シリヤの聖イサアク全書/第五十七説教

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第57説教[編集]

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かみ人々ひとびとよう学習がくしゅうたまふて、だいなる尊敬そんけいをあらはし、救済的きゅうさいてき認識にんしきらしめんがためにそのとざせるもんなんところにもひらたまへり。此事このこと真実しんじつなる證者しょうしゃなんじねがふか。おのれにかえもとめよ、かれほろびざるなり。されどこれがいにもかくせんとほっするならば、なんじ真実しんじつみちあやまらずして引出ひきいだ證者しょうしゃとをゆうするなり。

みだされし失念しつねんまぬかるるあたはず。えいもかくのごとものためにそのもんひらかざるなり。衆人しゅうじん一般いっぱんおわり如何いかなる平等びょうどうみちびくをかくたる認識にんしきもっかいするをくするものは、うきことつるため必要ひつようあらざるべし。げんかみもっひとあたへられたる天然てんねん律法りっぽうかみ造物ぞうぶつ観察かんさつするこれなり。しょしるされし律法りっぽうらくのちくはへられしなり。

よく原因げんいんよりゆうとおざからざるものこころならずつみ誘引ゆういんせられん。つみ原因げんいんごとし、さけなり、おんななり、とみなり、肉体にくたい強壮きょうそうなり、さりながらこはその性質せいしつおいつみなるにはあらず、天性てんせいこれによりつみなるよくたやすくかたぶくによる、ゆえひとちゅうしてこれ戒慎かいしんすること肝要かんようなり。もしおのれよわきをつねおくするならば戒慎かいしんさかいやぶらざるべし。極貧ごくひん人々ひとびとしゅうとするところなり、しかれども高慢こうまんなる霊魂れいこん高超こうちょうなる意気いきとはことかみしゅうとせらる。とみ人々ひとびとたっとばる、しかれども謙遜けんそんなる霊魂れいこんかみ尊敬そんけいするところなり。

ぜんなる活動かつどうはじめかんとほっするときは、なんじおよところ誘惑ゆうわくためみづからそないをなして、しん躊躇ちゅうちょするなかるべし。けだしひと熱心ねっしんもっぜんなる生涯しょうがいはじむるをるや、種々しゅじゅおそるべき誘惑ゆうわくもっかれむかへ、これによりおそれてぜんひややかならしめ、かみよろこばるるこうちかづくの切愛せつあいまったゆうせざらしめんとするはてきつねなればなり。しかしててきこれすはかくのごときのちからゆうするによるにあらず(もしこれゆうするならばひと如何いかなるぜんをもすことあたはざるべし)なるイオフ(ヨブ)においわれかくするごとかみかれゆるたまふによる。ゆえに徳行とくこうつかはさるる誘惑ゆうわくゆうこれむかふるのそないをなして、そののち活動かつどうはじめよ、これはんして誘惑ゆうわくむかふるの豫備よびをなさずんば徳行とくこう活動かつどうみづからきんすべし。

かみぜんなる活動かつどうおけ助者じょしゃたることにうたがいるるひとは、おのれかげおそれ、ちてゆたかなるときにもうえつかれ、四囲しい穏静おんせいなるさいにも暴風ぼうふうたさるるなり。これはんかみらいするものは、こころけんにして、その尊敬そんけいすべきことはすべてのひとあきらかにあらはれ、その賞賛しょうさんそのてき面前めんぜんにあり。

かみいましめのあらゆる財宝ざいほうよりたかうえにあり。これ獲得かくとくせしもの自己じこないかみん。かみ照慮しょうりょ常々つねづねやすんずるものかみさいとしてん。かみむねおこなふに渇想かつそうするもの天使てんし嚮導きょうどうさん。つみおそるるものおそろしき進行しんこうしてつまづかざるべく、晦冥かいめいときにはおのれまえにもおのれうちにもひかりん。つみおそるるものあししゅ保護ほごして、失脚しっきゃくするときにはかみあわれみさきだたん。おのれかいしょうなりとおもものぜんよりなおはなはだしくおちいり、七倍しちばいばつになはん。

謙遜けんそんもっほどこしけ、さらば審判しんぱんおいあわれみらん。なんじぜんほろぼせしほどあらたこれよ。なんじかみ蜚虻あぶさいせり、蜚虻あぶへて真珠しんじゅなんじよりらざらん。たとへばなんじ貞潔ていけつうしなへり、もし淫行いんこうとどまらばかみなんじよりほどこしけざらん、なんとなればなんじいましめやぶりしにより肉体にくたいせいなるをなんじ要望ようぼうすればなり。財産ざいさんてんとこころざして何物なにものためたたかいすか。なんじうえけられしものをててぶつためきたたたかふか。

