鉄道唱歌/山陽・九州篇
表示
< 鉄道唱歌
山陽.九州
夏 なほ寒 き布引 の瀧 のひゞきをあとにして神 戸 の里 を立 ちいづる山陽線 路 の汽 車 の道 兵 庫 鷹取 須磨 の浦 名所舊蹟 かずおほし平 家 の若 武 者敦盛 が討 たれし跡 もこゝと聞 く- その
最 期 まで携 へし青 葉 の笛 は須磨 寺 に今 ものこりて寳物 の中 にあるこそあはれなれ 九 郎判 官 義經 が敵陣 めがけておとしたる鵯越 やいちのたに皆 この名所 の内 ぞかし舞 子 の松 の木 の間 より まぢかく見 ゆる淡 路 島 夜 は岩 屋 の燈臺 も手 に取 る如 く影 あかし明 石 の浦 の風景 を歌 によみたる人麿 の社 はこれか島 がくれ こぎゆく舟 もおもしろや加古 川 おりて旅人 の立 ちよる陰 は高砂 の松 のあらしに傳 へくる鐘 も名 だかき尾上 寺 阿彌陀 は寺 の音 に聞 き姫 路 は城 の名 にひゞく こゝより支 線 に乘 りかへて ゆけば生 野 は二時 間 餘 那波 の驛 から西 南 一 里 はなれて赤 穗 あり四 十七 士 が仕 へたる淺 野 内 匠 の城 のあと播 磨 すぐれば燒物 の名 に聞 く備 前 の岡山 に これも名物 吉備 團 子 津 山 へ行 くは乘 かへよ水戸 と金澤岡山 と天 下 に三 つの公園 地 後樂園 も見 てゆかん國 へ話 のみやげには靈驗今 にいちじるく讃 岐 の國 に鎭 座 ある金刀比羅 宮 に參 るには玉島港 より汽 船 あり疊 おもての備 後 には福山町 ぞ賑 はしき城 の石垣 むしのこす苔 にむかしの忍 ばれて武士 が手 に卷 く鞆 の浦 こゝよりゆけば道三 里 仙醉島 を前 にして煙 にぎはふ海士 の里 淨 土 西國千 光 寺 寺 の名 たかき尾道 の港 を窓 の下 に見 て汽 車 の眠 もさめにけり絲崎 三 原海 田 市 すぎて今 つく廣島 は城 のかたちもそのまゝに今 は師 團 をおかれたり日清戰爭 はじまりて かたじけなくも大君 の御 旗 を進 めたまひたる大本營 のありし土地 北 には饒 津 の公園 地 西 には宇 品 の新 港 内海波 も靜 なり呉軍港 は近 くして己斐 の松原五 日 市 いつしか過 ぎて嚴 島 鳥 居 を前 にながめやる宮嶋驛 につきにけり汽 笛 ならして客 を待 つ汽 船 に乘 れば十 五 分 早 くもこゝぞ市 杵 島 姫 のまします宮 どころ海 にいでたる廻 廊 の板 を浮 べてさす汐 に うつる燈 籠 の火 の影 は星 か螢 か漁 火 か毛 利 元就 この島 に城 をかまへて君 の敵 陶晴賢 を誅 せしは のこす武 臣 の鑑 なり岩國川 の水上 に かゝれる橋 は算盤 の玉 をならべし如 くにて錦帶橋 と名 づけたり風 に絲 よる柳 井津 の港 にひゞく産物 は甘 露 醤 油 に柳 井 縞 からき浮 世 の鹽 の味 出 船入船 たえまなき商 業繁華 の三田 尻 は山陽線 路 のをはりにて馬 關 に延 ばす汽 車 のみち少 しくあとに立 ちかへり徳山港 を船 出 して二 十 里 ゆけば豐 前 なる門司 の港 につきにけり向 の岸 は馬 關 にて海 上 わづか二 十 町 瀬戸 内海 の咽首 を しめてあつむる船 の數 朝 の帆 影夕 烟 西北 さしてゆく船 は 鳥も飛 ばぬと音 にきく玄界洋 やわたるらん滿 ち引 く汐 も早鞆 の瀬戸 と呼 ばるゝ此海 は源平 兩 氏 の古 戰 塲 壇 の浦 とはこれぞかし世 界 にその名 いと高 き馬 關 條約結 びたる春 帆樓 の跡 とひて昔 しのぶもおもしろや門司 よりおこる九州 の鐵道線 路 をはる/″\と ゆけば大 里 の里 すぎて こゝぞ小 倉 と人 はよぶ- これより
汽 車 を乘 りかへて東 の濱 に沿 ひゆかば城 野 行橋宇島 を すぎて中 津 に至 るべし 中 津 は豐 後 の繁華 の地 頼山陽 の筆 により名 だかくなりし耶馬 溪 を見 るには道 も遠 からず白雲 かゝる彦山 を右 にながめて猶 ゆけば汽 車 は宇佐 にて止 まりたり八 幡 の宮 に詣 でこん歴 史 を讀 みて誰 も知 る和氣 清麿 が神 勅 を請 ひまつりたる宇佐 の宮 あふがぬ人は世 にあらじ小 倉 に又も立 ちもどり ゆけば折 尾 の右 左 若松線 と直方 の道 はこヽにて出 あひたり走 る窓 より打 ち望 む海 のけしきのおもしろさ磯 に貝 ほる少女 あり沖 に帆 かくる小 舟 あり- おとにきゝたる
