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横浜市震災誌 第三冊/第5章

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第6章 神社仏閣

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前古未曾有の天災は、如何に大自然の威力とは云え、あらゆる人も、物も、風物も、殆ど根底から破壊し去ったのであるから、物質の損害已外に多大の損失を招いたのである。旦に神社・仏閣の方面から見ても、幾多の箇所は破壊せられ、在りし日の面影を偲び得ぬ悲境となった。抑も寺社は我等祖先に対する崇敬の核心であり、また国民精神の表現であるから、今次の災害もまた単に我々の時代に止まらないと云ってよい。真に祖先の遺業も英霊も悉く灰燼に附された心地を以て大に悲しまざるを得ないのである。即ち倒潰・焼失した神社・仏閣中、建物あるいは彫刻物等の外に幾星霜を伝来した宝物類のその厄に遭ったのは甚少くない。今左に神社の被害を述べよう。

市内各所に鎮座する県郷村社、その他の内、焼失十六社崩壊六社に及んだ。中に死亡した神職は、真金町金比羅宮社掌一人に止まったが、焼失・全潰の災厄に遭った調査を列挙すれば焼失県社は伊勢山太神宮、郷社は州崎神社(青木町)、村社は杉山神社(西戸部町)、子神社(野毛町)、子神社(日之出町)、称荷神社(南吉田町)、杉山神社(蒔田町)、厳島神社(羽衣町)、厳島神社(元町)、無格社は皇太神宮(天沼)、諏訪神社(石川町)、水天宮(長者町)、金刀比羅宮(真金町)、金刀比羅宮(野毛町)等である。

崩壊せる神社の中で、村社は、根岸町八幡宮(全潰)、瀧頭町神明宮(半潰)、神奈川町稲荷神社(半潰)、神奈川町若宮八幡宮(半潰)、本牧町本牧神社(半潰)、南太田町杉山神社(半潰)である。

無事なりし神社は青木町村社金刀比羅宮、南吉田町同日枝神社、浅間町同浅間神社、本牧町同吾妻神社、岡村町同杉山天満宮、磁子町同杉山神社、久保町無格社天神宮、堀内町同天神宮、久保町同杉山神社等である。

第1節 神社

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1 県社皇大神宮
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横浜市宮崎町
被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 檜造銅板葺 7坪5合5勺 焼失
拝殿 12坪5合
明治十年戦役表忠碑 台堅石、碃青銅 全潰
明治三十八年戦役彰忠碑 台花崗石銅板葺 全潰
内玉垣 檜造 40間 焼失
外玉垣
第一社務所附神饌処 木造瓦葺 24坪 焼失
第二社務所 89坪
宝庫 煉瓦造2階建 5坪
神楽殿 木造銅板葺 15坪 全潰
能舞台及附属建物 木造鉄板葺 38坪 焼失
燈台 台堅石、銅板葺 全潰
手水所 花崗石 5坪
石垣 元名石及堅石 約100坪 崩潰
石段敷石 花崗石 30坪
土手並士崖 敷100坪

(損害)186500円

2 郷社洲崎大神社
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(横浜市青木町)
被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造銅板葺 4坪 焼失
幣殿 木造銅板葺 3坪 焼失
拝殿 12坪
神楽殿 木造亜鉛葺 5坪
社務所 13坪
石造倉庫 6坪
神輿 2台
水舎 槻造 1棟
石鳥居 石造 1基
花崗石 玉垣 9間 崩潰

(損害)53550円

3 郷社熊野神社
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横浜市神奈川町
被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 3坪 全破
拝殿 10坪 2尺後傾斜
神輿蔵庫 石造 5坪 解壊
盥漱場 2坪 解壊
石獅子一対 3坪 小破
大典記念塔 2坪
金燈籠 積石 4坪 解破
神楽殿 6坪 前傾斜
鳥居 石造 4基 挫折
石玉垣 25間 潰破
石塀 35間
末社 5社 台組石解破
社殿傾斜
〆柱 玉垣 左柱石傾斜
玉垣潰破

(損害)4250円

4 村社厳島神社
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横浜市羽衣町
被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 石造 4坪 焼失
拝殿 檜造銅板葺 15坪
社務所 木造鉄板葺 12坪5合
末社 木造鉄板葺 1坪 焼失
水屋 木造銅板葺 1坪5合
盥盤 花崗石 5尺、2尺五寸 全潰
鳥居
燈籠 高1丈2尺
8尺

