<< 法下にありし事の譬解。 >>
一、 モイセイの面にあらはれし光栄は真実なる光栄の象なりき。かしこにイウデヤ人はモイセイの面を仰ぎ見るあたはざりし如く、今も「ハリステアニン」が彼の光栄を霊魂にうくるときは、暗黒は此光耀に得堪へずして、眩まされたるものは逃走せん。且イウデヤ人は割礼によりて自分は神の民たるを示せり。しかれどもここに神に選ばれたる民は〔ティト二の十四〕其心の内部に割礼の表示をうく、何となれば天の剣は智の餘を裁割す、即罪の不潔なる餘を裁割すればなり。彼等には肉身を聖にするの洗礼ありたれど我等には聖神と火とを以てするの洗礼あり。けだしイオアンはこれを傳へて言へり、『彼は聖神と火とを以て汝等に洗を授けん』〔マトフェイ三の十一〕。
二、 かしこには内部の幕と外部の幕とありて『第一の幕には司祭等恒に入りて奉事を行ひ、第二の幕には独り司祭長のみ一年に一度血を携へずんばあらずして入り、此を以て聖神は先の幕の猶存する時は、聖所に入る途の未だ啓かれざるを示す』〔エウレイ九の六、八〕。しかれどもここに入るを賜はる所の者は手の造る所にあらざる幕に入る、即『ハリストスが我等のために先駆として入りし所』〔エウレイ六の二十〕の幕に入るなり。律法に於ては司祭に二の鳩を取るを命ぜられ、一を屠りて他の生者をば其血をそそぎて、自由に飛ばしめたり。しかれども此行為も真実の象と影となりき。けだしハリストスが屠られて我等にそそぎたまひし血は羽翼を生ぜしむればなり、何となれば神性の大気に自由に飛揚する聖神の羽翼を我等にあたへ給へばなり。
三、 イウデヤ人には石版にしるしたる律法をあたへられたれども、我等には心の肉版にしるさるる神的律法をあたへられたり。けだしいふあり、『我が律法を彼等の心に置き、其思にしるさん』〔イエレミヤ三十一の三十三〕。されば彼はすべて廃止せらるべき一時的の者にてありたれど、今は実にすべては内部の人に行はるるなり、何となれば許約は内部にあればなり、一言にてこれをいへば『此の諸事は彼等に遇ひて象となれり此等の録されしは我等の警とならんためなり』〔コリンフ前十の十一〕。神はアウラアムに未来を預言していへり、『爾の子孫他人の国に旅人となりて其人々に事へん、彼等四百年の間之を悩まさん』〔創世記十五の十三〕。これまた影の象たりき。民は移されて埃及人等に奴使せられ、粘土と磚とを以て苦められたり。ファラオンはイズライリ人に作事の看守者と監査とを附して、其事を必ず為さざるを得ざらしめたり。しかれどもイズライリの諸子が苦役の中にありて、神の前に嘆息するや、神はモイセイによりて彼等に憐を垂れ給へり、されば多くの罰を以てエギペト人を驚かし、もはや厳冬を過ぎて春のあらはるるや、花の月に於て彼等を埃及より引出し給へり。
四、 神はモイセイに疵なき羔を取り、これを屠りて、其血を閾と門とに塗るを命じたまへり、埃及の冢子を亡す者のこれに触れざらんためなり、けだしつかはされたる天使は血の表示を遥に見て、自からこれを避け、表示のあらざる家に入りて、あらゆる冢子を殺したればなり。然のみならず何れの家よりも発酵する物を除かんことを命じ、屠られたる羔を無酵麺包と苦き草と併て食ふべきを誡命し給へり。而してイズライリ人はこれを食ふに腰に束帯し、足に履はき、手に杖を有せざるべからざりき。かくの如くして主に「パスハ」を晩餐に於て全く謹みて食し、羔の骨を折るべからざるを命ぜられたりき。
