新約聖書譬喩略解/第十六 二人の負債者の譬

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第十六 二人ふたり負債者かりてたとへ[編集]

路加七章四十一節より四十三節

イエスいひけるはある債主かしぬし二人ふたり負債かりびとありて一人ひとりきんひゃく一人ひとりじふかりしに償方あがなひかたなかりければ債主かしぬしこの二人ふたりゆるしたり しから二人ふたりものその債主かしぬしあいすることいづれかおほわれきかせよ シモンこたへけるはわれおもふゆるさるることのおほものならん イエスいひけるはなんぢおもふところたがはざるなり


〔註〕イエスこのたとへときたまふ原由ゆえんぜうぶんつまびらか其故そのわけるべし 此章このせうすることそのさん福音ふくいんのすこととおなじからず 馬太またい二十六章七節より十三節 馬可まあく十四章三節より九節 約翰よはね十三章三節より八節 このさんしょのすことはみなおなことなり ただ路加るか此章このせうのすることはまたべついちなり その概略あらましればおなじきにたれどもこまかおせばそのじつおほひことなれり そのたることはいづれもするところ家主あるじシモンといへりいづれもするところ一人ひとり女子おなごありて香油かほるあぶらイエスかみてこれをぬごへり またいづれもひとりひとありこのなすことをよろこばずとあり 此輩これらことはみなせうとするにらず ユダヤひとシモンなづくるものはなはおほし イエスじふ使徒しとうちシモンといふものすでに二人ふたりあり 香油にほひあぶらきゃくつくるはユダヤこくれいなり ぬぐふかみてすることはまことすくなしといへどこの二人ふたり女子おなごイエスしんじてまことかみとなせり ゆへこの謙退けんたいことせるなり ほかところにはラザル姉妹けうだいとあり このせうにはまへあくをなせしおんなとあり ひとありて其為そのなすことをよろこばずといふ其人そのひとまたおほひことなれり ほかところにはイエス弟子でしユダたからおほくつひやしてこのにほひあぶらもちゆるをよろこばずとあり このところには同席おなじせきする法利はりさいひとイエス悪人あくにんちかづくるをよろこばずとあり これのみならず其時そのときそのところともおなじからず かれにはイエス ベタニヤりてラザルよみがへせしのちにてさりたまふにちかときをいへりゆへイエスちからつくしてせり あらかじわがそなへほふむりまついひたまへり ここにはイエス ナインりて宣道せんどうおはりたまひければ法利はりさいひとむかへおなじくしょくせりとあり 種々さまざまべつありてこまかるときはそのことなることあきらかなり 或人あるひと家主あるじまねきにあらずして此婦このおんなたずさへじんその迫近よりちかづくことれいひと詫異あやしみまぬかれずといへり れは此婦このおんな家主あるじシモン同郷おなじむらのものなるをしらざるなり 郷中むらうちひと婚禮こんれいそのほか各種さまざま喜事よろこびごとあるときは郷里むらざとものゆきてうちよりこれみる平時ふだんあることなり かつ此婦このおんないますみやかイエスつみゆるされて霊魂れいこんすくはれんことをもとめんとするときはれいかへりみるいとまあらざるなり 法利はりさいひともとより舊約きうやくじゅくせしかば以賽亜いさやしょエサイかぶかならずまさに萌孽めだしせんとす エホバかみこれ智慧ちえあたへひとまこといつわりらしめみみきくまたずしてひと是非よしあしことごとべんぜりと(以賽亜イザヤ十二章一、二、三節ママ[1])あるをつねとり救主すくひぬしせうとなせり いま此婦このおんなぶんよりちかづくによりイエスこれゆるしたまふことなるに法利はりさいひとこころうちおもふやう此婦このおんな悪人あくにんなることをらざればせんとするを此婦このおんな悪人あくにんなるをしりおのれに迫近ちかよるをゆるさばいさぎよしといふをずと ここおひイエス救主すくひぬしにはあらずとうたがへるなり 悪人あくにん親近ちかよせ其為そのなすことをよろこぶよからざるにたれども悪人あくにん親近ちかよせこれ教訓けうくんぜんうつらしむるはいたつよきことをらざるなり