(損害)45,500円

5 村社厳島神社
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横浜市元町

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造銅板葺 1坪 焼失
拝殿 1坪
社務所 木造鉄板葺 15坪
神楽殿 6坪
玉垣 花崗石 10間 全潰
鳥居 堅石
末社 金比羅神社 木造鉄板葺 8坪 焼失
石垣及階段 50坪 全潰
盥舎
注連柱 花崗石 高8尺
同1丈
燈籠 堅石 同7尺
同8尺 焼失
境外末社 皇太神宮 木造銅板葺 3坪
同    神楽殿 30坪
同    社務所 木造2階建瓦葺 20坪
同    石垣階段 堅石 40坪 全潰

(損害)19900円

6 村社 神明宮
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(横浜市神奈川町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造亜鉛葺 1坪半 全潰
拝殿 木造亜鉛葺 6坪 半潰
幣殿 2坪 全潰

(損害)2900円

7 村社 子神社
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(横浜市野毛町)、

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造銅板葺 2坪1合5勺 全焼
幣殿 1坪5合
拝殿 6坪
向拝 木造亜鉛葺 1坪5合
神楽殿 木造銅板葺 6坪
水舎 1坪
社務所 木造丸葺 22坪2合5勺
華表 花崗石 1基 全潰
木造 全焼
玉垣 花崗石 37間 全潰
末社 木造丸葺 3坪 全焼

(損害)41400円

8 村社 八幡神社
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(横浜市根岸町西芝生)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 土台石亀裂
社前へ3寸移動
幣殿
拝殿
神楽殿 土台崩潰傾斜
石垣 石垣亀裂
頭上傾斜
鳥居 石造 3箇所 全潰
燈籠 1対
獅子
招魂碑 全潰
社殿裏山材 約10坪 崩壊

(損害)4350円

9 村社 杉山天満宮
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(横浜市岡村町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
拝殿 木造萱葺 6坪間口3間
奥行2間
大破壊
神楽殿 木造瓦葺 12坪間口3間
奥行4間
全潰
社務所 32坪間口8間
奥行4間
鳥居 神明型石造 高さ8尺
石垣 房州石造 高さ2尺
長35間位
墨石全潰
埋立亀裂

(損害)5200円

10 村社 日枝大神
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横浜市磯子町

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
幣殿 木造瓦葺 間口7尺
奥行2間
全潰
拝殿 問口2間3尺
奥行2間
大破損
社務所 間口4間3尺
奥行2間2尺間
神楽殿 間口5間3尺
奥行2間3尺
全潰
鳥居 神明形 花崗石 高1丈1尺5寸 小破損
花崗石造 同9尺
玉垣 伊豆石造 高2尺8寸
長5丈8尺
全潰
燈籠 花崗石造 高7尺
伊豆石造 同1尺5寸
手水鉢 同1尺5寸

(損害)4400円

11 村社 八幡神社
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横浜市瀧頭町

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
社殿 木造瓦葺 9坪 全潰
鳥居 神明形花崗石 高1丈4尺6寸
玉垣 花崗石造 長50間高6尺
燈籠 須賀川石造 高1丈2尺
納屋 木造草葺 6坪
石塀 大谷石造 長50間高6尺

(損害)16000円

12 村社 大綱神社
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(横浜市青木町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
神楽殿 4坪 破損
渡殿及屋根
玉垣 半倒潰
燈籠 破損
鳥居 倒潰
石垣

(損害)265円

13 村社 一ノ宮神社
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(横浜市子安町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 1坪半
幣殿 2坪
拝殿 6坪
鳥居 石造 1基 破損
燈籠 小破損
神楽殿 10坪 大潰
敷石 5間 破状解体
末社5社 3坪 大破損
〆柱 右柱倒潰
石獅子 石造 1対 小破

(損害)900円

14 村社 皇太神宮
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(横浜市北方町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 1坪 傾斜
社務所 25坪 焼失
鳥居 木造 1基
石玉垣 全潰
石崖 半潰

