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埃及マカリイ全書/第四十七講話

第四十七講話

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<< 法(ほう)下(か)にありし事(こと)の譬(ひ)解(かい)。 >>

一、 モイセイの面(かほ)にあらはれし光栄(こうえい)は真実(しんじつ)なる光栄(こうえい)の象(しょう)なりき。かしこにイウデヤ人(じん)はモイセイの面(かほ)を仰(あふ)ぎ見(み)るあたはざりし如(ごと)く、今(いま)も「ハリステアニン」が彼(か)の光栄(こうえい)を霊魂(たましひ)にうくるときは、暗黒(あんこく)は此(この)光耀(こうよう)に得(え)堪(た)へずして、眩(くら)まされたるものは逃走(とうそう)せん。且(かつ)イウデヤ人(じん)は割礼(かつれい)によりて自(じ)分(ぶん)は神(かみ)の民(たみ)たるを示(しめ)せり。しかれどもここに神に選ばれたる民は〔ティト二の十四〕其(その)心(こころ)の内(ない)部(ぶ)に割礼(かつれい)の表(ひょう)示(し)をうく、何(なん)となれば天(てん)の剣(つるぎ)は智(ち)の餘(あまり)を裁割(さいかつ)す、即(すなはち)罪(つみ)の不(ふ)潔(けつ)なる餘(あまり)を裁割(さいかつ)すればなり。彼(かれ)等(ら)には肉身(にくしん)を聖(せい)にするの洗礼(せんれい)ありたれど我(われ)等(ら)には聖神(せいしん)と火(ひ)とを以(もつ)てするの洗礼(せんれい)あり。けだしイオアンはこれを傳(つた)へて言(い)へり、『彼(かれ)は聖神(せいしん)と火(ひ)とを以(もつ)て汝(なんぢ)等(ら)に洗(せん)を授(さづ)けん』〔マトフェイ三の十一〕。

二、 かしこには内(ない)部(ぶ)の幕(まく)と外(がい)部(ぶ)の幕(まく)とありて『第一(だいいち)の幕(まく)には司(し)祭(さい)等(ら)恒(つね)に入(い)りて奉(ほう)事(じ)を行(おこな)ひ、第(だい)二(に)の幕(まく)には独(ひと)り司(し)祭(さい)長(ちょう)のみ一年(いちねん)に一(いち)度(ど)血(ち)を携(たづさ)へずんばあらずして入(い)り、此(これ)を以(もつ)て聖神(せいしん)は先(さき)の幕(まく)の猶(なほ)存(そん)する時(とき)は、聖所(せいしょ)に入(い)る途(みち)の未(いまだ)だ啓(ひら)かれざるを示(しめ)す』〔エウレイ九の六、八〕。しかれどもここに入(い)るを賜(たま)はる所(ところ)の者(もの)は手(て)の造(つく)る所(ところ)にあらざる幕(まく)に入(い)る、即(すなはち)『ハリストスが我(われ)等(ら)のために先(せん)駆(く)として入(い)りし所(ところ)』〔エウレイ六の二十〕の幕(まく)に入(い)るなり。律法(りっぽう)に於(おい)ては司(し)祭(さい)に二(ふたつ)の鳩(はと)を取(と)るを命(めい)ぜられ、一(いつ)を屠(ほふ)りて他(た)の生者(せいしゃ)をば其(その)血(ち)をそそぎて、自(じ)由(ゆう)に飛(と)ばしめたり。しかれども此(この)行(こう)為(い)も真実(しんじつ)の象(しょう)と影(かげ)となりき。けだしハリストスが屠(ほふ)られて我(われ)等(ら)にそそぎたまひし血(ち)は羽(う)翼(よく)を生(しょう)ぜしむればなり、何(なん)となれば神性(しんせい)の大(たい)気(き)に自(じ)由(ゆう)に飛(ひ)揚(よう)する聖神(せいしん)の羽(う)翼(よく)を我(われ)等(ら)にあたへ給(たま)へばなり。

