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シリヤの聖イサアク全書/第五十七説教

第57説教

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<< 世(よ)より遠(とお)ざかる事(こと)、及(およ)び凡(すべ)て智(ち)を擾(みだ)すものより遠(とお)ざかる事(こと)。 >>

神(かみ)は人々(ひとびと)に二(に)様(よう)の学習(がくしゅう)を賜(たま)ふて、大(だい)なる尊敬(そんけい)をあらはし、救済的(きゅうさいてき)認識(にんしき)に入(い)らしめんが為(ため)にその閉(とざ)せる門(もん)を何(なん)の処(ところ)にも開(ひら)き給(たま)へり。此事(このこと)の真実(しんじつ)なる證者(しょうしゃ)を汝(なんじ)は願(ねが)ふか。己(おの)れに反(かえ)り求(もと)めよ、彼(かれ)は亡(ほろ)びざるなり。されど此(これ)を外(がい)部(ぶ)にも確(かく)知(ち)せんと欲(ほっ)するならば、汝(なんじ)は真実(しんじつ)の途(みち)に誤(あやま)らずして引出(ひきいだ)す他(た)の師(し)と證者(しょうしゃ)とを有(ゆう)するなり。

擾(みだ)されし智(ち)は失念(しつねん)を免(まぬか)るるあたはず。睿(えい)智(ち)もかくの如(ごと)き者(もの)の為(ため)にその門(もん)を開(ひら)かざるなり。衆人(しゅうじん)一般(いっぱん)の終(おわり)は如何(いか)なる平等(びょうどう)に導(みちび)くを確(かく)たる認識(にんしき)を以(もっ)て理(り)会(かい)するを能(よ)くする者(もの)は、浮(うき)世(よ)の事(こと)を棄(す)つる為(ため)に他(た)の師(し)に必要(ひつよう)あらざるべし。元(げん)始(し)に神(かみ)を以(もっ)て人(ひと)に與(あた)へられたる天然(てんねん)の律法(りっぽう)は神(かみ)の造物(ぞうぶつ)を観察(かんさつ)する是(これ)なり。書(しょ)に記(しる)されし律法(りっぽう)は堕(だ)落(らく)の後(のち)に加(くは)へられしなり。

慾(よく)の原因(げんいん)より自(じ)由(ゆう)に遠(とお)ざからざる者(もの)は心(こころ)ならず罪(つみ)に誘引(ゆういん)せられん。罪(つみ)の原因(げんいん)は左(さ)の如(ごと)し、酒(さけ)なり、女(おんな)なり、富(とみ)なり、肉体(にくたい)の強壮(きょうそう)なり、さりながらこは其(その)性質(せいしつ)に於(おい)て罪(つみ)なるにはあらず、天性(てんせい)が此(これ)等(ら)により罪(つみ)なる慾(よく)に易(たや)すく傾(かたぶ)くによる、故(ゆえ)に人(ひと)は注(ちゅう)意(い)して此(これ)を戒慎(かいしん)すること肝要(かんよう)なり。もし己(おのれ)の弱(よわ)きを常(つね)に記(き)憶(おく)するならば戒慎(かいしん)の境(さかい)を破(やぶ)らざるべし。極貧(ごくひん)は人々(ひとびと)の醜(しゅう)とする所(ところ)なり、然(しか)れども高慢(こうまん)なる霊魂(れいこん)と高超(こうちょう)なる意気(いき)とは殊(こと)に神(かみ)に醜(しゅう)とせらる。富(とみ)は人々(ひとびと)に貴(たっと)ばる、然(しか)れども謙遜(けんそん)なる霊魂(れいこん)は神(かみ)の尊敬(そんけい)する所(ところ)なり。

善(ぜん)なる活動(かつどう)に始(はじめ)を置(お)かんと欲(ほっ)する時(とき)は、先(ま)づ汝(なんじ)に及(およ)ぶ所(ところ)の誘惑(ゆうわく)の為(ため)に自(みづ)から備(そない)をなして、真(しん)理(り)に躊躇(ちゅうちょ)するなかるべし。けだし人(ひと)が熱心(ねっしん)を以(もっ)て善(ぜん)なる生涯(しょうがい)を始(はじ)むるを見(み)るや、種々(しゅじゅ)の恐(おそ)るべき誘惑(ゆうわく)を以(もっ)て彼(かれ)を迎(むか)へ、此(これ)により畏(おそ)れて善(ぜん)意(い)を冷(ひややか)ならしめ、神(かみ)に悦(よろこ)ばるる行(こう)為(い)に近(ちか)づくの切愛(せつあい)を全(まった)く有(ゆう)せざらしめんとするは敵(てき)の常(つね)なればなり。而(しか)して敵(てき)が此(これ)を為(な)すはかくの如(ごと)きの力(ちから)を有(ゆう)するによるに非(あら)ず(もし之(これ)を有(ゆう)するならば人(ひと)は如何(いか)なる善(ぜん)をも為(な)すこと能(あた)はざるべし)義(ぎ)なるイオフ(ヨブ)に於(おい)て我(われ)等(ら)の確(かく)知(ち)する如(ごと)く神(かみ)が彼(かれ)に許(ゆる)し給(たま)ふによる。ゆえに徳行(とくこう)に遣(つか)はさるる誘惑(ゆうわく)は勇(ゆう)気(き)に之(これ)を迎(むか)ふるの備(そない)をなして、その後(のち)活動(かつどう)を始(はじ)めよ、之(これ)に反(はん)して誘惑(ゆうわく)を迎(むか)ふるの豫備(よび)をなさずんば徳行(とくこう)の活動(かつどう)を自(みづ)から禁(きん)止(し)すべし。

神(かみ)は善(ぜん)なる活動(かつどう)に於(おけ)る補(ほ)助者(じょしゃ)たることに疑(うたがい)を容(い)るる人(ひと)は、己(おのれ)の影(かげ)を恐(おそ)れ、充(み)ちて豊(ゆたか)なる時(とき)にも飢(うえ)に疲(つか)れ、四囲(しい)の穏静(おんせい)なる際(さい)にも暴風(ぼうふう)に満(み)たさるるなり。之(これ)に反(はん)し神(かみ)に依(い)頼(らい)する者(もの)は、心(こころ)は堅(けん)固(ご)にして、其(その)尊敬(そんけい)すべきことはすべての人(ひと)に明(あきら)かに顕(あら)はれ、其(その)賞賛(しょうさん)は其(その)敵(てき)の面前(めんぜん)にあり。

神(かみ)の誡(いましめ)は世(よ)のあらゆる財宝(ざいほう)より高(たか)く上(うえ)にあり。之(これ)を獲得(かくとく)せし者(もの)は自己(じこ)の内(ない)部(ぶ)に神(かみ)を見(み)ん。神(かみ)の照慮(しょうりょ)に常々(つねづね)安(やす)んずる者(もの)は神(かみ)を家(か)宰(さい)として得(え)ん。神(かみ)の旨(むね)を行(おこな)ふに渇想(かつそう)する者(もの)は天使(てんし)等(ら)を嚮導(きょうどう)と為(な)さん。罪(つみ)を懼(おそ)るる者(もの)は恐(おそ)ろしき進行(しんこう)を成(な)して跌(つまづ)かざるべく、晦冥(かいめい)の時(とき)には己(おのれ)の前(まえ)にも己(おのれ)の内(うち)にも光(ひかり)を見(み)ん。罪(つみ)を懼(おそ)るる者(もの)の足(あし)を主(しゅ)は保護(ほご)して、失脚(しっきゃく)する時(とき)には神(かみ)の憐(あわれみ)は先(さき)だたん。己(おのれ)の破(は)誡(かい)を小(しょう)なりと思(おも)ふ者(もの)は以(い)前(ぜん)より尚(なお)甚(はなはだ)しく陥(おちい)り、七倍(しちばい)の罰(ばつ)を担(にな)はん。

謙遜(けんそん)を以(もっ)て施(ほどこし)を種(ま)け、さらば審判(しんぱん)に於(おい)て憐(あわれみ)を刈(か)らん。汝(なんじ)は善(ぜん)を亡(ほろ)ぼせし程(ほど)は新(あらた)に之(これ)を得(え)よ。汝(なんじ)は神(かみ)に蜚虻(あぶ)を負(ふ)債(さい)せり、蜚虻(あぶ)に代(か)へて真珠(しんじゅ)を汝(なんじ)より取(と)らざらん。例(たと)へば汝(なんじ)は貞潔(ていけつ)を亡(うしな)へり、もし淫行(いんこう)に止(とど)まらば神(かみ)は汝(なんじ)より施(ほどこし)を受(う)けざらん、何(なん)となれば汝(なんじ)は誡(いましめ)を破(やぶ)りしにより肉体(にくたい)の聖(せい)なるを汝(なんじ)に要望(ようぼう)すればなり。世(よ)の財産(ざいさん)を棄(す)てんと志(こころざ)して他(た)の何物(なにもの)の為(ため)に戦(たたかい)を為(な)すか。汝(なんじ)は植(うえ)付(つ)けられしものを棄(す)てて他(た)物(ぶつ)の為(ため)に来(きた)り戦(たたか)ふか。

