公教要理説明/00-02

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しょげん[編集]

しょげん[編集]

とは、まへがきって、ほんぶんまへかきそへたものである。

1●ひとなによりだいじなものはなにであるか[編集]

ひとなによりだいじなものはしうけうであります。

だいじとは、くてはまぬもの。

なによりだいじ[編集]

とは、ほかすべてのものよりもなほだいじいみである。

ひとだいじなものはおほい、たとへばからだにはいしょく ぢゅう きんせんなどれいこんにはきょういくとくがくもんなどほとんかぞへきれぬほどある。しう

[下段]

けうほかのものよりだいじはれるのは、ほかのものはみなこのよかぎりであるのに、しうけうばかりはこのよのちのよともえきするからである。

ちゅうにほんしうけうおほいのと、せかいぢうむしうけうくにいのは、しうけうだいじであるといふせうこる。またむしうけうしゃでもそうしきしうけうたのむのは、しうけうのちのよえきするといふことせうこる。

2●しうけうとはなにであるか[編集]

しうけうとはてんしゅたいするひとみちであります。

ひとみち[編集]

とは、にんげんみなぜひまもらねばならぬもの、はなれてはならぬものをふ。

むかしからのきんげんに「みちかたときはなるべからず、はなるべきはみちにあらず」とはれたとほり

おやたいするみちかうゝゝひ、きみたいするみちちうぎひ、てんしゅたいするみちしうけうふ。みちまもらぬならばにんげんにあはぬものとるから、ぜひみちまもるべきことれうしんもっめられる。

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(ちゅう) みちすべでどころゆくさきとによってきまる、たとへばどこからどこまでのみちまたゆくさきなければみちらぬ。にんげんどこからたかとふに、からだおやから、れいこんいのちちえのうりょくなどてんしゅからたのである。それせけんでもてんりんてんさいてんせいなどってる。またどこくかとふに、おやからからだゐぞくのこしてはかくさり、てんしゅかられいこんよびだされててんしゅかへる。でどころてんしゅゆくさきてんしゅなればみちてんしゅによるはずである。きんげんに「せいめいあり」とあるが、ことうまれることとがてんしゅめいによるものなれば、れうはしばかりでなく、せうがいてんしゅめいによらねばならぬ。

3●なぜしうけうなによりだいじであるか[編集]

このとひなぜしうけうるかととひとはちがふ。なぜしうけうるかとはゞ、たゞてんしゅがあるからである。てうおやがあるからかうゝゝる、きみがあるからちうぎるのとおなだうりである。おやきみがなかったならかうゝゝちうぎるまい。そのごとてんしゅがないならばしうけうるまい。しかおやあってひとできごとく、てんしゅあってこそひとなにできるのである

[下段]

から、ひとおんらぬものらず、ぜひてんしゅみとめてこれありがたがりをがみ、そのめいまもらねばならぬ。これしうけうであって、しうけうかならわけである。

ちゅうしうけうるのは、あんしんりつめいためひとあれど、あんしんかならだうりもとづかねばならぬ、てんしゅいならいのであんしんするのがほんたうである、いのにるがごとしうけうまもるのは、かへってふあんしんる。

しうけうなによりだいじであるのは[編集]

しうけうによらねばひとみちまったうすることできず、またまことさいはひことできぬからであります。

みちまったふす[編集]

とは、にんげんみちまったく、かけなく、まもるとのいみ

しうけうなによりだいじであるとのわけへば、おもふたつある。すなはだいしうけうひとみちいちぶぶんであって、これまもらねばみちける。だいしうけうさいはひみちであって、まことさいはひたいとおもふならば、しうけうまもらねばならぬからである。このふたつわけつぎとひもっあきらかにする。

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4●なぜひとみちまったうするにはしうけうるか[編集]

