正教要理問答/主の祈祷

wikisource:宗教 > カテキズム > 正教要理問答

主（しゅ）の祈祷

天に在（いま）す我等の父や　願（ねがはく）は爾（なんぢ）の名（な）は聖（せい）とせられ　爾（なんぢ）の国は来（きた）り　爾（なんぢ）の旨（むね）は天に行（おこな）はるる如く地にも行（おこな）はれん　我が日用（にちよう）の糧（かて）を今日我等に與（あた）へ給へ　我等に債（おひめ）ある者を我等免（ゆる）すが如く我等の債（おひめ）を免（ゆる）し給へ　我等を誘（いざなひ）に導（みちび）かず　猶（なほ）我等を凶（きょう）悪（あく）より救ひ給へ　盖（けだし）国（くに）と権能（ちから）と光栄（さかえ）は爾（なんぢ）に世々（よよ）に帰（き）すアミン

問　是（これ）は何の祈祷と名づけらるるや

答　主（しゅ）の祈祷と名づけらる

問　何故に主（しゅ）の祈祷と名づけらるるや

答　我等の主（しゅ）イイスス ハリストスが其（その）使徒に教へ示され使徒より復（また）我等に傳（つた）へられたる祈祷なればなり

問　此祈祷と他（た）の祈祷とは如何なる差（さ）別（べつ）あるや

答　此祈祷は他（た）の祈祷の模（て）範（ほん）にして最（もっと）も大切（たいせつ）なる祈祷なり故に聖堂（せいだう）の公（こう）祈（き）祷（たう）には幾度（いくたび）も復（ふく）さるるなり

問　主（しゅ）の祈祷は幾何（いくつ）に別（わか）たるるや

答　九（く）節（せつ）に別（わか）たる即ち呼（よび）詞（ことば）と七つの願求（ねがひ）と讃美（さんび）となり

問　先（ま）づ最初（さいしょ）の呼（よび）詞（ことば）は何と唱（とな）へらるるや

答　『天に在（いま）す我等の父や』

問　『天に在（いま）す』とは如何なる意（こころ）なりや

答　神は天にのみ在（いま）すにあらず何処（いづこ）にも在（いま）すなり併（しか）し天は神の光栄（さかえ）の最（もっと）も顕（あらは）るる処なるが故に斯（か）く教へられたり又此（この）語（ことば）を以て我等は能力（ちから）無（な）き此世の父に願ひ求むるに非（あら）ずして大なる能力（ちから）を有（たも）ち給ふ天の父に願ひ求むるの意（こころ）を示すなり故に我等は此祈祷を為（な）す時に当（あた）り此世のことの思（おもひ）煩（わづら）ひを棄（す）てて其（その）智識（ちえ）と心情（こころ）を専（もっぱ）ら神に向くること肝要なり

問　我等が独（ひと）りにて祈る時は我等（われら）の父と云はずして我（われ）の父と云ふも妨（さまたげ）なきや

答　假令（たとひ）独（ひと）りにて祈る時と雖（いへども）矢張（やは）り我等（われら）の父と唱（とな）ふべきなり如何（いかん）となれば神は萬民（ばんみん）の父にして我等は皆兄弟なり故に己の為に願ひ求むる処のことは亦（また）他（た）人（にん）の為にも願ひ求めざるべからず

問　何故に神を『父』と名づくるや

答　我等が神に於（お）けるの関係（かかわり）は僕（しもべ）が主人（しゅじん）に於（お）ける関係（かかわり）の如く唯（ただ）恐怖（おそれ）戦慄（をのの）きて仕（つか）ふるに非（あら）ずして子供が其（その）懐（なつ）かしき親父（おや）に於（お）けるが如く其（その）心に願ふ所は何事も打（うち）明（あ）けて少しも隔（へだ）てなく至（いたり）て親（した）しき関係（かかわり）の間（あひだ）柄（がら）なることを示すなり

問　次に第一の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『爾（なんぢ）の名（な）は聖（せい）とせられ』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は神に如何なることを願ひ求むるや

答　我等が言語（ことば）と善行（おこなひ）と生涯（しゃうがい）とを以て神の光栄（さかえ）を顕（あらは）すことを助け給ふを願ひ求むるなり

問　第二の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『爾（なんぢ）の国は来（きた）り』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　神は我等を支（し）配（はい）し又我等が天国（てんごく）に入（い）るの導（みちびき）を為し給ふことを願ひ求むるなり

