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(ニ)公教会の創設
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予 備
〇イエズス・キリスト様の教は、何によって万国万代まで伝はりますか……死んだ聖書を以て伝はりますか……生きた教会を以てですか……
[目的指示]今日は公教会の創設についてお話しします。
提 示
〇イエズス・キリスト様が御教を万国万代までも伝へるが為にお定め置きになったのは公教会ですね、すると公教会ッて如何なものですか……公教初歩には何と教へてありますか。
△公教会は真の教へを信じ、イエズス・キリスト様の定め給ひたる頭に従う信者の団体なり。
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〇よろしい。公教会と云ふのは先づ信者の団体、即ち信者の組合ですね。しかし信者の団体でさへあれば、何んな団体でも皆な公教会ですか。
△違ひます。その団体が真の教を信じなければなりません。
〇然うです。幾ら団体だけは立派に組んで居ても、真の教へを信じなければ、決して公教会ではない。夫こそ異端の教会と云ふものです。例えばプロテスタント教会と云った様なのは、イエズス・キリスト様の教へを幾分かは信じて居る。然し全部を残らず信ずる訳ではない。そんなにイエズス・キリスト様の教へを悉くは信じない信者の団体は、真の教会でせうか。
△異端の教会です。真の教会ではありません。
〇イエズス・キリスト様の教へを信じさへすれば、ただ夫だけで真の教会になれますか。
△否、猶その上に、イエズス・キリスト様のお定め置きになった頭に従はねばなりません。
〇よろしい。真の教へを信じながらも、イエズス・キリスト様のお定め置きになった頭に従はなければないならば、離教と云ひ、そんな人を離教者と申します。正教会、即ちギリシァ教会とか、ロシア教会とか申すものがありませう。あれらが離教会です……するとイエズス・キリスト様の
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お建てになった真の教会と謂はれるには、幾個の條件が必要ですか。
△二の條件が必要です。
〇然うです。その信者団体は 一、真の教へを信じなければならぬ。二、イエズス・キリストのお定め置きになった頭に従はねばならぬ。この二つがないならば、真の教会ではない。然しイエズス・キリスト様は果してそんな教会をお建てになったでせうか。
△ハイ、屹っとお建てになりました。聖ペトロに仰有った御言を以ても明白です。
〇さう。証拠は何個もありますね。其の重なものを申上げますと、
一、イエズス・キリスト様は聖ペトロを教会の基礎と定め、『汝はペトロ(磐)である。私はこの磐の上に我教会を建てませう』(マテオ一六ノ一八)と仰有いました。既に聖ペトロを教会の基礎とお定めになったのですから、その上に教会をお築きになった事は申す迄もありますまい。
二、弟子達に訣別をお告げになりました時、『汝等往いて万民に教へ、聖父と聖子と聖霊の御名によって洗礼を施せ、私が汝らに命ぜし事を守るべく教へよ、看なさい、私は世の終まで日々汝等と共に居るのです』と仰有いました。
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〇『汝等往いて万民に教へよ』と仰ったのは、何んな権力を弟子等にお授けになったのでせうか。
△人に教へる権力をお授けになったのです。
〇『聖父と聖子と聖霊の御名によって洗礼を施せ』と仰有ったのは?
△秘蹟を授ける権力をお与へになったのです。
〇然うです。秘跡を授けたり、お祭を行ったり、宗教上の儀式を定めたりする権力をお与へになったのですね。……『私が汝等に命ぜし事を守るべく教へよ』と仰有ったのは?