(損害)10200円

15 村社 杉山神社
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(横浜市西戸部)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 4坪 焼失
幣殿 3坪
拝殿 8坪
社務所 51坪9合5勺
神楽殿 13坪5合
末社 厳島神社 1坪5合
同  天満宮 2坪
同  稲荷神社 1坪
同  日枝神社 1坪5合
同  社宮司舎
手水舎
幟棹枠置場 11坪
第1鳥居 高20尺
柱間15尺
径1尺7寸
第2同 高12尺
柱間9尺
同1尺
天満宮第1鳥居 高10尺
柱間7尺
同8尺
同  第2鳥居 高8尺柱間6
同6寸
記念常夜灯 高15尺基石
地平9尺四方
水盤2個 高6尺基石
地平4尺四方
燈籠 石造 高15尺基石
地平7尺四方
高15尺基石
地平7尺四方
幅4尺5寸
注連 高16尺基石
地平幅7寸
厚1尺6寸
玉垣 高5尺、長85間
高4尺、長86間

(損害)75930円

16 村社 八幡宮
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(横浜市中村町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 檜八幡造 3坪 焼失
拝殿 槻瓦葺 9坪
末社 稲荷社 檜神明形 1坪
社務所 瓦葺 15坪
神饌処 檜造亜鉛葺 3坪7合5勺
神楽殿 9坪
鳥居 石造 高23尺径8寸 倒潰
高17尺
燈籠 同14尺
同7尺5寸
同10尺
透塀 木造 長22間 焼失
内玉垣 10間
外玉垣 2坪 倒潰
手水舎 3坪
納屋 長5間
日露戦役記念碑玉垣 同5間 倒潰
幟棹枠置場 7坪 焼失
雑品 長15間高15尺

(損害)100500余円

17 村社 子神社
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(横浜市日ノ出町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 間口9尺
奥行4尺
焼失
幣殿 問口15尺
奥行12尺
神楽殿 間口4間
奥行3間半
社務所 間口4間
奥行5間
水舎 石造
鳥居
外柵 木造 焼失

(損害)21000円

18 村社 稲荷神社
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(横浜市南吉田町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 間口2間奥行2間
4坪
焼失
拝殿 間口4間奥行2間
8坪
社務所 間口5間奥行2間
15坪
鳥居 高1丈5尺 倒潰

(損害)33000円

19 村社 吾妻神社
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(横浜市本牧町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造亜鉛葺
神明造
3坪 大破損
拝殿 木造亜鉛葺
神明造
3坪 全潰
幣殿 7坪 屋根瓦全部墜落
柱4本折
社殿傾斜
鳥居 神明石造 全潰
社務所 木造亜鉛葺 8坪 屋根瓦落ち
壁建具破損

(損害)3590円

20 村社 諏肪神社
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(横浜市北方町天沼)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造鉄板葺 1坪 焼失
拝殿 5坪
社務所 6坪
鳥居 花崗石 全潰
燈籠 1対
盥舎 木造鉄板葺 1基 焼失
石塀 煉瓦造 7間 全潰
石垣 元名石 6坪

(損害)21500円

21 村社 浅間ノ宮
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(横浜市浅間町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
鳥居 ?造 崩壊
玉垣 5間
8間
燈籠 1対

(損害)3800円

22 村社 若宮八幡神社
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(横浜市大岡町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 1部破損
神楽殿 全潰
鳥居
燈籠
手舎 全潰

(損害)5220円

23 村社 杉山神社
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(横浜市蒔田町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 焼失
拝殿
神輿殿
社務所
鳥居 木造

(損害)10100円

24 村社 住吉神社
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(横浜市井士ヶ谷)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 一部破壊
神輿殿 全潰
燈籠 1対
鳥居 1基

(損害)800円

25 村社 平沼神社
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(横浜市平沼町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 半潰
拝殿
渡殿
社務所
神輿殿
鳥居 全潰
燈籠

(損害)4630円

26 村社 子ノ神
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(横浜市堀内町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 小破
拝殿
鳥居 全潰

(損害)3000円

27 村社 日枝神社
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(横浜市南吉田町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 無事
拝殿 改築中
社務所
神輿殿 全潰

(損害)3000円

28 村社 杉山神社
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(横浜市南太田町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 木造 傾斜小破
名称 種類 坪数 被害状況
拝殿
神輿殿
社務所
物置
鳥居 一部墜落
石垣 崩壊
石殿 崩潰
手洗所 半潰
石燈籠 倒壊

(損害)1500円

29 村社 笠䅣稲荷神社
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(横浜市神奈川新町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
神楽殿
鳥居 石造 全潰
末社 鳥居
手水鉢
玉垣 半潰
燈籠
記念碑
社務所 木造

(損害)5786円

30 村社 本牧神社
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(横浜市本牧町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 半潰
社務所
鳥居 石造 3基 全潰
石垣玉垣 半潰
燈籠