三、 イウデヤ人(じん)には石版(せきばん)にしるしたる律法(りっぽう)をあたへられたれども、我(われ)等(ら)には心(こころ)の肉版(にくばん)にしるさるる神的(しんてき)律法(りっぽう)をあたへられたり。けだしいふあり、『我(わ)が律法(りっぽう)を彼(かれ)等(ら)の心(こころ)に置(お)き、其(その)思(おもひ)にしるさん』〔イエレミヤ三十一の三十三〕。されば彼(かれ)はすべて廃(はい)止(し)せらるべき一(いち)時(じ)的(てき)の者(もの)にてありたれど、今(いま)は実(じつ)にすべては内(ない)部(ぶ)の人(ひと)に行(おこな)はるるなり、何(なん)となれば許約(きょやく)は内(ない)部(ぶ)にあればなり、一言(いちげん)にてこれをいへば『此(こ)の諸(しょ)事(じ)は彼(かれ)等(ら)に遇(あ)ひて象となれり此(これ)等(ら)の録(ろく)されしは我(われ)等(ら)の警(いましめ)とならんためなり』〔コリンフ前十の十一〕。神(かみ)はアウラアムに未(み)来(らい)を預(よ)言(げん)していへり、『爾(なんぢ)の子(し)孫(そん)他(た)人(にん)の国(くに)に旅人(りょじん)となりて其(その)人々(ひとびと)に事(つか)へん、彼(かれ)等(ら)四(し)百(ひゃく)年(ねん)の間(あひだ)之(これ)を悩(なや)まさん』〔創世記十五の十三〕。これまた影(かげ)の象(しょう)たりき。民(たみ)は移(うつ)されて埃及人(じん)等(ら)に奴使(どし)せられ、粘(ねん)土(ど)と磚(かはら)とを以(もつ)て苦(くるし)められたり。ファラオンはイズライリ人(じん)に作(さく)事(じ)の看守者(かんしゅしゃ)と監(かん)査(さ)とを附(ふ)して、其事(そのこと)を必(かなら)ず為(な)さざるを得(え)ざらしめたり。しかれどもイズライリの諸(しょ)子(し)が苦(く)役(えき)の中(うち)にありて、神(かみ)の前(まへ)に嘆息(たんそく)するや、神(かみ)はモイセイによりて彼(かれ)等(ら)に憐(あはれみ)を垂(た)れ給(たま)へり、されば多(おほ)くの罰(ばつ)を以(もつ)てエギペト人(じん)を驚(おどろ)かし、もはや厳冬(げんとう)を過(す)ぎて春(はる)のあらはるるや、花(はな)の月(つき)に於(おい)て彼(かれ)等(ら)を埃及より引出(ひきいだ)し給(たま)へり。

四、 神(かみ)はモイセイに疵(きず)なき羔(こひつじ)を取(と)り、これを屠(ほふ)りて、其(その)血(ち)を閾(しきい)と門(もん)とに塗(ぬ)るを命(めい)じたまへり、埃及の冢(ちょう)子(し)を亡(ほろぼ)す者(もの)のこれに触(ふ)れざらんためなり、けだしつかはされたる天(てん)使(し)は血(ち)の表(ひょう)示(し)を遥(はるか)に見(み)て、自(みづ)からこれを避(さ)け、表(ひょう)示(し)のあらざる家(いへ)に入(い)りて、あらゆる冢(ちょう)子(し)を殺(ころ)したればなり。然(しか)のみならず何(いづ)れの家(いへ)よりも発酵(はっこう)する物(もの)を除(のぞ)かんことを命(めい)じ、屠(ほふ)られたる羔(こひつじ)を無(む)酵(こう)麺包(ぱん)と苦(にが)き草(くさ)と併(あはせ)て食(くら)ふべきを誡命(かいめい)し給(たま)へり。而してイズライリ人(じん)はこれを食(くら)ふに腰(こし)に束帯(そくたい)し、足(あし)に履(くつ)はき、手(て)に杖(つえ)を有(ゆう)せざるべからざりき。かくの如(ごと)くして主(しゅ)に「パスハ」を晩餐(ばんさん)に於(おい)て全(まった)く謹(つつし)みて食(しょく)し、羔(こひつじ)の骨(ほね)を折(お)るべからざるを命(めい)ぜられたりき。

五、 また彼(かれ)等(ら)にはおのおのその隣(となり)の埃及人(じん)より金銀(きんぎん)器(き)物(ぶつ)を借(か)るを命(めい)じて、許(あま)多(た)の金銀(きんぎん)と共(とも)に彼(かれ)等(ら)を引出(ひきいだ)せり。而(しか)して彼(かれ)等(ら)は埃及人(じん)が其(その)冢(ちょう)子(し)を葬(ほうむ)るとき、埃及より出(い)でたり。一方(いっぽう)には苦(く)役(えき)より救(すく)はれたる為(ため)の喜(よろこび)ありて、又(また)一方(いっぽう)には児(こ)を亡(うしな)ひたるの哭泣(こくきゅう)と嘆息(たんそく)とありき。ゆえにモイセイは言(い)へり、これ神(かみ)が我(われ)等(ら)をすくはんことを約(やく)し給(たま)ひし夜(よ)なりと。しかれども此(こ)のすべてはまたハリストスの来(きた)るによりて救(すく)はれたる霊魂(たましひ)の奥(おう)秘(ひ)なりき。けだしイズライリといふ言(ことば)は訳(やく)すれば神(かみ)を見(み)る智慧(ちえ)といふ義(ぎ)にして、彼(かれ)は闇黒(あんこく)の苦(く)役(えき)と埃及の諸神(しょしん)とより免(まぬか)れて自(じ)由(ゆう)を得(え)たればなり。