聖(せい)エフレム言(い)へり、収穫(しゅうかく)の時(とき)は冬服(ふゆふく)を以(もっ)て炎熱(えんねつ)に敵(てき)せざらんと。此(かく)の如(ごと)く各々(おのおの)種(ま)く所(ところ)のものを穫(か)るなり。すべての病(やまい)は之(これ)に相当(そうとう)なる薬(くすり)を以(もっ)て癒(いや)さるるなり。汝(なんじ)は嫉妬(しっと)に勝(か)たれたるか、何故(なにゆえ)睡眠(すいみん)と闘(たたか)ふに尽力(じんりょく)するか。過(あやまち)は尚(なお)小(しょう)にして熟(じゅく)せざる間(あいだ)に之(これ)を滅(ほろぼ)し、枝(し)葉(よう)の蔓延(まんえん)して成熟(せいじゅく)するに先(さき)だつべし。瑕(か)瑾(きん)[1]は汝(なんじ)に小(しょう)なりと見(み)ゆるも油(ゆ)断(だん)するなかれ、何(なん)となれば後来(こうらい)無慙(むざん)[2]なる命令(めいれい)者(しゃ)を得(え)てその前(まえ)に奔走(ほんそう)すること囚(しゅう)奴(ど)の如(ごと)くなるべきによる。最初(さいしょ)慾(よく)に敵(てき)する者(もの)は速(すみやか)に彼(かれ)を主宰(しゅさい)せん。

侮(あなどり)を禦(ふせ)ぐ方法(ほうほう)を手(て)に有(も)ちながら喜(よろこん)で之(これ)を忍耐(にんたい)するを得(う)る者(もの)は、神(かみ)を信(しん)ずるにより慰(い)藉(しゃ)を神(かみ)よりうけん、又(また)強(し)ひらるる冤罪(えんざい)を順良(じゅんりょう)にして勘忍(かんにん)する者(もの)は、完全(かんぜん)に達(たっ)し、聖(せい)なる天使(てんし)等(ら)も彼(かれ)に驚(おどろ)かん。けだし他(た)の如何(いか)なる徳行(とくこう)もかくの如(ごと)く高尚(こうしょう)にして行(おこな)ひ難(がた)きはあらず。

試(こころ)みられて己(おのれ)の不(ふ)変(へん)なるを見(み)るに至(いた)る迄(まで)は、汝(なんじ)は己(おのれ)を有力(ゆうりょく)なりと信(しん)ずるなかれ。かくの如(ごと)くすべてに於(おい)て己(おのれ)を試(こころ)むべし。正(ただ)しき信仰(しんこう)を己(おのれ)に獲(え)よ汝(なんじ)の敵(てき)を蹂躙(じゅうりん)せん為(ため)なり。汝(なんじ)の才(さい)智(ち)に高(たか)ぶるなかれ汝(なんじ)の力(ちから)に依(い)頼(らい)するなかれ、恐(おそ)らくは汝(なんじ)は天然(てんねん)の弱(よわ)きに陥(おちい)るを許(ゆる)されて、その時(とき)自己(じこ)の墜(つい)堕(だ)により己(おのれ)の弱(よわ)きを確(かく)知(ち)せん。己(おのれ)の知(ち)識(しき)に信任(しんにん)するなかれ、恐(おそ)らくは敵(てき)は中間(ちゅうかん)に入(い)り狡獪(こうかい)を以(もっ)て汝(なんじ)を捉(とら)へん。汝(なんじ)の舌(した)を温良(おんりょう)ならしめよ、然(しか)らば汝(なんじ)は必(かなら)ず汚(お)辱(じょく)に遇(あ)はざらん。愉(ゆ)快(かい)なる口(くち)を獲(え)よ、然(しか)らば人(ひと)は皆(みな)汝(なんじ)の友(とも)とならん。自己(じこ)の事(じ)業(ぎょう)を決(けっ)して自(じ)分(ぶん)の言(ことば)にて誇(ほこ)るなかれ、恐(おそ)らくは羞(はぢ)を啓(ひら)かん。人(ひと)は何(なに)を以(もっ)て誇(ほこ)るともすべてに於(おい)て神(かみ)は人(ひと)に変(へん)化(か)するを許(ゆる)し給(たま)ふ、人(ひと)の辱(はづかし)められて謙遜(けんそん)を学(まな)ばん為(ため)なり。ゆえに汝(なんじ)はすべてを神(かみ)の預知(よち)に托(たく)し、此(こ)の生涯(しょうがい)に或(あ)る不(ふ)変(へん)なるもののある如(ごと)く信(しん)ぜざらんこと肝要(かんよう)なり。

かくの如(ごと)く行動(こうどう)して不(ふ)断(だん)その目(め)を神(かみ)に挙(あ)げよ、何(なん)となれば神(かみ)の庇(ひ)蔭(いん)と照管(しょうかん)は悉(ことごと)くの人(ひと)を包容(ほうよう)すればなり、然(しか)れども此(この)照管(しょうかん)は己(おのれ)を罪(つみ)より浄(きよ)めて、常(つね)に神(かみ)を思(おも)ひ、神(かみ)独(ひと)りを思(おも)ふ者(もの)の外(ほか)には明(あきらか)に見(み)えざるなり。然(しか)して神(かみ)の為(ため)に大(だい)なる試(し)惑(わく)に入(い)るときは、神(かみ)の照管(しょうかん)は特(こと)に彼(かれ)等(ら)に顕(あら)はるるなり。けだしその時(とき)は彼(かれ)等(ら)神(かみ)の照管(しょうかん)を感(かん)知(ち)すること、恰(あたか)も肉眼(にくがん)を以(もっ)て見(み)る如(ごと)くなるべくして、その各(かく)自(じ)に及(およ)ぶ所(ところ)の試(し)惑(わく)の度(ど)と源因(げんいん)とに順(じゅん)じて此(こ)の苦行(くぎょう)者(しゃ)を勇(ゆう)気(き)に励(はげ)ますこと、たとへばイアコフ、イイスス ナワィン[3]、三人(さんにん)の童(どう)子(じ)、ペトル及(およ)びその他(た)の聖者(せいしゃ)に或(あ)る人間(にんげん)の状態(じょうたい)を以(もっ)て現(あらは)れて、彼(かれ)等(ら)を敬虔(けいけん)に励(はげ)まし、且(かつ)堅(かた)めたる如(ごと)くなるべし。しかれども汝(なんじ)は言(い)はん、こは摂(せつ)理(り)により神(かみ)を以(もっ)て聖者(せいしゃ)に與(あた)へられしものにて、彼(かれ)等(ら)は独(ひと)り特別(とくべつ)に此(かく)の如(ごと)き異(い)象(しょう)を賜(たま)はりしなりと、然(しか)らば聖(せい)なる致(ち)命者(めいしゃ)等(ら)を以(もっ)て汝(なんじ)の為(ため)に勇(ゆう)気(き)の標準(ひょうじゅん)とせよ。彼(かれ)等(ら)はしばしば多(た)数(すう)相供(あいとも)に或(あるい)は一個(いっこ)一個(いっこ)に、多(おお)くの場所(ばしょ)に於(おい)て且(かつ)は種々(しゅじゅ)なる場所(ばしょ)に於(おい)てハリストスの為(ため)に奮闘(ふんとう)し、彼(かれ)等(ら)にあらはれたる力(ちから)により、鐵(てつ)にて鉋(けづ)らるると人性(じんせい)の為(ため)に堪(た)ふる能(あた)はざる百(ひゃく)般(はん)の苦(くるし)みとを脆(もろ)き体(たい)にて忍耐(にんたい)せり、けだし此(かく)の如(ごと)き者(もの)等(ら)に聖(せい)なる天使(てんし)等(ら)の顕然(けんぜん)と現(あらは)れたるは彼(かれ)等(ら)神(かみ)の為(ため)にもろもろの誘惑(ゆうわく)ともろもろの患難(かんなん)を充分(じゅうぶん)忍耐(にんたい)したるにより神(かみ)の照管(しょうかん)が豊(ゆた)かにあらはれて、彼(かれ)等(ら)の剛勇(ごうゆう)を表(あら)はし、以(もっ)てその敵(てき)を辱(はづ)かしむる所以(ゆえん)を彼(かれ)等(ら)各人(かくじん)に確(かく)知(ち)せしめん為(ため)なり。けだしかくの如(ごと)きの異(い)象(しょう)により諸(しょ)聖人(せいじん)の堅(かた)く支(ささ)ふる程(ほど)は、諸敵(しょてき)もその忍耐(にんたい)に激成(げきせい)せられて益々(ますます)猖狂(しょうきょう)[4]に至(いた)りぬ。

