埃及マカリイ全書/第十九講話

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第十九講話[編集]

<< おほいしんして成長せいちょうせんとほつする「ハリステアニン」はおのれおよそのぜんふべし、そのところつみよりすくはれて、聖神せいしんてられんためなり。 >>

一、しゅきて、永生えいせいたまはり、ハリストス第宅だいたくとなり、聖神せいしんてられて、しんむすび、純然じゅんぜんにしてむべきなく、ハリストス誡命かいめいすをんとほつするものは、まづ第一だいいちしゅかたしんじて、その誡命かいめいすすめにまったおのれゆだね、すべてにはなるるをもつはじめざるべからず、はすべて如何いかなる有形物ゆうけいぶつにも占有せんゆうせられざらんためなり。またかれしんもつしゅぼうして、しゅめぐみたすけとをつねち、いかなるときにもいちその目的もくてきとなして、だんとうもっぱらならんことをようす。其後そののちかれはそのところつみゆえに、もろもろの善行ぜんこうしゅことごとくの誡命かいめいおこなふにおのれひんことをようするなり。たとへばいかなるひとまへにもへりくだるにおのれひ、おのれを何人なんびとよりも劣悪れつあくなるものおもふて、人々ひとびとうちたれよりも尊敬そんけいあるひ賞讃しょうさんあるひめいもとめざること、福音ふくいんきょうにしるせるごとくして、唯一ゆいいつしゅその誡命かいめいとをつね眼前がんぜんゆうし、こころ温柔おんじゅうもつひとかれよろこばれんことをねがふべし、しゅごとし、いはく『われまなべ、われこころ温柔おんじゅうにして謙遜けんそんなればなり、なんぢそのたましひ安息あんそくん』〔マトフェイ十一の二十九〕。

二、 これとおなじく出来できるだけ慈悲じひなるものとなり。善良ぜんりょうなるものとなり、仁心じんしんなるものとなり、ぜんなるものとなるにおのれをらすことしゅのいふごとくすべし、いはぜんにしてかつなること『なんぢてんちちれんなるごとくすべし』〔ルカ六の三十六〕。またいふ『なんぢもしわれあいさばいましめまもれ』〔イオアン十四の十五〕、また『ちからつくしてせまもんよりれ』〔ルカ十三の二十四〕。ことしゅ謙遜けんそん生活せいかつ温柔おんじゅう人々ひとびとまじはりしことをもつかんとなし、これをおくたもちてわすれざるべし、つねしんかつもとめて、とうもっぱつとむべし、これしゅきたりてかれりて、かれことごとくの誡命かいめいおこなふにぜんせしめ、かつこれをかためんがためにして、しゅみづからかれ霊魂たましひ住所すまひとならんためなり。かくのごとくならば、今日こんにちにんならざるこころしひところのものは、早晩いつかにんべくして、けんにしておのれぜんらし、つねしゅおくし、だんだいなるあいもつしゅたん。其時そのときしゅかれかくごとにんぜんなる勉励べんれいとをまたしゅおくするにおのれふると、はんするもおのれこころぜん謙遜けんそん温柔おんじゅうあいとにだんみちびき、くするだけまった盡力じんりょくしてこれをみちびくをば、われふ、其時そのときしゅその恩恵おんけいかれほどこし、聖神せいしんかれにみたして、かれ其敵そのてきかれところつみよりすくたまはん。其時そのときかれはや盡力じんりょくろうもなくしてしゅことごとくの誡命かいめいじつにおこなはん、確言かくげんすればしゅみづからその誡命かいめいかれおいおこなひて、かれ其時そのときしんじゅんむすばん。

三、 さりながらしゅものはかくのごと第一だいいちこころのぞみはんするもおのれぜんひ、つねうたがひなき信仰しんこうもつしゅあはれみつべし、もしたれあいゆうせずんばおのれあいふべく、もし温柔おんじゅうゆうせずんば、おのれ温柔おんじゅうふべく、けい忍耐にんたいすると、けいせらるるときは、大量たいりょうなるものとなると、いやしめあるひざんせらるるときは、いからざらんことにおのれふべし、ふあり、いはく『あいものよ、おのれあだかへすなかれ』と〔ロマ十二の十九〕、もしたれ霊神的れいしんてきとうゆうせずんば、おのれとうふべし。かかるあひおいては、かみひとのかくのごと奮闘ふんとうし、こころのぞみはんするも盡力じんりょくしておのれ制御せいぎょするをて、ひと真実しんじつなる霊神的れいしんてきとうをあたへ、真実しんじつなるあい真実しんじつなる温柔おんじゅう寛大の心と、真実しんじつなる善心ぜんしんとをあたへん、一言いちげんにていはばひと霊神れいしんじょう充実じゅうじつせしめたまはん。

