シリヤの聖イサアク全書/第八十三説教

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第83説教[編集]

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恩寵おんちょう恩寵おんちょうくはふるごとひと洗礼せんれいのち悔改かいかいあたえらる、なんとなれば悔改かいかいかみによりうままるゝだい更正こうせいなればなり。しかしてわれ信仰しんこうによりへいけ、悔改かいかいによりその賜物たまものくるなり。悔改かいかい熱心ねっしんもつたづぬるものためひらかれたるあはれみのもんにして、われ此門このもんによりかみあはれみにるべく、この入口いりぐちほかにはあはれみいださゞるなり、神聖しんせいなる使徒しとごとし、いはく『人皆ひとみなつみとせらるゝはかれ恩寵おんちょうる』〔ロマ三の二十三、二十四〕。悔改かいかいだい恩寵おんちょうにしてしんおそれとによりこころしょうずべく、しかしておそれは霊界れいかい幸福こうふく楽園らくえんたつするにいたまでわれ統御とうぎょするちちつえなり、しかれどもすでたつするときはかれわれらん。

楽園らくえんかみあいにしてすべて幸福こうふくたのしみは彼処かしこにあり、これすなはふくなるパウェル代々よよ相承あいうくかてによりやしなはれたるところにして、生命いのち彼処かしこあぢはふや、かれんでごとへり、いはく『かみおのれあいするものためそなへしものはいまず、みみいまかず、ひとこころいまらざるものなり』と〔コリンフ前二の九〕。この魔鬼まき陰謀いんぼうゆえアダムきんぜられたり。生命いのちかみあいにして、アダムこれよりはなれたり、ゆえにそのときよりかれ最早もはやよろこびずして、荊棘けいきょく労働ろうどうしんせり。かみあいうばはれたるものはたとひ正道せいどうくといへども、原人げんじんおちいりしのちくらふをめいぜられたるあせパン自己じころうによりくらはん。あいうくるにいたまでわれところ荊棘けいきょくおいてすべくして、われくはくといへどわれ荊棘けいきょくうちかつこれりて、時々ときどきこれためきずつけらるべく、おのれとするがためなにすありとも、おもてあせして生活せいかつせん。しかれどもあいときは、てんパンやしなはれて、労働ろうどうしんなしにちからかためられん。てんパンてんからくだりて『生命せいめいあたふる』〔イオアン六の三十三ハリストスなり。すなはちてん使てき食物しょくもつなり。

あいたるもの毎日まいにちまいハリストスくらひ、これによりて不死ふしなるものとならん。けだしへり、『パンくらもの世々よよきん、あたへんとするパン云々うんぬん』〔イオアン六の五十一〕。イイススなるあいパンくらものさいわいなり。しかしてあいくらものはあらゆるものうえ存在そんざいするハリストスかみくら所以ゆえんなるをイオアン証明しょうめいして『かみあいなり』といへり。ついあい生活せいかつするものかみにより生命いのちさんすべくして、なほこのおいて、ここかんずるところのものにより復活ふくかつくうがん。この空気くうきもつじん復活ふくかつのちたのしまん。あいすなはくになり、しゅこれ使徒しとらと奥密おうみつやくし、そのくにおいこれくらはんことをいへり。けだしへり『くにおいてわがせき飲食いんしょくせんためなり』〔ルカ二十二の三十〕と、あいしめすにあらずしてなんぞや。あいしょくいんとにかはりてひとやしなふがため充分じゅうぶんなり。ひとこころたのしましむるのさけなり。〔聖詠百三の十五〕。此酒このさけものさいわいなるかな節制者せっせいしゃこれみてざんし、罪人ざいにんみてがいわすれ、大酒者たいしゅしゃみて禁酒者きんしゅしゃとなり、富者ふうしゃみて貧者ひんしゃたらんをねがひ、貧者ひんしゃみて希望きぼうみ、病者びょうしゃみて強健きょうけんになり、無智むちしゃみて聡明そうめいになれり。

大船たいせん小舸しょうかとなくんば大海たいかいわたあたはず、かくごとく、おそなくんば何人なんびとあいたつするあたはざるなり。われこころ楽園らくえんとのあいだなる臭海しゅうかいおそれ舵師だしある悔改かいかいしょうりてのみわたるをん。しかれどももしおそれ舵師だしこのうみえてかみうつるべき悔改かいかい大船たいせんぎょせずんば、臭海しゅうかいおぼれん。悔改かいかい大船たいせんなり、おそれその舵師だしにして、あいすなは神聖しんせいなるみなとなり。是故このゆえおそれわれ悔改かいかい大船たいせんひきれ、生命いのち臭海しゅうかいわたりて、あいなる神聖しんせいみなとにみちびくなり。すべろうして悔改かいかいになものみなと到着とうちゃくせん。しかしてあいたつするときわれかみたつすべく、われ旅行りょこうおわりげて、ちち聖神せいしんのまします彼処かしこ世界せかいしまいたらん。かれ光栄こうえい権柄けんぺいす、ねがはくはわれをもそのおそれもつかれ光栄こうえいあいとにあたるものとなさんことを。「アミン」。