△信者を統治して行く権力をお与へになったのです。
〇人に教へたり、秘蹟を授けたり、信者を統治して行く権力を、弟子等にお授けになったとするならば、取りも直さず教会をお建てになったのぢゃありませんか。その権力を行使って行く幹部をお定めになったのぢゃありませんか。左すればイエズス・キリスト様は教会をお建てになったんですね。
△ハイ、御教を万国・万代に伝へ、人に救霊を得させんが為に教会をお建てになりました。
〇実際さうです。して其教会がいつになっても、世の終までも滅びはしないことを預言して、
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『看なさい、私は世の終まで、日々汝等と共に居るのです』と仰有ったのです。左すればイエズス・キリスト様の{{ruby|教|をしへ}}を信じ、救霊を得るが爲には、如何せねばなりませんか。
△必ずそのお建てになった教会に入らねばなりません。
〇教会に入るって、何をすることですか。
△真の教を信じ、イエズス・キリスト様のお定めになった頭に従ふことです。
〇公教会とは何ぞや。
△公教会とは真の教を信じ、イエズス・キリストの定め給ひし頭に従ふ信者の団体なり。
整 理
〇公教会とは何ですか△信者の団体です。
〇信者の団体でさへあれば皆な公教会ですか△否、真の教を信ずる団体であらねばなりません。
〇すると真の教を信じない団体は、公教会ではないんですね。ハイ、公教会ではありません。異端の教会です。
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〇プロテスタント教会は何んなものですか△異端の教会です。
〇だって、イエズス・キリスト様の教を信じているぢゃありませんか△否、自分等に都合の好い所だけを信じて、悉くは信じないのです。
〇するとイエズス・キリスト様の教へを悉く信ずる団体ならば、皆な公教会ですね△然うばかりも行きません。
〇何うして?△その上イエズス・キリストさまのお定め置きになった頭に従はねばなりません。
〇真の教は信じながらも、イエズス・キリスト様のお定め置きになった頭に従はない団体がありますか△あります。正教会、即ちギリシァ教会とか、ロシア教会とか{{ruby|云|い}}ふのが夫であります。
〇そんな教会は何と呼びます△離教会と呼びます。
〇左すれば信者の団体が、公教会と呼ばれるには何が必要ですか△先づその団体が、眞の教を信じなければなりません。
〇其次には?△イエズス・キリスト様のお定め置きになった頭に従はなければなりません。
〇然しイエズス・キリスト樣は実際公教会をお建てになったのですか△然うです。証拠が
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何個もあります。
〇その中の重なものを一つ二つ言って下さい△イエズス・キリスト樣は或日聖ペトロに向ひ『汝ペトロ(磐)である。私はこの磐の上に我敎会を建てませう』と仰有いました。
〇夫は何の意味ですか△聖ペトロを敎会の基礎に据置く、と云ふ意味であります。
〇基礎に据置いたからって何ですか△必ず其上に敎会をお築きになった筈であります。
〇弟子等に訣別をお告げになりました時は、何と仰有いましたか。△『汝等往いて萬民に敎へよ』と仰有って、人に敎へる權力をお授けになりました。
〇夫から?△『聖父と聖子と聖霊の御名によりて洗礼を施せ』と仰有って、秘蹟を授け、お祭を行ひ、宗教上の儀式を定める権力をお與へになりました。
〇夫から?△『私が汝等に命ぜし事を守るべく敎へよ』と仰有って、信者を統治して行く権力をお授けになりました。
〇夫れきりでしたか△『看なさい、私は世の終りまで、日々汝等と共に居るのです』と仰有って、其敎会が何時になっても滅びないことまでも預言して置かれました。
〇すると救霊を得るのには如何せねばなりませんか△公教会に入らなくちゃなりません。
[實例]
- 人類が色々の罪惡に溺れ、腐り果てゝ了ったのを天主様は御覧になるや、洪水を溢らして之を滅し尽さうと思召しなさいました。たゞノエと其家族だけは、信仰が熱く、品行も正しくありました。是までも共に滅す訳には行ない。よってノエに命じて大きな方船を造らせ、之に乘って難を遁れさせなさいました。やがて恐ろしい洪水がやって參りました。人も獸も鳥も虫けらも、生きとし生けるものは、悉く溺死しました。たゞ無事に助ったのは、方船に乘ったノエの一族だけでした。この方船こそ公教会の象徴で、人はこの方船に乗らなければ、助かり得ないのであります。
