成れる書の如く聞ゆる嫌キラヒあり。且カツ 大德 七年に奏進ソウシンせる太祖︀ 實錄は、蓋ケダシ 今の太祖︀ 本紀の本源にして、疏漏ソロウなりし者︀と見ゆれば、その疏漏なる書と名を同じうすることを避サけ、當時の尊號を以て題したるなり。
成吉思 合罕チンギス カガンChinghis Khaghanと云はずして、成吉思 汗チンギス カンと云へるは、何ぞや。成吉思 合罕チンギス カガンは當時タウジの本號ホンガウ、成吉思 汗チンギス カンは後世コウセイの略稱リヤクシヨウなり。汗カンKhanは、君キミなり。可罕カガンKhaghanは、罕カンKhanの罕カンKhan、君キミの君キミにして、大君オホギミなり。此書には、一たびも成吉思 可罕チンギス カガンの可カを略きたる事なし。然れども太祖︀の大オホイなる所以ユヱンは、名に關アヅカらず。故に便宜ベンギに從ひ略稱を用ひたり。
蒙古モウコの古文コブンと和譯文ワヤクブン。
蒙古語モウココトバは、阿勅泰アルタイ 語族ゴゾクに屬ゾクして、我が國語コクゴと文法ブンパフ 甚だ近く、殊にその措辭法ソジハフは始ど同じければ、語コトバごとに適當テキタウの譯語ヤクゴを當アてて、名詞メイシ 代名詞ダイメイシの格カク、動詞ドウシの言方イヒカタなどを誤らざれば、自オノヅカら我が文章ブンシヤウと爲ナる。譯讀ヤクドクするにも、漢︀文カンブン 歐文オウブンを讀むが如く飛返トビカヘり跳返ハネカヘる必用ヒツヨウなし。
唯タヾ 名詞メイシ 代名詞ダイメイシに單複タンブクの別ベツありて、之を譯するに一一區別クベツすることは頗る煩はし。代名詞の複數フクスウは、我等ワレラ、汝等ナンヂラ、此等コレラ、其等ソレラの如く、大抵タイテイ「ら」を附ツけたれども、此等コレラの、其等ソレラのと云へる場合バアヒには、往往ワウ〳〵「この」「その」と譯したる處あり。名詞の複數も、「ら」「ども」「だち」などを附けて穩オダヤかなる處、附けざれば意味イミの明瞭メイレウを缺カく處は、