新約聖書譬喩略解/第十六 二人の負債者の譬

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
wikisource:宗教 > 新約聖書譬喩略解

第十六 ふたりかりてたとへ[編集]

路加七章四十一節より四十三節

イエスいひけるはあるかしぬしふたりかりびとありてひとりきんひゃくひとりじふかりしにあがなひかたなかりければかしぬしこのふたりゆるしたり しからふたりものそのかしぬしあいすることいづれかおほわれきかせよ シモンこたへけるはわれおもふゆるさるることのおほものならん イエスいひけるはなんぢおもふところたがはざるなり

〔註〕イエスこのたとへときたまふゆえんぜうぶんつまびらかそのわけるべし このせうすることそのさんふくいんのすこととおなじからず またい二十六章七節より十三節 まあく十四章三節より九節 よはね十三章三節より八節 このさんしょのすことはみなおなことなり ただるかこのせうのすることはまたべついちなり そのあらましればおなじきにたれどもこまかおせばそのじつおほひことなれり そのたることはいづれもするところあるじシモンといへりいづれもするところひとりおなごありてかほるあぶらイエスかみてこれをぬごへり またいづれもひとりひとありこのなすことをよろこばずとあり これらことはみなせうとするにらず ユダヤひとシモンなづくるものはなはおほイエスじふしとうちシモンといふものすでにふたりあり にほひあぶらきゃくつくるはユダヤこくれいなり ぬぐふかみてすることはまことすくなしといへどこのふたりおなごイエスしんじてまことかみとなせり ゆへこのけんたいことせるなり ほかところにはラザルけうだいとあり このせうにはまへあくをなせしおんなとあり ひとありてそのなすことをよろこばずといふそのひとまたおほひことなれり ほかところにはイエスでしユダたからおほくつひやしてこのにほひあぶらもちゆるをよろこばずとあり このところにはおなじせきするはりさいひとイエスあくにんちかづくるをよろこばずとあり これのみならずそのときそのところともおなじからず かれにはイエス ベタニヤりてラザルよみがへせしのちにてさりたまふにちかときをいへりゆへイエスちからつくしてせり あらかじわがそなへほふむりまついひたまへり ここにはイエス ナインりてせんどうおはりたまひければはりさいひとむかへおなじくしょくせりとあり さまざまべつありてこまかるときはそのことなることあきらかなり あるひとあるじまねきにあらずしてこのおんなたずさへじんそのよりちかづくことれいひとあやしみまぬかれずといへり れはこのおんなあるじシモンおなじむらのものなるをしらざるなり むらうちひとこんれいそのほかさまざまよろこびごとあるときはむらざとものゆきてうちよりこれみるふだんあることなり かつこのおんないますみやかイエスつみゆるされてれいこんすくはれんことをもとめんとするときはれいかへりみるいとまあらざるなり はりさいひともとよりきうやくじゅくせしかばいさやしょエサイかぶかならずまさにめだしせんとす エホバかみこれちえあたへひとまこといつわりらしめみみきくまたずしてひとよしあしことごとべんぜりと(以賽亜十二章一、二、三節ママ[1])あるをつねとりすくひぬしせうとなせり いまこのおんなぶんよりちかづくによりイエスこれゆるしたまふことなるにはりさいひとこころうちおもふやうこのおんなあくにんなることをらざればせんとするをこのおんなあくにんなるをしりおのれにちかよるをゆるさばいさぎよしといふをずと ここおひイエスすくひぬしにはあらずとうたがへるなり あくにんちかよせそのなすことをよろこぶよからざるにたれどもあくにんちかよせこれけうくんぜんうつらしむるはいたつよきことをらざるなり ゆへイエスわがきたるはただしきひとまねくにあらずあくにんまねくひあらためしむるなりといひたまへり たとへばしゃびやうにんちかづきてよくそのやまひのぞくごともしそのそむるおそれにげさくるときはそのやまひいやすことをざるなり はりさいひとみづからたのみとなしひとかろんまったじんあいなしそのこころはなはせまイエスあはれみこころむねとしざいにんすくふをきふとなしたまへばてんさうあり かれただわたくしのこころはかすくひぬしあいしたまふふかきなさけらざるなり ゆへイエスわれたしかすくひぬしにしてひとこころるといふことをらしめたまはんとてシモンわれなんぢつげんとついふたりかりてたとへかたりたまへるなり このたとへことばてみじかにてそのむねわかりやすし(ふたりかりてひとりおほひとりすくなまたいでんのすあしきけらいたとへおなじからずかれつみひとしなればつみかみるにくらぶればあひことなることはなはだおほひなり ゆへたとへにはせんまんばいかたれり このたとへひとしつみかみしなればあひさることいくばくもなし ゆへただじふばいときたまへり かりかねひゃくきんおんなかりかねじつきんシモンせり イエスふたりおこなひたまふにかくごとさうありといふにあらず はりさいひとじぶんつみすくなしとおもまたこのあくせしおんなふかじぶんつみおほきことをしりゆへそのこころしたがつたとへまうけたまふなり イエスこころみふたりものそのかしぬしあいするいづれかおほわれきかせよといひたまひければシモンこたへわれおもふゆるさるることおほきものならんといへイエスそのこころうけふたりものおのれをあしらふかうはくときそのあいぜうせうらせたまへるなり このときはりさいじんイエスむかへおなじしょくするにはなはれいなきはイエスひやくせうおしへたまひしはおのれだうしうものにてかつおのれむらいりきたりしことなればもしもてなさずんばひとわれれいなるものひやうせんことをおそれゆへいささかやどまねきしにてしんじつイエスうやまふにあらざるなり ユダヤれいにすべてあるじきゃくあしられいきゃくいたることあればかならみづそのあしあらへり いかにとなればユダヤびとはくくついまわらじあしはなはよごやすゆへにまづそのあしあらひしことなり またかならきゃくくちつけあいをしめしあぶらそのかしらつけうやまふことをしめせり はりさいひとこのれいなきはイエスあいするのこころなきことるべし このおんなみづイエスあしあらはずなみだにてそのあしぬらかみのけこれぬごそのくちくちつけせずしてそのあしくちつけせり またただのあぶらそのかしらつけにほひあぶらもてそのあしつけそのこころまことひげしてあしらふことのねんごろなることをるべし ゆへイエスそのあいすることおほしといひたまへるなり このおんなのなせしことをればひとびとイエスあいするをらざるなし なにゆへにかくイエスあいするふかしといふにイエスしんじてまことすくひぬしとなしおのれつみゆるされしめぐみうくることをまことおもんぜしゆへにそのあいぜうぜんふかきなり ゆへイエスのちかれこころなぐさめなんぢつみゆるされたりといひたまへるなり しからばわれごとしゅしんずるものはじぶんつみることこのおんなごときかそもそみづからとしてはりさいじんごときかまたすでつみあることをしりてこのおんなイエスあいするをまなぶいなやこころなでみづからとふべし もしいまだこのおんなごとあいあらずんばわれつみいまゆるされざることとりよくめをさますべきなり

脚注 [編集]

  1. 投稿者注:原文は以賽亜十二章となっているが明らかに以賽亜十一章の誤りなので誤植と思われる。原文のまま訂正はしていない。