參 考
- 公敎會に入らなければ、救霊が出來ない。それは分って居るが、然し公教会に入るとは、果して何を意味するのでせうか。神学者等は公敎会を体と魂とに区別します。体とは目に見える教会で魂は成聖の聖寵を指すのです。さて救霊に必要なのは成聖の聖寵で、成聖の聖寵を得るには、天主様を信じ、御約束を希望し、其天主様を万事に超えて愛すれば可い訳です。随って公敎会の魂にさへ属して居れば、たとへ其体に属して居ないでも、救霊は得られさうに
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- 思はれます。然しながら、天主様が公教会をお建てになりましたのは、是によって又是が内に於て、人に成聖の聖寵を蒙らせる思召からでした。実際魂と云ふものは、体と共にあるべき筈のもので、公敎会の魂に属する以上は、また是非とも其体にも属せねばならぬ。全く公敎会の存在を知らないか、或は公敎会に入るのが救霊に必要なることを分らないか、と云ふ人でも、せめては望を以て之が体に属せねばならぬのであります。
- 公教会の存在すら知らない位なのに、何うして之に属する望を起すこと出来るか、と怪む方があるかも知れぬ。成るほど直接にそんな望を起すことは出來ない。然しながら天主様のお望みになる事を望み、其のお命じになる事を行ふと云ふ心さへあれば、公教会の体に属したい望も、其中にチャンと含まってあります。随って公教会の存在は夢にも知らないながら、やはり望を以ては其公教会の信者となり、救霊を得ることが出来る訳になります。
- 但し幼児とか、成年者にしても、天主様を信ぜず、之を希望し、愛することも知らない人は、公教会に属したい望を起すことも出来ない。是非とも洗礼を受けて、事実上、公教会に属するより外はない。左も無いと、たとへ他に罪が無い、処罰される訳は無いにもせよ、せめて天主様を面りに仰視て楽むことが出来なくなります。(第二巻、第一〇〇頁を參照しなさい)
- [公教要理教案.2-99-101頁(ページ)。
- 〇然う、超自然のお惠さへ辱うされぬ身となった位だから、况して自然外のお惠を戴ける筈がありませんね………然し人の身に必ず備ってあるべき自然の賜は如何なりましたか。
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- △夫は失ったんぢゃ無いでせう。
- 〇然うです。夫は失ひません。其まゝ殘りました。だから人が病身に生れ付くとか智慧が十人並に無いとか、惡い癖を有って居るとか云ふのは、決して人祖の罪に因るのぢゃありません。幾十百台と祖先から重ね來った惡い癖や、自分の惡い周圍、惡い新聞、雑誌、小説、殊に各自が酒や色やに溺れた結果に外ならぬのであります。人祖を怨んで可いでせうか。
- △無暗に怨んでは可けません。
- 〇右は現世に於ける不幸ですが、後世には如何なる結果を生じましたでせうか。
- △成聖の聖寵を失って生まれますから、其まゝでは天国へ行けません。
- 〇誰でもですか。幼兒や、生まれながらの狂者の如く、自分で何の罪も犯さぬ者までもですか。
- △ハイ、其んな人でも其まゝでは駄目です。
- 〇然う。成聖の聖寵を持ちませんから、天主樣の愛子ではない。天主樣を面りに視て、終なく樂むと云ふことは出來ません。然らば地獄に罰せられるんでせうか。
- △然うです。
- 〇違ひます。彼等は少しの惡いこともして居ません。罰される訳は無いぢゃありませんか。
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- △然し天主樣を見ることが出來ないのが、地獄ぢゃないんですか。
- 〇天主樣を知って居るか、或は知るべき筈であったかならば、然う思はねばなりません。然し、彼等は天主樣を知りません。知ることも出來ないのでした。随って見たいとも思ひません。見ないからッて、一寸も苦しう覺えぬのであります………すると彼等は何處に居るのでせうか。
- △古聖所に居るのでせう。
- 〇地獄に罰されることは無いが、無論、天國にも居ませんね。舊約時代の聖人が止って居られた古聖所見た樣な所に居るのだらう、と云ふことであります。
- 〇人祖の罪は人祖のみに止りたるか。
- △人祖の罪は其子孫に傳はりしにより、人は生まれながら、此罪とその罰とを負ひ居るものなり。