ひとなにほどがくしゃであっても、れいこんぜうだうりらねばらず、なにほどりんみちまもっても、てんしゅたいするつとめおこたらば、ひとみちけるからであります。

がくしゃ[編集]

とは、ものしりで、くゎがくをさめてがくもんひろひと

れいこんぜうだうり[編集]

とは、れいこんでどころゆくさきゆくみちなどこと

ごりん[編集]

とは、ひともっとしたしいいつゝつゞきあひすなはくんしんふしふうふてうえうほういうあひだがら

ごりんみち[編集]

とは、五ぜうって、ひとつねまもるべきいつゝぎりすなはくんしんふししんふうふべつてうえうじょほういうしんである。けういくちょくごに「しんみんよちうに………ふぼこうに、けいていいうに、ふうふあいわし、ほういうあいしんじ」とあるがごとし。

みちまったうするには、づ(一)これってさうして(二)まもらねばならぬが、しうけうこれことまもこととのれうほうる、これるのはがくもんぞくし、まもるのはじっかうあたる。しうけう

[下段]

らぬならばがくもんらず、まもらぬならばひとみちけるのである。

(一)ること。がくもんではいろゝゝことまなぶ、たとへばどうぶつがくではとりけものことしょくぶつがくではきくさことせいがくすなはてんもんがくではひつきほしことれきしではむかしからのできごとちりがくではくにゞゝありさまなどがくくゎはなかゝゝおほい、またひろい。りながらおよみなよそことまなばかりで、じぶんなんためこのよるか、どこからどこくか、くべきみちどうかとこといてはさらをしへぬ。しうけうによってばかりこれれるものである。いくらがくしゃでもれいこんぜうだうりらぬならば、なかゝゝはずはない、よそことっても、おのれうへらぬからである。

(二)まもること。せけんでは、五りんみちまもりさへすればいとひとおほけれどいかんせん、ほかに一ばんおやなるてんしゅのあるのを。ばんぶつできたのと、われゝゝいきながらへるのは、おやはからひであろうか、いなこれこそてんしゅおはからひである。またおやくなっても、てんしゅくなるものではない、これたいするつとめ

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おこたってはひとみちける、ひとみちまったうしたとははれぬ。それみちまったうするに、すなはるのにも、まもるにもぜひしうけうる。

5●なぜまことさいはひるにしうけうるか[編集]

しうけうほかに、つみゆるされるみちまたみらいさいはひみちはないからであります。

まことさいはひ[編集]

とは、どこまでもまんぞくすることこのよではなかなかまれである。

みらいさいはひ[編集]

とは、んでからのをはりなきさいはひである。

にんげんしきりさいはひのぞむが、これむりでない、もとよりさいはひけるためつくられたひとだもの、またたいていさいはひではらず、まことさいはひでなければまんぞくされぬ。まことさいはひうきよたからたのしみにあるのでない、こゝろにある。すなはひとみちまもって、かゝことなく、りっぱあんしんすることきはまる。またこのよいちじさいはひでもらず、みらいさいはひすなはのちのよをはりなきさいはひもなければ、まことさいはひとははれぬ。このよさいはひたとおもっても、つまりのちのよさいはひぬならばなんにもらぬ。

[下段]

おもまことさいはひさまたげるものは、みちやぶり、てんしゅそむことすなはつみをかことである。つみきがかりあらばあんしんならず、はやかれおそかれそのばつはずさうしておほいみちやぶれば、ぢごくほかゆくさきがない。

つみゆるしけるには、かねでもものでもらず、てんしゅそむいたことなれば、しうけうもって、てんしゅたちかへほかに、ゆるされるみちはない。またのちのよさいはひは、かねくらゐがくりょくもっられるものでない、てんしゅみちまもったひとほうしうとして、かとくとして、やくそくたまふたものなれば、かみたいするみちまもるのほかに、のちのよさいはひけるみちはない。そこしうけうほかに、つみゆるされるみちまたみらいさいはひみちはないのである。