せいエフレムへり、収穫しゅうかくとき冬服ふゆふくもっ炎熱えんねつてきせざらんと。かくごと各々おのおのところのものをるなり。すべてのやまいこれ相当そうとうなるくすりもっいやさるるなり。なんじ嫉妬しっとたれたるか、何故なにゆえ睡眠すいみんたたかふに尽力じんりょくするか。あやまちなおしょうにしてじゅくせざるあいだこれほろぼし、よう蔓延まんえんして成熟せいじゅくするにさきだつべし。きん[1]なんじしょうなりとゆるもだんするなかれ、なんとなれば後来こうらい無慙むざん[2]なる命令めいれいしゃてそのまえ奔走ほんそうすることしゅうごとくなるべきによる。最初さいしょよくてきするものすみやかかれ主宰しゅさいせん。

あなどりふせ方法ほうほうちながらよろこんこれ忍耐にんたいするをものは、かみしんずるによりしゃかみよりうけん、またひらるる冤罪えんざい順良じゅんりょうにして勘忍かんにんするものは、完全かんぜんたっし、せいなる天使てんしかれおどろかん。けだし如何いかなる徳行とくこうもかくのごと高尚こうしょうにしておこながたきはあらず。

こころみられておのれへんなるをるにいたまでは、なんじおのれ有力ゆうりょくなりとしんずるなかれ。かくのごとくすべてにおいおのれこころむべし。ただしき信仰しんこうおのれなんじてき蹂躙じゅうりんせんためなり。なんじさいたかぶるなかれなんじちかららいするなかれ、おそらくはなんじ天然てんねんよわきにおちいるをゆるされて、そのとき自己じこついによりおのれよわきをかくせん。おのれしき信任しんにんするなかれ、おそらくはてき中間ちゅうかん狡獪こうかいもっなんじとらへん。なんじした温良おんりょうならしめよ、しからばなんじかならじょくはざらん。かいなるくちよ、しからばひとみななんじともとならん。自己じこぎょうけっしてぶんことばにてほこるなかれ、おそらくははぢひらかん。ひとなにもっほこるともすべてにおいかみひとへんするをゆるたまふ、ひとはづかしめられて謙遜けんそんまなばんためなり。ゆえになんじはすべてをかみ預知よちたくし、生涯しょうがいへんなるもののあるごとしんぜざらんこと肝要かんようなり。

かくのごと行動こうどうしてだんそのかみげよ、なんとなればかみいん照管しょうかんことごとくのひと包容ほうようすればなり、しかれどもこの照管しょうかんおのれつみよりきよめて、つねかみおもひ、かみひとりをおもものほかにはあきらかえざるなり。しかしてかみためだいなるわくるときは、かみ照管しょうかんことかれあらはるるなり。けだしそのときかれかみ照管しょうかんかんすること、あたか肉眼にくがんもっごとくなるべくして、そのかくおよところわく源因げんいんとにじゅんじて苦行くぎょうしゃゆうはげますこと、たとへばイアコフイイスス ナワィン[3]三人さんにんどうペトルおよびその聖者せいしゃ人間にんげん状態じょうたいもっあらはれて、かれ敬虔けいけんはげまし、かつかためたるごとくなるべし。しかれどもなんじはん、こはせつによりかみもっ聖者せいしゃあたへられしものにて、かれひと特別とくべつかくごとしょうたまはりしなりと、しからばせいなる命者めいしゃもっなんじためゆう標準ひょうじゅんとせよ。かれはしばしばすう相供あいともあるい一個いっこ一個いっこに、おおくの場所ばしょおいかつ種々しゅじゅなる場所ばしょおいハリストスため奮闘ふんとうし、かれにあらはれたるちからにより、てつにてけづらるると人性じんせいためふるあたはざるひゃくはんくるしみとをもろたいにて忍耐にんたいせり、けだしかくごとものせいなる天使てんし顕然けんぜんあらはれたるはかれかみためにもろもろの誘惑ゆうわくともろもろの患難かんなん充分じゅうぶん忍耐にんたいしたるによりかみ照管しょうかんゆたかにあらはれて、かれ剛勇ごうゆうあらはし、もってそのてきはづかしむる所以ゆえんかれ各人かくじんかくせしめんためなり。けだしかくのごときのしょうによりしょ聖人せいじんかたささふるほどは、諸敵しょてきもその忍耐にんたい激成げきせいせられて益々ますます猖狂しょうきょう[4]いたりぬ。

