Page:成吉思汗実録.pdf/243

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の​馬飼︀​​ウマカヒ​なりしぞ。​今​​イマ​は​我​​ワ​が​信臣​​シンシン​、​箭筒​​ヤナグヒ​を​帶​​オ​ばしめて、​喝︀盞​​アイサン​せしめて、​自在​​ジザイ​に​快活​​クワイクワツ​なれ」と​勅​​ミコト​ありき。(自在なるの蒙語は​荅兒合剌忽​​ダルカラク​、自在の特典を得たる官人を​荅兒罕​​ダルカン​と云ふ。輟耕錄に「荅剌罕、譯言一國之長、得自由之意、非勳戚與焉。太祖︀龍飛日、朝廷草創、官制簡古、惟左右萬戶、次及千戶而已。丞相順德忠獻王之曾祖︀啓昔禮、以英材遇、擢任千戶、錫號 荅剌罕。至元壬申、世祖︀錄勳臣後、拜王宿衞官、襲號荅剌罕」とあり。荅剌罕は、卽 荅兒罕、啓昔禮は、卽 乞失里黑、忠獻王は、世祖︀ 成宗の朝の名相 哈剌哈孫なり。


§220(09:27:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年) Open original book in Wikimedia


​正主​​セイシユ​を​廢​​ス​てかねたる​納牙阿​​ナヤア​の恩賞

 ​又​​マタ​ ​成吉思 合罕​​チンギス カガン​は、​納牙阿​​ナヤア​に​宣​​ノリタマ​はく「​失兒歌禿​​シルゲト​ ​翁​​オキナ​(卷五の失兒古額禿 翁)は、​阿剌黑​​アラク​、​納牙阿​​ナヤア​なる​子​​コ​どもと、[​卽​​スナハチ​]​汝等​​ナンヂラ​と、​塔兒忽台 乞哩勒禿黑​​タルクタイ キリルトク​を​我等​​ワレラ​の​處​​トコロ​に​拏​​トラ​へて​來​​ク​る​時​​トキ​、​路​​ミチ​にて​忽禿忽勒​​クトクル​の​隅​​スミ​に​到​​イタ​りて、そこに​納牙阿​​ナヤア​ ​言​​イハ​く「​正主​​セイシユ​の​君​​キミ​をいかで​廢​​ス​てて​拏​​トラ​へて​往​​ユ​かん、​我等​​ワレラ​」と​云​​イ​ひて、​廢​​ス​てかねて​放​​ハナ​して​遣​​ヤ​りて、​失兒歌禿​​シルゲト​ ​翁​​オキナ​は​阿剌黑​​アラク​、​納牙阿​​ナヤア​なる​子​​コ​どもと​來​​キ​て、そこに​納牙阿 必勒只兀兒​​ナヤア ビルヂウル​(必勒只兀兒は、雲雀なり。納牙阿の號か)​言​​イハ​く「​正主​​セイシユ​の​君​​キミ​を​塔兒忽台 乞哩勒禿黑​​タルクタイ キリルトク​を​手​​テ​に​掛​​カ​けて​來​​キ​ぬるに、​却​​カヘツ​て​廢​​ス​てかねて​放​​ハナ​して​遣​​ヤ​りて、​我等​​ワレラ​は、​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に​力​​チカラ​を​與​​アタ​へんと​來​​キ​ぬ。その​君​​キミ​を​手​​テ​に​掛​​カ​けて​來​​キ​なば、「​正主​​セイシユ​の​君​​キミ​を​手​​テ​に​掛​​カ​けたる​人​​ヒト​、​久後​​ユクスヱ​いかんぞ​倚信​​イシン​せられん、​此等​​コレラ​の[​人​​ヒト​]」と​云​​イ​はれんと​云​​イ​ひき。その​君​​キミ​を​廢​​ス​てかねたり」と​云​​イ​へば、そこに「​正主​​セイシユ​の​君​​キミ​を​廢​​ス​てかねたる​理​​ワケ​は、​大​​オホイ​なる​道理​​ダウリ​を​思​​オモ​ひけり」とて、​彼等​​カレラ​の​言​​コトバ​を​善​​ヨ​しとして「​一​​ヒト​つの​句當​​コウタウ​を​委​​ユダ​ねん」と​云​​イ​ひき。

右左中の​萬戶​​バンコ​

​今​​イマ​ ​孛斡兒出​​ボオルチユ​に​右手​​ミギテ​の​萬戶​​バンコ​を​知​​シ​れ(​知​​シ​らし