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シリヤの聖エフレム教訓/第5講話

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第5講話

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<< 至聖しせい神母しんぼにささぐる祈祷きとう。 >>


童貞どうていなる女宰じょさい神母しんぼや、恩寵おんちょうにみたされたる生神女しょうしんじょおおい祝讃しゅくさんせられたる生神女しょうしんじょや、おおい祝讃しゅくさんせられ、聖寵せいちょうみちこうむり、不死ふしにしてべからざるちち独生子ひとりのこ神性しんせいれたる蔵所ぞうしょや、なんぢみみをかたむけて、がけがれてきよからざるくちよりいひいづるわれことば注意ちゅういしてききたまへ。けだしよ、われ悔悟かいごたましいと、謙遜けんそんとをもつて、なんぢ仁心じんしんはしく。われ不幸ふこうなるものをかろんずるなかれ、われあたらざるなんぢぼくながほろぶるをゆるすなかれ、なんぢははたる祈祷きとうもつて、われ悪欲あくよくため無慚むざんにくだかれたるがあはれむべき霊魂たましいをいやしたまへ。悪敵あくてき耽慾たんよくつみもつてこれをくじきて、ちりにふみにじれり。ゆえわれことごとくのはぢにみたされたれば、つみおびただしきをゆるさるると、すべからざるきずのいやさるるとを、仁慈じんじなるかみなんかんばせありてあえねがふをん。けだしわれ身体しんたい殿みやをけがし、おの不当ふとうなるのぞみもつてこれにおおくの不潔ふけつれたり、さればすべて五感ごかんゆるすべからざるおこないにてそこなはれたり。ゆえわれはあしくもちひてけがされたるてんぐるの健気けなげゆうせざるなり。いはん悪言あくげん近者きんしゃ誹謗ひぼうしたるとによりてけがされたるくち祈祷きとうおいひらくをんや。ゆえいたりてきずなき女宰じょさいや、われ不幸ふこうなるものおよまよへるものは、なんぢのいひがた鴻恩こうおんまえ附伏ひれふす。けだし唯一ゆいいつなぐさめたりまたすみやかなる保護ほごたるなんぢほかに、希望きぼうまた避所かくれがわれにあらざればなり、----霊魂たましいよろこばし、かなしみよりだっし、とりこよりあがなひ、すべきものかみちかづかしめ、われ洗罪所せんざいしょ及び避所かくれがとなり、おちいりしものおこし、霊魂たましいからだとを再造さいぞうし、もろもろつみをあがなひ、れたるこころためかみよりながさるるうるほひとなり、がくらまされたるたましいためにひかりかがやくともしびとなり、裸体らたいおおひ、わが嘆息たんそくとどめ、わが運命うんめいへんずるものは、なんぢほかにこれあらざればなり。われはなんぢのぞみ、なんぢもつみずからほこる、なんぢ代願だいがんわれよりうばふなかれ、つねにたすけ、保護ほごしてわれをすつるなかれ。なんぢねがいなんぢ独生子ひとりのこよろこところなり。けだしぼくうち算入かぞえいれらるるをゆるしたまひしものは、その建設けんせつしたるところをいよいよ保護ほごし、いひざるさんにてつとめたるなんぢをあはれむべければなり。ゆえかれなんぢ代求だいきゅうをよろこび、なんぢさかえもつおのれさかえおもひ、なんぢねがいげしむるをもつおのれぶんす。ひといと不幸ふこうなるものなんぢかろんずるなかれ、ねがはくはおこない適当てきとうなんぢ無量むりょうのあはれみをたざらん、神母しんぼや、ためいとしたはしきや、けだしなんぢたすけよりかたきものあるあたはざるなり。ゆえもっとも非難ひなんざる世界せかい代求だいきゅうしゃや、われおおくのつみおちいりてばつをうくべきものは、悔改かいかいもつて、なんぢ窮迫きゅうはくおけるのすみやかなる扶助ふじょしゃかみ保護ほごしゃため依頼いらいすべき有力ゆうりょくなる代願だいがんしゃまえ俯伏ひれふして、こころふかきよりよぶ、われもろもろの悪臭あくしゅう怠慢たいまんとにみちみてるものをあはれみたまへ、アアぜんみんずる仁心じんしんなるものや、あはれむべきなるねがいをうけたまへ。そもわれおこたりかつなほざりにこれをなんぢねがふといへども、なんぢははたる祈祷きとうもつて、われなんぢかみとにうけらるるものとなし、天国てんごくをうくるにふるものとなし、ちち聖神せいしん讃美さんび頌揚しょうようするをしめたまへ、いま何時いつ世々よよに。アミン。