四、 もしたれとうゆうせずして、とう恩寵おんちょうゆうせんがためにただいつとうおのれふるも、温柔おんじゅうと、謙遜けんそんと、あいと、その誡命かいめいすにおのれひず、これらの諸徳しょとくしんするをおもんばからず、ろう盡力じんりょくとをくはへずんば、そのにんゆうなるのぞみとにしたがひ、そのねがひじゅんじてとう恩寵おんちょうあるひ一分いちぶんあたへられ、心神しんしんあんらくるありといへども、品性ひんせいおいてはぜんとしてもとごとそんせん。かれ温柔おんじゅうゆうせず、なんとなればろうたづねず、温柔おんじゅうなるものとなるにおのれをじゅんせざればなり、謙遜けんそんゆうせず、なんとなればこれをもとめずして、これにおのれひざればなり、衆人しゅうじんあいゆうせず、なんとなればとうねがふも、これがためみづからおもんばからずして、盡力じんりょくをあらはさざればなり。ことつとむるにあたりかみたいしてしんぼうゆうせず、なんとなればかれおのれれり、しかれどもおのれにこれをゆうせざる所以ゆえんみとめず、ゆえにしゅけるのかた信仰しんこうと、しゅたいする真実しんじつぼうとをしゅもとめんがためうれひてろうせざればなり。

五、 ひとはおのおのこころほつするところはんするも、とうおのれかつめんことをようするごとく、ぼうにも、謙遜けんそんにも、あいにも、温柔おんじゅう誠実せいじつおよ正直せいちょくにも、ことごとくの忍耐にんたいにも、かつ耐久たいきゅうにもおのれふべく、ろくするところごとく、よろこんで〔フェサロニカ前五の十六おのれひんことをようす、またみづからおのれひくうして、おのれもつてまづしきものとなし、およすえなるものすにおのれひ、またえきなるだんいつもなさずして黙想もくそうし、こころもつてもくちもつてもつねかみぞくするところのことをふにおのれひ、げきせず、さけばざることにおのれふることろくしていふごとくすべし、いはく『およそにがみ恚憾いきどほり忿怒いかり誼譟さわぎ謗讟そしりおよそ毒悪どくあくともなんぢうちよりらるべし』〔エフェス四の三十一〕、また品性ひんせいおいてはすべてしゅることにおのれをひ、およそ徳業とくぎょうぎょうぜんにしてなる生活せいかつおよ交際こうさいけるの善良ぜんりょうすべての温柔おんじゅう謙遜けんそんと、ほこらず、たかぶらず、自負じふせずして、たれことしくはざるにおのれをひんことをようするなり。

六、 おほい練達れんたつなるものとなりて、ハリストスよろこばれんをねがものは、のすべてのものにおのれひんことをようす、しゅときおいかれ如何いかなる熱心ねっしんにんとをもつおよそ善良ぜんりょう正直せいちょくれん謙遜けんそんあいとにおのれひ、ちからいだしておのれ奨励しょうれいするをて、かれおのれまったたまはらんためなり、またしゅみづからこれよりさきかれところつみゆえかれ盡力じんりょくすといへどもまもるあたはざるところのすべてをろう盡力じんりょくとなしにまった清潔せいけつ真実しんじつさしめんためなり。其時そのとき徳行とくこうけるすべての練習れんしゅうは、かれため天性てんせいごとくなるべく、つひしゅきたりてかれり、かれしゅりて、しゅみづからかれれいさしめつつ、自己じこ誡命かいめいかれおいすくおこなはしめん。されどもしひとかみよりたまものをうけざるあいだおのれいつとうふるも、これと同様どうよう前文ぜんぶんかかげたるもろもろ徳行とくこうおのれひず、しひおこなはしめず、かつらさざるときは、これらの徳行とくこう純然じゅんぜん間然かんぜんするなく、じつ成就じょうじゅせしむるあたはざるべし。これにはんして出来できるだけおのれをぜんじゅんすることはとうおなじく肝要かんようなり。けだしときとしてかみ恩寵おんちょうかれねがひ懇求こんきゅうとによりて、かれきたることあらん、なんとなればかみぜんにして憐憫れんびんなるにより、かみねがものそのねがところのものをたまはればなり。しかれどもひとまへべたる徳行とくこうゆうせず、おのれをこれにならはさず、かつじゅんせずんば、たとへ恩寵おんちょうくるあらんも、けしのちこれをうしなひ、高慢こうまんによりて失墜しっついすべく、あるひそのあたへられたる恩寵おんちょうおいしんせず、また成長せいちょうせざらん、なんとなればまったくのにんもつしゅ誡命かいめいおこなふにおのれゆだねざればなり。けだし謙遜けんそんあい温柔おんじゅうそのしゅ誡命かいめいしんため居所きょしょとなり、安息あんそくとなるなり。