(損害)5300円

31 無格社 杉山社
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(横浜市久保町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
石鳥居 石造 高サ1丈2尺
直径尺2寸
倒壊破損
石燈籠
社務所 木造 間口3間半
奥行4間半

(損害)1100円

32 村社 天満宮
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(横浜市久保町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 半潰
幣殿
拝殿
石垣
鳥居 花崗石
手水舎

(損害)550円

33 金刀比羅神社
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(横浜市宮崎町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
拝殿 檜八幡造柿葺 6坪5分 焼失
末社 稲荷神社 杉材瓦葺 3坪2分5厘
神楽殿 木造亜鉛葺 6坪
社務所 20坪5分
鳥居 花崗石 高1丈 倒潰
燈籠 石材 春日造 同9尺 焼失
雑品

(損害)23875円

34 無格社 諏訪神社
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(横浜市中村町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 檜造銅葺 2坪5合 焼失
社務所 木造平家瓦葺 28坪
玉垣 檜造 延長7間
手洗舎 檜造 1坪
燈籠 花崗石 高9尺 倒壊
燈籠 小松石 高8尺
防火塀 石造 延長6間高9尺
物置 木造 焼失

(損害)1476円

35 無格社 琴平神社
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(横浜市本牧町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 全潰埋没
拝殿
社務所
石殿 半潰
鳥居 全潰

(損害)6400円

36 無格社 第六天社
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(横浜市根岸町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 小破
拝殿
社務所 全潰
鳥居
燈籠

(損害)3175円

37 金刀比羅神社 大鷲神社
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(横浜市真金町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 全焼
拝殿
社務所

(損害)6000円

38 無格社 水天宮
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(横浜市長者町)

被害建物工作物の類
名称 種類 坪数 被害状況
本殿 土蔵造 間口9尺
奥行9尺
焼失
拝殿 間口9尺
奥行12尺
社務所 間口21尺
奥行12尺
鳥居 花崗石 高12尺
神木 松椎木 1本年数100年
8本年数50年
モチ月桂樹 1本5本

第2節 寺院

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1 真言宗宝積寺
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(在根岸)

今時の震災に於て、同寺は建物全潰し、火災は免れたのである。が、その損害額は凡そ弐万八千余円。建物の主なるものは本堂・庫裡・薬師堂・拝殿・内陣・不動堂、その他仏具であった。同寺は古義派真言宗で、開山は不詳。源頼朝の幕府を鎌倉に開いた頃、一切蔵経中大宝積経一百二十巻の名を用いて、宝積寺と名付けた。後ち永正元年に中興し、永緑年中、僧頼順再興。本尊薬師如来は行基菩薩の作と称し、横浜七薬師の一である。什物中十三仏、仏鏡および鎌倉八幡宮にあった有名な法華堂文書等は無事であった。

2 真言宗薬王寺
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(在子安町)

同寺の被害は本堂・庫裡・その他とも全潰。

3 真言宗増徳院
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(在元町)

同寺被害は最も大きく、建物その他石垣に至るまで、全潰と火災の厄に逢い、その損害額八拾八万円余の多きに達したのである。が、重なる建物中本堂・薬師堂・弁天堂・位牌堂を初め、表門、倉庫・石垣に至るまで、悉く破滅した。数百年伝来した什宝・什器・仏具・仏像等も同様灰燼となり、倒潰本堂中から救い出した本尊と、薬師如来の二体は、好運にも搬出し得たのである。同寺の浩革に依れば、同寺は大同年間の建立で、中興開山は長覚である。震災当時の本堂は、明治十七年の建築。大正三年別格本山となった。横浜開港上特記すべき由緒は、ペルリ渡末当時異人埋葬等の事もあり、又横浜蹟寺院中第一の伽藍であった。寺宝には足利氏満が南院附属の弁才天へ納めた般若心経、兆殿司筆の羅漢像二軸、弘法大師筆の五大尊像一軸、聖徳太子御作と称する薬師像、嘉吉二年比留間範政・市川季氏からの寄進状等悉くその跡形もなく灰燼に帰した。

4 真言宗 玉泉寺
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(在中村町字東)

同寺は建物全部全焼。損害全額約五拾万円。建物の主なるものとしては本堂・庫裡その他である。本堂は二百余年前の建築。市内では最古の一つであった。

5 真言宗 東漸寺
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(在中村町字平楽)

