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(七)公敎会が謬り得ない事
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豫 備
〇公敎会の敎へる所は、何處から汲み取ったものですか?…聖書とは何ですか?…聖傳(伝)とは何ですか?…聖書と聖伝とは何方が尊いのですか?…何方が多く天主樣の御言を含んで居ますか?…
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[目的指示] 今日は公敎会が敎に就いて謬り得ないことを御話し致します。
提 示
〇公敎会と一口に申しましても、實は敎へる敎会と、敎へられる敎会と、二つに分れて居ますね。敎へる敎会とは?
△敎皇と司敎。
〇敎へられる敎會とは?
△司祭と一般信者。
〇よろしい。唯今ま申しますのは、敎へる敎会、即ち敎皇と司敎とに就てですよ。敎皇は全敎会を導く天職を帶び、敎に就て謬り得ない特權を戴いて居られる。この事に就ては、後で詳しくお話し致します。司敎はその敎區内に於て、信者を敎へ導く使命(やくめ)を承って居るのです。そして司敎は各々その敎區々々に散ばって居るにせよ、或は一つに集って、敎皇の監督の下に公議會を開くにせよ、敎皇と一致を保って居る間は決して謬り得ません。何に由って然うなるかと云へば、先づイエズス・キリスト樣の御約束があるからです。
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〇イエズス・キリスト樣は使徒等に『汝等往いて、萬民に敎へよ……看よ、我は世の終まで、日々、汝等と共に居るのです』(マ テ オ二八ノ一九)と、お約束になりました。使徒等の後を繼いだのが敎皇と一致を保てる全世界の司敎です。イエズス・キリスト樣は世の終までも、日々彼等と共に居って下さる、と云ふのです。然るに彼等がすべての民を教へるに當って、萬一謬り得るとするなら如何でせう。眞理の源なるイエズス・キリスト樣が、謬を教へる者と共に居って下さると思はれませうか。
△然うは何うしても思はれません。
〇次に公敎会は、聖靈の導を約束されて居ます。『私が御父に願ひますと、御父は他の辨護者(聖靈)を汝等に賜ひ、永遠に汝等と共に留らして下さいませう。是は真理の靈でありませすぞ』(ヨ ハ ネ一四ノ一六)と、主は弟子等に曰うた。『彼の真理の靈が來り給うたら、一切の真理を汝等に敎へ給ふでありませう』(ヨ ハ ネ一六ノ一三)とも仰有った。眞理の靈がお出になって、永遠に止り、すべての真理を教へて下さる、と云ふならば、公敎会は何うしたって謬に陥る筈が無い。若し謬に陥る樣でしたら、眞理の靈が止って下さらぬ訳になる。だから公敎会は敎に就て謬り得ない。何んなことがあっても謬り得ない。然し夫は何の爲ですか。學問に秀でゝ居
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るからですか。經驗に長けて居るからですか。
△否、イエズス・キリスト樣の御約束と、聖靈の御導とに由って謬り得ないのです。
〇すると公敎会の敎へる所は、何に由らず謬がない訳ですね。
△然うぢゃありません。たゞ『敎』に就てだけです。
〇然う。救霊を得るが爲に信ぜねばならぬ、守らねばならぬ『敎』に就てだけ謬り得ないのですね。科學や、歷史や、文學や等を敎へることがあるにしても、謬らぬとも限りません。夫に就てはイエズス・キリスト樣の御約束もなければ、聖靈の御導きもありやしません。
△新敎では、信者一人づゝに聖靈の御導があると言ってるさうですね。
〇成るほど然う言って居ます。然し聖霊が信者一人づゝをお導きになるものならば、誰一人、謬に陥る氣遣ひはない筈でせう。所で御覧。新敎の信者は殆ど一人づゝ其信仰を異にして居る。一致と云ふことは全く無いのです。白と黑と暗と光と云ふ樣に正反對なことを、聖靈が敎へ給ふ筈は無いぢゃありませんか。其上、イエズス・キリスト樣は御敎を伝へる機關、即ち『敎へる敎会』なるものをお建てになり、之に謬り得ざる特典までもお授けになりました。何の必要があればとて、更に信者一人づゝを聖靈がお導き下さいますでせうか。
