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Page:成吉思汗実録.pdf/33

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たる後にあるを、この役の初に書き、​兀都︀喇兒​​ウドラル​​Udurar​、​不合兒​​ブカル​、​薛米思堅​​セミスゲン​を取りたるは、この役の初にあるを、​申​​シン​​Shin​​河​​ガハ​信度河の戰の後に書けり。然のみならず是等の​征伐​​セイバツ​、​世界​​セカイ​を​震盪​​シンタウ​せる​大征伐​​タイセイバツ​の​記述​​キジユツ​は、​客咧亦惕​​ケレイト​​Kereit​、​乃蠻​​ナイマン​​Naiman​などを​敵手​​アヒテ​にせる戰よりも​簡略​​カンリヤク​なり。​蓋​​ケダシ​ ​漠北​​バクホク​の​斡兒朶​​オルド​に​仕​​ツカ​へたる​稗田​​ヒエダ​の​阿禮​​アレ​は、​遊牧 諸︀國​​イウボク シヨコク​の​興亡​​キヨウバウ​の​物語​​モノガタリ​をば善く記憶すれども、​南夏​​ナンカ​ ​西域​​サイイキ​の征服の如き世界の​大局​​タイキヨク​に​關​​クワン​する​入組​​イリクミ​たる​事件​​ジケン​は、​理會​​リクワイ​すること能はざりけらし。故に 太祖︀ 太宗 兩朝の​事迹​​ジセキ​を​論次​​ロンジ​する者︀は必ず此書に依りて​折衷​​セツチウ​すべき事は、錢大昕の云へるが如くなれども、南征の事は親征錄、金中、元史に依り、西征の事は、​主費尼​​ヂユヹニ​。​喇失惕 額丁​​ラシツド エツヂン​に依りて補はざるべからず。

 此書は、太祖︀の祖︀先より書き始めて太宗の世まで及べるに、今の譯本の名に唯 太祖︀のみを​標​​ヘウ​するは、何故ぞ。祖︀先の事を​記​​シル​したるは、一卷に​滿​​ミ​たず、太宗の紀も一卷に​滿​​ミ​たず。十二卷の內 十卷 餘りは皆 太祖︀の紀にして、祖︀先の紀は、太祖︀の實錄の​發端​​ホツタン​に​過​​ス​ぎず、太宗の紀も、太祖︀の實錄の​結末​​ケツマツ​と見らるゝが故に、太祖︀の名を​專​​モツパラ​に用ひて​標題​​ヘウダイ​とせり。

 元太祖︀ 實錄と云はずして、​成吉思 汗​​チンギス カン​ 實錄と名づけたるは、何ぞや。​成吉思 汗​​チンギス カン​は​當時 通行​​タウジ ツウカウ​の​尊號​​ソンガウ​なり。太祖︀は、世祖︀ 至元 三年の​追號​​ツヰガウ​なり。數十年の後なる​追號​​ツヰガウ​を以て題すれば、數十年の後に