五、 また彼等にはおのおのその隣の埃及人より金銀器物を借るを命じて、許多の金銀と共に彼等を引出せり。而して彼等は埃及人が其冢子を葬るとき、埃及より出でたり。一方には苦役より救はれたる為の喜ありて、又一方には児を亡ひたるの哭泣と嘆息とありき。ゆえにモイセイは言へり、これ神が我等をすくはんことを約し給ひし夜なりと。しかれども此のすべてはまたハリストスの来るによりて救はれたる霊魂の奥秘なりき。けだしイズライリといふ言は訳すれば神を見る智慧といふ義にして、彼は闇黒の苦役と埃及の諸神とより免れて自由を得たればなり。
六、 けだし人は悖逆により恐るべき霊魂の死を以て死して、詛に詛を受く、言ふあり、『地は汝のために荊棘と薊とを生ずべし』〔創世記三の十八〕と、また言ふあり、地を耕すべし、汝の為に其果を生ぜざらんと、ゆえに其心の地に荊棘と薊と生じて成長せり。敵は詭計を以て彼の栄をうばひ、耻を以て彼にかうむらしめたり。彼の光はうばはれて彼は暗を衣たり。彼の霊魂を殺し、彼の意思を散乱滅裂し、彼の智を高きより落して、人即イズライリは眞のファラオンの奴隷となれり、ゆえに彼れファラオンは人の為に看守者と監査、即悪なる諸神を置き、人をして自由と不自由とに関はらず、悪なる行事を強て為さしめ、粘土にて磚を作らしむるなり。人を思想の天の状態より遠ざけたる者は人を姦悪なる、物質的なる地と泥土的なる行為に引落し、徒らなる言と思と慮とに引落せり、何となれば霊魂は高きより堕落して、人を憎悪するの国と残忍なる君とを迎へたれば、彼等は霊魂をして強て罪悪の城市を築かしめんとす。
七、 しかれどももし霊魂は慨嘆して神に號ふならば、埃及の苦役より救はんとする霊界のモイセイを彼に降し賜はん。さりながら先づ呼んで嘆息すべし、さらば其時に救の始を見ん。されば霊魂は新なる花の月、良春の候、心の田が美しき花を産する義の嫩枝を発生する時に当りて、昏まされたる無智と大なる盲昧の厳冬がすでに過ぎたる後に救をうけん、即耻づべき行為と罪の結果の過ぎたる後に救を受けん。然のみならず其時神は各人の家より一切の旧酵を除き、腐敗せる旧き人の行と智と悪念と不潔なる考とを出来るだけ棄つるを命じ給はん。
八、 羔を屠りて祭に献じ、其血を以て閾を塗らんこと肝要なり、何となればハリストス真実良善なる疵なき羔が屠られて、其血を以て心の閾を塗らるるによる、これ十字架の上にそそがれたるハリストスの血が霊魂の為に生命となり、救となりて、埃及人即魔鬼の為には哀となり又死となるを致さん為なり。けだし疵なき羔の血は彼等のために実に哀みなれども、霊魂のためには喜びなり、又楽みなり、次にこれを塗りたる後、神は命じて腰に帯し、履を穿ち、手に杖を持ちて、羔と無酵麺包とを苦き草と共に晩餐に食せしむ。けだしもし霊魂は先づ百方盡力して出来るだけ善行を以て備ふるあらずんば、羔を食ふをゆるされざるなり。しかれども羔は旨く、無酵麺包は味好しといへども、草は苦くして渋し、何となれば霊魂は其居る所の罪の故に哀み、多くの憂愁と悲痛とを以て羔と善良なる無酵麺包とを味ふによる。
九、 また晩餐に羔を食ふを命ぜられて、晩餐の時は光と暗との中間をなす。かくのごとく霊魂も此の救の先には光と暗との中間にあり、何となれば当時神の力は彼と共にありて、暗黒をして霊魂に入りて彼を呑むをゆるさざればなり。さればモイセイがこれ神の約束の夜なりといひし如く、ハリストスも会堂に於て巻をあたへられし時、これを名づけて、主の禧年といひ、救の日といひしことは録する所の如し〔ルカ四の十八〕。かしこに於て報復の夜は此処に於ては救の日なること是れ当然なり、何となればかしこに於てはすべては真実の象と影とにして、奥密に豫象を以て霊魂の救を預め録されたればなり、けだし霊魂は暗中に幽せられ、縛して地獄の坑に匿はれ、銅門を以て閉されたれば、ハリストスによりて救はるるなくんば免るあたはざりしなり。