られざる苦行くぎょうしゃおよ遁世者とんせいしゃかんしてはなにはんをようするか。かれもっじょうとなし、天使てんしさととなし、また住所じゅうしょとなせり。そのおこない斉整せいせいため天使てんしつねきたのぞめり、しかして独一どくいつ主宰しゅさいせんとしてときによりかれたがいともたたかへり。かれ終世しゅうせいあいしけるが、かみあいするにより山間さんかん巌窟がんくつまた深所ふかみ住居じゅうきょとなせり、しかしてかれぞくするものをすてててんぞくするものをあいし、天使てんしならものとなれるや、せいなる天使てんしそのものこれためかれにそのかたちをあらはしてかくさざることは当然とうぜんにして、そのことごとくのねがいたし、ときとしてはかれにあらはれて如何いか生活せいかつすべきをおしふ、しかしてまた或時あるときにはかれまよひし所以ゆえん説明せつめいし、或時あるときには聖者せいしゃみづからも質問しつもんせり、当然とうぜんなり、或時あるときには天使てんしみちまよひしものおしへ、或時あるときには誘惑ゆうわくおちいりしものすくひ、或時あるときにははからざる災害さいがいおそろしきなんさいかれりぬ、たとへばへびよりすくひ、あるい岩石がんせきあるい木片もくへんあるい投石とうせきためあやうきよりすくひしごとし、或時あるときにはもしてき聖者せいしゃ公然こうぜん侵撃しんげきするときは、顕然けんぜんかれにあらはれて、かれたすけんがためつかはされし所以ゆえんひ、しかしてかれ勇敢ゆうかん大胆だいたんおよしゃましくはへたり、しかれども他時たじにはかれもっやまいいやしたれど、或時あるときにはそのくるしみにかかれる聖者せいしゃみづからいやし、或時あるときにはくらはざるがためつかれしかれたいれ、あるいことばもっちょうぜんなるちからあたへてかれかためたり、しかして或時あるときにはかれ食物しょくもつ麺麭パンまたさいをもきょうし、あるい麺麭パンともくらふべきものをもそなへ、しかして或者あるものにはその死期しきげ、他者たしゃにはその有様ありさまをさへしめしたりき。それせいなる天使てんしわれあいひょうするとじんためにすべてあたふべきの配慮はいりょすとをおお計算けいさんせんをようするか、かれ吾人われらため配慮はいりょするはちょう兄弟けいてい少者しょうしゃけるごとし、此事このことふは『しゅすべこれものちかき』〔聖詠百四十四の十八(詩篇百四十五の十八)〕所以ゆえん人皆ひとみなかくし、しゅよろこばすことにおのれささ全心ぜんしんもってそのあとしたがものおけしゅ照管しょうかん如何いかなるをるをしめんためなり。

かみなんじ照管しょうかんするをしんずるか、何故なにゆえなんじ煩悶はんもんして、いちぞくするものとなんじ肉体にくたい要用ようようなるもののためこころやすんぜずしてねんするか。これはんしてかみ照管しょうかんするをしんぜず、したがっなんじ要用ようようなるものをかみがいみづからおもんばかるか、なんじ人類じんるいちゅうもっとあわれむべきものなり。なんためくるかいなきんとするか。『なんじかなしみをしゅはしめよ。かれなんじやしなはん』〔聖詠五十四の二十三(詩篇五十五の二十二)〕。『猝然にわかなる恐懼おそれおそるるなかれ』〔箴言三の二十五〕。

ひとたび永遠えいえんおのれかみささげたるものこころやすんじて生命いのちおくらん。よくならずんば霊魂れいこんりょ擾乱じょうらんまぬかあたはざるべくかん沈黙ちんもくせしめずんばおもい平安へいあんかんぜざるなり。誘惑ゆうわくらずんばたれ心神しんしん聡慧そうけいざらん。勉強べんきょうしてむなくんばねん機微きびさっせざるべし。ねん安静あんせいなくんばしんなるおうすすまざるべし。しんよりのぞむなくんば霊魂れいこん誘惑ゆうわくたいして勇敢ゆうかんなるあたはざるべし。かみ顕然けんぜんたる保護ほご試知しちせずんばこころかみらいするあたはざらん。もし霊魂れいこんハリストスなん認識にんしきしてこれあぢはへずんばハリストスしんするをざらん。