世(よ)に知(し)られざる苦行(くぎょう)者(しゃ)及(およ)び遁世者(とんせいしゃ)に関(かん)しては何(なに)を言(い)はんを要(よう)するか。彼(かれ)等(ら)は野(の)を以(もっ)て城(じょう)市(し)となし、天使(てんし)等(ら)の里(さと)となし、又(また)住所(じゅうしょ)となせり。その行(おこない)の斉整(せいせい)の為(ため)に天使(てんし)等(ら)は常(つね)に来(きた)り臨(のぞ)めり、而(しか)して独一(どくいつ)主宰(しゅさい)の戦(せん)士(し)として時(とき)により彼(かれ)等(ら)は互(たがい)に供(とも)に戦(たたか)へり。彼(かれ)等(ら)は終世(しゅうせい)野(の)を愛(あい)しけるが、神(かみ)を愛(あい)するにより山間(さんかん)、巌窟(がんくつ)又(また)は地(ち)の深所(ふかみ)を住居(じゅうきょ)となせり、而(しか)して彼(かれ)等(ら)が地(ち)に属(ぞく)するものをすてて天(てん)に属(ぞく)するものを愛(あい)し、天使(てんし)に倣(なら)ふ者(もの)となれるや、聖(せい)なる天使(てんし)その者(もの)も之(これ)が為(ため)彼(かれ)等(ら)にその状(かたち)をあらはして隠(かく)さざることは当然(とうぜん)にして、その悉(ことごと)くの願(ねがい)を充(み)たし、時(とき)としては彼(かれ)等(ら)にあらはれて如何(いか)に生活(せいかつ)すべきを教(おし)ふ、而(しか)して又(また)或時(あるとき)には彼(かれ)等(ら)が迷(まよ)ひし所以(ゆえん)を説明(せつめい)し、或時(あるとき)には聖者(せいしゃ)等(ら)自(みづか)らも質問(しつもん)せり、是(こ)れ当然(とうぜん)なり、或時(あるとき)には天使(てんし)は路(みち)に迷(まよ)ひし者(もの)等(ら)を教(おし)へ、或時(あるとき)には誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)りし者(もの)等(ら)を救(すく)ひ、或時(あるとき)には図(はか)らざる災害(さいがい)と恐(おそ)ろしき危(き)難(なん)の際(さい)に彼(かれ)等(ら)を取(と)り去(さ)りぬ、例(たと)へば蛇(へび)より救(すく)ひ、或(あるい)は岩石(がんせき)、或(あるい)は木片(もくへん)、或(あるい)は投石(とうせき)の為(ため)に危(あやう)きより救(すく)ひし如(ごと)し、或時(あるとき)にはもし敵(てき)が聖者(せいしゃ)を公然(こうぜん)侵撃(しんげき)するときは、顕然(けんぜん)と彼(かれ)等(ら)にあらはれて、彼(かれ)等(ら)を助(たす)けんが為(ため)に遣(つか)はされし所以(ゆえん)を言(い)ひ、而(しか)して彼(かれ)等(ら)に勇敢(ゆうかん)、大胆(だいたん)及(およ)び慰(い)藉(しゃ)を増(まし)加(くは)へたり、然(しか)れども他時(たじ)には彼(かれ)等(ら)を以(もっ)て病(やまい)を癒(いや)したれど、或時(あるとき)にはその苦(くるし)みに罹(かか)れる聖者(せいしゃ)を自(みづ)から癒(いや)し、或時(あるとき)には食(くら)はざるが為(ため)に疲(つか)れし彼(かれ)等(ら)の体(たい)に手(て)を触(ふ)れ、或(あるい)は言(ことば)を以(もっ)て超(ちょう)自(し)然(ぜん)なる力(ちから)を與(あた)へて彼(かれ)等(ら)を堅(かた)めたり、然(しか)して或時(あるとき)には彼(かれ)等(ら)に食物(しょくもつ)麺麭(パン)、又(また)は蔬(そ)菜(さい)をも供(きょう)し、或(あるい)は麺麭(パン)と供(とも)に他(た)の或(あ)る食(くら)ふべきものをも供(そな)へ、而(しか)して或者(あるもの)にはその死期(しき)を告(つ)げ、他者(たしゃ)にはその有様(ありさま)をさへ示(しめ)したりき。それ聖(せい)なる天使(てんし)の我(われ)等(ら)に愛(あい)を表(ひょう)すると義(ぎ)人(じん)等(ら)の為(ため)にすべて能(あた)ふべきの配慮(はいりょ)を為(な)すとを多(おお)く計算(けいさん)せんを要(よう)するか、彼(かれ)等(ら)が吾人(われら)の為(ため)に配慮(はいりょ)するは長(ちょう)兄弟(けいてい)の少者(しょうしゃ)に於(お)ける如(ごと)し、予(よ)が此事(このこと)を言(い)ふは『主(しゅ)は凡(すべ)て之(これ)を呼(よ)ぶ者(もの)に邇(ちか)き』〔聖詠百四十四の十八(詩篇百四十五の十八)〕所以(ゆえん)を人皆(ひとみな)確(かく)知(ち)し、主(しゅ)の意(い)を悦(よろこ)ばすことに己(おのれ)を献(ささ)げ全心(ぜんしん)を以(もっ)てその跡(あと)に随(したが)ふ者(もの)等(ら)に於(おけ)る主(しゅ)の照管(しょうかん)の如何(いか)なるを見(み)るを得(え)しめん為(ため)なり。

神(かみ)の汝(なんじ)を照管(しょうかん)するを信(しん)ずるか、何故(なにゆえ)汝(なんじ)は煩悶(はんもん)して、一(いち)時(じ)に属(ぞく)するものと汝(なんじ)の肉体(にくたい)に要用(ようよう)なるものの為(ため)に心(こころ)を安(やす)んぜずして懸(け)念(ねん)するか。之(これ)に反(はん)して神(かみ)の照管(しょうかん)するを信(しん)ぜず、随(したがっ)て汝(なんじ)に要用(ようよう)なるものを神(かみ)以(い)外(がい)に自(みづ)から慮(おもんばか)るか、汝(なんじ)は人類(じんるい)中(ちゅう)最(もっと)も憐(あわれ)むべきものなり。何(なん)の為(ため)に活(い)くるか否(いな)活(い)きんとするか。『汝(なんじ)の哀(かなし)みを主(しゅ)に負(お)はしめよ。彼(かれ)は汝(なんじ)を養(やしな)はん』〔聖詠五十四の二十三(詩篇五十五の二十二)〕。『猝然(にわか)なる恐懼(おそれ)を恐(おそ)るるなかれ』〔箴言三の二十五〕。

一(ひと)たび永遠(えいえん)に己(おのれ)を神(かみ)に献(ささ)げたる者(もの)は心(こころ)を安(やす)んじて生命(いのち)を送(おく)らん。無(む)慾(よく)ならずんば霊魂(れいこん)は思(し)慮(りょ)の擾乱(じょうらん)を免(まぬか)る能(あた)はざるべく五(ご)感(かん)を沈黙(ちんもく)せしめずんば思(おもい)に平安(へいあん)を感(かん)ぜざるなり。誘惑(ゆうわく)に入(い)らずんば誰(たれ)も心神(しんしん)の聡慧(そうけい)を得(え)ざらん。勉強(べんきょう)して読(よ)むなくんば思(し)念(ねん)の機微(きび)を察(さっ)せざるべし。思(し)念(ねん)の安静(あんせい)なくんば智(ち)は神(しん)秘(ぴ)なる奥(おう)義(ぎ)に進(すす)まざるべし。信(しん)に依(より)て望(のぞ)むなくんば霊魂(れいこん)は誘惑(ゆうわく)に対(たい)して勇敢(ゆうかん)なる能(あた)はざるべし。神(かみ)の顕然(けんぜん)たる保護(ほご)を試知(しち)せずんば心(こころ)は神(かみ)に依(い)頼(らい)する能(あた)はざらん。もし霊魂(れいこん)はハリストスの苦(く)難(なん)を認識(にんしき)して之(これ)を味(あぢは)へずんばハリストスと親(しん)與(よ)するを得(え)ざらん。

大(だい)なる憐憫(あわれみ)により、欠(か)くべからざる需要(じゅよう)の為(ため)に己(おのれ)を殺(ころ)す者(もの)を神(かみ)の人(ひと)と認(みと)むべし。けだし貧者(ひんしゃ)を惠(めぐ)む者(もの)は神(かみ)を得(え)て己(おのれ)の後見(こうけん)と為(な)す。而(しか)して神(かみ)の為(ため)に貧(まづ)しくなりしものは乏(とぼ)しからざる宝(たから)を獲(え)ん。

