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シリヤの聖イサアク全書/第六十一説教

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第61説教

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<< こころかみちかづかしむるためにひとえきするもののこと如何いかなる真実しんじつ源因げんいんひとたすけをひそかちかづかしめて、如何いかなる源因げんいんひと謙遜けんそんみちびくか。 >>


おのれよわきを認識にんしきするひとさいわいなり。なんとなればこの認識にんしきひとのためにすべて善良ぜんりょうなる進歩しんぽ基礎きそとなり、根本こんぽんとなり、また源因げんいんとなればなり。ひとおのれよわきを確知かくちしてじつにこれをかんずるならば、ただちにそのたましい認識にんしきくらます衰弱すいじゃくよりおこして、警戒けいかいこころそなへん。しかれども、もしひとあるい身体しんたいあるい霊魂れいこんつからすものをもっ些少さしょう試惑しわくなりともはなたるるあらずんば、おのれよわきをけっして感知かんちするあたはざるべし。これをはなたるるときおのれよわきをかみたすけ比較ひかくしてそのたすけだいなるをただち認識にんしきせん。これとおなじくその使ようしたるおほくの方法ほうほう警戒けいかい節制せっせい庇蔭ひいんとその霊魂れいこん保護ほごとを研究けんきゅうし、これにより霊魂れいこん安全あんぜんんことをのぞめどもずして、そのこころ畏懼いく戦慄せんりつのために安静あんせいゆうせざらんときは、ひとこころのこの畏懼いくひとのためにのある協力きょうりょくしゃ必要ひつようにしてくべからざるをあらはし、かつしょうするものなるをさとるべく、かつこれを認識にんしきすべし。けだしこころはこれをちてそのない格闘かくとうするのおそれによりなにらざるところあるをしょうしてこれをらしめ、安然あんぜんとしてあたはざるをこれをもって明示めいじせらるるなり、なんとなればすでいしごとくかみたすけはこれをすくへばなり。さりながらかみたすけ必要ひつようなるを認識にんしきしたるものおほくの祈祷きとうおこなふべくして、祈祷きとう増加ぞうかするほどはいよいよこころ謙遜けんそんならん。けだし、すべていのものねがもの謙遜けんそんにならざるあたはざればなり。『くだけてへりくだこころかみかろんぜず』〔聖詠五十の十九(詩編五十一の十七)〕といふ。ゆえこころ謙遜けんそんにならざるあいだ舞揚ぶようしてあたはざれども、ただ謙遜けんそんこれまとめてひとつ集中しゅうちゅうするなり。

ひと謙遜けんそんになるときは、ただちあわれみはひとめぐるべくしてそのときこころ神聖しんせいなるたすけ確知かくちせん、なんとなればそのこころひきおこさるるある確信かくしんちから看出みいだせばなり。しかしてひと神聖しんせいなるたすけじつひと救援きゅうえんするをかんするときは、そのこころ瞬間しゅんかん信仰しんこうたさるるなり。

