<< 祈祷或いは神を承認むる事。 >>
『主や我を愈したまへ、さらば我いえん』〔エレミヤ十七の十四〕。アア独一睿智にして、仁慈なる醫よ、我は汝の恩恵を切に祈る、我が霊魂の傷をいやして、我が智慧の目を照らし給へ、われ汝の我に於る不断の摂理をさとらんが為なり。けだし我が心と我が智慧は愚魯になりしにより、願はくは汝の恩寵、此の真実なる塩はこれをあらためよくせんことを。心腹を試みる前知者よ、われ汝に何をいはんや。水なき地の如く、わが霊は汝に渇き、我が心は汝を望むを汝ひとり知り給ふ。アア汝の恩寵は汝を愛するものをつねに飽かしめり。故に汝つねに我をかへりみ給ひし如く、今も我が切なる祈りをかろんずるなかれ。けだし視よ我が智識は囚虜の如く、汝独一真実なる救主をたづぬ。故に汝の恩寵をつかはして、速に我が弱きにのぞましめ給へ、さらば我が飢をあかしめ、我が渇をとどめん。けだし主宰や、我れ飽かずして汝を希ふ。もし実に汝を愛し、汝が真理の光を渇望せば誰か汝に飽くを得ざらん。光を與ふる者や、我が願をみたしめよ、我の祈祷によりて我にあたへ給へ、汝が恩寵の一滴を我の心に溢し給へ、願はくは汝を愛する愛の火焔はわが心に燃えん、火の林を燬くが如く、もろもろの悪念は荊棘と薊との如く焼盡さるべし。人に神として、我に善を量なくあたへ給へ、諸王の王として惠み給へ、善なる父としてふやし給へ。それ我は悪者として、汝の賜をしりぞけ、今もこれをしりぞくるも、主宰や、汝はその祝福により水甕をみたしたる者として汝の恩寵を以て我が渇をとどめ給へ。又五千人に飽かしめたる者として汝の恩寵を以てわれ飢る者を飽かしめ給へ。人を愛する者や、汝に懇求する汝の僕に、ねがふところをあたひ給へ。けだし視よ、汝の大なる智慧を讃栄せんが為に空気も清く明に禽鳥もその聲を変ず。視よ地も人手をからずして織りなせる色々様々なる花卉の衣服にて全くおほはれ、二様の祭をたのしみ祝せんとす、即一はその冢子アダムの為の祭なり、蓋かれは生命に認められしによる。又一はその主宰の為の祭なり。視よ海も、汝の恩寵にみたされ、その浮べるものを富ましむるなり。汝の恩寵はわれに汝の前に言ひ始むる勇気を賜ひ、我が己れに有するの望は我をして汝に就かしめんとす。はじめ殺人の器械たりし蛇は此の時に進んで己の口を開かんとす、况や汝を熱望する汝の僕は、己の口をひらきて、汝の恩寵を讃栄頌美せざらんや。汝は彼の寡婦の二「レプタ」をうけて、かれを善みし給へり、汝の僕の願をもうけ、我の祈祷を増して、我が求むるところを我にあたへ給へ、願くはわれ汝の恩寵の殿とならん、願くは恩寵は我にやどらん、願くは恩寵は自から我が線琴をうち、その欲する如く自から我を教へん、願くは歓喜をみちみてる感嘆の歌をうたふてたのしまん、願くは彼は自から我の智識を縛ること鎖の如くならん、我自から迷ふて汝の前に罪を犯すなく、その光の外になげいだされざらんが為なり、主や、きき給へ、我が願をききてあたへ給へ、我迷ふて不潔なる者は清き者となり、我愚なる者は智慧をつけられ、我無益なる者は汝に選ばれし苦行者と汝を悦ばしめたる悉くの聖者の郡中に於て有益の者となりて、汝の国に呼ばるるを得んが為なり。楽園に於てたのしむ者等は我が為に代求して、汝独り人を愛する者によぶ。さらば汝も彼等の願に注意し、彼等の代求によりて我を救ひ給へ。アア我は彼等によりて汝に栄を帰す、汝かれらの祈祷をききて、我に鴻恩を施し、我が願をかろんぜざりしが為なり。主や、汝は預言者によりていへり、曰く『汝の口をひらけよ、我これをみたさん』〔聖詠八十の十一(詩編八十一の十一)〕。故に視よ、汝の僕の心も口も開かれたり、汝の恩寵を以てこれをみたし給へ、ハリストス神、我等の主や、われ汝を不断に讃揚せんが為なり。善にして人を愛する者や、汝が恩寵の露を我の心にそそぎ給へ。けだし蒔附られし地は、汝の惠を降すなくんば、自からその植物をうるほすあたはじ。かくの如く我が心も、義の果実を結ばずんば汝の恩寵によりて汝に悦ばるることをいひ出るあたはざらん。視よ、夏は地に果実をやしなひ、樹々は様々の花を冠らせらるるなり。さらば願くは汝の恩寵の露も、我の智慧を潤し、謙遜と悔悟と愛と忍耐との花を以てこれを飾らん。そも余何をかいはん。視よ、我が祈祷はよわく、わが不法は大にして且強し。罪は我を圧して、我の弱きは我を煩はす、然れども汝は富みて且善に、あはれみふかうして鴻恩を施す。汝は瞽者に目をひらかしめたり、我が智慧の目をもひらき給へ、願くはわれ不断に汝の美を観ん。汝は軛を負ふ者に口をひらかしめたり、我が口をも汝を讃すると汝の恩寵を栄するとにひらかしめ給へ。汝は一令を以て海に界限を定めたり、汝の恩寵を以て我が心にも界限を置きたまへ、汝の美よりはなれて右にも左にも〔復傳律令(申命記)五の三十二〕曲らざらんが為なり。汝は従順ならずして頑固なる民に曠野に於て水をあたへ給へり、我にも悔悟をあたへ、我が目には涙をあたへ給へ、すべて吾が生涯の間温恭と愛と清き心とを以て昼も夜も泣かんが為なり。『願は主や、我が禱は汝の前に近づかん』〔聖詠百十八の百六十九(詩編百十九の百六十九)〕、我に聖なる種子をあたへ給へ、願くはわれ汝に悔悟をみちみてる禾把をささげん。アアささげしものをあたへ給ひし者に光栄は帰す。主や汝の諸聖人の代求により汝の僕のいのりをきき給へ、汝は悉くの人の上に世々に讃揚らる。阿民。