神(かみ)は何物(なにもの)にも必要(ひつよう)あらず、然(しか)れども人(ひと)が神(かみ)の像(すがた)を安(やす)んぜしめて、神(かみ)の為(ため)に之(これ)を尊敬(そんけい)するを見(み)る時(とき)は楽(たのし)まん。人(ひと)あり、汝(なんじ)の所有(しょゆう)するものを汝(なんじ)に請(こ)ふ時(とき)は、心(こころ)に左(さ)の如(ごと)く言(い)ふなかれ『我(わ)が霊魂(れいこん)の為(ため)に此(これ)を存(のこし)置(お)かん、此(これ)を以(もっ)て自(みづ)から安(やす)んぜん為(ため)なり、彼(かれ)の為(ため)に要用(ようよう)なるものは他(た)所(しょ)より神(かみ)は彼(かれ)に與(あた)へん』といふなかれ。此(かく)の如(ごと)き言(ことば)は不義(ふぎ)にして神(かみ)を知(し)らざる人(ひと)には適(てき)せん。義(ぎ)にして善(ぜん)なる人(ひと)は己(おのれ)の貴(とうと)きを他(た)に與(あた)へずして恩寵(おんちょう)の時(とき)を事(こと)なくして経(けい)過(か)するを許(ゆる)さざるなり。貧窮(ひんきゅう)して切迫(せっぱく)する人(ひと)は神(かみ)より給(きゅう)せられん、何(なん)となれば主(しゅ)は何人(なんびと)をも棄(す)てざればなり、然(しか)るに汝(なんじ)は貧者(ひんしゃ)を放逐(ほうちく)して神(かみ)より汝(なんじ)に與(あた)へられし尊(とうと)きを離(はな)れ、神(かみ)の恩寵(おんちょう)を自(みづ)から遠(とお)ざけんとす。故(ゆえ)に與(あた)ふる時(とき)は喜(よろこ)んで次(つぎ)の如(ごと)く言(い)ふべし『神(かみ)よ、光栄(こうえい)は爾(なんじ)に帰(き)す、安(やす)んぜしむべき者(もの)に逢(あ)ふことを予(よ)に賜(たま)へばなり』と。然(しか)れども與(あた)ふべきものを汝(なんじ)は一(いつ)も所有(しょゆう)せざる時(とき)は、殊(こと)に喜(よろこ)ぶべく、神(かみ)に感謝(かんしゃ)して左(さ)の如(ごと)く言(い)ふべし、『我(わ)が神(かみ)よ、汝(なんじ)に感謝(かんしゃ)す、汝(なんじ)は此(こ)の恩寵(おんちょう)と尊敬(そんけい)とを予(よ)に與(あた)へ、即(すなはち)汝(なんじ)の名(な)の為(ため)に貧(まづ)しくなるを予(よ)に與(あた)へ、病(やまい)と貧(まづしき)とを以(もっ)て汝(なんじ)の誡命(かいめい)の路(みち)に置(お)かれたる患難(かんなん)を甞(な)むるを予(よ)に賜(たま)ふこと、此(こ)の路(みち)を進行(しんこう)せし汝(なんじ)の諸(しょ)聖者(せいしゃ)の甞(な)めたる如(ごと)くせしによる』と。

衰弱(すいじゃく)するときは言(い)ふべし、『神(かみ)により生命(いのち)を嗣(つ)ぐべきものを以(もっ)て神(かみ)より試(こころ)みらるるを賜(たま)はりし者(もの)は福(さいわい)なり』と、けだし神(かみ)は霊魂(れいこん)の康健(こうけん)の為(ため)に病(やまい)を遣(つか)はせばなり。聖者(せいしゃ)あり、左(さ)の如(ごと)く言(い)へり、曰(いは)く『予(よ)は認(みと)む、主(しゅ)の意(い)に適(てき)して働(はたら)かず、己(おの)が霊魂(れいこん)の救(すくい)の為(ため)に熱心(ねっしん)に闘(たたか)はざる修道(しゅうどう)士(し)は必(かなら)ず誘惑(ゆうわく)に陥(おちい)るを神(かみ)より許(ゆる)さるるなり、閑散(かんさん)なる者(もの)とならざらんが為(ため)、及(およ)び多(おお)くの閑散(かんさん)により悪(あく)事(じ)に傾(かたぶ)かざらんが為(ため)なり』と。ゆえに神(かみ)が怠慢(たいまん)なる者(もの)と等閑(とうかん)[5]なる者(もの)に誘惑(ゆうわく)を被(こうむ)らしむるは、彼(かれ)等(ら)誘惑(ゆうわく)の事(こと)を思(おも)ひて無(む)益(えき)なることを考(かんが)へざらん為(ため)なり。然(しか)して神(かみ)を愛(あい)する者(もの)の為(ため)に神(かみ)の常(つね)に此(か)く為(な)し給(たま)ふは、彼(かれ)等(ら)を瞭解(りょうかい)せしめ、智慧(ちえ)を増(ま)して、その旨(むね)を彼(かれ)等(ら)に教(おし)へん為(ため)なり。ゆえに彼(かれ)等(ら)が衰弱(すいじゃく)して、此事(このこと)の起(おこ)れるは等閑(とうかん)と怠慢(たいまん)との為(ため)なるを疑(うたがい)なく確(かく)知(ち)するに至(いた)る迄(まで)は神(かみ)に祈(き)願(がん)するも速(すみやか)に聞(き)かれざるべし。けだし録(ろく)して言(い)へり、曰(いは)く『我(われ)なんぢ等(ら)が手(て)を伸(の)ぶる時(とき)目(め)をおほい、汝(なんじ)等(ら)が多(おお)くの祈(き)祷(とう)をなすときも聞(き)くことをせじ』〔イサイヤ一の十五〕と、是(こ)れ他(た)の人々(ひとびと)に就(つき)ても言(い)ひ得(う)べしといへども、特(こと)に主(しゅ)の途(みち)を棄(す)てたる者(もの)の為(ため)に書(しる)されしなり。

さりながら神(かみ)は大(だい)仁(じん)慈(じ)なりと言(い)ふにも拘(かか)はらず誘惑(ゆうわく)に於(おい)て常(つね)に叩(たた)き且(かつ)求(もと)むるときは聴(き)かれざるのみならず、却(かえり)て我(われ)等(ら)が願(ねがい)を軽(かろ)んずるは何故(なにゆえ)なるか。けだし預(よ)言者(げんしゃ)は此事(このこと)を我(われ)等(ら)に教(おし)へて言(い)へり、主(しゅ)の手(て)は惠(めぐみ)を垂(た)るる為(ため)に小(しょう)ならず、主(しゅ)は聞(き)く為(ため)に耳(みみ)を重(おも)くせず、却(かえり)て我(われ)等(ら)が罪(つみ)はわれを彼(かれ)と分(ぶん)離(り)し、我(われ)等(ら)が不(ふ)法(ほう)は彼(かれ)の面(おもて)を背(そむ)けて聞(き)かざらしむと〔イサイヤ五十九の一〕。何(なん)の時(とき)も神(かみ)を記(き)憶(おく)せよ、さらば災難(さいなん)に陥(おちい)るときは彼(かれ)も汝(なんじ)を記(き)憶(おく)せん。

