シリヤの聖イサアク全書/第五十七説教

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第57説教[編集]

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かみひとびとようがくしゅうたまふて、だいなるそんけいをあらはし、きゅうさいてきにんしきらしめんがためにそのとざせるもんなんところにもひらたまへり。このことしんじつなるしょうしゃなんじねがふか。おのれにかえもとめよ、かれほろびざるなり。されどこれがいにもかくせんとほっするならば、なんじしんじつみちあやまらずしてひきいだしょうしゃとをゆうするなり。

みだされししつねんまぬかるるあたはず。えいもかくのごとものためにそのもんひらかざるなり。しゅうじんいっぱんおわりいかなるびょうどうみちびくをかくたるにんしきもっかいするをくするものは、うきことつるためひつようあらざるべし。げんかみもっひとあたへられたるてんねんりっぽうかみぞうぶつかんさつするこれなり。しょしるされしりっぽうらくのちくはへられしなり。

よくげんいんよりゆうとおざからざるものこころならずつみゆういんせられん。つみげんいんごとし、さけなり、おんななり、とみなり、にくたいきょうそうなり、さりながらこはそのせいしつおいつみなるにはあらず、てんせいこれによりつみなるよくたやすくかたぶくによる、ゆえひとちゅうしてこれかいしんすることかんようなり。もしおのれよわきをつねおくするならばかいしんさかいやぶらざるべし。ごくひんひとびとしゅうとするところなり、しかれどもこうまんなるれいこんこうちょうなるいきとはことかみしゅうとせらる。とみひとびとたっとばる、しかれどもけんそんなるれいこんかみそんけいするところなり。

ぜんなるかつどうはじめかんとほっするときは、なんじおよところゆうわくためみづからそないをなして、しんちゅうちょするなかるべし。けだしひとねっしんもっぜんなるしょうがいはじむるをるや、しゅじゅおそるべきゆうわくもっかれむかへ、これによりおそれてぜんひややかならしめ、かみよろこばるるこうちかづくのせつあいまったゆうせざらしめんとするはてきつねなればなり。しかしててきこれすはかくのごときのちからゆうするによるにあらず(もしこれゆうするならばひといかなるぜんをもすことあたはざるべし)なるイオフ(ヨブ)においわれかくするごとかみかれゆるたまふによる。ゆえにとくこうつかはさるるゆうわくゆうこれむかふるのそないをなして、そののちかつどうはじめよ、これはんしてゆうわくむかふるのよびをなさずんばとくこうかつどうみづからきんすべし。

かみぜんなるかつどうおけじょしゃたることにうたがいるるひとは、おのれかげおそれ、ちてゆたかなるときにもうえつかれ、しいおんせいなるさいにもぼうふうたさるるなり。これはんかみらいするものは、こころけんにして、そのそんけいすべきことはすべてのひとあきらかにあらはれ、そのしょうさんそのてきめんぜんにあり。

かみいましめのあらゆるざいほうよりたかうえにあり。これかくとくせしものじこないかみん。かみしょうりょつねづねやすんずるものかみさいとしてん。かみむねおこなふにかつそうするものてんしきょうどうさん。つみおそるるものおそろしきしんこうしてつまづかざるべく、かいめいときにはおのれまえにもおのれうちにもひかりん。つみおそるるものあししゅほごして、しっきゃくするときにはかみあわれみさきだたん。おのれかいしょうなりとおもものぜんよりなおはなはだしくおちいり、しちばいばつになはん。

けんそんもっほどこしけ、さらばしんぱんおいあわれみらん。なんじぜんほろぼせしほどあらたこれよ。なんじかみあぶさいせり、あぶへてしんじゅなんじよりらざらん。たとへばなんじていけつうしなへり、もしいんこうとどまらばかみなんじよりほどこしけざらん、なんとなればなんじいましめやぶりしによりにくたいせいなるをなんじようぼうすればなり。ざいさんてんとこころざしてなにものためたたかいすか。なんじうえけられしものをててぶつためきたたたかふか。

