入イりて、二人フタリの人ヒト 酒局シユキヨクを執トれ」と勅ミコトありき。
箭筒士 四班の長 也孫脫額エスントエ 不乞歹ブキダイ 豁兒忽荅黑ゴルクダク 剌巴勒合ラバルカ
又マタ「箭筒士セントウシを也孫脫額エスントエ 不乞歹ブキダイ 豁兒忽荅黑ゴルクダク 剌巴勒合ラバルカは、四ヨツの班班クミグミとなり箭筒ヤナグヒ 帶オびたるを、侍衞ジヱイの四ヨツの班班クミグミの處トコロに、列ツラナる箭筒士セントウシを整トヽノへて入イれ」と勅ミコトありき。(箭筒士の四班の長は、太祖︀ 卽位の時に同じ。額孫脫額は卽 額孫帖額、不乞歹は卽 不吉歹、剌巴勒合は卽 剌卜剌合なり。)
又マタ 侍衞ジヱイの番直バンチヨクの宿老オトナを前サキに知シりたりしものの親族シンゾクより任ヨサして、
阿勒赤歹アルチダイ 晃豁兒塔孩コンゴルタカイ
「前サキに知シりたる阿勒赤歹アルチダイ 晃豁兒塔孩コンゴルタカイ 二人フタリは、議ハカり合アひて、一班ヒトクミの侍衞ジヱイを整トヽノへて入イれ。(前段の初に官人 阿勒赤歹 晃豁兒台と竝べ擧げたれば、この晃豁兒塔孩は、卽 晃豁兒台と同じ人ならん。)
帖木迭兒テムデル 者︀古ヂエグ 二人フタリは、議ハカり合アひて、一班ヒトクミの侍衞ジヱイを整トヽノへて入イれ。(この閒に脫文あらん。二班の宿老 足らず。今 試に補はば、[
某甲ボウカフ 某乙ボウオツは、議ハカり合アひて、一班ヒトクミの侍衞ジヱイを整トヽノへて入イれ。
某丙ボウヘイは、])忙忽台モンクタイに輔タスけさせ知シりて、一班ヒトクミの侍衞ジヱイを整トヽノへて入イれ。」(太祖︀ 卽位の時は、八千の侍衞の長 八人ありて、その八人の內より不合 阿勒赤歹 朶歹 朶豁兒忽 四人は、四班の宿老となりしが、今は一千ごとの長は無くて、四班の宿老は、一班に二人づゝ八人あることとなれり。この八人は、前に知りたりし者︀の親族なるに、阿勒赤歹のみは、前に知りたりし儘なれば、殊に斷れり。晃豁兒塔孩 以下 七人は、不合 朶歹 朶豁兒忽 等の親族なるべけれども、その關係 少しも分らず。元史 列傳に忙兀台あれども、世祖︀の朝の人にて、この忙忽台とは異なり。)
又マタ 合罕カガン 勅ミコトあるには「眾モロ〳〵の官人クワンニンどもは、額勒只吉歹エルヂギダイを長ヲサとして、額勒只吉歹エルヂギダイの言コトバに依ヨり行コトナへ」と宣ノリタマひて、又マタ 勅ミコトあるには
「番直バンチヨクある人ヒト、番直バンチヨクに入イる時トキ、脫ハヅさば、前サキの聖旨オホミコトの理リに依ヨり、三ミツの笞シモトを與アタへよ。その番直バンチヨクある人ヒト、又マタ 再フタヽビ 番直バンチヨクを脫ハヅさば七ナヽツの笞シモトを與アタへよ。又マタその人ヒト 病ヤマヒ 理由リイウなく、番直バンチヨクの宿老オトナに相談サウダンなく、三ミたび番直バンチヨクを脫ハヅさば、我等ワレラの處トコロに行ユく(勤むる)