汝(なんじ)の性(せい)は慾(よく)を受(う)け易(やす)きものとなり、現世(げんせい)には試(し)惑(わく)多(おお)く、悪(あく)は汝(なんじ)より遠(とお)ざからずして、汝(なんじ)の内(ない)部(ぶ)にも汝(なんじ)の足(そく)下(か)にも横溢(おういつ)す、立(た)つ所(ところ)の地位(ちい)より下(くだ)るなかれ。神(かみ)が惠(めぐ)み給(たま)ふときは免(まぬか)るるを得(え)ん。目(め)と瞼(まぶた)の相近(あいちか)きが如(ごと)く、試(し)惑(わく)も人々(ひとびと)に近(ちか)し、而(しか)して神(かみ)が汝(なんじ)を益(えき)せん為(ため)に睿(えい)智(ち)を以(もっ)て之(これ)を預(あらかじ)め設(もう)け給(たま)ひしは、汝(なんじ)常(つね)に彼(かれ)の門(もん)を叩(たた)かん為(ため)なり、患難(かんなん)の恐(おそ)れによりて彼(かれ)を念(おも)ふ記(き)憶(おく)を汝(なんじ)の心(こころ)に植(うえ)込(こ)まん為(ため)なり、汝(なんじ)祈(き)祷(とう)に於(おい)て彼(かれ)に近(ちか)づき不(ふ)断(だん)彼(かれ)を記(き)憶(おく)して汝(なんじ)の心(こころ)の聖(せい)にせられん為(ため)なり。而(しか)して汝(なんじ)が祈(き)願(がん)するときは汝(なんじ)に聴(き)き給(たま)はん、さらば汝(なんじ)は汝(なんじ)を救(すく)ふ者(もの)の神(かみ)なるを確(かく)知(ち)すべく、汝(なんじ)を造(つく)りて汝(なんじ)の為(ため)に慮(おもんばか)り、汝(なんじ)を守(まも)りて、汝(なんじ)の為(ため)に二(に)重(じゅう)の世(せ)界(かい)を造(つく)りし者(もの)を自(じ)覚(かく)せん、即(すなはち)一(いち)は一(いち)時(じ)の師(し)たり教誨(きょうかい)師(し)たるものを造(つく)り、他(た)は父(ちち)の家(いえ)たり、永遠(えいえん)の嗣(し)業(ぎょう)たるものを造(つく)れる是(これ)なり。神(かみ)が汝(なんじ)を造(つく)りて患難(かんなん)の近(ちか)づき難(がた)き者(もの)となさざりしは、汝(なんじ)も神(かみ)の如(ごと)くならんとの非(ひ)望(ぼう)を起(おこ)し、最初(さいしょ)は明星(みょうじょう)たりしも後来(こうらい)驕傲(きょうごう)により『サタナ』となりし者(もの)の嗣(つ)ぎしものを同(おなじ)く嗣(つ)がざらん為(ため)なり。然(しか)して之(これ)と同(おなじ)く汝(なんじ)を造(つく)りて変(へん)ぜざる者(もの)となさず、移(うつ)らざる者(もの)となさざりしは、汝(なんじ)、不(ふ)霊(れい)なる造物(ぞうぶつ)の性(せい)に似(に)たる者(もの)とならざらん為(ため)なり、汝(なんじ)に於(おい)て善(ぜん)なるものが汝(なんじ)の為(ため)に無(む)益(えき)なるものとなり、恩賞(おんしょう)に当(あた)らざるものとなりて存(そん)すること無(む)言者(ごんしゃ)たる禽獣(きんじゅう)の天然(てんねん)の特質(とくしつ)の如(ごと)くならざらん為(ため)なり。けだし汝(なんじ)に向(むか)つて此刺(このとげ)を研(と)がれしにより、利(り)益(えき)と感謝(かんしゃ)と謙遜(けんそん)の幾許(いくばく)生(しょう)ずるかは何人(なんびと)にも易(たやす)く了解(りょうかい)し得(え)ん。

此(これ)に由(より)て見(み)れば我(われ)等(ら)は出来得(できう)る丈(だけ)善(ぜん)に進(すす)みて悪(あく)を避(さ)くべき所以(ゆえん)と、此(これ)より流(なが)れ出(い)づるものは名(めい)誉(よ)も不(ふ)名(めい)誉(よ)も我有(わがゆう)とせらるる所以(ゆえん)とは顕然(けんぜん)たるなり。不(ふ)名(めい)誉(よ)を以(もっ)て辱(はづか)しめらるる我(われ)等(ら)は畏(おそ)る、然(しか)れども名(めい)誉(よ)を以(もっ)て励(はげ)まさるる者(もの)は感謝(かんしゃ)を神(かみ)に捧(ささ)げて、徳行(とくこう)に発展(はってん)せん。神(かみ)が此(これ)等(ら)の保(ほ)育者(いくしゃ)を増(ま)し給(たま)ひしは、汝(なんじ)、彼(かれ)等(ら)を免(まぬか)れて自由(じゆう)になり、患難(かんなん)の近(ちか)づき難(がた)き者(もの)となり、すべての畏懼(いく)より高(たか)く立(た)ちて、汝(なんじ)の主(しゅ)神(かみ)を忘(わす)れず、彼(かれ)より遠(とお)ざからずして、多(た)神(しん)主義(しゅぎ)に陥(おちい)るを免(まぬか)れん為(ため)なり、例(たと)へば他(た)の多(おお)くの者(もの)が汝(なんじ)と同(おなじ)く慾(よく)を有(ゆう)して汝(なんじ)と同様(どうよう)の不(ふ)幸(こう)に打(う)たるるに拘(かか)はらず、此(この)世(よ)の瑣々(ささ)たる権(けん)威(い)或(あるい)は有形(ゆうけい)の美(び)の為(ため)に瞬間(しゅんかん)にして多(た)神(しん)主義(しゅぎ)に陥(おちい)るのみならず、愚(ぐ)にして自己(じこ)をも神(かみ)と名(な)づくるを敢(あえ)てせし如(ごと)くなるを免(まぬか)れん為(ため)なり。ゆえに神(かみ)は汝(なんじ)に患難(かんなん)に居(を)るを許(ゆる)し給(たま)へり。

しかれども時(とき)として汝(なんじ)が遠(えん)離(り)して神(かみ)を怒(いか)らしめざらん為(ため)にも、神(かみ)が汝(なんじ)を罰(ばつ)に投(とう)じて汝(なんじ)をその顔(かんばせ)より滅(ほろぼ)さざらん為(ため)にも、之(これ)を許(ゆる)すことあり。生活(せいかつ)の安全(あんぜん)と畏(おそ)るる所(ところ)なきとの故(ゆえ)に生(しょう)ずる所(ところ)の不(ふ)信(しん)及(およ)びその他(た)の誹(ひ)謗(ぼう)に関(かん)しては、是(これ)より先(さき)、予(よ)が述(の)べしものを敢(あえ)て非(ひ)難(なん)する者(もの)あらずんば、言(い)はざるべし。神(かみ)は苦(くるし)みと慾(よく)とを以(もっ)て汝(なんじ)の心(こころ)に神(かみ)を念(おも)ふ記(き)憶(おく)を増(ま)し、反対(はんたい)者(しゃ)を恐(おそ)るるにより汝(なんじ)を神(かみ)の仁(じん)慈(じ)の門(もん)に就(つ)かしめ、之(これ)より救(すく)ふを以(もっ)て神(かみ)を愛(あい)する心(こころ)を汝(なんじ)の中(うち)に蒔(まき)付(つ)けたまへり。而(しか)して愛(あい)を汝(なんじ)に入(い)れ、義子(ぎし)たる栄(えい)を以(もっ)て神(かみ)に近(ちか)づかしめて、その恩寵(おんちょう)の幾(いく)ばく豊(ほう)富(ふ)なるを汝(なんじ)にあらはせり。けだし反対(はんたい)なる者(もの)が一(いつ)も汝(なんじ)と会(かい)するあらずんば此(かく)の如(ごと)き神(かみ)の照管(しょうかん)と善慮(ぜんりょ)とを汝(なんじ)は何処(いづこ)より探(たん)知(ち)すべきか。故(ゆえ)に神(かみ)を愛(あい)する心(こころ)は此(これ)により汝(なんじ)の霊中(れいちゅう)に大(おおい)に増殖(ぞうしょく)せらるべし、即(すなはち)神(かみ)の賜(たまもの)を瞭解(りょうかい)すると其(その)照管(しょうかん)の大(おおい)に余(あまり)あるを記(き)憶(おく)するとにより増殖(ぞうしょく)せらるべし。此(こ)のすべての幸福(こうふく)が汝(なんじ)の為(ため)に悲(ひ)哀(あい)によりて生(しょう)ぜらるるは汝(なんじ)の感謝(かんしゃ)するを学(まな)ばん為(ため)なり。終(おわ)りに神(かみ)を記(き)憶(おく)せよ、神(かみ)も汝(なんじ)を常(つね)に記(き)憶(おく)せん為(ため)なり。然(しか)して汝(なんじ)を記(き)憶(おく)して汝(なんじ)を救(すく)ふときは彼(かれ)よりすべての幸福(こうふく)をうけん。無(む)益(えき)なる事(こと)に思(おもい)を馳(は)せて神(かみ)を忘(わす)るるなかれ、神(かみ)も汝(なんじ)をその戦(せん)時(じ)に忘(わす)れざらん為(ため)なり。己(おのれ)の富(ふ)裕(ゆう)に於(おい)て神(かみ)に従順(じゅうじゅん)なるべし、患難(かんなん)に於(おい)て神(かみ)に対(たい)する熱心(ねっしん)堅(けん)固(ご)なる祈(き)祷(とう)を以(もっ)て神(かみ)の前(まへ)に勇(ゆう)気(き)を有(ゆう)せん為(ため)なり。