せいエフレムへり、しゅうかくときふゆふくもっえんねつてきせざらんと。かくごとおのおのところのものをるなり。すべてのやまいこれそうとうなるくすりもっいやさるるなり。なんじしっとたれたるか、なにゆえすいみんたたかふにじんりょくするか。あやまちなおしょうにしてじゅくせざるあいだこれほろぼし、ようまんえんしてせいじゅくするにさきだつべし。きん[1]なんじしょうなりとゆるもだんするなかれ、なんとなればこうらいむざん[2]なるめいれいしゃてそのまえほんそうすることしゅうごとくなるべきによる。さいしょよくてきするものすみやかかれしゅさいせん。

あなどりふせほうほうちながらよろこんこれにんたいするをものは、かみしんずるによりしゃかみよりうけん、またひらるるえんざいじゅんりょうにしてかんにんするものは、かんぜんたっし、せいなるてんしかれおどろかん。けだしいかなるとくこうもかくのごとこうしょうにしておこながたきはあらず。

こころみられておのれへんなるをるにいたまでは、なんじおのれゆうりょくなりとしんずるなかれ。かくのごとくすべてにおいおのれこころむべし。ただしきしんこうおのれなんじてきじゅうりんせんためなり。なんじさいたかぶるなかれなんじちかららいするなかれ、おそらくはなんじてんねんよわきにおちいるをゆるされて、そのときじこついによりおのれよわきをかくせん。おのれしきしんにんするなかれ、おそらくはてきちゅうかんこうかいもっなんじとらへん。なんじしたおんりょうならしめよ、しからばなんじかならじょくはざらん。かいなるくちよ、しからばひとみななんじともとならん。じこぎょうけっしてぶんことばにてほこるなかれ、おそらくははぢひらかん。ひとなにもっほこるともすべてにおいかみひとへんするをゆるたまふ、ひとはづかしめられてけんそんまなばんためなり。ゆえになんじはすべてをかみよちたくし、しょうがいへんなるもののあるごとしんぜざらんことかんようなり。

かくのごとこうどうしてだんそのかみげよ、なんとなればかみいんしょうかんことごとくのひとほうようすればなり、しかれどもこのしょうかんおのれつみよりきよめて、つねかみおもひ、かみひとりをおもものほかにはあきらかえざるなり。しかしてかみためだいなるわくるときは、かみしょうかんことかれあらはるるなり。けだしそのときかれかみしょうかんかんすること、あたかにくがんもっごとくなるべくして、そのかくおよところわくげんいんとにじゅんじてくぎょうしゃゆうはげますこと、たとへばイアコフイイスス ナワィン[3]さんにんどうペトルおよびそのせいしゃにんげんじょうたいもっあらはれて、かれけいけんはげまし、かつかためたるごとくなるべし。しかれどもなんじはん、こはせつによりかみもっせいしゃあたへられしものにて、かれひととくべつかくごとしょうたまはりしなりと、しからばせいなるめいしゃもっなんじためゆうひょうじゅんとせよ。かれはしばしばすうあいともあるいいっこいっこに、おおくのばしょおいかつしゅじゅなるばしょおいハリストスためふんとうし、かれにあらはれたるちからにより、てつにてけづらるるとじんせいためふるあたはざるひゃくはんくるしみとをもろたいにてにんたいせり、けだしかくごとものせいなるてんしけんぜんあらはれたるはかれかみためにもろもろのゆうわくともろもろのかんなんじゅうぶんにんたいしたるによりかみしょうかんゆたかにあらはれて、かれごうゆうあらはし、もってそのてきはづかしむるゆえんかれかくじんかくせしめんためなり。けだしかくのごときのしょうによりしょせいじんかたささふるほどは、しょてきもそのにんたいげきせいせられてますますしょうきょう[4]いたりぬ。