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△分りました。
〇公敎会は敎に就きて謬り得るか。
△否、公敎会はイエズス・キリストの御約束と聖靈の導とによりて謬り得ざるなり。
整 理
〇公敎会は幾つに分けますか△敎へる敎会と、敎へられる敎会との二つに分けます。
〇敎へる敎会とは?△敎皇と司敎とを言ひます。
〇敎へられる敎会とは?△司祭と一般信者とを申します。
〇敎皇は敎に就て謬り得ますか△謬り得ません。
〇司敎は謬り得ますか△司敎も敎皇と一致を保って居る間は謬り得ないのです。
〇何んな場合にもですか△ハイ、その敎區々々に散ばって居るにせよ、敎皇の監督の下に公議会を開くにせよ、謬ることが出來ません。
〇公敎会が謬り得ないのは、學問が秀て居るからですか。或は經驗に長けて居るからですか△
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イエズス・キリスト樣の御約束と、聖靈の御導とに由って謬り得ないのです。
〇イエズス・キリスト樣は何と御約束になりましたか△『我は世の終まで日々汝等と共に居る』とお約束になりました。
〇幾ら使徒等だって、世の終までも生き存へなさいませんでせう△使徒等の後を繼いだのが敎皇、司敎です。この敎皇・司敎と共に世の終までお止り下さるならば、その敎皇・司敎は謬ること出來ますでせうか△決して謬ること出來ません。
〇萬一、敎皇・司敎が謬を敎へる樣なことがあったら如何でせう△真理の源なるイエズス・キリスト樣が、到底之と共にお止り下さる筈がありません。
〇未だ何かお約束になりませんでしたか△聖靈の御導きをもお約束になりました。
〇何んなお約束でしたか△真理の霊がお出になって、永遠に止り、一切の真理を敎へて下さると云ふお約束でした。
〇真理の靈に敎へられる公敎会は謬り得ますか。△決して謬り得ません。
〇萬一謬ったら如何でせう△真理の靈がお止り下さらぬ。イエズス・キリスト樣の御約束は反
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古になります。
〇公敎会は何を敎へても謬り得ないのですか△否、たゞ信ずべく、守るべき『敎』に就てだけ謬り得ないのみです。
〇科學や、歷史や、文學やを敎へる時は?△イエズス・キリスト樣の御約束も、聖霊の御導きもないのですから、謬ることがないにも限りません。
〇新敎では、信者一人づゝに聖靈の御導がある、と敎へますが、あれは如何でせう△間違ひです。
〇何うして間違ひだと分りますか△若し聖霊が信者一人づゝをお導き下さるならば、誰一人、謬りに陥る筈がありません。
〇然るに實際は如何ですか△新敎の信者は殆ど一人づゝ信仰を異にして居ります。聖霊がそんなお導きをして下さる筈がありません。
〇其上、イエズス・キリスト樣は信者を敎へ導くが爲に、何んな機關を備へ置いて下さいましたか△其爲に折角、敎へる敎會をお建てになりました。更らに一人づゝをお導きになる必要は無い筈であります。
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[實例]
- 全敎会の司敎が集合して敎皇、或は敎皇の使節を議長とし、信仰、道徳の問題に就いて議決をなし、其議決を敎皇が批准、發布するならば、之を公議会と申します。其んな公議会が聖会の初から今日まで十九回ほど行はれました。第一回のをニチェア(二ケヤ)公議会と申します。イエズス・キリストは、神でもなければ、人でもない、實は兩者の中間に位し、傑出たる被造物だ、と言ひ出したアリウスの異端を取調べるがために、三百二十五年、小アジアのニチェア(ニケヤ)と云ふ町に開かれたのでありました。列席せる司敎が三百十八名、敎皇シルウェステル一世の使節が議長席に就き、イエズス・キリストは眞實に神である、父なる天主と同一体である、同じ天主性を具へ給ふのである、と議決した。所謂『ニチェア(ニケヤ)信經』と云ふのは、この議会で、右の議決に基いて作られたものであります。