建物は半損。仏像・仏具等は破壊。石垣等は崩壊。主なる建物は本堂・庫裡である。なお同寺は文治年間、賢覚法師の時に、領主杉野筑前守の建立したものと云う。慶安二年十月徳川三代将軍家光の時、四石九斗の御朱印を賜わった。今回の損害は壱万弐千六百余円。

6 真言宗 弘誓院
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(在中村町字西谷)

同寺の被害は本堂・庫裡等全潰。同寺の開山は順清法師、開基は石川帯刀家重である。本尊は観音。横浜二十一ヶ所十番の札所である。今回の損害拾五万円。

7 真言宗 多聞院
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(在本牧町字牛込)

本堂・鐘楼は全潰し、庫裡・薬師堂・裏門・物置は半潰した。同寺は弘法大師が諸国逼歴の際、此地に堂宇を建立したものと云い伝えてある。弘仁二年の開基。横浜二十一所十八番の札所で、什宝は、弘法大師の真筆、仏像、掛物、桃山屏風等皆焼失を免れた。今回の損害弐万七拾五円。

8 真言宗 天徳寺
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(在本牧町)

震災に於て本堂・位牌は全潰した。同寺は増徳寺末寺で文禄十三年、僧栄賢が、宮原の地より此の処に堂宇を建立したと伝えて居る。今回の損害弐万八百円。

9 真言宗 千蔵寺
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(在本牧字牛込)

建物全部全潰した。その損害壱万円。

10 真言宗 東福院
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(在本牧町)

被害は比較的軽く、半潰程度で在った。損害額弐千六百八拾円。

11 真言宗 真福寺
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(本牧町)

同寺は倒潰を免かれて、傾斜したのみであった。その損害百弐拾円。

12 真言宗 大聖院
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(在西戸部町野毛坂)

建物全部倒潰の上、全焼の厄に遇った。その損害額も約四拾万円である。建物としては本堂・庫裡護摩堂等である。震災当時の堂宇は明治二十七年の起工で在った。

13 古義真言宗 願成寺
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(在西戸部町)、

建物全部が全焼の厄に遭った。その損害額は凡拾弐万円である。建物の主なる物は本堂・庫裡・地蔵堂等であった。

14 新義真言宗 成田山延命院
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(在宮崎町)

本堂・庫裡・客殿・大師堂・水行堂等全部焼失した。その損害は約拾万余円である。

15 真言宗 円福寺
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(在久俣町字道上)

建物は半潰の程度であった。損害四千五百円。

16 真言宗 安楽寺
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(在久保町字道上)

建物は半潰の程度であった。損害五千円。

17 新義真言宗 東光寺
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(在神奈川神明町)

本堂は傾斜し、庫裡は全潰の厄に遭った。現在の堂宇は明治三十四年の再建である。損害高五千弐百円。

18 新義真言宗 普門寺
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(在神奈川青木町)

建物全部焼失した。その損害額凡一万五千余円である。同寺は安政六年、神奈川開港條約成立の時、米国使節十数人が館した旧蹟である。今回の損害壱万五千円。

19 真言宗遍照院
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(在子安町)

本堂・庫裡は大破し、その他は半潰程度であった。損害約壱万円。

20 真言宗 東福寺
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(在南太田町谷原耕地)

建物全部焼失の厄に遭い、損害額凡六万五千余円である。同寺は世に赤門寺とて名高く、今を跡る六百八十余年の古刹である。
天正四年宝永四年、明治四十五年、大正六年と今次の震災とに焼失した。

21 真言宗 普門院
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(在南太田町)

建物全部烏有に帰し、その損害額凡参万五千余円である。焼失した建物は本堂・庫裡・歓喜天堂・大師堂である。

22 真言宗 蓮花院
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(在南太田町西中耕地)

本堂・薬師堂・庫裡等全部焼失。その損害額凡壱万弐千余円である。

23 真言宗 薬王寺
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(在南太田町)

本堂・庫裡等建物全部焼失。その損害額凡壱万五千余円である。

24 真言宗 大聖院
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(在根岸町)

同寺の被害は表門は全潰、本堂および玄関は半潰、庫裡は傾斜の程度で、損害額は凡弐千九百余円である。

25 真言宗 海照寺
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(在根岸町字坂下)

表門は倒潰し本堂・庫裡・玄関等は半潰で、損害額は凡壱万五千余円である。

26 真言宗 金蔵院
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(在磯子町)

建物は半潰、或は傾斜の程度で、損害は凡五千円である。

27 真言宗 真照寺
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(在磯子町腰越)

倒潰および火災等は免かれた。損害参千円。

28 真言宗 密蔵院
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(在瀧頭町)