られざるくぎょうしゃおよとんせいしゃかんしてはなにはんをようするか。かれもっじょうとなし、てんしさととなし、またじゅうしょとなせり。そのおこないせいせいためてんしつねきたのぞめり、しかしてどくいつしゅさいせんとしてときによりかれたがいともたたかへり。かれしゅうせいあいしけるが、かみあいするによりさんかんがんくつまたふかみじゅうきょとなせり、しかしてかれぞくするものをすてててんぞくするものをあいし、てんしならものとなれるや、せいなるてんしそのものこれためかれにそのかたちをあらはしてかくさざることはとうぜんにして、そのことごとくのねがいたし、ときとしてはかれにあらはれていかせいかつすべきをおしふ、しかしてまたあるときにはかれまよひしゆえんせつめいし、あるときにはせいしゃみづからもしつもんせり、とうぜんなり、あるときにはてんしみちまよひしものおしへ、あるときにはゆうわくおちいりしものすくひ、あるときにははからざるさいがいおそろしきなんさいかれりぬ、たとへばへびよりすくひ、あるいがんせきあるいもくへんあるいとうせきためあやうきよりすくひしごとし、あるときにはもしてきせいしゃこうぜんしんげきするときは、けんぜんかれにあらはれて、かれたすけんがためつかはされしゆえんひ、しかしてかれゆうかんだいたんおよしゃましくはへたり、しかれどもたじにはかれもっやまいいやしたれど、あるときにはそのくるしみにかかれるせいしゃみづからいやし、あるときにはくらはざるがためつかれしかれたいれ、あるいことばもっちょうぜんなるちからあたへてかれかためたり、しかしてあるときにはかれしょくもつパンまたさいをもきょうし、あるいパンともくらふべきものをもそなへ、しかしてあるものにはそのしきげ、たしゃにはそのありさまをさへしめしたりき。それせいなるてんしわれあいひょうするとじんためにすべてあたふべきのはいりょすとをおおけいさんせんをようするか、かれわれらためはいりょするはちょうけいていしょうしゃけるごとし、このことふは『しゅすべこれものちかき』〔聖詠百四十四の十八(詩篇百四十五の十八)〕ゆえんひとみなかくし、しゅよろこばすことにおのれささぜんしんもってそのあとしたがものおけしゅしょうかんいかなるをるをしめんためなり。

かみなんじしょうかんするをしんずるか、なにゆえなんじはんもんして、いちぞくするものとなんじにくたいようようなるもののためこころやすんぜずしてねんするか。これはんしてかみしょうかんするをしんぜず、したがっなんじようようなるものをかみがいみづからおもんばかるか、なんじじんるいちゅうもっとあわれむべきものなり。なんためくるかいなきんとするか。『なんじかなしみをしゅはしめよ。かれなんじやしなはん』〔聖詠五十四の二十三(詩篇五十五の二十二)〕。『にわかなるおそれおそるるなかれ』〔箴言三の二十五〕。

ひとたびえいえんおのれかみささげたるものこころやすんじていのちおくらん。よくならずんばれいこんりょじょうらんまぬかあたはざるべくかんちんもくせしめずんばおもいへいあんかんぜざるなり。ゆうわくらずんばたれしんしんそうけいざらん。べんきょうしてむなくんばねんきびさっせざるべし。ねんあんせいなくんばしんなるおうすすまざるべし。しんよりのぞむなくんばれいこんゆうわくたいしてゆうかんなるあたはざるべし。かみけんぜんたるほごしちせずんばこころかみらいするあたはざらん。もしれいこんハリストスなんにんしきしてこれあぢはへずんばハリストスしんするをざらん。

だいなるあわれみにより、くべからざるじゅようためおのれころものかみひとみとむべし。けだしひんしゃめぐものかみおのれこうけんす。しかしてかみためまづしくなりしものはとぼしからざるたからん。