十、 ゆえに埃及の冢子を殺して出づる時に於て、霊魂を埃及より、又埃及の苦役より引出さん、何となれば真のファラオンの力の或部分は既に衰へたればなり、囚虜の救はるるを哀みたる埃及人は泣て嘆息せん。神は埃及人より金銀の器物を借り、これを携へて埃及より出るを命じ給ふ、何となれば霊魂は暗黒より出で来りつつ金銀の器物、即七倍を以て焼かれたる自己の善良なる意念を自から携ふべくして、神はこれを其奉事に用ふるをゆるして、これに安んじたまふによる、しかれども先きに霊魂の隣たりし魔鬼は彼の意念を散乱し、彼を占領し、彼を費したりき。暗黒よりまぬかれて自由を得たる霊魂は福なり。されど彼の残忍酷薄なる監督者より救ふを能くする者に向つて慨嘆せず号泣せざる霊魂は禍なる哉。
十一、 イズライリの諸子は「パスハ」をおこなひて、途に出発したりしが、霊魂は聖神の生命をうけ、羔を食ひ、其血を塗りて、真実の餅、即生活の言を以てやしなはれて、大に発達するなり。火柱と雲柱は イズライリ人を護衛して、かれらに先だちしが、聖神は霊魂を扶持し、これを悟覚せしめて「ハリステアニン」を堅むるなり。ファラオンと埃及人は民の逃走し、イズライリ人の工作をうしなひしを聞知して、冢子を殺したる後、敢て彼等を追跡せり。ファラオンは直ちに其車に駕し、衆民と共に彼等を殄滅せんと、急ぎて彼等の中間にすでに突進せんとするや、雲あり其中間にかかりて、一を遮り暗まして、他を照し且護りたりき。さて余は歴史を反復して説話の長くならんことを恐る、ゆえにこれを霊界の事に応用することはすべて自から見出すべし。
十二、 霊魂の埃及より走るや、神の力は来り助けて、これを真理にみちびかん。霊界のファラオン、罪なる暗黒の王は霊魂の背きて其国を逃れ、その久しく占領したる意念、即その所有物を奪ひ去るを偵知す、しかれども虐者は霊魂の再び帰り来らんを預想し且希望せん。されど冢子を殺し、意念を奪ひ去りたるにより、霊魂が己の管轄を全く遁るを推知し、もし霊魂が遁るるならば己の旨と行事とをおこなふ者は全く一人もあらざるべきを恐れ、いよいよ傲慢にして突進せん、故に彼は憂愁と誘惑と見えざる戦とを以て霊魂を窘逐せん、茲に於てか誘惑せらるべく、茲に於てか試みらるべく、茲に於てか霊魂を埃及より引出せし者に対する霊魂の愛は顕然明白とならん、何となれば彼は種々の試と誘とに付さるればなり。
十三、 霊魂は敵の力が襲ふて己を殺さんとすれども、その力を有するにはあらざるを看破す、何となれば霊魂と埃及諸神との間に主は立ち給へばなり。また其己の目前に憂愁と患難と失望の海のあるを看破す。しかれども既に備をなせる敵を見て、後に退かんことも前に進まんことも能はざるべし、何となれば死の畏懼と四方を、囲繞する種々の恐ろしき患難とは其目前に死を見せしむればなり。故に霊魂は四方を囲める悪者の蜂起の故に自己に依頼せざるべし。されば神は霊魂の死を恐れて落胆すると敵の彼を呑まんとするとを認むるや、其時霊魂に降りて、果して信仰に堅く立つか、愛を有するかを試みて、かれに小なる助をあたへん。けだし生命に入るの途はかくの如く、憂愁と困迫と多くの試練と最惨憺たる誘惑とを以てすることは、神の定むる所なり。ゆえにもし霊魂は猶此世に於ても死を目前に有し、限りなき憂愁の中に此旅行を成すならば、最早其時は強き手と、高き臂と、聖神の照明とを以て暗黒の力を破るべく、恐るべき場所を通過すべく、暗黒の海とすべて焼盡さざる所なき火の海とを渡らん。
