<< 人もし他の世の福楽に與かるを得ずんば、此の世の快楽を辞する充分の理由あらず。 >>
一、 もし誰か主のために自己に属するものを棄て、此世を絶ち、世の快楽と財産と父と母とを辞し、自から己を十字架に釘して、旅人となり、貧うして一物も有せざる者となれども、世の安寧に代へて神聖なる慰安をおのれに得ず、一時の喜楽に代へて精神上の楽みを己の心に感ぜず、腐るべき衣服に代へて神聖なる光の衣服を内部の人に衣ず、先の肉体の親與に代へて天に属する者との親與を己の心に疑なく認識せず、此世の見ゆる喜びに代へて神の喜びと天の恩寵の慰めとを己の内部に有するあらずして、録する所の如く『主の栄のあらはるるとき』〔聖詠十六の十五〕神聖なる満足を心にうけずんば、一言にてこれを言はば、此の暫時の喜楽に代へて、望む所の不朽なる楽みを今も猶己の心に得ずんば、彼は味を失ひし塩たり、彼は悉くの人類よりも更に憐むべきものにして、此処にあるものをも奪はれ、神聖なるものをも楽まずして、その内部の人は神の作用によりて神聖なる奥義を認識せざらん。
二、 人の世に遠ざかるは使徒の言へる如く、其霊魂が他の世界と世とに思を以て移住せん為なり、けだしいへり『我等の居処は天にあり』〔フィリッピ三の二十〕、またいへり、『肉にありて行へども、肉に循ひて戦はず』〔コリンフ後十の三〕。ゆえに此世を辞したる者は、今も猶神の助けにより、思を以て他の世にうつり、彼処に居住して、霊界の幸福をよろこびたのしみ、内部の人に於ては神により生るるの緊要なるを堅く信ぜざるべからざるなり、主のいひし如し、曰く『我を信ぜし者は死より生命に移れり』〔イオアン五の二十四〕。けだし顕然たる死の外に他の死あり、また顕然たる生命の外に他の生命あり。聖書にいへり、『楽を縦にする者は生くるとも死せるなり』〔テモフェイ前五の六〕、またいへり、『死者に其死者を葬むるを任せよ』〔ルカ九の六十〕、『主よ汝を讃め揚ぐるは死者に非ず、我等生ける者は汝を崇め讃む』〔聖詠百十三の二十五、二十六〕。
三、 太陽は地の上に昇るならば、その悉くの光線は地の上にあらん、されど彼は西にあるときは、其家に退きて其悉くの光線を後に集中せん、かくの如く上より神を以て更生せられざる霊魂も其意念はすべて地の上にありて、其思は地の境界に及ぶのみなれど、もし天より生れて神によるの親與をうくるを賜はるときは、その悉くの意念を一に集中して、これをおのれに保留しつつ、主に手造にあらざる天の住所に達し、そのすべての意念は神聖なる大気に入りて、天に属する清く聖なるものとならん、何となれば霊魂は悪君、即世の神の暗黒なる獄舎を脱して、清く神聖なる意念をうくればなり、けだし神は人を神聖なる性に與かる者と為し給ふなり。
四、 ゆえにすべて浮世の事に遠ざかり、熱心に祈祷を務むるならば、此労は速に安心に満たさるるを認むべく、小なる憂愁と労苦とは至大の喜びと慰めとにみちみたさるるを認識せん。況や汝の体も霊も畢生の間毎時毎刻如此の善のために費さるるならば、これを何とかいはん。吁得もいはれざる神の仁心なる哉。神は報酬なしに己を信者に賜ひ、須臾の間に人は神の嗣業者となり、神は人の体に居りて、主は美なる住所を、即人を己れに有するなり。神が人の居住の為に天と地とを造りし如く、己の居住の為に人の体と霊とをつくりしは、其体中に住みてこれに安んずること、其家に在る如くして、其像によりて造りし至愛なる霊魂を美なる新婦として有せん為なり、使徒はいへり、『蓋我爾等を一の夫に聘定せり、浄き処女としてハリストスに献げん為なり』〔コリンフ後十一の二〕、またいへり、『我等は彼の家たるなり』〔エウレイ三の六〕。それ夫は勉励してもろもろの幸福を其家に集めん、かくの如く主も其家に、即霊と体とに天に属する神の富を集め、かつ積まん。智者は其智を以てするも聡明なる者は其聡明を以てするも、心中の機微を悟ることあたはず、或は霊魂の如何なるものたるを言ふこと能はざりき、霊魂に於けるの理解と確たる認識とはただ聖神の助によりて開かるべく、且求め得らるるなり。さりながら此の時に於て其如何なるを研究し、思考し、且理会すべく、而して聴くべし、主は神なれども霊魂は神に非ず、彼は主なれども霊魂は僕なり、彼は造物主なれども、霊魂は受造物なり、彼は造成者なれども、霊魂は造成物なり。彼の性と霊魂の性とに何等の通有なるものもあるなうして、ただ其の無限なる、得もいはれざる、及び悟るあたはざる愛により、且その善心によりて、彼は此の造成物に、此の聡明なる受造物に、此の自から選びたる尊敬すべき己の業に居らんことを善みんぜり、これ聖書にいふ如く、『我等其の造りし物の初実の果とならんためなり』〔イアコフ一の十八〕。我等彼の智となり、親與となり、彼自己の居住となり、彼自己の浄き新婦とならんためなり。
五、 けだし我等に如此の幸福をそなへられ、如此の約束をあたへられて、かくの如き主の恩恵は我等にこれあるにより、子よ、永生に急ぎて、主に悦ばるることに己を全く捧ぐるを怠らざるべく、又遷延せざるべし。ゆえに主に祈願せん、その神聖なる力を以て我等を耻づべき情慾の暗獄より救ひ、其自己の像の為、又其造成のために償をなし、これに光明を回復して、霊魂を健全潔浄なるものとなさんためなり、かくの如くして我等は父と子と聖神を世々に讃揚して、神の親與をうけん。アミン。