主(しゅ)を念(おも)ふ記(き)憶(おく)を心(こころ)に有(ゆう)して主(しゅ)の前(まへ)に不(ふ)断(だん)己(おのれ)を潔(いさぎよ)くせよ、久(ひさ)しく彼(かれ)を記(き)憶(おく)せずして、彼(かれ)に就(つ)く時(とき)勇(ゆう)気(き)を有(ゆう)せざる者(もの)とならざらん為(ため)なり。けだし神(かみ)の前(まえ)に於(お)ける勇(ゆう)気(き)は神(かみ)と頻(しきり)に対談(たいだん)すると多(おお)くの祈(き)祷(とう)の結果(けっか)なり。人々(ひとびと)に交際(こうさい)すると之(これ)を続(つづ)くるとは身体(しんたい)に頼(よ)る、然(しか)れども神(かみ)と交通(こうつう)するは心中(しんちゅう)の記(き)憶(おく)と祈(き)祷(とう)に注(ちゅう)意(い)すると全(ぜん)燔祭(はんさい)とに頼(よ)る。神(かみ)を念(おも)ふ記(き)憶(おく)を久(ひさ)しく守(まも)るにより霊魂(れいこん)は時(とき)として駭(がい)異(い)[6]と驚(きょう)訝(げ)[7]とに至(いた)ることあり。『主(しゅ)を尋(たづ)ぬる者(もの)の心(こころ)は楽(たのし)むべし』。譴(せめ)を受(うく)る者(もの)は主(しゅ)を尋(たづ)ぬべし、さらば望(のぞみ)を以(もっ)て確立(かくりつ)せん、悔改(かいかい)を以(もっ)て彼(かれ)の顔(かんばせ)を尋(たづ)ぬべし、〔聖詠百四の三、四(詩篇百五の三、四)〕さらば其(その)顔(かんばせ)の聖(せい)なるを以(もっ)て聖(せい)にせられて其(その)罪(つみ)より浄(きよ)められん。凡(すべ)て罪(つみ)ある者(もの)は主(しゅ)に趨(はし)り就(つ)けよ、彼(かれ)は罪(つみ)を赦(ゆる)してその過(あやまち)を軽(かろ)んぜん。けだし彼(かれ)は預(よ)言者(げんしゃ)を以(もっ)て誓(ちか)つていへり、曰(いは)く『主(しゅ)言(い)ふ我(わ)れ生(い)く、罪人(ざいにん)の死(し)を欲(ほっ)せず、転(てん)じて生(い)きんを欲(ほっ)す』〔イエゼキリ三十三の十一〕、又(また)言(い)ふ『順(したが)はずして悖(もと)れる民(たみ)に終日(しゅうじつ)我(わ)が手(て)を伸(のば)して招(まね)けり』〔イサイヤ六十五の一〕、又(また)言(い)ふ『イズライリの全(ぜん)家(か)を憐(あわれ)む』〔イエゼキリ三十九の二十五〕、『我(われ)に帰(かえ)れ、我(われ)亦(また)汝(なんじ)等(ら)にかへらん』〔マラヒヤ三の七〕、又(また)言(い)ふ『罪人(ざいにん)が其途(そのみち)を棄(す)てて主(しゅ)に帰(かえ)り、法律(ほうりつ)と公(こう)義(ぎ)とを行(おこな)ふ日(ひ)には、彼(かれ)の不(ふ)法(ほう)を記(き)憶(おく)せず、乃(すなは)ち生(い)きて死(し)せざらんと、主(しゅ)はいひ給(たま)ふ。而(しか)してもし義(ぎ)人(じん)は其(その)義(ぎ)を棄(す)てて、罪(つみ)を犯(おか)し、不義(ふぎ)を為(な)さば彼(かれ)の義(ぎ)を記(き)憶(おく)せず、却(かえっ)て躓(つまづき)を其前(そのまえ)に置(お)かん、されば彼(かれ)は其(その)行(おこない)に止(とど)まりて暗中(あんちゅう)に死(し)せん』〔イエゼキリ十八の二十一 ― 二十四〕是(こ)れ何故(なにゆえ)なるか、けだし罪人(ざいにん)は主(しゅ)に帰(かえ)る日(ひ)には其罪(そのつみ)に跌(つまづ)かざるべけれど、義(ぎ)人(じん)はもし如此(かくのごとき)の罪(つみ)に止(とど)まるならば、其(その)義(ぎ)は彼(かれ)を罪(つみ)を行(おこな)ふの日(ひ)に救(すく)はざるによる。然(しか)して神(かみ)はイエレミヤに左(さ)の如(ごと)く告(つ)げていへり、曰(いは)く『汝(なんじ)巻物(まきもの)を取(と)り我(わ)が汝(なんじ)に語(かた)りし日(ひ)、即(すなは)ちイウデヤの王(おう)イオシヤの日(ひ)より今日(こんにち)に至(いた)るまでを之(これ)に録(ろく)せよ、我(わ)が汝(なんじ)に語(かた)りし如(ごと)く此民(このたみ)に降(くだ)さんとするすべての災(わざわい)を聴(き)き、恐(おそ)れておのおの其(その)悪(あ)しき途(みち)を離(はな)れ、転(てん)じて悔改(かいかい)せん、さらば我(われ)其罪(そのつみ)を赦(ゆる)すべし』〔イエレミヤ三十六の二、三〕、又(また)睿(えい)智(ち)者(しゃ)も言(い)へり『己(おのれ)の罪(つみ)を掩(おほ)ふ者(もの)は一(いつ)も益(えき)する所(ところ)あらず、されど己(おのれ)の罪(つみ)を認(みと)めて之(これ)を背(はい)棄(き)する者(もの)は神(かみ)より矜恤(きょうじゅつ)を蒙(こうむ)らん』と、〔箴言二十八の十三〕。またイサイヤも言(い)へり曰(いは)く『主(しゅ)を尋(たづ)ねよ、尋(たづ)ねて彼(かれ)を呼(よ)べよ、近(ちか)づきて罪人(ざいにん)は其途(そのみち)を離(はな)れ不義(ふぎ)なる人(ひと)は其(その)思(おもい)を棄(す)て、而(しか)して我(われ)に帰(かえ)れよ、然(しか)らば汝(なんじ)等(ら)を矜(あはれ)まん。けだし我(わ)が思(おもい)は汝(なんじ)等(ら)の思(おもい)の如(ごと)くならず、我(わ)が途(みち)は汝(なんじ)等(ら)の途(みち)の如(ごと)くならず』〔イサイヤ五十五の六、八〕、もし我(われ)に聴(き)き遵(したが)はば地(ち)の美(び)なる者(もの)を食(くら)はん〔イサイヤ一の十九〕。我(われ)に来(きた)りて我(われ)に遵(したが)ふべし、然(しか)らば汝(なんじ)等(ら)の霊(れい)は生(い)きん。主(しゅ)の途(みち)を守(まも)りて主(しゅ)の旨(むね)を行(おこな)ふ時(とき)は主(しゅ)に依(い)頼(らい)して彼(かれ)を呼(よ)ぶべし。『我(われ)呼(よ)ぶときは我(われ)ここにありといはん』〔イサイヤ五十八の九〕。

誘惑(ゆうわく)が不義(ふぎ)者(しゃ)を襲(おそ)ふや、彼(かれ)は神(かみ)を呼(よ)んで其(その)救(すくひ)を待(ま)つの希(き)望(ぼう)を有(ゆう)せず、何(なん)となれば其(そ)の安寧(あんねい)の日(ひ)に神(かみ)の旨(むね)より遠(とお)ざかりしによる。戦(たたかひ)を始(はじ)むる先(さき)に助(たすけ)を己(おの)れに尋(たづ)ねよ、疾病(しっぺい)の先(さき)に醫(い)を捜(さが)せよ、患難(かんなん)が汝(なんじ)に来(きた)る先(さき)に神(かみ)に祈(いの)れ、さらば不(ふ)幸(こう)の時(とき)神(かみ)を尋(たづ)ねて神(かみ)は汝(なんじ)に聴(き)き給(たま)はん。失脚(しっきゃく)する先(さき)に呼(よ)んで願(ねが)ふべし、祈(き)祷(とう)せんとして立(た)つ先(さき)に誓約(せいやく)を用(よう)意(い)せよ、即(すなはち)此処(このところ)より旅立(たびだち)することの用(よう)意(い)せよ。ノイ(ノア)の方舟(ほうしゅう)は平安(へいあん)の時(とき)に預備(よび)せられて其(その)木(き)は百年(ひゃくねん)の前(まえ)に仕上(しあ)げられたり。されば怒(いかり)の時(とき)不義(ふぎ)者(しゃ)は亡(ほろ)びたれど義(ぎ)人(じん)の為(ため)に舟(ふね)は庇護(ひご)となりぬ。