だいなる憐憫あわれみにより、くべからざる需要じゅようためおのれころものかみひとみとむべし。けだし貧者ひんしゃめぐものかみおのれ後見こうけんす。しかしてかみためまづしくなりしものはとぼしからざるたからん。

かみ何物なにものにも必要ひつようあらず、しかれどもひとかみすがたやすんぜしめて、かみためこれ尊敬そんけいするをときたのしまん。ひとあり、なんじ所有しょゆうするものをなんじときは、こころごとふなかれ『霊魂れいこんためこれのこしかん、これもっみづからやすんぜんためなり、かれため要用ようようなるものはしょよりかみかれあたへん』といふなかれ。かくごとことば不義ふぎにしてかみらざるひとにはてきせん。にしてぜんなるひとおのれとうときをあたへずして恩寵おんちょうときことなくしてけいするをゆるさざるなり。貧窮ひんきゅうして切迫せっぱくするひとかみよりきゅうせられん、なんとなればしゅ何人なんびとをもてざればなり、しかるになんじ貧者ひんしゃ放逐ほうちくしてかみよりなんじあたへられしとうときをはなれ、かみ恩寵おんちょうみづからとおざけんとす。ゆえあたふるときよろこんでつぎごとふべし『かみよ、光栄こうえいなんじす、やすんぜしむべきものふことをたまへばなり』と。しかれどもあたふべきものをなんじいつ所有しょゆうせざるときは、ことよろこぶべく、かみ感謝かんしゃしてごとふべし、『かみよ、なんじ感謝かんしゃす、なんじ恩寵おんちょう尊敬そんけいとをあたへ、すなはちなんじためまづしくなるをあたへ、やまいまづしきとをもっなんじ誡命かいめいみちかれたる患難かんなんむるをたまふこと、みち進行しんこうせしなんじしょ聖者せいしゃめたるごとくせしによる』と。

衰弱すいじゃくするときはふべし、『かみにより生命いのちぐべきものをもっかみよりこころみらるるをたまはりしものさいわいなり』と、けだしかみ霊魂れいこん康健こうけんためやまいつかはせばなり。聖者せいしゃあり、ごとへり、いはく『みとむ、しゅてきしてはたらかず、おの霊魂れいこんすくいため熱心ねっしんたたかはざる修道しゅうどうかなら誘惑ゆうわくおちいるをかみよりゆるさるるなり、閑散かんさん[5]なるものとならざらんがためおよおおくの閑散かんさんによりあくかたぶかざらんがためなり』と。ゆえにかみ怠慢たいまんなるもの等閑とうかん[6]なるもの誘惑ゆうわくこうむらしむるは、かれ誘惑ゆうわくことおもひてえきなることをかんがへざらんためなり。しかしてかみあいするものためかみつねたまふは、かれ瞭解りょうかいせしめ、智慧ちえして、そのむねかれおしへんためなり。ゆえにかれ衰弱すいじゃくして、此事このことおこれるは等閑とうかん怠慢たいまんとのためなるをうたがいなくかくするにいたまでかみがんするもすみやかかれざるべし。けだしろくしてへり、いはく『われなんぢぶるときをおほい、なんじおおくのとうをなすときもくことをせじ』〔イサイヤ一の十五〕と、人々ひとびとつきてもべしといへども、ことしゅみちてたるものためしるされしなり。

さりながらかみだいじんなりとふにもかかはらず誘惑ゆうわくおいつねたたかつもとむるときはかれざるのみならず、かえりわれねがいかろんずるは何故なにゆえなるか。けだし言者げんしゃ此事このことわれおしへてへり、しゅめぐみるるためしょうならず、しゅためみみおもくせず、かえりわれつみはわれをかれぶんし、われほうかれおもてそむけてかざらしむと〔イサイヤ五十九の一〕。なんときかみおくせよ、さらば災難さいなんおちいるときはかれなんじおくせん。

