごとびてなんぢやまいたれ』やくしゃとりごとやまのぼれ』〔アキラ[2]〕となし、だいさんやくしゃじゅうせよ』〔不明の訳者〕となす。けだしよ、あくにんゆみそのつるつがへ、くらきりてこころなるものんとほっす。』『もといやぶられたらば、じんなにをかさん』やくしゃりっぽうにしてやぶられたらば』〔シムマフ[2]〕となし、だいさんやくしゃおしえにしてなげてられたらば』〔不明の訳者〕となす、かみたのちからおほいなるものなり。このちからちかづくからざるさくおかがたしょうへきたれぬたすけしづかなるみなとやぶるべからざるしろふせがたぶきがたちからつうすべからざるみちなり。そうせざるものこのちからもっそうせるものうちち、つまおっとち、どもこのちからもっせんじゅつけいけんあるものよりもようはなはつよものとなれり。かれぜんかいうえしょうはくしたるも、そのてきちたるはおどろくべきことにあらず。ばんゆうかれまえおのれてんせいわすれてこれえきあたへたり、もうじゅうすでもうじゅうたらざりき、いろりすでいろりたらざりき、かみたのむことはすべてのものをへんずればなり。きょうあいなるろうごくもうじゅうするどそのてんせいもうあくそのつうきがそのあごげんしゃしんぺんり、しかしてかれこれぼうぎょすべきなにものをもゆうせざりしが、ただかみたのむことは、せんひゃくくつわよりももうじゅうあごつよおさへつつかれこうほうてんぜしめき。せいえいしゃこのことおもひつつ、かれあんぜんなるばしょけ、とうそうしてすくはるべきことをすすめたるひとびとむかひてわれしゅたのむ、なんぢなんたましひふ』へり。なんぢなにごとふや。われおのれゆうじょしゃとしてかいしゅさいゆうし、つねすべてをようおこなものおのれたいしょうおよほごしゃとしてゆうするに、なんぢすまはれざるばしょわれつかはし、あんぜんこうもとむべきことをすすむるか。すべてをようものまさところゆうじょしゃこうにあるか。なんためなんぢつよそうしたるわれを、あたかたいしゃごとく、そうせざるものごととうそうせしめ、またほうちくしゃたらしめんとほっするか。なんぢぐんたいゆうし、しょうへきおよぶきにてぼうぎょせらるるものたいして、こうとうそうすべきことをすすめざりしならん、すすめたらんにはわらはれん、なにゆえなんぢせかいしゅさいともにするものきんちくし、ざいにんこうげきよりろうとうそうせしむるか。われじょうべたることのほかにもとうそうせざるゆうゆうす。かみたすけ、しかしてこうげきするものざいにんなるときは、おくびょうなるとりならふことをすすむるものはなはだしきけんおちいらざるか。なんぢわれたいしてそなへしぐんたいは、くものすよりもよわきことをらざるか。このおうてきが、いづこくともいたるところけんそうぐうしてきょうせんりつするときは、ましばんぶつつくりしかみてきをや、かれいづこくとも、すべてのひとびとかれてきなり、ばんゆうまたかれてきとならん、なんとなればてんねんおよもうじゅうかみともおそれ、ばんゆうこれたっとぶがごとく、せいばんぶつまたかみてきかみはんこうしゃたいしてそうし、これこうげきすればなり。よ、これりてあるものそのいまれざるまえすでもうじゅうかきかれ、あるものところとなりてほろびたるを。てきづつとをし、すべてはかれじゅんせられたり、すなはげんしゃふがごとく、すでそのつるつがへたり』しかれどもかれにはなんせいりょくもなし、われらごうかかるものをおそれざればなり、われひとはなつをるとも、かかときにもなおおそれざりしならん。じっさいぶきにしてこうりょくなくばなんえきあらんや。くのごとかれにはせいりょくなく、かみしゅくふくなし。かれいつわりもうけてちょくせつこうげきせざれども、かれことおのれくらやみおいとうずるはわらふにへたり。なにものもいつわりおこなひとごとりょくならず。ひとびともっかれこうげきするのようなし、かれみづかおのれによりてたふれ、おのれわるだくみりてほろぶ。なにものかおのれぶきにてせいふくさるるものよりりょくなるあらん。しかのみならずかれかみによりてかためられたるわれらを、ざいにんとしてのみならず、しかわるだくみもっこうげきするのみならず、かれいかなるあくをもなさざりしざいしゃこうげきす。これまたかれよわものとなすことすくなしとせず。いばらものは〔使徒行実九の五いかなるがいをもこれこうむらしめざるも、みづかおのれあしがいするがごとく、かれまたくのごとし。これともなおかれこうげきちからりょくならしむるところげんいんあり。そのげんいんとはいかなるものなるか。げんしゃいへらくもといやぶられたらば、じんなにをかさん』と。このことばいみごとし、かれなんぢいましめなんぢめいれいとをやぶりつつこうげきしてなんぢたたかいをなす。しんかれなんぢいましめしかも『かんぜんなる』いましめを『やぶること』にじんりょくす。あるいげんしゃこれひ、あるいかれりっぽうはんざいにんたることをふなり。かれよわきことのしょうならざるしょうは、かれなんぢいましめまもらずしてたたかいでしことにもそんす。かれなんぢめいれいかざるによりてじんたいしてたたかひ、またわるだくみめぐらすなり。