建物全部倒潰。その損害額は約参万円である。

29 真言宗 大光寺
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(在南太田町清水耕地)

本堂・庫裡・仏堂等半潰した。損害額は約壱万弐千円に上る。倒潰した本堂は寛永七年十月の建築で在った。

30 真言宗 金剛院
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(在岡村町)

建物全部倒潰。その損害額約壱千円である。

31 真言宗 宝生寺
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(在堀内町)

多少の損害ありしも、至って軽徴であった。本堂は延宝年間、霊元天皇の御宇、灌頂堂を以て本堂としたもので、敢て大伽藍と云うはないが、天文年間再建の灌頂堂を本堂とした建築物である。徳川時代には末寺五十二箇寺、開東三十六箇所、談議所の一であった。明治八年元町の増徳院と本末転倒した。開基は承安五年間法印覚清の開基である。寺宝には太田道灌の古文書その外数多存して居る。本市内の寺院中でも有名な古刹の一つである。今回の被害の軽かりしは又大に喜ぶべきである。

32 真言宗 無量寺
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(在蒔田町字山ノ根)

全焼の厄に遭い、損害額凡壱万五千円である。

32 真言宗 弘明寺
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(在弘明寺町)

鐘楼・通用門倒壊、その他は傾斜程度、損害は至って少なかった。楓関門は応永年間の健立で、横浜最古の建築物で在ったが、倒潰したまま取片付けして仕舞ったのは惜むべきである。尚本尊観世音像は行基の作と称せられ、大正四年七月国宝に定められた。之れが無事であった事は幸いである。損害額壱万弐千参百円。

34 真言宗 乗蓮寺
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(在井士ヶ谷町)

被害至って軽微で損害額約四千円である。同寺境内の尼将軍堂は平政子の建立と云うが、無事なりしは幸いである。

35 真言宗 吉祥寺
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(在大岡町)

本堂・庫裡共幸いに被害軽く、損害額約参千円である。

36 真言宗 万福寺
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(在大岡町)

建物は傾斜程度で、その損害額も凡一千余円に過ぎなかった。

37 臨済宗 林光寺
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(在久保町)

建物全部倒潰し、損害額は六万八千円に上る。 此寺は昔野毛浦の山頂にあったが、明治二十二年、地方庁の許可によって、翌年三月、現在の地に移転したものである。

38 臨済宗 天池庵(元円覚寺別院)
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(在久保山)

本堂・庫裡・書院・納骨堂等全潰し、損害額約六万参千五百余円に上る。同庵は明治十九年三月、本山塔頭天池庵を橘樹郡保土ヶ谷町字久保山に移し、次いで明治二十五年十一月、再び現地に移転したものであった。

39 臨済宗 洪福寺
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(在浅間町)

本堂・庫裡・納骨堂等全潰し、損害額は凡弐万壱千五百円である。同寺は寛永十二年の創立で、袖摺山に一の薬師堂ありしを当山に移したもので、倒潰した本堂は寛文七年に再建したものであった。

40 臨済宗 正法寺
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(在南太田町)

本堂・庫裡・納骨堂・位牌堂は全潰の上、全焼。太子堂半潰、半僧堂は半潰した。損害額凡参万余円。同寺は明治三十年六月、静岡県浜名郡より移転したもので、横浜有志の勘請によって、奥山半僧坊本尊とした。俗に太田の半僧坊とて、高いものであった。

41 曹洞宗 万徳寺
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(在宮崎町)

本堂・庫裡・道了殿・秋葉殿の建物全部焼失した。損害額凡四万五千余円である。同寺は天正十二年の創立であった。

42 曹洞宗 本覚寺
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(在青木町)

本堂・鐘楼堂は全壊し、庫裡・丈室等は傾斜した。その損害額弐拾万六千余円。同寺は横浜開港史上特記すべき由緒地である。嘉永六年の六月、米国使節ペルリが渡来して、日米修好條約が締結、その後安政三年七月の條約により、米国公使春ハルリスが同寺を以て、仮公使館に充て、幕府の全権委員井上信濃守・岩瀬肥後守とハルリスとの間に、日米通商條約が商議せられたのである。條約締結は実に安政五年六月十九日で、世に之れを神奈川條約と云うのである。その後明治三十二年十二月、祝融の災に罹り、殿堂・宝物等烏有に帰し、三十四年再建したものであった。また神奈川條約により、外国公使館・領事館が設けられて、外国旗が最初にひるがえったも此寺であった。

