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埃及マカリイ全書/第四十九講話

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第四十九講話

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<< ひともし福楽ふくらくあづかるをずんば、快楽かいらくする充分じゅうぶんゆうあらず。 >>

一、 もしたれしゅのために自己じこぞくするものをて、このち、快楽かいらく財産ざいさんちちははとをし、みづからおのれじう字架じかくぎして、旅人たびびととなり、まづしうして一物いちぶつゆうせざるものとなれども、安寧あんねいへて神聖しんせいなるあんをおのれにず、いちらくへて精神せいしんじょうたのしみをおのれこころかんぜず、くさるべきふくへて神聖しんせいなるひかりふくないひとず、さき肉体にくたいしんへててんぞくするものとのしんおのれこころうたがひなく認識にんしきせず、このゆるよろこびにへてしんよろこびとてん恩寵おんちょうなぐさめとをおのれないゆうするあらずして、ろくするところごとく『しゅさかえのあらはるるとき』〔聖詠十六の十五神聖しんせいなる満足まんぞくこころにうけずんば、一言いちげんにてこれをはば、ざんらくへて、のぞところきゅうなるたのしみをいまなほおのれこころずんば、かれあぢうしなひししほたり、かれことごとくの人類じんるいよりもさらあはれむべきものにして、此処ここにあるものをもうばはれ、神聖しんせいなるものをもたのしまずして、そのないひとしんようによりて神聖しんせいなるおう認識にんしきせざらん。

二、 ひととほざかるは使徒しとへるごとく、その霊魂たましひかいとにおもひもつじゅうせんためなり、けだしいへり『われ居処すまひてんにあり』〔フィリッピ三の二十〕、またいへり、『にくにありておこなへども、にくしたがひてたたかはず』〔コリンフ後十の三〕。ゆえにこのしたるものは、いまなほしんたすけにより、おもひもつにうつり、彼処かしこ居住きょじゅうして、霊界れいかい幸福こうふくをよろこびたのしみ、ないひとおいてはしんによりうまるるの緊要きんようなるをかたしんぜざるべからざるなり、しゅのいひしごとし、いはく『われしんぜしものより生命いのちうつれり』〔イオアン五の二十四〕。けだし顕然けんぜんたるほかあり、また顕然けんぜんたる生命いのちほか生命いのちあり。聖書せいしょにいへり、『たのしみほしいままにするものくるともせるなり』〔テモフェイ前五の六〕、またいへり、『しゃそのしゃほうむるをまかせよ』〔ルカ九の六十〕、『しゅなんぢぐるはしゃあらず、われけるものなんぢあがむ』〔聖詠百十三の二十五、二十六〕。

三、 太陽たいよううへのぼるならば、そのことごとくの光線こうせんうへにあらん、されどかれ西にしにあるときは、其家そのいへ退しりぞきてそのことごとくの光線こうせんうしろ集中しゅうちゅうせん、かくのごとうへよりしんもつ更生こうせいせられざる霊魂たましひそのねんはすべてうへにありて、そのおもひ境界きょうかいおよぶのみなれど、もしてんよりうまれてしんによるのしんをうくるをたまはるときは、そのことごとくのねんいつ集中しゅうちゅうして、これをおのれにりゅうしつつ、しゅづくりにあらざるてん住所じゅうしょたつし、そのすべてのねん神聖しんせいなるたいりて、てんぞくするきよせいなるものとならん、なんとなれば霊魂たましひ悪君あくくんすなはちしん暗黒あんこくなる獄舎ごくしゃだつして、きよ神聖しんせいなるねんをうくればなり、けだしかみひと神聖しんせいなるせいあづかるものたまふなり。

四、 ゆえにすべてうきこととほざかり、熱心ねっしんとうつとむるならば、此労このろうすみやか安心あんしんたさるるをみとむべく、しょうなる憂愁ゆうしゅうろうとはだいよろこびとなぐさめとにみちみたさるるを認識にんしきせん。いはんなんぢからだたましひ畢生ひっせいあひだまい毎刻まいこく如此かくのごときぜんのためにつひやさるるならば、これをなにとかいはん。ああもいはれざるかみ仁心じんしんなるかなかみ報酬ほうしゅうなしにおのれ信者しんじゃたまひ、しゅあひだひとかみぎょうしゃとなり、かみひとからだりて、しゅなる住所すまひを、すなはちひとおのれにゆうするなり。かみひと居住きょじゅうためてんとをつくりしごとく、おのれ居住きょじゅうためひとからだたましひとをつくりしは、その体中たいちゅうみてこれにやすんずること、其家そのいへごとくして、其像そのぞうによりてつくりしあいなる霊魂たましひなるしんとしてゆうせんためなり、使徒しとはいへり、『けだしわれなんぢいつおっと聘定へいていせり、きよ処女しょぢょとしてハリストスささげんためなり』〔コリンフ後十一の二〕、またいへり、『われかれいへたるなり』〔エウレイ三の六〕。それおっと勉励べんれいしてもろもろの幸福こうふく其家そのいへあつめん、かくのごとしゅ其家そのいへに、すなはちたましひからだとにてんぞくするしんとみあつめ、かつまん。しゃそのもつてするも聡明そうめいなるものその聡明そうめいもつてするも、心中しんちゅう機微きびさとることあたはず、あるひ霊魂たましひ如何いかなるものたるをふことあたはざりき、霊魂たましひけるのかいかくたる認識にんしきとはただ聖神せいしんたすけによりてひらかるべく、かつもとらるるなり。さりながらときおいその如何いかなるを研究けんきゅうし、こうし、かつかいすべく、しかしてくべし、しゅかみなれども霊魂たましひかみあらず、かれしゅなれども霊魂たましひぼくなり、かれ造物主ぞうぶつしゅなれども、霊魂たましひ受造物じゅぞうぶつなり、かれ造成者ぞうせいしゃなれども、霊魂たましひ造成物ぞうせいぶつなり。かれせい霊魂たましひせいとになん通有つうゆうなるものもあるなうして、ただげんなる、もいはれざる、およさとるあたはざるあいにより、かつその善心ぜんしんによりて、かれ造成物ぞうせいぶつに、聡明そうめいなる受造物じゅぞうぶつに、みづからえらびたる尊敬そんけいすべきおのれぎょうらんことをみんぜり、これ聖書せいしょにいふごとく、『われつくりしもの初実しょじつとならんためなり』〔イアコフ一の十八〕。われかれとなり、しんとなり、かれ自己じこ居住きょじゅうとなり、かれ自己じこきよしんとならんためなり。

五、 けだしわれ如此かくのごとき幸福こうふくをそなへられ、如此かくのごとき約束やくそくをあたへられて、かくのごとしゅ恩恵おんけいわれにこれあるにより、よ、永生えいせいいそぎて、しゅよろこばるることにおのれまったささぐるをおこたらざるべく、また遷延せんえんせざるべし。ゆえにしゅがんせん、その神聖しんせいなるちからもつわれづべき情慾じょうよく暗獄あんごくよりすくひ、その自己じこぞうためまたその造成ぞうせいのためにあがなひをなし、これに光明こうめい回復かいふくして、霊魂たましひ健全けんぜん潔浄けつじょうなるものとなさんためなり、かくのごとくしてわれちち聖神せいしん世々よよ讃揚さんようして、しんしんをうけん。アミン。