コンテンツにスキップ

ニカイア以前の教父たち/第3巻/倫理的論文/祈りについて/私たちは自由でなければならない

提供:Wikisource
Wikisource:宗教 > ニカイア以前の教父たち > 第3巻 > 倫理的論文 > 祈りについて

第3巻

[編集]

祈りについて。

[S. テルウォール牧師による翻訳]

———————————

第12章 私たちも同様に、あらゆる精神的動揺から自由でなければなりません。


祈りは、怒りだけでなく、心のあらゆる動揺から解放された自由なものでなければなりません。祈りは、送られた聖霊のような霊から発せられるべきです。汚れた霊は聖なる霊に受け入れられず[1]、悲しむ霊は喜ぶ霊に受け入れられず[2]、束縛された霊は自由な霊に受け入れられないからです[3]。敵対する者を受け入れようとする者はいません。同等の者以外には、受け入れを許す者はいません。


トップに戻る

脚注

[編集]
  1. エペソ4章30節
  2. ヨハネ 17:14;ローマ 14:17
  3. 詩篇 51篇12節
この文書は翻訳文であり、原文から独立した著作物としての地位を有します。翻訳文のためのライセンスは、この版のみに適用されます。
原文:

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 
翻訳文:

原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。