43 曹洞宗 宗興寺
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(在青木町)

本党・庫裡・書院等全焼、その損害領約七万円。寺の創立は天保三年で、嘉永四年に焼失。安政二年再建したのであった。

44 曹洞宗 陽光院
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(在青木町)

本堂庫裡共倒潰した。その損害四千百円。同寺は大正二年、神奈川町から、今の地に移したものであった。

45 曹洞宗 西有寺
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(在中村町)

本堂・庫裡・地蔵堂は全潰、納骨堂・位牌堂・僧学堂・宝蔵・稲荷堂は半潰した。その損害額凡弐拾九万円に達した。同寺は明治三十四年、県下中郡二宮村の善光寺を移転して、西有寺と改称した寺である。善光寺は寛永元年の創立で、大応寺五世洲桐和尚の開基であったが、明治五年頃より、荒廃に帰し、大応寺の兼務する所となったので、当山第二世の仁齢師の力に依り、遂に当所に移したものであった。同時境内には暹羅皇太子の御来遊の際、お手植の銀杏樹がある。

46 曹洞宗 玉宝寺
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(在英町)

建物全部倒漬の上全焼し、その損害額約参万余円である。

47 曹洞宗 龍珠院
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(在岡村町)

被害殆んど皆無であった。

48 曹洞宗 勝国寺
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(在蒔田町)

本堂は全潰庫裡・山門は小破した。その損害額は参万五千円である。

49 浄土宗 慈眼院
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(在南太田町)

本堂は傾斜、庫裡・鐘楼は全壊した。損害額は凡弐万八千余円である。

50 浄土宗 慶運寺
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(在神奈川飯田町)

本堂・表門は半潰、庫裡・土識・観音堂・鐘楼堂等は全潰した。その損害額は凡弐万五千円である。同寺は明治元年、浦島町の観福寺と合併した。境内にある。観音堂は有名の浦島観世音である。

51 浄土宗 成仏寺
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(在神奈川町)

本堂・鐘楼・山門は半潰、庫裡は大破、同寺持説教所は全焼した。その損害額凡八千余円である。

52 浄土宗 三宝寺
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(在青木町)

本堂・客殿は小破、薬師堂は半潰した。損害額凡弐千参百余円である。

53 浄土宗 相応寺
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(在子安町)

建物全部倒潰の厄に遭った。損害額凡参万参千関である。建物の主なるものは本堂・庫裡・鐘楼・閻魔堂・山門である。

54 浄土宗 大安寺
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(在子安町)

本堂は全潰、庫裡・不動堂・山門は半潰した。損害額凡弐万壱千円である。

55 天台宗 新善光寺
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(在南太田町庚耕地)

本堂・納骨堂・書院は全潰、庫裡は半潰した。損害額凡六万弐千八百円である。

56 日蓮宗 川合寺
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(在久保町)

本堂・庫裡は全潰、損害額凡弐万八千円である。同寺は明治二十七年、地方庁の許可に依って、県下高座郡松林寺中の本妙庵を移したのである。

57 日蓮宗 妙音寺
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(在南太田町露耕地)

本堂・浄行堂・庫裡等は半潰した。損害額凡参千八百余円である。

58 日蓮宗 浄瀧寺
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(在青木町)

被害は小破したのみであって、担害額凡六千五百円である。

59 日蓮宗 久成寺
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(在平沼町)

全部焼失し、損害額凡七万千弐百余円に上る。

60 日蓮宗 慈雲寺
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(在神奈川神明町)

本堂・鬼子母神堂は半潰、庫裡・表門は全潰した。損害額凡壱万九千五百円である。

61 日蓮宗 本慶寺
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(在子安町)

本堂・庫裡・妙見堂・山門その他全部倒潰した。損害額凡四万弐千四百円である。

62 日蓮宗 蓮法寺
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(在青木町広台)

本堂・庫裡・七面堂・稲荷堂・上行堂・表門その他全部、倒潰の厄に遭った。損害額凡参万六百円。本堂は大正元年の新築で、相州小田原在萩窪村より移転したものである。

63 日蓮宗 妙香寺
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(在北方町)

本堂・書院・七面堂は全潰、大黒堂は全焼し、庫裡その他は大破した。損害額凡七万壱千五 百円である。

64 日蓮宗 善行寺
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(在北方町)

半潰程度で、損害六万壱千五百円である。

65 日蓮宗 常清寺
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(在長者町)