なんじせいよくやすきものとなり、現世げんせいにはわくおおく、あくなんじよりとおざからずして、なんじないにもなんじそくにも横溢おういつす、ところ地位ちいよりくだるなかれ。かみめぐたまふときはまぬかるるをん。まぶた相近あいちかきがごとく、わく人々ひとびとちかし、しかしてかみなんじえきせんためえいもっこれあらかじもうたまひしは、なんじつねかれもんたたかんためなり、患難かんなんおそれによりてかれおもおくなんじこころうえまんためなり、なんじとうおいかれちかづきだんかれおくしてなんじこころせいにせられんためなり。しかしてなんじがんするときはなんじたまはん、さらばなんじなんじすくものかみなるをかくすべく、なんじつくりてなんじためおもんばかり、なんじまもりて、なんじためじゅうかいつくりしものかくせん、すなはちいちいちたり教誨きょうかいたるものをつくり、ちちいえたり、永遠えいえんぎょうたるものをつくれるこれなり。かみなんじつくりて患難かんなんちかづきがたものとなさざりしは、なんじかみごとくならんとのぼうおこし、最初さいしょ明星みょうじょうたりしも後来こうらい驕傲きょうごうにより『サタナ』となりしものぎしものをおなじがざらんためなり。しかしてこれおなじなんじつくりてへんぜざるものとなさず、うつらざるものとなさざりしは、なんじれいなる造物ぞうぶつせいたるものとならざらんためなり、なんじおいぜんなるものがなんじためえきなるものとなり、恩賞おんしょうあたらざるものとなりてそんすること言者ごんしゃたる禽獣きんじゅう天然てんねん特質とくしつごとくならざらんためなり。けだしなんじむかつて此刺このとげがれしにより、えき感謝かんしゃ謙遜けんそん幾許いくばくしょうずるかは何人なんびとにもたやす了解りょうかいん。

これよりればわれ出来得できうだけぜんすすみてあくくべき所以ゆえんと、これよりながづるものはめいめい我有わがゆうとせらるる所以ゆえんとは顕然けんぜんたるなり。めいもっはづかしめらるるわれおそる、しかれどもめいもっはげまさるるもの感謝かんしゃかみささげて、徳行とくこう発展はってんせん。かみこれ育者いくしゃたまひしは、なんじかれまぬかれて自由じゆうになり、患難かんなんちかづきがたものとなり、すべての畏懼いくよりたかちて、なんじしゅかみわすれず、かれよりとおざからずして、しん主義しゅぎおちいるをまぬかれんためなり、たとへばおおくのものなんじおなじよくゆうしてなんじ同様どうようこうたるるにかかはらず、この瑣々ささたるけんあるい有形ゆうけいため瞬間しゅんかんにしてしん主義しゅぎおちいるのみならず、にして自己じこをもかみづくるをあえてせしごとくなるをまぬかれんためなり。ゆえにかみなんじ患難かんなんるをゆるたまへり。

しかれどもときとしてなんじえんしてかみいからしめざらんためにも、かみなんじばつとうじてなんじをそのかんばせよりほろぼさざらんためにも、これゆるすことあり。生活せいかつ安全あんぜんおそるるところなきとのゆえしょうずるところしんおよびそのぼうかんしては、これよりさきべしものをあえなんするものあらずんば、はざるべし。かみくるしみとよくとをもっなんじこころかみおもおくし、反対はんたいしゃおそるるによりなんじかみじんもんかしめ、これよりすくふをもっかみあいするこころなんじうちまきけたまへり。しかしてあいなんじれ、義子ぎしたるえいもっかみちかづかしめて、その恩寵おんちょういくばくほうなるをなんじにあらはせり。けだし反対はんたいなるものいつなんじかいするあらずんばかくごとかみ照管しょうかん善慮ぜんりょとをなんじ何処いづこよりたんすべきか。ゆえかみあいするこころこれによりなんじ霊中れいちゅうおおい増殖ぞうしょくせらるべし、すなはちかみたまもの瞭解りょうかいするとその照管しょうかんおおいあまりあるをおくするとにより増殖ぞうしょくせらるべし。のすべての幸福こうふくなんじためあいによりてしょうぜらるるはなんじ感謝かんしゃするをまなばんためなり。おわりにかみおくせよ、かみなんじつねおくせんためなり。しかしてなんじおくしてなんじすくふときはかれよりすべての幸福こうふくをうけん。えきなることおもいせてかみわするるなかれ、かみなんじをそのせんわすれざらんためなり。おのれゆうおいかみ従順じゅうじゅんなるべし、患難かんなんおいかみたいする熱心ねっしんけんなるとうもっかみまへゆうゆうせんためなり。