これよりしてひと了解りょうかいせん、祈祷きとうたすけもとむるもの避難所ひなんしょなると、救済きゅうさいいづみなると、安全あんぜんたからなると、だいなる暴風ぼうふうよりすくはるるみなとなると、暗黒あんこくものひかりなると、無力むりょくなるもの支柱しちゅうなると、誘惑ゆうわくとき保護ほごなると、やまい分離期ぶんりきにおける救助者きゅうじょしゃなると、戦闘せんとうにおける救命きゅうめいたてなると、てきむかつてがれたるなるとを了解りょうかいせん。簡短かんたんこれへばすべてこれらの幸福こうふくおほきは祈祷きとうによりひとちかづくを発見はっけんして、いまよりのちひと最早もはや信仰しんこう祈祷きとうもったのしまん。ひとこころ希望きぼうにより光明こうめいなるをべくして、如何いかにしても口頭こうとう一片いっぺんいいあらはしにより従前じゅうぜん昏蒙こんもうとどまらざるなり。さりながら、かくのごとくこれを了解りょうかいするときは、宝物ほうもつごとくなる祈祷きとう霊中れいちゅうもとて、だいなるかんにより、祈祷きとう状態じょうたいへんじて感謝かんしゃこえとならん。さればよ、各物かくぶつにその固有こゆう方式ほうしきさだめたるものさとしたることばごとくいへり、いはく『とう感謝かんしゃささぐるよろこびなり』と。すなはかれかみ認識にんしきするによりおこなはるるとうすなはかみよりつかはさるるとうをいへるなり。なんとなればそのときひととうするにすべてこの恩寵おんちょう感知かんちする以前いぜんとうしたるごとくろうむとをもってせざればなり。すなはち中心ちゅうしんよろこびと嘆美たんびとをもってかぞからざる拝跪はいきにより、謝恩的しゃおんてき動作どうさをたえずあらはしかみ恩寵おんちょうまえ認識にんしき嘆美たんび驚愕きょうがくとをおほ喚起かんきせらるるにより、にわかにそのこえたかめ、かみ歌頌かしょう讃美さんびしつつ感謝かんしゃささげ、非常ひじょう驚愕きょうがくによりそのしたうごかさん。

じつにこのところ到達とうたつし、妄想もうそうもってせずして、おほくの標識ひょうしきじつ心中しんちゅうき、ひさしくみづからおのれこころみて、おほくの特徴とくちょう察知さっちしたるものは、ところらん、なんとなればこれ真実しんじつたがはざるによる。ゆえにいまよりしてのち無益むえきなることはおもむべく、不断ふだんとうにより、畏懼いく戦慄せんりつとをもっかみまえ退しりぞかずとどまるべし、かみだいなるたすけうばはれざるためなり。

これらの幸福こうふくはすべておのれよわきを認識にんしきするによりひとしょうずるなり。けだしかみたすけのぞむの大願だいがんにより、とうとどまりて、ひとかみちかづけばなり。しかしてその望願ぼうがんもっかみちかづくほどは、かみもそのたまものもっひとちかづきてそのだいなる謙遜けんそんのために恩寵おんちょうひとよりうばはざるなり、なんとなれば裁判者さいばんしゃまえにおける寡婦かふごとく、てきふせがんことを退しりぞかずべばなり。ゆえにこうなるかみ恩寵おんちょうたまものとどむるは、ひとのためにかみちかづくの源因げんいんとならんためおよひとがその要求ようきゅうのためにえきとなるべきものを流出りゅうしゅつするものまえはなれずとどまらんためにして、かみねがいをばすみやか成就じょうじゅせしめ、すなはこれなくんばたれすくはるるあたはざるものをばすみやか成就じょうじゅせしむれども、ねがいをばこれすを遷延せんえんし、しかしてまた場合ばあいにはてきやきつくちからひとのためにふせかつらせども、場合ばあいには誘惑ゆうわくおちいるをゆるすは、すでひしごとく、このこころみひとためかみちかづく源因げんいんとならんためなり。ひとまなんで誘惑ゆうわく実験じっけんゆうせんためなり。聖書せいしょところごとし、しゅおほくのたみのこし、かれらをほろぼさずしてナワィンの子イイススわたさざりしは、これもっイズライリおしへんためイズライリえいをしてその教訓きょうくん注意ちゅういし、たたかいまなばしめんためなり〔士師記三の一、二〕。けだしおのれよわきを認識にんしきせざる義人ぎじんこうあたか剃刀かみそりさきごとし、かれついひとがいする獅子ししとよりまったとほざからず、驕傲きょうごう魔鬼まきよりとほざからざるなり。しかしてまたおのれよわきをらざるもの謙遜けんそんとぼしく、謙遜けんそんらざるもの完全かんぜんたっずして、完全かんぜんたっせざるものつねおそれらん、なんとなればかれ城郭じょうかくてつはしらどうしきみうえ確立かくりつせず、すなはち謙遜けんそんうえ確立かくりつせざればなり。されど謙遜けんそんひとくだけたる心情しんじょうおのれいやしんずるねんとをつねらるる方法ほうほうもってするにあらずんば、くるあたはざるべし。ゆえにてきひとまよはしめんため蹤跡しょうせき[1]さがすこと屡々しばしばこれあり。けだし謙遜けんそんなくんばひとおこないはあたはずして、その自由じゆう手書しゅしょしんいんされざるなり。これ確言かくげんすればいまいたるまでかれぼくにして、そのおこないおそれまぬかれざるなり、なんとなれば謙遜けんそんなくしてそのおこないおさ誘惑ゆうわくなくしてまなぶことは何人なんびとにもあたはざるべくして、すでまなぶなくんばたれ謙遜けんそんたつせざればなり。