建物全部焼失、損害額凡参拾万円に達した。建物の主なるものは本堂・庫裡・清正堂浄行堂・稲荷堂・鐘楼堂等で、本堂は明治三十四年の大火に焼失し、明治四十三年再建したものであった。

66 日蓮宗 円大院
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(在根岸町猿田)

建物の殆んど全部倒潰した。損害額は二万四千参百円である。同寺は明治二十五年十一月、鎌倉郡東鎌倉村小町本覚寺中より移転したものである。

67 真宗 西教寺
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(在南太田町字庚耕地)

本堂・庫裡共に全潰した。その損害凡五万五千円。同寺は明治三七年、武蔵国葛飾郡権現堂神明内から、現地に移転したものである。

68 真宗 宝光寺
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(在桜木町)

本堂・庫裡とも全焼、その損害額凡拾万圏である。

69 真宗 良泉寺
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(在神奈川字新町)

建物全部全潰の厄に遭った。その損害額凡弐拾壱万弐千五百円である。当時の本堂は明治十八年の再建である。

70 真宗 甚行寺
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(在青木町)

本堂・庫裡・太子堂等建物全部全焼し、その損害額凡拾参万円である。本堂は明暦元年の創建で、安政五年神奈川開港條約締結後、仏国公使館に充てられた事が在った。

71 浄土真宗 長延寺
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(在神奈川字新町)

本堂・庫裡・経蔵・表門等は半潰、鐘楼その他は全潰の厄に遭った。損害額凡六万円である。

72 浄土真宗 普龍寺
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(在神奈川字齊藤分)

本堂・庫裡は半潰、鐘楼は全潰の厄に遭った。損害額凡五万六千余円である。

73 真宗 蓮光寺
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(在中村町)

本堂・庫裡・鼓同・大門・鐘楼等の建物全部全焼の厄に遭って。損害額凡弐拾参万参千余円に上る。同寺は朋治五年寺号を得て、蓮光寺と称したもので、開基は東京市浅草区清島町蓮光寺第十一世興瑛師が、太田屋新田、太田屋新左衛門等の帰依で、太田町八丁目に一草庵を建立したのが始りで、その後現在の地に移転したものであった。

74 真宗本願寺別院
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(在梅ヶ枝町)

本堂・庫裡・書院・鐘楼・宝物・什器その他全部全焼した。損害額凡五拾万円余である。

75 真宗 願西寺
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(在末吉町)

本堂・庫裡・鐘楼等は全部焼失した。損害額凡参万円。同寺は明治三十五年一月、岐阜県海津郡高須町字福岡より現在に移転したものである。

76 法華宗 豊顕寺
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(在青木町字三沢)

本堂・庫裡は半潰、番神堂・表門・大講堂・経堂・学堂・図書館等全潰した。損害額凡弐万円。同寺は享保四年に檀林を新設して、伽藍・学寮を建て、同九年に開購式を挙行した。当時は学舎五宇、学寮二十五棟、学生三百人あった。明治四年、学校から火を失して、学舎一棟焼失した。堂塔は宏壮優美のものである。今回の震災にて、檀林・学舎等、旧態を永久に没したのは惜むべきである。

77 法華宗 勧行寺
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(在青木町東軽井沢)

表門は全潰、その他は半潰、損害額凡五千余円である。

78 時宗 浄光寺
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(在中村町)

本堂・庫裡共に宇潰した。損害額凡七千五百円である。

79 日蓮宗 大円寺
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(在根岸町)

本堂・庫裡・浄行堂等は全潰、庵室は半潰し、仏像・仏具は大破した。その損害額凡壱万八千円である。

80 日真置宗 常照寺
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(在南太田町)

本堂は多少破損あったが、先ず軽微の損害であっあ。庫裡・書院・玄関は裏山の崩れたために全潰・仁王門は大破したが、倒潰を免かれた。その損害額は弐万弐千弐百五拾円である。

81 真言宗 金蔵院
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(在神奈川十番町)

本堂半潰、庫裡・書院は全焼した。損害額は凡壱万五千円である。

82 新義真言宗 吉詳寺
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(在西白楽)

被害軽徴で、小破程度であった。損害額は僅かに壱千百円である。

83 真言宗 真福寺
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(在本牧町)

殆んど被害は皆無の程度であった。

84 真言宗 能満寺
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(在神奈川神明町)

本堂および表門は全潰、庫裡および仏像・仏具は大破し、その損害額約五万円である。

関連項目

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