問　神の国とは如何なる処なりや

答　神の国とは我等信者（しんじゃ）の間に怨恨（うらみ）も分争（あらそひ）もなく互に相愛して至（いたり）て平和（おだやか）なる境遇（ありさま）を指して云ふなり

問　第三の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『爾（なんぢ）の旨（むね）は天に行（おこな）はるる如く地にも行（おこな）はれん』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　我等は己の願ひ求むることの神の聖（み）旨（むね）に適（かな）ふや適（かな）はざるやを知らざれば唯（た）だ一切（いっさい）を天に於（おい）て萬物（ばんもつ）を摂理（しはい）する神の聖（み）旨（むね）に任（まか）すべきを云ふなり又（ま）た一つには天に於（おい）て神の使（つかい）が神の聖（み）旨（むね）を行（おこな）ふが如く其様（そのやう）に我等も亦（また）神の聖（み）旨（むね）を行（おこな）ひ得ることを願ひ求むるなり

問　第四の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『我が日用（にちよう）の糧（かて）を今日我等に與（あた）へ給へ』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　此（この）語（ことば）を以て我等は躰（からだ）と霊（たましひ）の為に必要（いりよう）なるものを願ひ求むるなり

問　凡（およ）そ躰（からだ）と霊（たましひ）の為には如何なるものが必要（いりよう）なるや

答　躰（からだ）の為には衣（い）食（しょく）住（ぢう）なり霊（たましひ）の為には主（しゅ）の聖体（せいたい）（翰（イオアン）六の五十五）と其（その）他（た）の機（き）密（みつ）及び神の語（ことば）なり

問　何故に唯（た）だ其（その）日（ひ）丈（だけ）の糧（かて）を求むることを教へられしや

答　我等は将来（のちのち）のことを過度（あまり）に思（おも）ひ煩（わづ）らふことなく神は我等が己を慮（おもんばか）るよりも猶（なほ）一層（ひときは）我等を慮（おもんばか）ることを信じて将来（のちのち）のことは唯（た）だ神の聖（み）旨（むね）に任（まか）すべきを教ふるなり（太（マトフェイ）六の二十五）

問　第五の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『我等に債（おひめ）ある者を我等免（ゆる）すが如く我等の債（おひめ）を免（ゆる）し給へ』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　我等が己に対して行（おこな）ひし他（た）人（にん）の罪を免（ゆる）すが如く神も亦（また）我等の罪を免（ゆる）し給ふことを願ひ求むるなり

問　何故に罪を債（おひめ）と名づくるや

答　我等は神の聖（み）旨（むね）を守り行（おこな）ふべきものなるに之を行（おこな）はざるは是（こ）れ即ち神に債（おひめ）を受けしと同じなればなり

問　若（も）し我等が他（た）人（にん）の罪を赦（ゆる）さざれば神も亦（また）我等の罪を赦（ゆる）し給はざるや

答　然（しか）り神も我等の罪を赦（ゆる）し給はず去（さ）れば我等が神に己の罪を赦（ゆる）しを願ふときは其（その）心の中（うち）に他人を恨（うら）むことなく諸（すべ）ての人と和（やはら）ぎて祈るべきなり（太（マトフェイ）五の二十三至二十四仝六の十四至十五）

問　第六の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『我等を誘（いざなひ）に導（みちび）かず』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　我等を罪に誘（いざな）ふ諸（もろもろ）の場（ば）合（あひ）より我等を遁（のが）して堅（かた）く善に立たしむることを願ひ求むるなり

問　第七の願求（ねがひ）は如何に唱へらるるや

答　『猶（なほ）我等を凶（きょう）悪（あく）より救ひ賜（たま）へ』

問　此（この）語（ことば）を以て我等は如何なることを神に願ひ求むるや

答　我等を此世の不（ふ）幸（かう）災難（さいなん）と殊（こと）に悪（あく）魔（ま）の姦（あしき）計（たくらみ）より遁（のが）さしむることを願ひ求むるなり（彼前（ペトルぜんしょ）五の八）

問　終りの讃（さん）美（び）は如何に唱へらるるや

答　『盖（けだし）国と権能（ちから）と光栄（さかえ）は爾（なんぢ）に世々に帰す』

問　国と権能（ちから）と光栄（さかえ）とは如何なる意（こころ）なりや

答　国とは神の支（し）配（はい）せらるる総（すべ）ての世（せ）界（かい）を云ひ権能（ちから）とは其世界を支配する神の権能（ちから）を云ひ光栄（さかえ）とは其世界に顕（あら）はるる神の光栄（さかえ）を云ふなり

問　何故に此祈祷の終りに讃（さん）美（び）の詞（ことば）を加へらるるや

答　我等が神に祈祷する時は其（その）願求（ねがひ）と共に必ず神を讃（さん）美（び）すべきことを示すなり