。 げんしゃてきよわきをしめし、しかしてこれしめすやものしめところことおいてせず、(ゆえげんしゃものたからをも、しろをも、どうめいしゃをも、まちをも、せんじゅつをもゆうせずとははずして、これのことをば、ごうらざるものごとくにこれて、これけいべつし、しかしてかれほうしゃなること、かれたいしていかなるあくをもさざりしひとびとこうげきすること、かれかみいましめやぶることをへり)つぎこれによりてもかれてきつことのようなるをあらはしつつ、じんそうきてへり。われらまたつよきものとよわきものとをわかちて、ことわらはるべきひとびとおそるるところのことをおそるべからず。かれじっさいなにごとふか。てきかかざんこくしゃなり、わるだくみおこなものなり、おほくのたからおほいなるけんとをゆうすと。しかれどもわれこれりてことかれわらふなり、これみなはくじゃくなるものなればなり。しかれどもなんぢはん、かれわるだくみるかと。なんぢこのことおいわれよわきことのあたらしきじょうたいしめせり。

かかひとびとうちおほくのものなにゆえつや。なんぢかれたたかふことをず、なんぢみづかかれよわきものとなすところえいけんせつがんするにる。よろしくあだこのげんいんけてはんたいしゃこうげきすべし、かんげんすれば、けんそんもっごうまんなるものこうげきし、よくもっむさぼものこうげきし、せっせいもっせっせいなるものこうげきし、ゆうもっしっとするものこうげきすべし、らばなんぢようかれたん。まえべたるがごとく、げんしゃはんたいしゃよわきあらはして、いかじんそうすることをえがくをよ。いはじんなにをかさん』と。すなはなんぢはん、てきじゅんびするにさいして『じんいかそうするか』と。かれよ。いはしゅそのせいでんり、しゅほうてんり』〔四節〕と。なんぢかれいかかんたんそのほごあらはしたるをるか。なんぢかれなにせしとふか。かれてんすまひていづこにもいまところかみはしけり。かれてきごとゆみらず、づつそなへず、くらやみむかはずして、これいっさいて、かみけるぼうもっすべてのものにたいするぼうぎょとなし、またかかることにも、ときにも、ばしょにも、ぶきにも、きんぎんにもひつようゆうせず、いつさしづもっすべてをところものかれたいひょうせり。なんぢかたれぬじんそくにしてようなるそのほごるか。そのまづしきものそのまぶたひとしょしこころみる。しゅぎしゃこころみ、そのこころあくにんしへたげこのものとをにくむ』〔五節〕。やくしゃそのまぶたせんさくす』〔アキラ〕となし、だいさんやくしゃしゅなるけんしゃなり』めいやくしゃ〕となし、だいやくしゃぎしゃこころみ、そのこころあくにんふぎこのものとをにくめり』〔アキラ〕となす。