かみなにものにもひつようあらず、しかれどもひとかみすがたやすんぜしめて、かみためこれそんけいするをときたのしまん。ひとあり、なんじしょゆうするものをなんじときは、こころごとふなかれ『れいこんためこれのこしかん、これもっみづからやすんぜんためなり、かれためようようなるものはしょよりかみかれあたへん』といふなかれ。かくごとことばふぎにしてかみらざるひとにはてきせん。にしてぜんなるひとおのれとうときをあたへずしておんちょうときことなくしてけいするをゆるさざるなり。ひんきゅうしてせっぱくするひとかみよりきゅうせられん、なんとなればしゅなんびとをもてざればなり、しかるになんじひんしゃほうちくしてかみよりなんじあたへられしとうときをはなれ、かみおんちょうみづからとおざけんとす。ゆえあたふるときよろこんでつぎごとふべし『かみよ、こうえいなんじす、やすんぜしむべきものふことをたまへばなり』と。しかれどもあたふべきものをなんじいつしょゆうせざるときは、ことよろこぶべく、かみかんしゃしてごとふべし、『かみよ、なんじかんしゃす、なんじおんちょうそんけいとをあたへ、すなはちなんじためまづしくなるをあたへ、やまいまづしきとをもっなんじかいめいみちかれたるかんなんむるをたまふこと、みちしんこうせしなんじしょせいしゃめたるごとくせしによる』と。

すいじゃくするときはふべし、『かみによりいのちぐべきものをもっかみよりこころみらるるをたまはりしものさいわいなり』と、けだしかみれいこんこうけんためやまいつかはせばなり。せいしゃあり、ごとへり、いはく『みとむ、しゅてきしてはたらかず、おのれいこんすくいためねっしんたたかはざるしゅうどうかならゆうわくおちいるをかみよりゆるさるるなり、かんさんなるものとならざらんがためおよおおくのかんさんによりあくかたぶかざらんがためなり』と。ゆえにかみたいまんなるものとうかん[5]なるものゆうわくこうむらしむるは、かれゆうわくことおもひてえきなることをかんがへざらんためなり。しかしてかみあいするものためかみつねたまふは、かれりょうかいせしめ、ちえして、そのむねかれおしへんためなり。ゆえにかれすいじゃくして、このことおこれるはとうかんたいまんとのためなるをうたがいなくかくするにいたまでかみがんするもすみやかかれざるべし。けだしろくしてへり、いはく『われなんぢぶるときをおほい、なんじおおくのとうをなすときもくことをせじ』〔イサイヤ一の十五〕と、ひとびとつきてもべしといへども、ことしゅみちてたるものためしるされしなり。

さりながらかみだいじんなりとふにもかかはらずゆうわくおいつねたたかつもとむるときはかれざるのみならず、かえりわれねがいかろんずるはなにゆえなるか。けだしげんしゃこのことわれおしへてへり、しゅめぐみるるためしょうならず、しゅためみみおもくせず、かえりわれつみはわれをかれぶんし、われほうかれおもてそむけてかざらしむと〔イサイヤ五十九の一〕。なんときかみおくせよ、さらばさいなんおちいるときはかれなんじおくせん。

