ことを難︀カタしとしたるなり。三十七サンジフシチの笞シモトを與アタへて、遠トホき地トコロに眼マナコの陰カゲに遣ヤらん。又マタ 番直バンチヨクの宿老オトナは、番直バンチヨクする番士バンシを點檢テンケンせず「して、番士バンシ」番直バンチヨクを脫ハヅさば、番直バンチヨクの宿老オトナを罰ツミナはん。又マタ 番直バンチヨクの宿老オトナは、第三ダイサン 第三ダイサンに(三日目ごとに)番直バンチヨクに入イる時トキ 代カハり合アふ時トキ、この勅ミコトを番士バンシに聽キかせよ。
勅ミコトを聽キきてあるに、番士バンシ 番直バンチヨクを脫ハヅさば、勅ミコトの理リに依ヨリ罰ツミナはん。この勅ミコトを番士バンシに聽キかせずば、番直バンチヨクの宿老オトナ 罪ツミあるとなれ。
又マタ 番直バンチヨクの宿老オトナは、同等ドウトウに入イりたる我ワが番士バンシを、我等ワレラに相談サウダンなく、長ヲサとせられたりとのみ云イひて勿ナ 責セめそ。法度ハフドを動ウゴさば、我等ワレラに吿ツげよ。死シなしめらるゝ理リあるならば、我等ワレラは斬キらしむるぞ。懲︀コラさるゝ理リあるならば、我等ワレラは訓ヲシふるぞ。長ヲサとせられたりとて、我等ワレラに吿ツげず、自ミヅカ 手足テアシを致イタさば、拳コブシの報ムクイに拳コブシを、笞シモトの報ムクイに笞シモトを回カヘさん」と宣ノリタマへり。
又マタ「外ホカに居ヲる千戶センコの官人クワンニンより我ワが番士バンシは上ウヘに在アるぞ。外ホカに居ヲる百戶ヒヤクコ 十戶ジツコの官人クワンニンより我ワが番士バンシの家人ケニンは上ウヘに在アるぞ。外ホカに居ヲる千戶センコども、我ワが番士バンシに毆ウち合アはば、千戶センコの人ヒトを罰ツミナはん」と勅ミコトありき。(これらの勅は、殆 皆 卷九 卷十に跨れる太祖︀のと同じ物にして、彼の勅は太祖︀ 卽位の初に宣諭せられたれば、これも太宗 卽位の初の事ならん。然らば元史 太宗紀 元年 卽位の處に「頒㆓大 札撒㆒、華言㆓大法令㆒也」とあるは、これらの勅を云へるなり。大法令と云へは、國法 民法の類︀かと思ひたりしに、かくの如きものなりき。又 明譯は、重複を厭ひて全文を略き、たゞ「斡歌歹オゴダイ 皇帝クワウテイハ、將ヲ㆓成吉思チンギスノ 時トキノ 守衞シユヱイノ 的モノ 幷マタ 眾モロ〳〵ノ 散班サンパン 每ラノ 各各オノオノノ 職掌シヨクシヤウ㆒、照テラシ㆓依ヨリ 舊制フルキサダメニ㆒、再フタヽビ 宣諭センユ 了シタルヿ