十四、 真実に人に行はるる心霊上の奥秘はかくの如きものにして、人は生命の約束に入らんを盡力し、死の国より救はれ神より聘質をうけて、聖神に與るものとならん。其後霊魂は敵より免れ、神の力を以て惨憺たる海を渡り、これより先に事へたる諸敵が其目前に於て亡ぶるを見て、得もいはれざる喜びを以てよろこばん、而して神の頌揚慰撫する所となりて、主に於て安息せん。其時霊魂が己れにうけたる神は羯皷を以て、即体を以て、線琴を以て、即霊魂を以て、その有言の絃により、即最精緻なる意念により、神の恩寵の鳴響を以て新なる歌を神に歌ひ、生活を施すハリストスに讃美をささげん。けだし呼吸は笛管を通り声を発する如く、聖神も聖にして神通を得たる人の清き心に於て讃頌頌美し、神に祈祷していはん、曰く『光栄は霊魂をファラオンの苦役より救ひ給ひし者に帰し、かれを猶此世にある間に永生の国にみちびき給ふ者に帰す』と。
十五、 無言なる動物は律法により祭に献げられしかど、もし彼は屠られざるときは、其献納は善くうけられざりき。今ももし罪は屠られずんば、献納は神によろこばれずして、真実なる献納とならざるなり。民のメルラ[1]に来りしや、かしこにありし泉は苦くして、飲に適せざる水を生ぜり。ゆえに神は惑へるモイセイに命じて、苦き水に木を投ぜしめたるに、その投ずるや、水は直に甘くなり、苦味をうしなひ、神の民の為に飲に適する甘美なるものとなりき。蛇の酒を飲み、蛇の苦き性をうけて罪あるものとなりたる霊魂もかくの如く苦し。ゆえに神はその苦き心の泉に生命の水を入れ給ふ。されば霊魂は其苦味を脱し、ハリストスの神を以て鎔解せられて楽しまん、かくの如くして主宰に事ふる為に大に必要なるものとなりて、使用せられん、何となれば肉身を被むりたる神となるによる。光栄は我等が苦きを甘きに変じ、神の善良に変じ給ひし者に帰す。生命の樹を入れられざる者は禍なる哉。彼は何等の善良なる変化もおのれに受くるあたはざるべし。
十六、 モイセイの杖は二様にあらはれたり、敵のためには噛み殺す蛇の如くあらはれたれど、イズライリ人の為には凭るべき杖としてあらはれたり。かくの如く真実なる十字架の木即ハリストスは諸敵の為、又凶悪の諸神の為に死なれども、我等の霊魂のためには杖たり、倚頼すべき柱石たり、又生命たり、而して霊魂はこれに安んずるなり。此等の真実なる実体の象と影とはいにしへのすべてのものにこれありき。けだし旧約の奉神礼も今の奉神礼の影と象となればなり。されば割礼も幕屋も、約櫃も、「マンナ」も、神位も、香も、洗浄も、すべてイズライリ人とモイセイの律法と諸預言者とにありし所のものは皆此の霊魂の為にして、神の像により造られしも、苦役の軛下におちいり、惨憺たる暗黒の国に投ぜられたるものの為なりき。
十七、 神は霊魂と親與を為さんを欲し、王の新婦たらしめんが為に自からかれを支度し、かれを汚穢より清め、其汚名と恥辱とを洗ひ雪ぎて清明なるものとなし、死より蘇生し、挫折を医し、其敵を滅絶して、和睦を行ひ給ふ。彼は受造物たるも王の子の新婦たるに備へらるるなり。神は彼をして其の自己の齢に成長せしめ、これを廣濶にし、これを高尚にして、無限無量の成長に達せしめ、無玷にして神に応ずる新婦となるに至らしめざらん間は、その自己の力を以て漸々に変化して彼をうけんとす。彼が神に対する愛の完全なる量をうくるに至らざらん間は、先づ自から彼を生みて、自から彼を成長せしむ、何となれば彼は自から完全なる新郎として、彼れ完全なる新婦をも婚姻の聖なる奥密なる、及び清潔なる親與にうけんとすればなり。其時彼は新郎と共に限りなき世に王たらん。アミン。
- ↑ 投稿者註:「メルラ」は文語訳旧約聖書では「メラ」。