六、 けだし人(ひと)は悖逆(はいぎゃく)により恐(おそ)るべき霊魂(たましひ)の死(し)を以(もつ)て死(し)して、詛(のろひ)に詛(のろひ)を受(う)く、言(い)ふあり、『地(ち)は汝(なんぢ)のために荊棘(いばら)と薊(あざみ)とを生(しょう)ずべし』〔創世記三の十八〕と、また言(い)ふあり、地(ち)を耕(たがや)すべし、汝(なんぢ)の為(ため)に其(その)果(み)を生(しょう)ぜざらんと、ゆえに其(その)心(こころ)の地(ち)に荊棘(いばら)と薊(あざみ)と生(しょう)じて成長(せいちょう)せり。敵(てき)は詭(き)計(けい)を以(もつ)て彼(かれ)の栄(さかえ)をうばひ、耻(はぢ)を以(もつ)て彼(かれ)にかうむらしめたり。彼(かれ)の光(ひかり)はうばはれて彼(かれ)は暗(やみ)を衣(き)たり。彼(かれ)の霊魂(たましひ)を殺(ころ)し、彼(かれ)の意思(いし)を散乱(さんらん)滅裂(めつれつ)し、彼(かれ)の智(ち)を高(たか)きより落(おと)して、人(ひと)即(すなはち)イズライリは眞(まこと)のファラオンの奴(ど)隷(れい)となれり、ゆえに彼(か)れファラオンは人(ひと)の為(ため)に看守者(かんしゅしゃ)と監(かん)査(さ)、即(すなはち)悪(あく)なる諸神(しょしん)を置(お)き、人(ひと)をして自(じ)由(ゆう)と不自(ふじ)由(ゆう)とに関(かか)はらず、悪(あく)なる行(こう)事(じ)を強(しひ)て為(な)さしめ、粘土(どろ)にて磚(かはら)を作(つく)らしむるなり。人(ひと)を思(し)想(そう)の天(てん)の状態(じょうたい)より遠(とほ)ざけたる者(もの)は人(ひと)を姦悪(かんあく)なる、物質的(ぶっしつてき)なる地(ち)と泥(でい)土(ど)的(てき)なる行(こう)為(い)に引落(ひきおと)し、徒(いたづ)らなる言(ことば)と思(おもひ)と慮(おもんばかり)とに引落(ひきおと)せり、何(なん)となれば霊魂(たましひ)は高(たか)きより堕(だ)落(らく)して、人(ひと)を憎(ぞう)悪(お)するの国(くに)と残忍(ざんにん)なる君(きみ)とを迎(むか)へたれば、彼(かれ)等(ら)は霊魂(たましひ)をして強(しひ)て罪悪(ざいあく)の城市(まち)を築(きづ)かしめんとす。

七、 しかれどももし霊魂(たましひ)は慨嘆(がいたん)して神(かみ)に號(よば)ふならば、埃及の苦(く)役(えき)より救(すく)はんとする霊界(れいかい)のモイセイを彼(かれ)に降(くだ)し賜(たま)はん。さりながら先(ま)づ呼(よ)んで嘆息(たんそく)すべし、さらば其時(そのとき)に救(すくひ)の始(はじめ)を見(み)ん。されば霊魂(たましひ)は新(あらた)なる花(はな)の月(つき)、良春(りょうしゅん)の候(こう)、心(こころ)の田(た)が美(うつく)しき花(はな)を産(さん)する義(ぎ)の嫩(わか)枝(え)を発生(はっせい)する時(とき)に当(あた)りて、昏(くら)まされたる無智(むち)と大(おほい)なる盲昧(もうまい)の厳冬(げんとう)がすでに過(す)ぎたる後(のち)に救(すくひ)をうけん、即(すなはち)耻(は)づべき行(こう)為(い)と罪(つみ)の結果(けっか)の過(す)ぎたる後(のち)に救(すくひ)を受(う)けん。然(しか)のみならず其時(そのとき)神(かみ)は各人(かくじん)の家(いへ)より一切(いっさい)の旧酵(きゅうこう)を除(のぞ)き、腐(ふ)敗(はい)せる旧(ふる)き人(ひと)の行(おこなひ)と智(ち)と悪念(あくねん)と不(ふ)潔(けつ)なる考(かんがへ)とを出来(でき)るだけ棄(す)つるを命(めい)じ給(たま)はん。