しゅおもおくこころゆうしてしゅまへだんおのれいさぎよくせよ、ひさしくかれおくせずして、かれときゆうゆうせざるものとならざらんためなり。けだしかみまえけるゆうかみしきり対談たいだんするとおおくのとう結果けっかなり。人々ひとびと交際こうさいするとこれつづくるとは身体しんたいる、しかれどもかみ交通こうつうするは心中しんちゅうおくとうちゅうするとぜん燔祭はんさいとにる。かみおもおくひさしくまもるにより霊魂れいこんときとしてがい[7]きょう[8]とにいたることあり。『しゅたづぬるものこころたのしむべし』。せめうくものしゅたづぬべし、さらばのぞみもっ確立かくりつせん、悔改かいかいもっかれかんばせたづぬべし、〔聖詠百四の三、四(詩篇百五の三、四)〕さらばそのかんばせせいなるをもっせいにせられてそのつみよりきよめられん。すべつみあるものしゅはしけよ、かれつみゆるしてそのあやまちかろんぜん。けだしかれ言者げんしゃもっちかつていへり、いはく『しゅく、罪人ざいにんほっせず、てんじてきんをほっす』〔イエゼキリ三十三の十一〕、またふ『したがはずしてもとれるたみ終日しゅうじつのばしてまねけり』〔イサイヤ六十五の一〕、またふ『イズライリのぜんあわれむ』〔イエゼキリ三十九の二十五〕、『われかえれ、われまたなんじにかへらん』〔マラヒヤ三の七〕、またふ『罪人ざいにん其途そのみちててしゅかえり、法律ほうりつこうとをおこなには、かれほうおくせず、すなはきてせざらんと、しゅはいひたまふ。しかしてもしじんそのてて、つみおかし、不義ふぎさばかれおくせず、かえっつまづき其前そのまえかん、さればかれそのおこないとどまりて暗中あんちゅうせん』〔イエゼキリ十八の二十一 ― 二十四何故なにゆえなるか、けだし罪人ざいにんしゅかえには其罪そのつみつまづかざるべけれど、じんはもし如此かくのごときつみとどまるならば、そのかれつみおこなふのすくはざるによる。しかしてかみイエレミヤごとげていへり、いはく『なんじ巻物まきものなんじかたりしすなはイウデヤおうイオシヤより今日こんにちいたるまでをこれろくせよ、なんじかたりしごと此民このたみくださんとするすべてのわざわいき、おそれておのおのそのしきみちはなれ、てんじて悔改かいかいせん、さらばわれ其罪そのつみゆるすべし』〔イエレミヤ三十六の二、三〕、またえいしゃへり『おのれつみおほものいつえきするところあらず、されどおのれつみみとめてこれはいするものかみより矜恤きょうじゅつこうむらん』と、〔箴言二十八の十三〕。またイサイヤへりいはく『しゅたづねよ、たづねてかれべよ、ちかづきて罪人ざいにん其途そのみちはな不義ふぎなるひとそのおもいて、しかしてわれかえれよ、しからばなんじあはれまん。けだしおもいなんじおもいごとくならず、みちなんじみちごとくならず』〔イサイヤ五十五の六、八〕、もしわれしたがはばなるものくらはん〔イサイヤ一の十九〕。われきたりてわれしたがふべし、しからばなんじれいきん。しゅみちまもりてしゅむねおこなときしゅらいしてかれぶべし。『われぶときはわれここにありといはん』〔イサイヤ五十八の九〕。

誘惑ゆうわく不義ふぎしゃおそふや、かれかみんでそのすくひつのぼうゆうせず、なんとなれば安寧あんねいかみむねよりとおざかりしによる。たたかひはじむるさきたすけおのれにたづねよ、疾病しっぺいさきさがせよ、患難かんなんなんじきたさきかみいのれ、さらばこうときかみたづねてかみなんじたまはん。失脚しっきゃくするさきんでねがふべし、とうせんとしてさき誓約せいやくようせよ、すなはち此処このところより旅立たびだちすることのようせよ。ノイ(ノア)の方舟ほうしゅう平安へいあんとき預備よびせられてその百年ひゃくねんまえ仕上しあげられたり。さればいかりとき不義ふぎしゃほろびたれどじんためふね庇護ひごとなりぬ。

不義ふぎなるくちとうためふさがらん、なんとなれば良心りょうしんめはひとゆうゆうせざるものとせばなり。善良ぜんりょうなるこころとうおいよろこんでなみだながす。するところものよろこんであなどり忍耐にんたいすれども、くるところものあなどり忍耐にんたいするあたはず、かえり虚誇きょこためうごかされて、いかりはっし、無智むちなる激動げきどうにより擾乱じょうらんし、あるいあいかこまれん。かくごと徳行とくこうしんするは如何いかかたくして、かみより如何いかなるえいくるや。徳行とくこうしんするものすなはちあなどり忍耐にんたい大量たいりょうならんをほっするものは、親族しんぞくとおざかりて旅行りょこうしゃとならんこと要用ようようなり、なんとなれば本国ほんごくおいてはこの徳行とくこうしんするあたはざればなり。親族しんぞくうちりてなん忍耐にんたいするはいつだいなる有力ゆうりょくしゃてきすべく、このするところもののみこれくせん、なんとなればかれはすべて現在げんざいなぐさめにのぞみてばなり。