なんじせいよくやすきものとなり、げんせいにはわくおおく、あくなんじよりとおざからずして、なんじないにもなんじそくにもおういつす、ところちいよりくだるなかれ。かみめぐたまふときはまぬかるるをん。まぶたあいちかきがごとく、わくひとびとちかし、しかしてかみなんじえきせんためえいもっこれあらかじもうたまひしは、なんじつねかれもんたたかんためなり、かんなんおそれによりてかれおもおくなんじこころうえまんためなり、なんじとうおいかれちかづきだんかれおくしてなんじこころせいにせられんためなり。しかしてなんじがんするときはなんじたまはん、さらばなんじなんじすくものかみなるをかくすべく、なんじつくりてなんじためおもんばかり、なんじまもりて、なんじためじゅうかいつくりしものかくせん、すなはちいちいちたりきょうかいたるものをつくり、ちちいえたり、えいえんぎょうたるものをつくれるこれなり。かみなんじつくりてかんなんちかづきがたものとなさざりしは、なんじかみごとくならんとのぼうおこし、さいしょみょうじょうたりしもこうらいきょうごうにより『サタナ』となりしものぎしものをおなじがざらんためなり。しかしてこれおなじなんじつくりてへんぜざるものとなさず、うつらざるものとなさざりしは、なんじれいなるぞうぶつせいたるものとならざらんためなり、なんじおいぜんなるものがなんじためえきなるものとなり、おんしょうあたらざるものとなりてそんすることごんしゃたるきんじゅうてんねんとくしつごとくならざらんためなり。けだしなんじむかつてこのとげがれしにより、えきかんしゃけんそんいくばくしょうずるかはなんびとにもたやすりょうかいん。

これよりればわれできうだけぜんすすみてあくくべきゆえんと、これよりながづるものはめいめいわがゆうとせらるるゆえんとはけんぜんたるなり。めいもっはづかしめらるるわれおそる、しかれどもめいもっはげまさるるものかんしゃかみささげて、とくこうはってんせん。かみこれいくしゃたまひしは、なんじかれまぬかれてじゆうになり、かんなんちかづきがたものとなり、すべてのいくよりたかちて、なんじしゅかみわすれず、かれよりとおざからずして、しんしゅぎおちいるをまぬかれんためなり、たとへばおおくのものなんじおなじよくゆうしてなんじどうようこうたるるにかかはらず、このささたるけんあるいゆうけいためしゅんかんにしてしんしゅぎおちいるのみならず、にしてじこをもかみづくるをあえてせしごとくなるをまぬかれんためなり。ゆえにかみなんじかんなんるをゆるたまへり。

しかれどもときとしてなんじえんしてかみいからしめざらんためにも、かみなんじばつとうじてなんじをそのかんばせよりほろぼさざらんためにも、これゆるすことあり。せいかつあんぜんおそるるところなきとのゆえしょうずるところしんおよびそのぼうかんしては、これよりさきべしものをあえなんするものあらずんば、はざるべし。かみくるしみとよくとをもっなんじこころかみおもおくし、はんたいしゃおそるるによりなんじかみじんもんかしめ、これよりすくふをもっかみあいするこころなんじうちまきけたまへり。しかしてあいなんじれ、ぎしたるえいもっかみちかづかしめて、そのおんちょういくばくほうなるをなんじにあらはせり。けだしはんたいなるものいつなんじかいするあらずんばかくごとかみしょうかんぜんりょとをなんじいづこよりたんすべきか。ゆえかみあいするこころこれによりなんじれいちゅうおおいぞうしょくせらるべし、すなはちかみたまものりょうかいするとそのしょうかんおおいあまりあるをおくするとによりぞうしょくせらるべし。のすべてのこうふくなんじためあいによりてしょうぜらるるはなんじかんしゃするをまなばんためなり。おわりにかみおくせよ、かみなんじつねおくせんためなり。しかしてなんじおくしてなんじすくふときはかれよりすべてのこうふくをうけん。えきなることおもいせてかみわするるなかれ、かみなんじをそのせんわすれざらんためなり。おのれゆうおいかみじゅうじゅんなるべし、かんなんおいかみたいするねっしんけんなるとうもっかみまへゆうゆうせんためなり。

