ニカイア以前の教父たち/第3巻/倫理的論文/祈りについて/第一句
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第3巻
[編集]祈りについて。
[S. テルウォール牧師による翻訳 ]
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第2章 第一句
祈りは、神への証言と信仰の報いから始まります。私たちは「天にいますわれらの父よ」と言います。なぜなら、こう言うことによって、私たちは神に祈り、信仰を推奨するからです。信仰の報いとして、この呼び名が用いられます。聖書には、「彼を信じる人々には、神の子と呼ばれる権威をお与えになった」と書かれています[1]。しかし、私たちの主は、神を私たちの父として頻繁に宣言されました。それどころか、「地上のだれをも父と呼ばず、天におられる父を父と呼びなさい」という戒めさえお与えになりました[2]。ですから、このように祈ることで、私たちもその戒めに従っているのです。父を認める人は幸いです。これはイスラエルに対する非難であり、聖霊は天と地に「わたしは子をもうけたが、彼らはわたしを認めなかった」と言って証言しています[3]。さらに、「父よ」と言うことで、私たちは彼を「神」とも呼んでいます。その呼び名は、子としての義務と力の両方を意味します。また、父の中で子が呼び出されます。「わたしと父とは一つである」とイエスは言われます[4]。また、父と子の中に母が認められ、そこから父と子の両方の名前が生じたのであれば、教会は私たちの母さえも無視されません。したがって、一つの一般的な用語、つまり言葉で、私たちは神を神の民と共に敬い[5]、戒めを心に留め、父を忘れた人々に印を付けます。
脚注
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