八、 羔(こひつじ)を屠(ほふ)りて祭(まつり)に献(けん)じ、其(その)血(ち)を以(もつ)て閾(しきい)を塗(ぬ)らんこと肝要(かんよう)なり、何(なん)となればハリストス真実(しんじつ)良善(りょうぜん)なる疵(きづ)なき羔(こひつじ)が屠(ほふ)られて、其(その)血(ち)を以(もつ)て心(こころ)の閾(しきい)を塗(ぬ)らるるによる、これ十(じう)字架(じか)の上(うへ)にそそがれたるハリストスの血(ち)が霊魂(たましひ)の為(ため)に生命(いのち)となり、救(すくひ)となりて、埃及人(じん)即(すなはち)魔鬼(まき)の為(ため)には哀(かなしみ)となり又(また)死(し)となるを致(いた)さん為(ため)なり。けだし疵(きず)なき羔(こひつじ)の血(ち)は彼(かれ)等(ら)のために実(じつ)に哀(かなし)みなれども、霊魂(たましひ)のためには喜(よろこ)びなり、又(また)楽(たのし)みなり、次(つぎ)にこれを塗(ぬ)りたる後(のち)、神(かみ)は命(めい)じて腰(こし)に帯(おび)し、履(くつ)を穿(うが)ち、手(て)に杖(つえ)を持(も)ちて、羔(こひつじ)と無(む)酵(こう)麺包(ぱん)とを苦(にが)き草(くさ)と共(とも)に晩餐(ばんさん)に食(しょく)せしむ。けだしもし霊魂(たましひ)は先(ま)づ百方(ひゃっぽう)盡力(じんりょく)して出来(でき)るだけ善行(ぜんこう)を以(もつ)て備(そな)ふるあらずんば、羔(こひつじ)を食(くら)ふをゆるされざるなり。しかれども羔(こひつじ)は旨(うま)く、無(む)酵(こう)麺包(ぱん)は味(あぢはひ)好(よ)しといへども、草(くさ)は苦(にが)くして渋(しぶ)し、何(なん)となれば霊魂(たましひ)は其(その)居(お)る所(ところ)の罪(つみ)の故(ゆえ)に哀(かなし)み、多(おほ)くの憂愁(ゆうしゅう)と悲(ひ)痛(つう)とを以(もつ)て羔(こひつじ)と善良(ぜんりょう)なる無(む)酵(こう)麺包(ぱん)とを味(あぢは)ふによる。

九、 また晩餐(ばんさん)に羔(こひつじ)を食(くら)ふを命(めい)ぜられて、晩餐(ばんさん)の時(とき)は光(ひかり)と暗(やみ)との中間(ちゅうかん)をなす。かくのごとく霊魂(たましひ)も此(こ)の救(すくひ)の先(さき)には光(ひかり)と暗(やみ)との中間(ちゅうかん)にあり、何(なん)となれば当(とう)時(じ)神(かみ)の力(ちから)は彼(かれ)と共(とも)にありて、暗黒(あんこく)をして霊魂(たましひ)に入(い)りて彼(かれ)を呑(の)むをゆるさざればなり。さればモイセイがこれ神(かみ)の約束(やくそく)の夜(よ)なりといひし如(ごと)く、ハリストスも会堂(かいどう)に於(おい)て巻(まき)をあたへられし時(とき)、これを名(な)づけて、主の禧年といひ、救(すくひ)の日(ひ)といひしことは録(ろく)する所(ところ)の如(ごと)し〔ルカ四の十八〕。かしこに於(おい)て報復(ほうふく)の夜(よ)は此処(ここ)に於(おい)ては救(すくひ)の日(ひ)なること是(こ)れ当然(とうぜん)なり、何(なん)となればかしこに於(おい)てはすべては真実(しんじつ)の象(しょう)と影(かげ)とにして、奥密(おうみつ)に豫(よ)象(しょう)を以(もつ)て霊魂(たましひ)の救(すくひ)を預(あらかじ)め録(ろく)されたればなり、けだし霊魂(たましひ)は暗中(あんちゅう)に幽(ゆう)せられ、縛(ばく)して地(ぢ)獄(ごく)の坑(あな)に匿(かくま)はれ、銅門(どうもん)を以(もつ)て閉(とざ)されたれば、ハリストスによりて救(すく)はるるなくんば免(まぬか)るあたはざりしなり。