七、 ゆえにじつかみよろこばして、かみよりてんぞくするしん恩寵おんちょうけ、聖神せいしんにより成長せいちょうして、成全せいぜんならんことをほつするものは、しゅことごとくの誡命かいめいをおこなふにおのれかつひて、そのはんするも、こころをこれにしたがはしめんことをようす、ふあり、いはく『われなんぢことごとくのめいみとめてみなこれただしとし、ことごとくのいつはりみちにくむ』〔聖詠百十八の百二十八〕。或者あるものとうおほいしんせざるあいだは、これをつとむるにおのれかつめん、これと同様どうようもし徳行とくこうをすべて練習れんしゅうするにおのれかつめんとほつするならば、ぜんなる習慣しゅうかんおのれならはさん、かくのごとくならばだんしゅねがひ、かついのりて、ねがふところのものをけ、かみかんめ、聖神せいしんあづかるものとなるをて、聖神せいしんかれ謙遜けんそんあい温柔おんじゅうとに安息あんそくしてかれにあたへたるたまものちょうぜしめ、かつはなひらかしめん。

八、 しんみづからこれらのものをかれたまふて、かれ真実しんじつなるあい真実しんじつなる温柔おんじゅうとをおしへん、さきかれおのれをこれにひ、これをたづね、これがためしんかつりょしたりしが、つひかれにあたへらるるなり。かくのごとくなればかれかみおい成長せいちょう成全せいぜんなるをて、天国てんこくとなるをたまはらん、なんとなれば謙遜けんそんなるものけつしておちいらざればなり。すべてのものよりしたもの何処いづこにかおちいるべき。高慢こうまんおほいなる屈辱くつじょくなり。しかれどもけんおほいなる卓越たくえつなり、尊敬そんけいなり、かつこうなり。ゆえにわれしんはんするといへども、謙遜けんそん温柔おんじゅうあいとにおのれかつひ、しんぼうあいとをもつだんかみねがかついのりて其神そのしんわれこころにつかはしたまはんことをち、かつこれをじゅくせん、しかときしん真実しんじつとをもつかみいのかつはいすることをん。

九、 さればしんはみづからわれいま盡力じんりょくすといへどもあたはざる真実しんじつとうおしへ、また寛大の心善良ぜんりょうとをおしへ、しゅことごとくの誡命かいめいかなしみなく、ふるなうしてじつおこなはしめ、しんみづからごとそのもつわれたしむるところのものをおしたまはん。かくのごとわれひとしゅむねかみしんもつかみことごとくの誡命かいめいおこなひ、しんみづからおのれおいわれ成全せいぜんにし、すべてのかいつみなるけつとよりきよめられたるわれおいそのたつするときは、しんわれ霊魂たましひなるしんごとく、清潔せいけつにして間然かんぜんするところなきものとして、ハリストスにささげん、しからばわれかみかみくに安息あんそくするをて、かみわれ世々よよかぎりなくやすんじたまはん。光栄こうえいかれ宏恩こうおんれんあいとにす、けだし人間にんげん如此かくのごとき尊敬そんけいえいとをたまひ、人々ひとびとてんちちとなるをたまふて、かれおのれ兄弟けいていづけたまへばなり。光栄こうえいかれ世々よよす。アミン。