恩寵おんちょう謙遜けんそんとおからざるごとく、やまい発作ほっさ驕傲きょうごうちかし。しゅ謙遜けんそんなるものむかふ、かれたのしましめんためなり。されどしゅおもて驕傲きょうごうなるものはんす、かれ謙遜けんそんならしめんためなり。謙遜けんそんかみよりつねあわれみをく。これはんしてじん小信しょうしんとはおそろしき出来できごと相会あいかいす。すべてにおい衆人しゅうじんまえおのれひくうせよ、さらばこのおうまえたかめられん。敬礼けいれい叩拝こうはいもってすべてのひとさきんぜよ、さらばオフィル[9]きん進献しんけんするものよりもたっとばれん。

おのれひくうせよ、しからばおのれかみさかえみとめん。けだし謙遜けんそんいだところかみさかえながるるなり。もしなんじはすべてのひとなんじ公然こうぜんいやしめんことをせつねがふならば、かみなんじ頌揚しょうようせらるるものとなさん。もしそのこころ謙遜けんそんゆうするならば、かみはそのえいなんじこころしめさん。なんじだいなるにおいあなどやすものとなれ、されどなんじしょうなるにおいだいなるものとなるなかれ。けいるをつとめよ、さらばかみめいたされん。ないきずたして、尊敬そんけいるをもとむるなかれ。めいしりぞけよ、尊崇そんそうせられんためなり。めいあいするなかれ名声めいせいけがれざらんためなり。めい汲々きゅうきゅうたるものよりめい前面ぜんめんのがれん。されどめいくるものめいあとより追求ついきゅうして、衆人しゅうじんためにその謙遜けんそんこくしゃとならん。

もしなんじ尊崇そんそうせらるるをまぬかれんためみづからおのれかろんぜば、かみなんじせんせん。もしじつおのれなんせば、かみことごとくの造物ぞうぶつなんじ頌讃しょうさんするをめいじ、なんじ造成ぞうせいしゃ光栄こうえいもんなんじまえひらけて、なんじ頌讃しょうさんせん、なんとなればなんじにはじつかみぞうしょうとあればなり。道徳どうとくひかかがやけども人々ひとびとには微々びびたるものとしてあらはれ、生活せいかつ淡白たんぱくしき賢明けんめいにして、心神しんしん謙遜けんそんなるものたれたるか、すべてにおいおのれへりくだものさいわいなり、なんとなればたかめられんとすればなり。けだしかみためにすべてにおいへりくだりておのれ抑損よくそんするものかみもっ称讃しょうさんせられん。かみためかわものかみはその幸福こうふくたしめん。かみためたいしのものかみもっきゅう光栄こうえいせらるるなり。かみため極貧きょくひんとなるものかみ真実しんじつなるとみもっなぐさめられん。かみためおのれいやしめよ、さらばなんじさかえ幾許いくばくぞうするをらざらん。畢生ひっせいおのれ罪人ざいにんせ、さらば生涯しょうがいあいだなんじとせらるるものとならん。おのれ賢明けんめいおい無知むちとなれ、無知むちにして賢明けんめいゆるなかれ。謙遜けんそん凡庸ぼんようがくひとをもたかうするならば、おおいにしてたっとぶべきものには如何いかなる尊敬そんけいあたふるかおもふべきなり。

虚誇きょこのがれよ、しからば称讃しょうさんせられん。驕傲きょうごうおそれよ、さらばたかめられん。虚誇きょこひとあたへられず、尊大そんだいおんなものあたへられず。もしなんじはすべてうきぞくするものを自由じゆうつるならば、これものけよ。貪慾たんよくなるものくること、貪慾たんよくそのものをくるごとくせよ。奢侈しゃしなるものとおざかること、奢侈しゃしそのものにとおざかるごとくせよ。放蕩ほうとうなるものくること、放蕩ほうとうそのものをくるごとくせよ。けだしこれことおくするのみにてもこころみだすならば、いはんやかくのごともの看望かんぼうし、かれときおくるにおいてをや。義者ぎしゃ親近しんきんせよ、かれによりかみちかづかん。謙遜けんそんゆうするもの交際こうさいしてかれ品性ひんせいならへ。けだしかくのごともの看望かんぼうするはえきあるならば、いはんやかれ口授こうじゅおしえおいてをや。