十、 ゆえに埃及の冢(ちょう)子(し)を殺(ころ)して出(い)づる時(とき)に於(おい)て、霊魂(たましひ)を埃及より、又(また)埃及の苦(く)役(えき)より引出(ひきいだ)さん、何(なん)となれば真(しん)のファラオンの力(ちから)の或(ある)部(ぶ)分(ぶん)は既(すで)に衰(おとろ)へたればなり、囚虜(しゅうりょ)の救(すく)はるるを哀(かなし)みたる埃及人(じん)は泣(ない)て嘆息(たんそく)せん。神(かみ)は埃及人(じん)より金銀(きんぎん)の器(き)物(ぶつ)を借(か)り、これを携(たづさ)へて埃及より出(いづ)るを命(めい)じ給(たま)ふ、何(なん)となれば霊魂(たましひ)は暗黒(あんこく)より出(い)で来(きた)りつつ金銀(きんぎん)の器(き)物(ぶつ)、即(すなはち)七倍(しちばい)を以(もつ)て焼(や)かれたる自己(じこ)の善良(ぜんりょう)なる意(い)念(ねん)を自(みづ)から携(たづさ)ふべくして、神(かみ)はこれを其(その)奉(ほう)事(じ)に用(もち)ふるをゆるして、これに安(やす)んじたまふによる、しかれども先(さ)きに霊魂(たましひ)の隣(となり)たりし魔鬼(まき)は彼(かれ)の意(い)念(ねん)を散乱(さんらん)し、彼(かれ)を占領(せんりょう)し、彼(かれ)を費(ついや)したりき。暗黒(あんこく)よりまぬかれて自(じ)由(ゆう)を得(え)たる霊魂(たましひ)は福(さいはひ)なり。されど彼(か)の残忍(ざんにん)酷薄(こくはく)なる監督者(かんとくしゃ)より救(すく)ふを能(よ)くする者(もの)に向(むか)つて慨嘆(がいたん)せず号泣(ごうきゅう)せざる霊魂(たましひ)は禍(わざはひ)なる哉(かな)。

十一、 イズライリの諸(しょ)子(し)は「パスハ」をおこなひて、途(みち)に出発(しゅっぱつ)したりしが、霊魂(たましひ)は聖神(せいしん)の生命(いのち)をうけ、羔(こひつじ)を食(くら)ひ、其(その)血(ち)を塗(ぬ)りて、真実(しんじつ)の餅(ぱん)、即(すなはち)生活(せいかつ)の言(ことば)を以(もつ)てやしなはれて、大(おほい)に発達(はったつ)するなり。火(ひの)柱(はしら)と雲柱(くものはしら)は イズライリ人(じん)を護(ご)衛(えい)して、かれらに先(さき)だちしが、聖神(せいしん)は霊魂(たましひ)を扶持(ふち)し、これを悟(ご)覚(かく)せしめて「ハリステアニン」を堅(かた)むるなり。ファラオンと埃及人(じん)は民(たみ)の逃走(とうそう)し、イズライリ人(じん)の工作(こうさく)をうしなひしを聞(ぶん)知(ち)して、冢(ちょう)子(し)を殺(ころ)したる後(のち)、敢(あへ)て彼(かれ)等(ら)を追跡(ついせき)せり。ファラオンは直(ただち)ちに其(その)車(くるま)に駕(が)し、衆民(しゅうみん)と共(とも)に彼(かれ)等(ら)を殄滅(てんめつ)せんと、急(いそ)ぎて彼(かれ)等(ら)の中間(ちゅうかん)にすでに突進(とっしん)せんとするや、雲(くも)あり其(その)中間(ちゅうかん)にかかりて、一(いつ)を遮(さへぎ)り暗(くら)まして、他(た)を照(てら)し且(かつ)護(まも)りたりき。さて余(よ)は歴(れき)史(し)を反復(はんぷく)して説(せつ)話(わ)の長(なが)くならんことを恐(おそ)る、ゆえにこれを霊界(れいかい)の事(こと)に応用(おうよう)することはすべて自(みづ)から見(み)出(いだ)すべし。