そのこころしへたげこのものにくむ』なんぢいたるところそんざいし、すべてのものをすべてのものをかんさつしてたすくるにそなふるものたのむべきほごしゃるか、かれなんびとかれねがはずともみづかしょうかんし、みづかはいりょす、すなはりょうじょくするものさまたげをなし、りょうじょくさるるものたすけ、あるものにはぜんこうためほうしょうあたへ、ものにはつみためばつさだむ。かればんり、そのぜんかいる、ただるのみならず、すべてをかいりょうせんとほっす。ゆえげんしゃかしょおいどういつのことをいひあらはしつつ、かれじん〔七節〕とづく。かれなるときただかかぎょうざらん。かれあくにんけ、じんよみす。つぎかれまえせいえいおいところどういつなること、すなはあくへきみづかじゅうぶんざいにんばっすることをここにもいひあらはしつつそのこころしへたげこのものにくむ』つけくはふ。あくへきこころはんたいし、すなはあだをなし、またぼうめつてきなり、あくおこなものばつくるのまえすでばつむ。なんぢじんかかほうじょしゃゆうするも、しょてきいかしょほうよりとらはれやすく、またかれみづかおのれがいほろびとをこうむらしめつつ、そのほごせらるるべきおのれぶきもっせいばつさるるをるか。なんぢこのほうじょようなるをるか。いづこき、いづこはしり、またざいさんついやすのようあらず、かみいづこにもいましてばんぶつしょうらんたまふにる。かれやけずみれっかおうあめごとあくにんそそがん、やきかぜかれさかづきぶんなり。けだししゅにしてあいし、そのかんばせじんる』〔六節七節〕。やくしゃかれほうおこなものやけずみそそがん』めいやくしゃ〕となし、だいさんやくしゃかれ(義人)もしくはかれ(神)のかんばせこうせいる』〔同上〕となす。げんしゃあくへきよりしょうずるところばつきてかたり、またおほくのものこれざることをりて、ついきょうこうなるいひあらはしおそるべきばつもちひつつ、うえよりつかはさるるばつもっけんしゃたましいしんどうす、げんしゃうえよりれっかおうあらしやけすみかれそそがるることをふは、これぐうてきいひあらはしもっふくしゅうくべからざること、じょうなるくるしみばつじんそくなることおよかいてきせいりょくあらはさんことをほっすればなり。

。 かれさかづきぶんなり』とはなんなるか。こころは、これかれぶんなり、これかれものなり、これかれせいかつおよび、かれこれによりてほろびんとなり。つぎかれそのげんいんをもいんようす、すべてをたまところものは、ほうにしてつうすることをゆるさざればなり。げんしゃが『なんぢきよくして、あえあくたまはざるものあえふぎたまはず』〔アワクム(ハバクク)一の十三〕とへるごとく、かれまたけだししゅにしてあいす』てふことばおいどういつのことをいひあらはせり。すなはせいくるはことかみてきす、ればかみいつそむけることをゆるたまはざるなり。

