たる宿衞シユクヱイは、その頭カシラを割ワるゝ程ホド 斫キりて去ノけよ。夜ヨル 急イソギの話ハナシある人ヒト 來キなば、宿衞シユクヱイに話ハナして、帳房チヤウバウの北キタより宿衞シユクヱイと一處ヒトトコロに立タちて話ハナし合アへ。斡兒朶オルドの房ヘヤに入イり出イづるをば、晃豁兒台コンゴルタイ 失喇罕シラカン 等ラの札撒兀ヂヤサウは、宿衞シユクヱイと共トモに治ヲサめよ。(札撒兀は、官の名にて、札撒を掌る官なり。札撒は、法の蒙語にて、元史 太宗紀 元年 卽位の條に「頒㆓大札撒㆒」とありて、原注に「華言㆓大法令㆒也」と云へり。されどもこの札撒兀は、國の大法官に非ず、只 殿中の取締役にて、その名はこゝに始めて出でたれども、その職務は、卷十に見えたる朶歹 扯兒必の殿中を監視︀せると同じ類︀なるべし。札撒兀は、今の蒙古語に札薩克と云ひ、內蒙古 四十九旗の旗長の官となれり)
額勒只吉歹エルヂギダイは、信任シンニンある人ヒトなるに、夕ユフベに宿衞シユクヱイの上ウヘを行ユくとなり、宿衞シユクヱイに拏トラへられきと云イふ聖旨オホミコトに違タガい爲ナさず、宿衞シユクヱイは信任シンニンあるものなるぞ」と勅ミコトありて、「宿衞シユクヱイの數カズを勿ナ 問トひそ。宿衞シユクヱイの坐クラヰの上ウヘを勿ナ 行ユきそ。宿衞シユクヱイの閒アヒダを勿ナ 行ユきそ。宿衞シユクヱイの上ウヘを行ユく、閒アヒダを行ユく人ヒトを宿衞シユクヱイは拏トラへよ。宿衞シユクヱイの數カズを問トふ人ヒトの、その日ヒの乘ノれる騸馬センバ、鞍クラあり轡クツワあるを、被キたる衣服イフクごめに宿衞シユクヱイは取トれ。
宿衞シユクヱイの坐クラヰの上ウヘに誰タレも勿ナ 坐スワりそ。宿衞シユクヱイは、纛トウ 鼓ツヾミ 朶囉ドロ 鎗ヤリ 器︀皿キベイを調トヽノへよ。飮物ノミモノ 食物クヒモノを稠シゲき肉ニクを宿衞シユクヱイ 支度シタクせよ」と勅ミコトありき。「斡兒朶オルドの房ヘヤ 車クルマを宿衞シユクヱイ 調トヽノへよ。我等ワレラの身ミ 軍イクサに出イでずば、我等ワレラより外ホカに、別コトに宿衞シユクヱイは軍イクサに勿ナ 出イでそ。我等ワレラ 鷹タカ 使ツカヒひ圍獵マキガリする時トキ、その半ナカバを斡兒朶オルドの房ヘヤ 車クルマの處トコロに斟酌ミハカラひて置オきて、我等ワレラと共トモに半ナカバの宿衞シユクヱイは行ユけ。(その半は、宿衞の半なり。卷十 三八六頁〈[#「三八六頁」は§232に相当]〉にも、こゝと同じ意味の文ありて、「車の處に半を斟酌ひて置け」と譯すべき所を、「半」の上に「獲物の」を補ひたるは誤解なりき。「斟酌ひ」と譯すべきを、「分