十二、 霊魂(たましひ)の埃及より走(はし)るや、神(かみ)の力(ちから)は来(きた)り助(たす)けて、これを真(しん)理(り)にみちびかん。霊界(れいかい)のファラオン、罪(つみ)なる暗黒(あんこく)の王(おう)は霊魂(たましひ)の背(そむ)きて其国(そのくに)を逃(のが)れ、その久(ひさ)しく占領(せんりょう)したる意(い)念(ねん)、即(すなはち)その所有物(しょゆうぶつ)を奪(うば)ひ去(さ)るを偵(てい)知(ち)す、しかれども虐者(ぎゃくしゃ)は霊魂(たましひ)の再(ふたた)び帰(かへ)り来(きた)らんを預(よ)想(そう)し且(かつ)希(き)望(ぼう)せん。されど冢(ちょう)子(し)を殺(ころ)し、意(い)念(ねん)を奪(うば)ひ去(さ)りたるにより、霊魂(たましひ)が己(おのれ)の管轄(かんかつ)を全(まった)く遁(のが)るを推(すい)知(ち)し、もし霊魂(たましひ)が遁(のが)るるならば己(おのれ)の旨(むね)と行(こう)事(じ)とをおこなふ者(もの)は全(まった)く一人(いちにん)もあらざるべきを恐(おそ)れ、いよいよ傲慢(ごうまん)にして突進(とっしん)せん、故(ゆえ)に彼(かれ)は憂愁(ゆうしゅう)と誘惑(ゆうわく)と見(み)えざる戦(たたかひ)とを以(もつ)て霊魂(たましひ)を窘逐(きんちく)せん、茲(ここ)に於(おい)てか誘惑(ゆうわく)せらるべく、茲(ここ)に於(おい)てか試(こころ)みらるべく、茲(ここ)に於(おい)てか霊魂(たましひ)を埃及より引出(ひきいだ)せし者(もの)に対(たい)する霊魂(たましひ)の愛(あい)は顕然(けんぜん)明白(けいはく)とならん、何(なん)となれば彼(かれ)は種々(しゅじゅ)の試(こころみ)と誘(いざなひ)とに付(わた)さるればなり。

十三、 霊魂(たましひ)は敵(てき)の力(ちから)が襲(おそ)ふて己(おのれ)を殺(ころ)さんとすれども、その力(ちから)を有(ゆう)するにはあらざるを看(かん)破(ぱ)す、何(なん)となれば霊魂(たましひ)と埃及諸神(しょしん)との間(あひだ)に主(しゅ)は立(た)ち給(たま)へばなり。また其(その)己(おのれ)の目前(もくぜん)に憂愁(ゆうしゅう)と患難(かんなん)と失望(しつぼう)の海(うみ)のあるを看(かん)破(ぱ)す。しかれども既(すで)に備(そなへ)をなせる敵(てき)を見(み)て、後(しりへ)に退(しりぞ)かんことも前(まへ)に進(すす)まんことも能(あた)はざるべし、何(なん)となれば死(し)の畏懼(いく)と四(し)方(ほう)を、囲(い)繞(にょう)する種々(しゅじゅ)の恐(おそ)ろしき患難(かんなん)とは其(その)目前(もくぜん)に死(し)を見(み)せしむればなり。故(ゆえ)に霊魂(たましひ)は四(し)方(ほう)を囲(かこ)める悪者(あくしゃ)の蜂(ほう)起(き)の故(ゆえ)に自己(じこ)に依(い)頼(らい)せざるべし。されば神(かみ)は霊魂(たましひ)の死(し)を恐(おそ)れて落胆(らくたん)すると敵(てき)の彼(かれ)を呑(の)まんとするとを認(みと)むるや、其時(そのとき)霊魂(たましひ)に降(くだ)りて、果(はた)して信仰(しんこう)に堅(かた)く立(た)つか、愛(あい)を有(ゆう)するかを試(こころ)みて、かれに小(しょう)なる助(たすけ)をあたへん。けだし生命(いのち)に入(い)るの途(みち)はかくの如(ごと)く、憂愁(ゆうしゅう)と困迫(こんぱく)と多(おほ)くの試(し)練(れん)と最(いと)惨憺(さんたん)たる誘惑(ゆうわく)とを以(もつ)てすることは、神(かみ)の定(さだ)むる所(ところ)なり。ゆえにもし霊魂(たましひ)は猶(なほ)此(この)世(よ)に於(おい)ても死(し)を目前(もくぜん)に有(ゆう)し、限(かぎ)りなき憂愁(ゆうしゅう)の中(うち)に此(この)旅行(りょこう)を成(な)すならば、最(も)早(はや)其時(そのとき)は強(つよ)き手(て)と、高(たか)き臂(ひぢ)と、聖神(せいしん)の照明(しょうめい)とを以(もつ)て暗黒(あんこく)の力(ちから)を破(やぶ)るべく、恐(おそ)るべき場(ば)所(しょ)を通(つう)過(か)すべく、暗黒(あんこく)の海(うみ)とすべて焼盡(やきつく)さざる所(ところ)なき火(ひ)の海(うみ)とを渡(わた)らん。