不義(ふぎ)なる口(くち)は祈(き)祷(とう)の為(ため)に塞(ふさ)がらん、何(なん)となれば良心(りょうしん)の責(せ)めは人(ひと)を勇(ゆう)気(き)を有(ゆう)せざるものと為(な)せばなり。善良(ぜんりょう)なる心(こころ)は祈(き)祷(とう)に於(おい)て喜(よろこ)んで涙(なみだ)を流(なが)す。世(よ)が死(し)する所(ところ)の者(もの)は喜(よろこ)んで侮(あなどり)を忍耐(にんたい)すれども、世(よ)が生(い)くる所(ところ)の者(もの)は侮(あなどり)を忍耐(にんたい)する能(あた)はず、却(かえり)て虚誇(きょこ)の為(ため)に動(うご)かされて、怒(いかり)を発(はっ)し、無智(むち)なる激動(げきどう)により擾乱(じょうらん)し、或(あるい)は悲(ひ)哀(あい)に囲(かこ)まれん。此(かく)の如(ごと)き徳行(とくこう)に進(しん)歩(ぽ)するは如何(いか)に難(かた)くして、神(かみ)より如何(いか)なる栄(えい)を受(う)くるや。此(こ)の徳行(とくこう)に進(しん)歩(ぽ)する者(もの)、即(すなはち)侮(あなどり)を忍耐(にんたい)し大量(たいりょう)ならんを欲(ほっ)する者(もの)は、親族(しんぞく)に遠(とお)ざかりて旅行(りょこう)者(しゃ)とならんこと要用(ようよう)なり、何(なん)となれば本国(ほんごく)に於(おい)ては此(この)徳行(とくこう)に進(しん)歩(ぽ)する能(あた)はざればなり。親族(しんぞく)の中(うち)に在(あ)りて苦(く)難(なん)を忍耐(にんたい)するは一(いつ)の大(だい)なる有力(ゆうりょく)者(しゃ)に適(てき)すべく、此(この)世(よ)が死(し)する所(ところ)の者(もの)のみ此(これ)を能(よ)くせん、何(なん)となれば彼(かれ)はすべて現在(げんざい)の慰(なぐさ)めに望(のぞみ)を絶(た)てばなり。

恩寵(おんちょう)は謙遜(けんそん)に遠(とお)からざる如(ごと)く、病(やまい)の発作(ほっさ)は驕傲(きょうごう)に近(ちか)し。主(しゅ)の眼(め)は謙遜(けんそん)なる者(もの)に向(むか)ふ、彼(かれ)等(ら)を楽(たのし)ましめん為(ため)なり。されど主(しゅ)の面(おもて)は驕傲(きょうごう)なる者(もの)に反(はん)す、彼(かれ)等(ら)を謙遜(けんそん)ならしめん為(ため)なり。謙遜(けんそん)は神(かみ)より常(つね)に憐(あわれ)みを受(う)く。之(これ)に反(はん)して不(ふ)仁(じん)と小信(しょうしん)とは恐(おそろ)しき出来(でき)事(ごと)と相会(あいかい)す。すべてに於(おい)て衆人(しゅうじん)の前(まえ)に己(おのれ)を卑(ひく)うせよ、さらば此(この)世(よ)の王(おう)の前(まえ)に高(たか)められん。敬礼(けいれい)と叩拝(こうはい)を以(もっ)てすべての人(ひと)に先(さき)んぜよ、さらばオフィル[8]の金(きん)を進献(しんけん)する者(もの)よりも尊(たっと)ばれん。

己(おのれ)を卑(ひく)うせよ、然(しか)らば己(おのれ)に神(かみ)の栄(さかえ)を認(みと)めん。けだし謙遜(けんそん)の芽(め)を出(いだ)す処(ところ)に神(かみ)の栄(さかえ)は流(なが)るるなり。もし汝(なんじ)はすべての人(ひと)が汝(なんじ)を公然(こうぜん)卑(いやし)めんことを切(せつ)に願(ねが)ふならば、神(かみ)は汝(なんじ)を頌揚(しょうよう)せらるるものとなさん。もしその心(こころ)に謙遜(けんそん)を有(ゆう)するならば、神(かみ)はその栄(えい)を汝(なんじ)の心(こころ)に示(しめ)さん。汝(なんじ)の大(だい)なるに於(おい)て侮(あなど)り易(やす)き者(もの)となれ、されど汝(なんじ)の小(しょう)なるに於(おい)て大(だい)なる者(もの)となるなかれ。軽(けい)侮(ぶ)に居(お)るを力(つと)めよ、さらば神(かみ)の名(めい)誉(よ)に満(み)たされん。内(ない)部(ぶ)に疵(きず)を満(み)たして、尊敬(そんけい)に居(お)るを求(もと)むるなかれ。名(めい)誉(よ)を斥(しりぞ)けよ、尊崇(そんそう)せられん為(ため)なり。名(めい)誉(よ)を愛(あい)するなかれ名声(めいせい)の汚(けが)れざらん為(ため)なり。名(めい)誉(よ)に汲々(きゅうきゅう)たる者(もの)より名(めい)誉(よ)は前面(ぜんめん)に逃(のが)れん。されど名(めい)誉(よ)を避(さ)くる者(もの)に名(めい)誉(よ)は後(あと)より追求(ついきゅう)して、衆人(しゅうじん)の為(ため)にその謙遜(けんそん)の告(こく)示(し)者(しゃ)とならん。

もし汝(なんじ)は尊崇(そんそう)せらるるを免(まぬか)れん為(ため)に自(みづ)から己(おのれ)を軽(かろ)んぜば、神(かみ)は汝(なんじ)を宣(せん)示(し)せん。もし実(じつ)に己(おのれ)を非(ひ)難(なん)せば、神(かみ)は悉(ことごと)くの造物(ぞうぶつ)に汝(なんじ)を頌讃(しょうさん)するを命(めい)じ、汝(なんじ)の造成(ぞうせい)者(しゃ)の光栄(こうえい)の門(もん)は汝(なんじ)の前(まえ)に開(ひら)けて、汝(なんじ)を頌讃(しょうさん)せん、何(なん)となれば汝(なんじ)には実(じつ)に神(かみ)の像(ぞう)と肖(しょう)とあればなり。道徳(どうとく)は光(ひか)り輝(かがや)けども人々(ひとびと)には微々(びび)たる者(もの)としてあらはれ、生活(せいかつ)は淡白(たんぱく)に知(ち)識(しき)は賢明(けんめい)にして、心神(しんしん)の謙遜(けんそん)なる者(もの)を誰(たれ)か見(み)たるか、すべてに於(おい)て己(おのれ)を謙(へりくだ)る者(もの)は福(さいわい)なり、何(なん)となれば高(たか)められんとすればなり。けだし神(かみ)の為(ため)にすべてに於(おい)て謙(へりくだ)りて己(おのれ)を抑損(よくそん)する者(もの)は神(かみ)を以(もっ)て称讃(しょうさん)せられん。神(かみ)の為(ため)に飢(う)え渇(かわ)く者(もの)に神(かみ)はその幸福(こうふく)を満(み)たしめん。神(かみ)の為(ため)に裸(ら)体(たい)を忍(しの)ぶ者(もの)は神(かみ)を以(もっ)て不(ふ)朽(きゅう)と光栄(こうえい)を衣(き)せらるるなり。神(かみ)の為(ため)に極貧(きょくひん)となる者(もの)は神(かみ)の真実(しんじつ)なる富(とみ)を以(もっ)て慰(なぐさ)められん。神(かみ)の為(ため)に己(おのれ)を賤(いやし)めよ、さらば汝(なんじ)の栄(さかえ)の幾許(いくばく)増(ぞう)加(か)するを識(し)らざらん。畢生(ひっせい)己(おのれ)を罪人(ざいにん)と為(な)せ、さらば生涯(しょうがい)の間(あいだ)汝(なんじ)は義(ぎ)とせらるる者(もの)とならん。己(おのれ)の賢明(けんめい)に於(おい)て無知(むち)となれ、無知(むち)にして賢明(けんめい)と見(み)ゆるなかれ。謙遜(けんそん)は凡庸(ぼんよう)無(む)学(がく)の人(ひと)をも高(たか)うするならば、大(おおい)にして貴(たっと)ぶべき者(もの)には如何(いか)なる尊敬(そんけい)を與(あた)ふるか思(おも)ふべきなり。