ゆへイエスわがきたるは義人ただしきひとまねくにあらず悪人あくにんまね悔改くひあらためしむるなりといひたまへり たとへばしゃ病人びやうにん親近ちかづきてよくそのやまひのぞくごとし もしその傳染そむるおそれにげさくるときはそのやまひいやすことをざるなり 法利はりさいひとみづからたのみとなしひと藐視かろんまった仁愛じんあいなしそのこころはなはせまし イエス矜憫あはれみこころむねとし罪人ざいにんすくふをきふとなしたまへばてんさうあり かれただ私意わたくしのこころはか救主すくひぬしあいしたまふ深情ふかきなさけらざるなり ゆへイエスわれたしか救主すくひぬしにしてひとこころるといふことをらしめたまはんとてシモンわれなんぢつげんとつい二人ふたり負債者かりてたとへかたりたまへるなり このたとへことば簡㨗てみじかにて其旨そのむねわかりやすし(二人ふたり負債者かりてひとりおほひとりすくなし 馬太またいでんのす悪臣あしきけらいたとへおなじからずかれつみひとしなればつみかみるにくらぶればあひことなること甚大はなはだおほひなり ゆへたとへには千萬倍せんまんばいかたれり このたとへひとしつみかみしなれば相去あひさることいくばくもなし ゆへただ十倍じふばいときたまへり 負銀かりかねひゃくきんおんな負銀かりかねじつきんシモンせり イエス二人ふたり品行おこなひたまふにかくごとさうありといふにあらず 法利はりさいひと自己じぶんつみすくなしとおもまたこのあくせしおんなふか自己じぶんつみおほきことをしりゆへそのこころしたがつたとへまうけたまふなり イエスこころみ二人ふたりものその債主かしぬしあいするいづれかおほわれきかせよといひたまひければシモンこたへわれおもふゆるさるることおほきものならんといへり イエスそのこころうけ二人ふたりものおのれをあしらふ厚薄かうはくときその愛情あいぜうせうらせたまへるなり 此時このとき法利はりさいじんイエスむかへおなじしょくするにはなはれいなきはイエス百姓ひやくせうおしへたまひしはおのれ同宗だうしうものにてかつおのれむらいりきたりしことなればもし欵留もてなさずんばひとわれれいなるものひやうせんことをおそれゆへいささか宿やどまねきしにて眞實しんじつイエスうやまふにあらざるなり ユダヤれいにすべて主人あるじきゃくあしられいきゃくいたることあればかならみづ其足そのあしあらへり 如何いかにとなればユダヤびと著履はくくついま草鞋わらじあしはなはよごやすゆへにまづ其足そのあしあらひしことなり またかならきゃく接吻くちつけあいをしめしあぶらそのかしらつけうやまふことをしめせり 法利はりさいひと此禮このれいなきはイエスあいするのこころなきことるべし このおんなみづイエスあしあらはずなみだにて其足そのあしぬらかみのけこれぬご其口そのくち接吻くちつけせずして其足そのあし接吻くちつけせり またただのあぶらそのかしらつけにほひあぶらもてそのあしつけそのこころまこと卑下ひげしてあしらふことの慇懃ねんごろなることをるべし ゆへイエスそのあいすることおほしといひたまへるなり このおんなのなせしことをれば人々ひとびとイエスあいするをらざるなし 何故なにゆへにかくイエスあいするふかしといふにイエスしんじてまこと救主すくひぬしとなしおのれつみゆるされしめぐみうくることをまことおもんぜしゆへにその愛情あいぜうぜんふかきなり ゆへイエスのちかれこころなぐさめなんぢつみゆるされたりといひたまへるなり しからばわれごとしゅしんずるものは自己じぶんつみることこのおんなごときかそもそみづからとして法利はりさいじんごときかまたすでつみあることをしりてこのおんなイエスあいするをまなぶいなやこころなでみづからとふべし もしいまだこのおんなごとあいあらずんばわれつみいまゆるされざることとりよく警醒めをさますべきなり

脚注 [編集]

  1. 投稿者注:原文は以賽亜イザヤ十二章となっているが明らかに以賽亜十一章の誤りなので誤植と思われる。原文のまま訂正はしていない。