了呵ナバ、人必ヒトカナラズ說イハン㆓我 偏心ワレヲ ヘンシンナリト㆒)。不哩ブリをこそはと云イへば、巴禿バトに言イひ、察阿歹 兄チヤアダイ イロセに言イひて遣ヤれ。察阿歹 兄チヤアダイ イロセ 知シれ(明譯不哩ブリハ 是ナレバ㆓察阿歹 兄チヤアダイ イロセ的子ノコ㆒、敎シメヨ㆘巴禿バトヲシテ對ムカヒ㆓察阿歹 兄チヤアダイ イロセ
§277(12:33:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
忙該モンガイ 阿勒赤歹アルチダイ 等の奏議
諸︀王ミコダチより忙該モンガイ(卽 憲宗 蒙格)、官人等クワンニンダチより阿勒赤歹アルチダイ(亦魯該の親族にて一千の侍衞の長となれる人、卷九に見えたり。)晃豁兒台コンゴルタイ(下文に依れば札撒兀の官に居る人なり。)掌吉シヤンギを(功臣の第五十四なる苟吉か。)首ハジメとせる官人等クワンニンダチ 建議ケンギして奏マウさく「成吉思 合罕チンギス カガン 爾ナが父ミオヤ の聖旨オホミコトに、野ノの事コトは、野ノにてのみ裁サバくなりき。家イヘの事コトは、家イヘの內ウチにてのみ裁サバくなりき。(野の事 家の事は、閫外 閫內の事と云ふが如し。)合罕カガン 恩賜オンシせば、合罕カガンは古余克グユクに怒イカりておはせり。(おはすれど、)野ノの事コトなり。(なれば)巴禿バトに委ユダねて遣ヤらば宜ヨロしからんか」と奏マウせば、この言コトバを合罕カガンは可ヨシとし怒イカリ 息ヤみて、古余克グユクを見マミえさ
せて、敎訓ケウクンにて言コトバに聲コヱ 立タてて、「出征シユツセイして往ユく閒アヒダに、臀シリある人ヒトの臀シリを剩アマさざりき(明譯將ヲ㆓軍人イクサビト㆒都︀打徧スベテウチアマネハセリ)と云イはれたり、汝ナンヂ。軍イクサの人ヒトの顏色カホイロを挫クジきて行ユけり(明譯挫クジキ㆓了タリ威氣イキホヒヲ㆒)と云イはれたり、汝ナンヂ。斡嚕速惕オルストの民タミを、かゝる汝ナンヂの勢イキホヒ 怒イカリに怕オソれて降クダられたりとなして居ヲるか、汝ナンヂ。斡嚕速惕オルストの民タミを獨ヒトリにて降クダしたるが如ゴトく思オモひて、猛タケき心コヽロを持モちて、兄人アニビトに逆サカラひ來キぬ、汝ナンヂ。成吉思 合罕チンギス カガン 我等ワレラの父ミオヤの聖旨オホミコトにあり。「眾オホキ斡欒は懼オソ阿余兀里れしむ。深フカキ昆は死シ兀忽兀里なしむ(明譯人多則ヒトオホケレバ人懼ヒトオソル。水深則ミヅフカケレバ人死ヒトシヌ)」と云イへることあらざりしか。獨ヒトリにて爲果シオフせたるが