たる後にあるを、この役の初に書き、兀都︀喇兒ウドラルUdurar、不合兒ブカル、薛米思堅セミスゲンを取りたるは、この役の初にあるを、申シンShin河ガハ信度河の戰の後に書けり。然のみならず是等の征伐セイバツ、世界セカイを震盪シンタウせる大征伐タイセイバツの記述キジユツは、客咧亦惕ケレイトKereit、乃蠻ナイマンNaimanなどを敵手アヒテにせる戰よりも簡略カンリヤクなり。蓋ケダシ 漠北バクホクの斡兒朶オルドに仕ツカへたる稗田ヒエダの阿禮アレは、遊牧 諸︀國イウボク シヨコクの興亡キヨウバウの物語モノガタリをば善く記憶すれども、南夏ナンカ 西域サイイキの征服の如き世界の大局タイキヨクに關クワンする入組イリクミたる事件ジケンは、理會リクワイすること能はざりけらし。故に 太祖︀ 太宗 兩朝の事迹ジセキを論次ロンジする者︀は必ず此書に依りて折衷セツチウすべき事は、錢大昕の云へるが如くなれども、南征の事は親征錄、金中、元史に依り、西征の事は、主費尼ヂユヹニ。喇失惕 額丁ラシツド エツヂンに依りて補はざるべからず。
此書は、太祖︀の祖︀先より書き始めて太宗の世まで及べるに、今の譯本の名に唯 太祖︀のみを標ヘウするは、何故ぞ。祖︀先の事を記シルしたるは、一卷に滿ミたず、太宗の紀も一卷に滿ミたず。十二卷の內 十卷 餘りは皆 太祖︀の紀にして、祖︀先の紀は、太祖︀の實錄の發端ホツタンに過スぎず、太宗の紀も、太祖︀の實錄の結末ケツマツと見らるゝが故に、太祖︀の名を專モツパラに用ひて標題ヘウダイとせり。
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