箱崎 の松 かあらぬか一 むらの みどり霞 みて見 えたるは八 幡 の神 の宮 ならん 天 の橋立 三保 の浦 この箱崎 を取 りそへて三松原 とよばれたる その名 も千代 の春 のいろ織物産 地 と知 られたる博 多 は黒 田 の城 のあと川 をへだてゝ福岡 の町 もまぢかくつゞきたり- まだ
一日 とおもひたる旅 路 は早 も二 日 市 下 りて見 てこん名 にきゝし宰 府 の宮 の飛梅 を 千 年 のむかし太 宰 府 を おかれしあとは此 處 宮 に祭 れる菅 公 の事 蹟 かたらんいざ來 れ醍 醐 の御代 の其 はじめ惜 しくも人 にそねまれて身 になき罪 をおはせられ つひに左 遷 と定 まりぬ天 に泣 けども天 言 はず地 に叫 べども地 もきかず涙 を呑 みて邊 土 なる こゝに月 日 をおくりけり身 は沈 めども忘 れぬは海 より深 き君 の恩 かたみの御 衣 を朝毎 に さゝげてしぼる袂 かな- あはれ
當 時 の御 心 を おもひまつればいかならん御 前 の池 に鯉 を呼 ぶ をとめよ子等 よ旅人 よ 一 時 榮 えし都府 樓 の あとをたづねて分 け入 れば草葉 をわたる春風 に なびく菫 の三 つ五 つ鐘 の音 きくと菅 公 の詩 に作 られて觀 音 寺 佛 も知 るや千代 までも つきぬ恨 の世 がたりは宰 府 わかれて鳥栖 の驛 長崎 ゆきのわかれ道 久留米 は有 馬 の舊 城 下 水天宮 もほどちかし- かの
西南 の戰爭 に その名 ひび きし田 原坂 見 にゆく人 は木葉 より おりて道 きけ里人 に 眠 る間 もなく熊本 の町 に着 きたり我 汽 車 は九州一 の大 都 會 人口 五 萬 四 千 あり熊本 城 は西南 の役 に名 を得 し無 類 の地 細川氏 のかたみとて今 はおかるゝ六 師 團 町 の名所 は水前 寺 公園 きよく池 ひろし宮 は紅葉 の錦 山 寺 は法 華 の本妙 寺 - ほまれの
花 もさきにほふ花岡山 の招魂社 雲 か霞 か夕 ぞらに みゆるは阿蘇 の遠 煙 - わたる
白川 緑 川 川尻 ゆけば宇土 の里 國 の名 に負 ふ不知 火 の見 ゆるはこゝの海 と聞 く 線 路 分 るゝ三 角港 出 で入 る船 は絶 えまなし松橋 すぎて八代 と聞 くも心 のたのしさよ南 は球磨 の川 の水 矢 よりも早 くながれたり西 は天草洋 の海 雲 かとみゆる山 もなし- ふたゝびかへる
鳥栖 の驛 線 路 を西 に乘 りかへて ゆけば間 もなく佐賀 の町 城 にはのこる玉 のあと - つかれてあびる
武 雄 の湯 みやげにするは有 田 燒 めぐる車輪 の早 岐 より右 にわかるゝ佐世保 道 鎭西一 の軍港 と その名 しられて大村 の灣 をしめたる佐世保 には わが鎭守 府 をおかれたり南 の風 をハエと讀 む南風 崎 すぎて川棚 の つぎは彼 杵 か松原 の松 ふく風 ものどかにて右 にながむる鯛 の浦 鯛 つる舟 もうかびたり名 も諫早 の里 ならぬ旅 の心 やいさむらん故 郷 のたより喜々津 とて おちつく人 の大草 や春 日 長 與 のたのしみも道 尾 にこそつきにけれ千代 に八千代 の末 かけて榮 行 く御代 は長崎 の港 にぎはふ百 千 船 夜 は舷燈 のうつくしさ汽 車 よりおりて旅人 の まづ見 にゆくは諏訪 の山 寺町 すぎて居留 地 に入 ればむかしぞ忍 ばるゝ- わが
開港 を導 きし阿 蘭 陀 船 のつどひたる みなとはこゝぞ長崎 ぞ長 くわするな國民 よ 前 は海原 はてもなく外 つ國 までもつゞくらん あとは鐵道一 すぢに またゝくひまよ青森 も- あしたは
花 の嵐 山 ゆふべは月 の筑 紫 潟 かしこも樂 しこゝもよし いざ見 てめぐれ汽 車 の友
この著作物は、1937年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつ、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。