しゅおもおくこころゆうしてしゅまへだんおのれいさぎよくせよ、ひさしくかれおくせずして、かれときゆうゆうせざるものとならざらんためなり。けだしかみまえけるゆうかみしきりたいだんするとおおくのとうけっかなり。ひとびとこうさいするとこれつづくるとはしんたいる、しかれどもかみこうつうするはしんちゅうおくとうちゅうするとぜんはんさいとにる。かみおもおくひさしくまもるによりれいこんときとしてがい[6]きょう[7]とにいたることあり。『しゅたづぬるものこころたのしむべし』。せめうくものしゅたづぬべし、さらばのぞみもっかくりつせん、かいかいもっかれかんばせたづぬべし、〔聖詠百四の三、四(詩篇百五の三、四)〕さらばそのかんばせせいなるをもっせいにせられてそのつみよりきよめられん。すべつみあるものしゅはしけよ、かれつみゆるしてそのあやまちかろんぜん。けだしかれげんしゃもっちかつていへり、いはく『しゅく、ざいにんほっせず、てんじてきんをほっす』〔イエゼキリ三十三の十一〕、またふ『したがはずしてもとれるたみしゅうじつのばしてまねけり』〔イサイヤ六十五の一〕、またふ『イズライリのぜんあわれむ』〔イエゼキリ三十九の二十五〕、『われかえれ、われまたなんじにかへらん』〔マラヒヤ三の七〕、またふ『ざいにんそのみちててしゅかえり、ほうりつこうとをおこなには、かれほうおくせず、すなはきてせざらんと、しゅはいひたまふ。しかしてもしじんそのてて、つみおかし、ふぎさばかれおくせず、かえっつまづきそのまえかん、さればかれそのおこないとどまりてあんちゅうせん』〔イエゼキリ十八の二十一 ― 二十四なにゆえなるか、けだしざいにんしゅかえにはそのつみつまづかざるべけれど、じんはもしかくのごときつみとどまるならば、そのかれつみおこなふのすくはざるによる。しかしてかみイエレミヤごとげていへり、いはく『なんじまきものなんじかたりしすなはイウデヤおうイオシヤよりこんにちいたるまでをこれろくせよ、なんじかたりしごとこのたみくださんとするすべてのわざわいき、おそれておのおのそのしきみちはなれ、てんじてかいかいせん、さらばわれそのつみゆるすべし』〔イエレミヤ三十六の二、三〕、またえいしゃへり『おのれつみおほものいつえきするところあらず、されどおのれつみみとめてこれはいするものかみよりきょうじゅつこうむらん』と、〔箴言二十八の十三〕。またイサイヤへりいはく『しゅたづねよ、たづねてかれべよ、ちかづきてざいにんそのみちはなふぎなるひとそのおもいて、しかしてわれかえれよ、しからばなんじあはれまん。けだしおもいなんじおもいごとくならず、みちなんじみちごとくならず』〔イサイヤ五十五の六、八〕、もしわれしたがはばなるものくらはん〔イサイヤ一の十九〕。われきたりてわれしたがふべし、しからばなんじれいきん。しゅみちまもりてしゅむねおこなときしゅらいしてかれぶべし。『われぶときはわれここにありといはん』〔イサイヤ五十八の九〕。

ゆうわくふぎしゃおそふや、かれかみんでそのすくひつのぼうゆうせず、なんとなればあんねいかみむねよりとおざかりしによる。たたかひはじむるさきたすけおのれにたづねよ、しっぺいさきさがせよ、かんなんなんじきたさきかみいのれ、さらばこうときかみたづねてかみなんじたまはん。しっきゃくするさきんでねがふべし、とうせんとしてさきせいやくようせよ、すなはちこのところよりたびだちすることのようせよ。ノイ(ノア)のほうしゅうへいあんときよびせられてそのひゃくねんまえしあげられたり。さればいかりときふぎしゃほろびたれどじんためふねひごとなりぬ。

