聚會アツマリアフ 時トキ、每每ツネヅネ 於ニテ㆓百姓タミノ 處トコロ㆒科斂クワレンスルハ、不ズ㆓便當ベンタウナラ㆒。可ベシ㆘敎シメ㆔千戶センコ 毎ラニ、毎ゴトニ㆑年トシ 出イダサ㆓騍馬メウマ 幷ナラビニ 牧ノガヒ 擠チシボリ 的人ノヒト㆒、其人馬ソノヒトウマハ 以ニ㆑時トキ 常川ツネヅネ 交替カウタイス㆖。乳馬飼︀は、蒙古語に兀納忽赤ウヌクチにて、元史 兵志 三に「闊闊の地の兀奴忽赤なる忙兀䚟」とあるも、それなり。然るを元史 語解は、この兀奴忽赤を狐捕りなる兀捏格赤と閒違へ、元史の本文を烏訥格齊と改めたるは、いつもながら亂暴の至りなり。)
又マタ 兄弟アニオトヽ 聚アツマらば、給與キフヨ 賞賜シヤウシを與アタへん。織物オリモノ 貨幣カネ 箭筒ヤナグヒ 弓ユミ 甲ヨロヒ 武器︀ブキどもを倉クラどもに入イれて、財タカラどもを守マモらせん、處處トコロドコロより財守タカラモリ 穀︀守コクモリを擇エラびて守マモらせよ。(財ども財守の蒙古語は、巴喇合惕バラガト 巴喇合臣バラガチン にして、巴喇合惕の單稱は、巴喇干なり。原本には巴剌合惕 巴剌合臣と書きて、巴剌合惕の旁譯は庫毎、巴剌合臣は管城的とあれども、譯文には倉庫 等 掌守 的人とありて、城守と云はざれば、二つの剌は、喇の誤なることうつなし。巴喇干は、搠米惕の蒙古 字引に巴兒干と書きて、家具と譯せり。巴喇合臣は、巴喇合赤とも云ふ。元史 世祖︀紀 至元 十七年 九月の處に「守㆑庫軍盜㆓庫鈔㆒。八 剌合赤 分㆓其贜㆒、縱㆑盜遁去。詔誅㆑之」とあり。元史 語解は、八剌合赤を巴喇噶齊と改めて、「管㆓理什物㆒人也」と注したるは、卽この財守なり。明譯には、一ヒトツ。賞賜シヤウシ 的ノ 金帛キンパク 器︀械キカイハ、倉庫ソウコ 等ドモ 掌守シヤウシユ 的ノ 人ヒトヲ、可ベシ㆑敎シム㆓各處カクシヨヨリ 起オコシ㆑人ヒトヲ 來キテ 看守カンシユセ㆒。太宗紀 元年 卽位の續に「始置㆓倉廩㆒」とあるは、この事を云へるなり。)
又マタ 國クニの民タミに營盤イヘヰの水ミヅを分ワけて與アタへん。營盤イヘヰに營盤イヘヰせしめん。千戶センコ 千戶センコより營盤官イヘヰヅカサを擇エラびて出イダさば可ヨからん。(明譯一ヒトツ。百姓行タミニ 分ワケ㆓與アタヘ 他ホカノ 地方チハウヲ㆒、做ナシテ㆓營盤イヘヰト㆒住スマセン。其 分派 之人ソノ ブンパ ノヒトハ、可ベシ㆘於ニテ㆓各オノ〳〵 千戶センコノ 內ウチ㆒選エラビテ㆑人ヒトヲ 敎シム㆖㆑做ナラ。水草を逐ふ遊牧の民には水は甚 大切にして、水あれば草あり。この譯文に水の字を脫したるは踈なり。)
又マタ 徹勒チエルの地チ(卷七に見えたる桑昆の遁げ走り往きて水を求めたる所)には、獸ケダモノより外ホカは住スまざりき。民タミに寬ヒロげんと、察乃チヤナイ(卷九に見えたる主兒扯歹の族にて一千の侍衞の長となりし人)委兀兒台ウイウルタイ 二人フタリの營盤官イヘヰヅカサを頭カシラとして、井ヰどもを掘ホらせて甃イシダタミせよ。(明譯一ヒトツ。川勒チエルノ 地面ヂメンハ、先サキニ因ヨリテ㆑無ナキニ㆑水ミヅ、止タヾ有アリ㆓野獸ヤジウノミ㆒、無ナカリキ㆓人住ヒトノスムモノ㆒。如今イマ 要セバ㆘散サン㆓開カイシテ 百姓タミヲ㆒住坐ヂウザセシメント㆖、可ベシ㆑敎シム㆓察乃チヤナイ 畏兀兒台ウイウルタイ 兩箇フタリヲシテ 去ユキテ 踏驗タウケンセ㆒。中ベキ㆑做ナス㆓