十四、 真実(しんじつ)に人(ひと)に行(おこな)はるる心霊(しんれい)上(じょう)の奥(おう)秘(ひ)はかくの如(ごと)きものにして、人(ひと)は生命(いのち)の約束(やくそく)に入(い)らんを盡力(じんりょく)し、死(し)の国(くに)より救(すく)はれ神(かみ)より聘(へい)質(し)をうけて、聖神(せいしん)に與(あづか)るものとならん。其後(そののち)霊魂(たましひ)は敵(てき)より免(のが)れ、神(かみ)の力(ちから)を以(もつ)て惨憺(さんたん)たる海(うみ)を渡(わた)り、これより先(さき)に事(つか)へたる諸敵(しょてき)が其(その)目前(もくぜん)に於(おい)て亡(ほろ)ぶるを見(み)て、得(え)もいはれざる喜(よろこ)びを以(もつ)てよろこばん、而(しか)して神(かみ)の頌揚(しょうよう)慰撫(いぶ)する所(ところ)となりて、主(しゅ)に於(おい)て安息(あんそく)せん。其時(そのとき)霊魂(たましひ)が己(おの)れにうけたる神(しん)は羯皷(かっこ)を以(もつ)て、即(すなはち)体(たい)を以(もつ)て、線琴(せんきん)を以(もつ)て、即(すなはち)霊魂(たましひ)を以(もつ)て、その有言(ゆうげん)の絃(げん)により、即(すなはち)最(いと)精(せい)緻(ち)なる意(い)念(ねん)により、神(かみ)の恩寵(おんちょう)の鳴響(めいきょう)を以(もつ)て新(あらた)なる歌(うた)を神(かみ)に歌(うた)ひ、生活(せいかつ)を施(ほどこ)すハリストスに讃(さん)美(び)をささげん。けだし呼(こ)吸(きゅう)は笛管(てきかん)を通(とほ)り声(こえ)を発(はつ)する如(ごと)く、聖神(せいしん)も聖(せい)にして神通(しんつう)を得(え)たる人(ひと)の清(きよ)き心(こころ)に於(おい)て讃頌(さんしょう)頌(しょう)美(び)し、神(かみ)に祈(き)祷(とう)していはん、曰(いは)く『光栄(こうえい)は霊魂(たましひ)をファラオンの苦(く)役(えき)より救(すく)ひ給(たま)ひし者(もの)に帰(き)し、かれを猶(なほ)此(この)世(よ)にある間(あひだ)に永生(えいせい)の国(くに)にみちびき給(たま)ふ者(もの)に帰(き)す』と。

十五、 無(む)言(げん)なる動物(どうぶつ)は律法(りっぽう)により祭(まつり)に献(ささ)げられしかど、もし彼(かれ)は屠(ほふ)られざるときは、其(その)献納(けんのう)は善(よ)くうけられざりき。今(いま)ももし罪(つみ)は屠(ほふ)られずんば、献納(けんのう)は神(かみ)によろこばれずして、真実(しんじつ)なる献納(けんのう)とならざるなり。民(たみ)のメルラ[1]に来(きた)りしや、かしこにありし泉(いづみ)は苦(にが)くして、飲(いん)に適(てき)せざる水(みづ)を生(しょう)ぜり。ゆえに神(かみ)は惑(まど)へるモイセイに命(めい)じて、苦(にが)き水(みづ)に木(き)を投(とう)ぜしめたるに、その投(とう)ずるや、水(みづ)は直(ただち)に甘(あま)くなり、苦味(くみ)をうしなひ、神(かみ)の民(たみ)の為(ため)に飲(いん)に適(てき)する甘(かん)美(び)なるものとなりき。蛇(へび)の酒(さけ)を飲(の)み、蛇(へび)の苦(にが)き性(せい)をうけて罪(つみ)あるものとなりたる霊魂(たましひ)もかくの如(ごと)く苦(にが)し。ゆえに神(かみ)はその苦(にが)き心(こころ)の泉(いづみ)に生命(いのち)の水(みづ)を入(い)れ給(あま)ふ。されば霊魂(たましひ)は其(その)苦味(くみ)を脱(だつ)し、ハリストスの神(しん)を以(もつ)て鎔解(ようかい)せられて楽(たの)しまん、かくの如(ごと)くして主宰(しゅさい)に事(つか)ふる為(ため)に大(おほい)に必要(ひつよう)なるものとなりて、使(し)用(よう)せられん、何(なん)となれば肉身(にくしん)を被(こう)むりたる神(しん)となるによる。光栄(こうえい)は我(われ)等(ら)が苦(にが)きを甘(あま)きに変(へん)じ、神(しん)の善良(ぜんりょう)に変(へん)じ給(たま)ひし者(もの)に帰(き)す。生命(いのち)の樹(き)を入(い)れられざる者(もの)は禍(わざはひ)なる哉(かな)。彼(かれ)は何(なん)等(ら)の善良(ぜんりょう)なる変(へん)化(か)もおのれに受(う)くるあたはざるべし。