ふぎなるくちとうためふさがらん、なんとなればりょうしんめはひとゆうゆうせざるものとせばなり。ぜんりょうなるこころとうおいよろこんでなみだながす。するところものよろこんであなどりにんたいすれども、くるところものあなどりにんたいするあたはず、かえりきょこためうごかされて、いかりはっし、むちなるげきどうによりじょうらんし、あるいあいかこまれん。かくごととくこうしんするはいかかたくして、かみよりいかなるえいくるや。とくこうしんするものすなはちあなどりにんたいたいりょうならんをほっするものは、しんぞくとおざかりてりょこうしゃとならんことようようなり、なんとなればほんごくおいてはこのとくこうしんするあたはざればなり。しんぞくうちりてなんにんたいするはいつだいなるゆうりょくしゃてきすべく、このするところもののみこれくせん、なんとなればかれはすべてげんざいなぐさめにのぞみてばなり。

おんちょうけんそんとおからざるごとく、やまいほっさきょうごうちかし。しゅけんそんなるものむかふ、かれたのしましめんためなり。されどしゅおもてきょうごうなるものはんす、かれけんそんならしめんためなり。けんそんかみよりつねあわれみをく。これはんしてじんしょうしんとはおそろしきできごとあいかいす。すべてにおいしゅうじんまえおのれひくうせよ、さらばこのおうまえたかめられん。けいれいこうはいもってすべてのひとさきんぜよ、さらばオフィル[8]きんしんけんするものよりもたっとばれん。

おのれひくうせよ、しからばおのれかみさかえみとめん。けだしけんそんいだところかみさかえながるるなり。もしなんじはすべてのひとなんじこうぜんいやしめんことをせつねがふならば、かみなんじしょうようせらるるものとなさん。もしそのこころけんそんゆうするならば、かみはそのえいなんじこころしめさん。なんじだいなるにおいあなどやすものとなれ、されどなんじしょうなるにおいだいなるものとなるなかれ。けいるをつとめよ、さらばかみめいたされん。ないきずたして、そんけいるをもとむるなかれ。めいしりぞけよ、そんそうせられんためなり。めいあいするなかれめいせいけがれざらんためなり。めいきゅうきゅうたるものよりめいぜんめんのがれん。されどめいくるものめいあとよりついきゅうして、しゅうじんためにそのけんそんこくしゃとならん。

もしなんじそんそうせらるるをまぬかれんためみづからおのれかろんぜば、かみなんじせんせん。もしじつおのれなんせば、かみことごとくのぞうぶつなんじしょうさんするをめいじ、なんじぞうせいしゃこうえいもんなんじまえひらけて、なんじしょうさんせん、なんとなればなんじにはじつかみぞうしょうとあればなり。どうとくひかかがやけどもひとびとにはびびたるものとしてあらはれ、せいかつたんぱくしきけんめいにして、しんしんけんそんなるものたれたるか、すべてにおいおのれへりくだものさいわいなり、なんとなればたかめられんとすればなり。けだしかみためにすべてにおいへりくだりておのれよくそんするものかみもっしょうさんせられん。かみためかわものかみはそのこうふくたしめん。かみためたいしのものかみもっきゅうこうえいせらるるなり。かみためきょくひんとなるものかみしんじつなるとみもっなぐさめられん。かみためおのれいやしめよ、さらばなんじさかえいくばくぞうするをらざらん。ひっせいおのれざいにんせ、さらばしょうがいあいだなんじとせらるるものとならん。おのれけんめいおいむちとなれ、むちにしてけんめいゆるなかれ。けんそんぼんようがくひとをもたかうするならば、おおいにしてたっとぶべきものにはいかなるそんけいあたふるかおもふべきなり。

きょこのがれよ、しからばしょうさんせられん。きょうごうおそれよ、さらばたかめられん。きょこひとあたへられず、そんだいおんなものあたへられず。もしなんじはすべてうきぞくするものをじゆうつるならば、これものけよ。たんよくなるものくること、たんよくそのものをくるごとくせよ。しゃしなるものとおざかること、しゃしそのものにとおざかるごとくせよ。ほうとうなるものくること、ほうとうそのものをくるごとくせよ。けだしこれことおくするのみにてもこころみだすならば、いはんやかくのごとものかんぼうし、かれときおくるにおいてをや。ぎしゃしんきんせよ、かれによりかみちかづかん。けんそんゆうするものこうさいしてかれひんせいならへ。けだしかくのごとものかんぼうするはえきあるならば、いはんやかれこうじゅおしえおいてをや。