これによりてるにしゅ聖者せいしゃ謙遜けんそんためおよ熱切ねっせつとうこころくだため源因げんいんのこしくはしゅあいするものをして謙遜けんそんしゅちかづかしめんがためにして、かれらをおどろかすにその天性てんせいよくづべき不潔ふけつなる思念しねんへんやすきとをもってすることしばしばこれあり、かつ詰責きっせき陵辱りょうじょく人々ひとびとよりほほたるることとをもってすることもまたしばしばこれありて、ときとしては疾病しっぺい身体しんたい薄弱はくじゃくとをもってし、また他時たじには赤貧せきひんくべからざる需要じゅよう欠乏けつぼうするとをもってし、あるいつよ畏懼いくもっくるしむると、放棄ほうきつねかれらを嚇着かくちゃく[2]する顕然けんぜんたる魔鬼まきたたかいとをもってし、あるい種々しゅじゅなるおそるべき出来できごともってするあり。みなひと謙遜けんそんたっする源因げんいんゆうせしめんがためにして、あるい病弱びょうじゃくなる苦行くぎょうしゃをして、そのところ境遇きょうぐうにより、あるい未来みらいおそれにより、惰眠だみんおちいらざらしめんがためなり。ゆえに誘惑ゆうわくかなら人々ひとびとえきあり。しかれどもこのことふはひとずべきねんもっあまんじておのれよわらすべくして、その記憶きおくひとため謙遜けんそん発端ほったんとならんとのいいにはあらず、またひとつとめて誘惑ゆうわくおちいらざるべからずとのにもあらず、かえつてひとぜんなる行為こういもっいずれのときにも謹慎きんしんし、その霊魂れいこんまもるべくして、ひとすなは受造物じゅぞうぶつなると、したがっ変化へんかぞくするものなるをおもふべしとのいいなり。けだしすべての造物ぞうぶつおのれ保護ほごするにかみちからようすべくして、すべてより保護ほごようするものこれもっ天然てんねんよわきをあらはす。しかしておのれよわきを認識にんしきするものかなら謙遜けんそんならんことをようするは、おのれため必要ひつようなるものをそのあたふるをくするものよりけんがためにして、もしひと最初さいしょよりおのれよわきをかつ目撃もくげきするならば、怠慢たいまんにならざるべくして、怠慢たいまんにならずんば睡眠すいみんふけることもあらずして、その覚醒かくせいにより陵辱りょうじょくしゃわたさるることあらざるべし。

おわりかみみち進行しんこうするものはすべて遭遇そうぐうするもののためかみ感謝かんしゃして、自己じこ霊魂れいこんめ、かつののしるべくして、照管しょうかんしゃもっこれゆるさるるは自己じこ怠慢たいまんにより、あるいはそのこころ覚醒かくせいするがためなると、あるいひと漸々ぜんぜん高慢こうまんはじめたるがためなるとにほかならざるをらんこと肝要かんようなり。ゆえひと擾乱じょうらんせざるべく、進行しんこう苦行くぎょうとをてざるべく、おのれむるをめざるべし、ばいわざわいひとおよばざらんためなり、なんとなればながかみ不義ふぎはあらざるによる。しかり、これあらざるなり。かれ光栄こうえい世々よよす。「アミン」。

脚注

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  1. 投稿者注1:足跡の意
  2. 投稿者注2:付きまとって恐れさせるの意