貧者ひんしゃあいせよ、かれによりなんじあわれみとらへんためなり。好争こうそうしゃ近接きんせつするなかれ、おそらくはなんじ安静あんせいほかつを余儀よぎなくせられん、やまいあるものこと極貧ごくひんなるものよりはっする悪臭あくしゅうきらはず耐忍たいにんせよ、なんじ肉体にくたいつつまるればなり。心にかなしものむるなかれ、おそらくはかれつえなんじち、なんじじゅつしゃもとむれどもざらん。不具ふぐしゃいやしむなかれ、人皆ひとみな同尊どうそんにして、ごくおもむけばなり。罪人ざいにんあいすれどもそのおこないにくめ、つみあるものをそのきんためかろんずるなかれ、かれいざなはれたるものをもっ自分じぶんおなじいざなはれざらんためなり。なんじせいけしものなるをおくして、衆人しゅうじんぜんすべし。なんじとう要求ようきゅうするものしりぞくるなかれ、かれやわらぐる慰藉いしゃことばうばふなかれ、おそらくはかれほろびてかれれいなんじよりもとめられん。これはんして焮衝きんしょう[10]やまいいやすに清涼せいりょうざいもってすれども、これ反対はんたいなるものをは温暖おんだんなるものをもってするをおくせよ。

ひと面会めんかいするときかれにそのこえ尊敬そんけいひょうするにおのれひよ。かれあしとを接吻せっぷんし、だいなるけいひょうしてしきりにかれいだき、かれおのれうえげて、かれゆうせざるもののためにさへかれ称揚しょうようせよ。しかしてかれわかるるときかれためにすべてぜんなることをひ、なににても尊敬そんけいすべきことをふべし。これ挙動きょどうもっかれぜんにみちびき、かれをしてなんじ待遇たいぐうあつ敬礼けいれいみづからはづるあらしめ、かれ徳行とくこう種子たねけばなり。なんじたるかくごときの習慣しゅうかんによりぜんなる象様しょうようなんじいんせらるべく、みづからたか謙遜けんそんだいなるものにたやすくしんせん。しかのみならずなんじ尊敬そんけいするものなに欠点けってんゆうするあらば、なんじのあらはせる尊敬そんけいによりみづからぢて、なんじより療方りょうほうたやすくけん。この習慣しゅうかんすなはち衆人しゅうじんたいして慇懃いんぎん謹厚きんこうなる習慣しゅうかんなんじつねゆうすべし。信仰しんこうためにも悪行あくこうためにもたれをもげきするなかれたれをもにくむなかれ。たれなにおいてかなんあるいせきするを戒慎かいしんせよ、なんとなればわれには公平こうへい無私むしなる審判しんぱんしゃてんいますあればなり、されどもしたれをかしんむかはしめんとほっするならば、かれためかなしむべし。なみだあいとをもっかれいちげんふべし、しかれどもかれいかりはっするなかれ、さらば仇怨きゅうえん徴候ちょうこうなんじうちみとめざらん、けだしあいひといかあるいげきし、あるい騒急そうきゅうひとむるあたはざるなり。われしゅハリストスイイススためぜんなる良心りょうしんによりしょうぜらるる謙遜けんそんあいしきひょうとならん。彼に光栄と権柄けんぺいは父及び聖神と共に今も何時いつも世々にす。「アミン」。

脚注[編集]

  1. 投稿者注:きず。あやまち、欠点、短所。
  2. 投稿者注:無慙むざん無慚むざんは悪い事をして心に恥じないこと。いたいたしく正視に堪えないようすを意味する無惨むざん無残むざんとは異なる。
  3. 投稿者注:ヨシュア。
  4. 投稿者注:猛り狂うさま。
  5. 投稿者注:ここでは心に活気のない状態を意味すると思われる。
  6. 投稿者注:ものごとをいい加減にすること。真剣さがないこと。深く心に留めないこと。
  7. 投稿者注:驚くこと。突然のできごとに対して激しく動揺すること。
  8. 投稿者注:驚いて当惑すること。
  9. 投稿者注:オフィルはソロモン王の時代の金の産地。
  10. 投稿者注:からだの一部分が赤くはれ、熱をもって痛むこと。炎症。