虚誇(きょこ)を逃(のが)れよ、然(しか)らば称讃(しょうさん)せられん。驕傲(きょうごう)を畏(おそ)れよ、さらば高(たか)められん。虚誇(きょこ)は人(ひと)の子(こ)に與(あた)へられず、尊大(そんだい)は婦(おんな)の生(う)む者(もの)に與(あた)へられず。もし汝(なんじ)はすべて浮(うき)世(よ)に属(ぞく)するものを自由(じゆう)に棄(す)つるならば、之(これ)を追(お)ふ者(もの)を避(さ)けよ。貪慾(たんよく)なる者(もの)を避(さ)くること、貪慾(たんよく)そのものを避(さ)くる如(ごと)くせよ。奢侈(しゃし)なる者(もの)に遠(とお)ざかること、奢侈(しゃし)そのものに遠(とお)ざかる如(ごと)くせよ。放蕩(ほうとう)なる者(もの)を避(さ)くること、放蕩(ほうとう)そのものを避(さ)くる如(ごと)くせよ。けだし此(これ)等(ら)の事(こと)は記(き)憶(おく)するのみにても心(こころ)を擾(みだ)すならば、矧(いは)んやかくの如(ごと)き者(もの)等(ら)を看望(かんぼう)し、彼(かれ)等(ら)と時(とき)を送(おく)るに於(おい)てをや。義者(ぎしゃ)と親近(しんきん)せよ、彼(かれ)等(ら)により神(かみ)に近(ちか)づかん。謙遜(けんそん)を有(ゆう)する者(もの)と交際(こうさい)して彼(かれ)等(ら)の品性(ひんせい)に習(なら)へ。けだしかくの如(ごと)き者(もの)等(ら)を看望(かんぼう)するは益(えき)あるならば、矧(いは)んや彼(かれ)等(ら)が口授(こうじゅ)の教(おしえ)に於(おい)てをや。

貧者(ひんしゃ)を愛(あい)せよ、彼(かれ)等(ら)により汝(なんじ)も憐(あわれみ)を捉(とら)へん為(ため)なり。好争(こうそう)者(しゃ)と近接(きんせつ)するなかれ、恐(おそ)らくは汝(なんじ)も安静(あんせい)の外(ほか)に立(た)つを余儀(よぎ)なくせられん、病(やまい)ある者(もの)特(こと)に極貧(ごくひん)なる者(もの)より発(はっ)する悪臭(あくしゅう)は嫌(きら)はず耐忍(たいにん)せよ、汝(なんじ)も肉体(にくたい)に包(つつ)まるればなり。心に哀(かなし)む者(もの)を責(せ)むるなかれ、恐(おそ)らくは彼(かれ)等(ら)の杖(つえ)は汝(なんじ)を打(う)ち、汝(なんじ)は撫(ぶ)恤(じゅつ)者(しゃ)を求(もと)むれども得(え)ざらん。不具(ふぐ)者(しゃ)を賤(いやし)むなかれ、人皆(ひとみな)同尊(どうそん)にして、地(ぢ)獄(ごく)に赴(おもむ)けばなり。罪人(ざいにん)を愛(あい)すれども其(その)行(おこない)を憎(にく)め、罪(つみ)ある者(もの)をその瑕(か)瑾(きん)の為(ため)に軽(かろ)んずるなかれ、彼(かれ)等(ら)の誘(いざな)はれたるものを以(もっ)て自分(じぶん)も同(おなじ)く誘(いざな)はれざらん為(ため)なり。汝(なんじ)も地(ち)の性(せい)を禀(う)けし者(もの)なるを記(き)憶(おく)して、衆人(しゅうじん)に善(ぜん)を作(な)すべし。汝(なんじ)の祈(き)祷(とう)を要求(ようきゅう)する者(もの)を斥(しりぞ)くるなかれ、彼(かれ)等(ら)を和(やわら)ぐる慰藉(いしゃ)の言(ことば)を奪(うば)ふなかれ、恐(おそ)らくは彼(かれ)等(ら)は亡(ほろ)びて彼(かれ)等(ら)の霊(れい)を汝(なんじ)より求(もと)められん。之(これ)に反(はん)して醫(い)は焮衝(きんしょう)[9]の病(やまい)を癒(いや)すに清涼(せいりょう)剤(ざい)を以(もっ)てすれども、之(これ)と反対(はんたい)なるものをは温暖(おんだん)なるものを以(もっ)てするを記(き)憶(おく)せよ。

人(ひと)と面会(めんかい)する時(とき)は彼(かれ)にその度(ど)を越(こえ)て尊敬(そんけい)を表(ひょう)するに己(おのれ)を強(し)ひよ。彼(かれ)の手(て)と足(あし)とを接吻(せっぷん)し、大(だい)なる敬(けい)意(い)を表(ひょう)して頻(しき)りに彼(かれ)を抱(いだ)き、彼(かれ)を己(おのれ)の眼(め)の上(うえ)に挙(あ)げて、彼(かれ)が有(ゆう)せざるものの為(ため)にさへ彼(かれ)を称揚(しょうよう)せよ。然(しか)して彼(かれ)と別(わか)るる時(とき)は彼(かれ)の為(ため)にすべて善(ぜん)なることを言(い)ひ、何(なに)にても尊敬(そんけい)すべきことを言(い)ふべし。此(これ)等(ら)の挙動(きょどう)を以(もっ)て彼(かれ)を善(ぜん)にみちびき、彼(かれ)をして汝(なんじ)の待遇(たいぐう)の厚(あつ)き敬礼(けいれい)に自(みづ)から耻(はづ)るあらしめ、彼(かれ)に徳行(とくこう)の種子(たね)を種(ま)けばなり。汝(なんじ)が得(え)たる此(かく)の如(ごと)きの習慣(しゅうかん)により善(ぜん)なる象様(しょうよう)は汝(なんじ)に印(いん)せらるべく、自(みづ)から高(たか)き謙遜(けんそん)を得(え)て大(だい)なるものに易(たや)すく進(しん)歩(ぽ)せん。然(しか)のみならず汝(なんじ)の尊敬(そんけい)する者(もの)は何(なに)か欠点(けってん)を有(ゆう)するあらば、汝(なんじ)のあらはせる尊敬(そんけい)により自(みづ)から耻(は)ぢて、汝(なんじ)より療方(りょうほう)を易(たや)すく受(う)けん。此(この)習慣(しゅうかん)即(すなはち)衆人(しゅうじん)に対(たい)して慇懃(いんぎん)謹厚(きんこう)なる習慣(しゅうかん)を汝(なんじ)は常(つね)に有(ゆう)すべし。信仰(しんこう)の為(ため)にも悪行(あくこう)の為(ため)にも誰(たれ)をも激(げき)するなかれ誰(たれ)をも憎(にく)むなかれ。誰(たれ)を何(なに)に於(おい)てか非(ひ)難(なん)し或(あるい)は規(き)責(せき)するを戒慎(かいしん)せよ、何(なん)となれば我(われ)等(ら)には公平(こうへい)無私(むし)なる審判(しんぱん)者(しゃ)の天(てん)に在(いま)すあればなり、されどもし誰(たれ)をか真(しん)理(り)に向(むか)はしめんと欲(ほっ)するならば、彼(かれ)の為(ため)に哀(かなし)むべし。涙(なみだ)と愛(あい)とを以(もっ)て彼(かれ)に一(いち)二(に)言(げん)言(い)ふべし、然(しか)れども彼(かれ)に怒(いかり)を発(はっ)するなかれ、さらば仇怨(きゅうえん)の徴候(ちょうこう)を汝(なんじ)の中(うち)に認(みと)めざらん、けだし愛(あい)は人(ひと)を怒(いか)り或(あるい)は激(げき)し、或(あるい)は騒急(そうきゅう)に人(ひと)を責(せ)むる能(あた)はざるなり。我(われ)等(ら)が主(しゅ)ハリストス、イイススの為(ため)に善(ぜん)なる良心(りょうしん)により生(しょう)ぜらるる謙遜(けんそん)は愛(あい)と知(ち)識(しき)の表(ひょう)示(し)とならん。彼(かれ)に光栄(こうえい)と権柄(けんぺい)は父(ちち)及(およ)び聖神(せいしん)と共(とも)に今(いま)も何時(いつ)も世々(よよ)に帰(き)す。「アミン」。

脚注

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  1. ↑ 投稿者注:きず。あやまち、欠点、短所。
  2. ↑ 投稿者注:無慙(むざん)、無慚(むざん)は悪い事をして心に恥じないこと。いたいたしく正視に堪えないようすを意味する無惨(むざん)、無残(むざん)とは異なる。
  3. ↑ 投稿者注:ヨシュア。
  4. ↑ 投稿者注:猛り狂うさま。
  5. ↑ 投稿者注:ものごとをいい加減にすること。真剣さがないこと。深く心に留めないこと。
  6. ↑ 投稿者注:驚くこと。突然のできごとに対して激しく動揺すること。
  7. ↑ 投稿者注:驚いて当惑すること。
  8. ↑ 投稿者注:オフィルはソロモン王の時代の金の産地。
  9. ↑ 投稿者注:からだの一部分が赤くはれ、熱をもって痛むこと。炎症。