よ、なにりてげんしゃこのせいえいはじめおいわれしゅたのむ、なんぢなんたましいふ、とりごとびてなんぢやまいたれ』ひしか。じょうこうふくのぞものは、ひとびとためようとらへらるるとりまさらず。とみほっするものまたくのごとし。とりあみもしくはわなそのしゅじゅほうほうにてどもためとらはるるがごとく、ふうしゃまたともまたてきためとらはるるなり。あくにんおのれとらへんとほっするおほくのひとびとゆうしながら、とりよりもおほいなるけんうちせいかつす、れどなんぢとらふるものは、なにものよりもおのあくへきぼうなりとす、かれつねときじょうさゆうせらるるほうちくしゃなり、かれきり[3]ざんにんをも、おういかりをも、こびへつらうものわるだくみをも、ともあざむきをもおそる、しょてきかれたいしてときは、かれしゅうじんよりもおほせんりつす、またかれへいあんときにもわるだくみおそる、そのけんにしてうばはれざるたからゆうせざればなり。ゆえかれさんつうし、あんこくうちじゅうし、にっちゅうふかくらやみいだし、わるだくみしつつ、つねいつばしょよりばしょりゅうてんてんす。じんしからず。『ただしきものみちあさひのごとし、いよいよかがやきす』〔しんげん四の十八〕。かれわるだくみさんともせじ、せいおこなはんともせずしてそのこころへいあんなり。れどあくにんつねわるだくみおこなひ、とうぞくごうとうおよかんいんしゃごとく、いつくらやみおそれとのうちり、かれにっちゅうおいくらやみる、かれたましいおそれもっおさへらるればなり。このくらやみいかなるありさまさんせらるるか。なんぢし、だいざいにんたらんも、これのことをけてかみけるぼうかためらるればいかんえいしゃいはく『いにしえやからたれしゅしんじたる、またたれはぢざりしかをん』〔シラフ書二の十〕と。かれじんはずして『たれか』とへり。かれいへらく、たとこれざいにんたりしも、ざいにんこのいかりしてしゅうじんためせいふくされぬものとなることはおどろくべきなり、かみたいするじゅんじゅうとくしつくのごときものなり、なんぢしょざいおもへるものも、かみじんうちよみせらるることをいださん『ひとたのひとのろはるるが』ごとく『しゅたのみとするひとは』さいわいなればなり〔イエレミヤ書十七の五、七〕。ればいっさいててこのいかりて。かみすべてをただしくしんぱんす、いなしんぱんするのみならず、すなはちそのしんぱんじっこうす。これりてげんしゃかみせいきてべ、もっおよあんせいしんもっばっすることをもあらはせり。かれこれすは、ざいにんためおもんばかり、ばつもっかれきょうせいせんとほっしてなり。われらおよこれゆうによりてかれはしきてつねおのかれけん。らばわれらこうえいよよするところわれらしゅイイスス ハリストスによりてすべてのさいわいん。アミン。

脚注[編集]

  1. 投稿者注:第十せいえいへん第十一篇に相当する。
  2. 2.0 2.1 投稿者注:アキラ(アキュラ)、シムマフ(シュンマコス)はヘブライ語聖書のギリシャ語訳の翻訳者。w:ヘクサプラを参照。
  3. 投稿者注:「劊手」は音読みでは「かいしゅ」と読み、首斬り役を意味する。〔中原中也「山羊の歌」外字考察を参照。〕

参考[編集]

第十せいえい

れいちょうこれうたはしむ。ダワィドのえい

1 われしゅたのむ、なんぢなんたましいふ、とりごとびてなんぢやまいたれ。

2 けだしよ、あくにんゆみり、そのつるにつがへ、くらきにりてこころなるものんとほっす。

3 もといやぶられたらば、じんなにをかさん。

4 しゅそのせいでんにあり、しゅほうてんり、そのまづしきものそのまぶたひとしょしこころみる。

5 しゅぎしゃこころみ、そのこころあくにんしへたげこのものとをにくむ。

6 かれやけずみもえびいおうあめごとあくにんそそがん。やけかぜかれさかづきぶんなり。

7 けだししゅにしてあいし、そのかんばせじんる。

へん第11篇(文語訳旧約聖書)

うたのかみにうたはしめたるダビデのうた

1 われヱホバによりたのめり なんぢらなんぞわがたましひにむかひてとりのごとくなんぢのやまにのがれよといふや

2 よあしきものはくらきにかくれこころなほきものをんとてゆみをはりつるをつがふ

3 もといみなやぶれたらんにはただしきものなにをなさんや

4 ヱホバはそのきよきみやにいます ヱホバのみくらてんにありそのはひとのこを そのまなぶたはかれらをこころみたまふ

5 ヱホバはただしきものをこころむ そのみこころはあしきものとあらびをこのむものとをにくみ

6 わなをあしきもののうへにふらしたまはんわうともゆるかぜとはかれらのさかづきにうくべきものなり

7 ヱホバはただしきものにしてただしきことをあいしたまへばなり なほきものはそのみかほをあふぎみん

(この節の出典:聖詠経 2版 国立国会図書館デジタルアーカイブ、旧新約聖書 : 引照附〔米国聖書協会、大正15年〕 国立国会図書館デジタルアーカイブ)