ひんしゃあいせよ、かれによりなんじあわれみとらへんためなり。こうそうしゃきんせつするなかれ、おそらくはなんじあんせいほかつをよぎなくせられん、やまいあるものことごくひんなるものよりはっするあくしゅうきらはずたいにんせよ、なんじにくたいつつまるればなり。心にかなしものむるなかれ、おそらくはかれつえなんじち、なんじじゅつしゃもとむれどもざらん。ふぐしゃいやしむなかれ、ひとみなどうそんにして、ごくおもむけばなり。ざいにんあいすれどもそのおこないにくめ、つみあるものをそのきんためかろんずるなかれ、かれいざなはれたるものをもっじぶんおなじいざなはれざらんためなり。なんじせいけしものなるをおくして、しゅうじんぜんすべし。なんじとうようきゅうするものしりぞくるなかれ、かれやわらぐるいしゃことばうばふなかれ、おそらくはかれほろびてかれれいなんじよりもとめられん。これはんしてきんしょう[9]やまいいやすにせいりょうざいもってすれども、これはんたいなるものをはおんだんなるものをもってするをおくせよ。

ひとめんかいするときかれにそのこえそんけいひょうするにおのれひよ。かれあしとをせっぷんし、だいなるけいひょうしてしきりにかれいだき、かれおのれうえげて、かれゆうせざるもののためにさへかれしょうようせよ。しかしてかれわかるるときかれためにすべてぜんなることをひ、なににてもそんけいすべきことをふべし。これきょどうもっかれぜんにみちびき、かれをしてなんじたいぐうあつけいれいみづからはづるあらしめ、かれとくこうたねけばなり。なんじたるかくごときのしゅうかんによりぜんなるしょうようなんじいんせらるべく、みづからたかけんそんだいなるものにたやすくしんせん。しかのみならずなんじそんけいするものなにけってんゆうするあらば、なんじのあらはせるそんけいによりみづからぢて、なんじよりりょうほうたやすくけん。このしゅうかんすなはちしゅうじんたいしていんぎんきんこうなるしゅうかんなんじつねゆうすべし。しんこうためにもあくこうためにもたれをもげきするなかれたれをもにくむなかれ。たれなにおいてかなんあるいせきするをかいしんせよ、なんとなればわれにはこうへいむしなるしんぱんしゃてんいますあればなり、されどもしたれをかしんむかはしめんとほっするならば、かれためかなしむべし。なみだあいとをもっかれいちげんふべし、しかれどもかれいかりはっするなかれ、さらばきゅうえんちょうこうなんじうちみとめざらん、けだしあいひといかあるいげきし、あるいそうきゅうひとむるあたはざるなり。われしゅハリストスイイススためぜんなるりょうしんによりしょうぜらるるけんそんあいしきひょうとならん。かれこうえいけんぺいちちおよせいしんともいまいつよよす。「アミン」。

脚注[編集]

  1. 投稿者注:きず。あやまち、欠点、短所。
  2. 投稿者注:むざんむざんは悪い事をして心に恥じないこと。いたいたしく正視に堪えないようすを意味するむざんむざんとは異なる。
  3. 投稿者注:ヨシュア。
  4. 投稿者注:猛り狂うさま。
  5. 投稿者注:ものごとをいい加減にすること。真剣さがないこと。深く心に留めないこと。
  6. 投稿者注:驚くこと。突然のできごとに対して激しく動揺すること。
  7. 投稿者注:驚いて当惑すること。
  8. 投稿者注:オフィルはソロモン王の時代の金の産地。
  9. 投稿者注:からだの一部分が赤くはれ、熱をもって痛むこと。炎症。