十六、 モイセイの杖(つえ)は二(に)様(よう)にあらはれたり、敵(てき)のためには噛(か)み殺(ころ)す蛇(へび)の如(ごと)くあらはれたれど、イズライリ人(じん)の為(ため)には凭(もた)るべき杖(つえ)としてあらはれたり。かくの如(ごと)く真実(しんじつ)なる十(じう)字架(じか)の木(き)即(すなはち)ハリストスは諸敵(しょてき)の為(ため)、又(また)凶悪(きょうあく)の諸神(しょしん)の為(ため)に死(し)なれども、我(われ)等(ら)の霊魂(たましひ)のためには杖(つえ)たり、倚(い)頼(らい)すべき柱石(ちゅうせき)たり、又(また)生命(いのち)たり、而(しか)して霊魂(たましひ)はこれに安(やす)んずるなり。此(これ)等(ら)の真実(しんじつ)なる実体(じったい)の象(しょう)と影(かげ)とはいにしへのすべてのものにこれありき。けだし旧約(きゅうやく)の奉神礼(ほうしんれい)も今(いま)の奉神礼(ほうしんれい)の影(かげ)と象(しょう)となればなり。されば割礼(かつれい)も幕(まく)屋(や)も、約櫃(やくひつ)も、「マンナ」も、神(しん)位(い)も、香(こう)も、洗浄(せんじょう)も、すべてイズライリ人(じん)とモイセイの律法(りっぽう)と諸(しょ)預(よ)言者(げんしゃ)とにありし所(ところ)のものは皆(みな)此(こ)の霊魂(たましひ)の為(ため)にして、神(かみ)の像(ぞう)により造(つく)られしも、苦(く)役(えき)の軛(やく)下(か)におちいり、惨憺(さんたん)たる暗黒(あんこく)の国(くに)に投(とう)ぜられたるものの為(ため)なりき。

十七、 神(かみ)は霊魂(たましひ)と親(しん)與(よ)を為(な)さんを欲(ほつ)し、王(おう)の新(しん)婦(ぷ)たらしめんが為(ため)に自(みづ)からかれを支(し)度(たく)し、かれを汚(お)穢(かい)より清(きよ)め、其(その)汚(お)名(めい)と恥(ち)辱(じょく)とを洗(あら)ひ雪(そそ)ぎて清明(せいめい)なるものとなし、死(し)より蘇(そ)生(せい)し、挫(ざ)折(せつ)を医(いや)し、其敵(そのてき)を滅絶(めつぜつ)して、和(わ)睦(ぼく)を行(おこな)ひ給(たま)ふ。彼(かれ)は受造物(じゅぞうぶつ)たるも王(おう)の子(こ)の新(しん)婦(ぷ)たるに備(そな)へらるるなり。神(かみ)は彼(かれ)をして其(そ)の自己(じこ)の齢(よはひ)に成長(せいちょう)せしめ、これを廣濶(こうかつ)にし、これを高尚(こうしょう)にして、無(む)限(げん)無(む)量(りょう)の成長(せいちょう)に達(たつ)せしめ、無(む)玷(てん)にして神(かみ)に応(おう)ずる新(しん)婦(ぷ)となるに至(いた)らしめざらん間(あひだ)は、その自己(じこ)の力(ちから)を以(もつ)て漸々(ぜんぜん)に変(へん)化(か)して彼(かれ)をうけんとす。彼(かれ)が神(かみ)に対(たい)する愛(あい)の完全(かんぜん)なる量(りょう)をうくるに至(いた)らざらん間(あひだ)は、先(ま)づ自(みづ)から彼(かれ)を生(う)みて、自(みづ)から彼(かれ)を成長(せいちょう)せしむ、何(なん)となれば彼(かれ)は自(みづ)から完全(かんぜん)なる新郎(しんろう)として、彼(か)れ完全(かんぜん)なる新(しん)婦(ぷ)をも婚姻(こんいん)の聖(せい)なる奥密(おうみつ)なる、及(およ)び清潔(せいけつ)なる親(しん)與(よ)にうけんとすればなり。其時(そのとき)彼(かれ)は新郎(しんろう)と共(とも)に限(かぎ)りなき世(よ)に王(おう)たらん。アミン。

脚注 

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  1. ↑ 投稿者註:「メルラ」は文語訳旧約聖書では「メラ」。