馬ウマに乘ノらしめて坐スワりかぬるを、尻馬シリウマに乘ノりて、斡歌歹オゴダイの後ウシロより抱イダきて、塞フサガれる血チを咂スひ咂スひ口クチの緣ヘリを赤アカくして、斡歌歹オゴダイの命イノチを安ヤスらかに送オクりて來キてありき。我ワが母ハヽの養ヤシナへる勞ホネヲりたるに報ムクい、我ワが二人フタリの子コの命イノチに功イサヲとなりたるぞ。孛囉忽勒ボロクルは、我ワレに伴トモなひて、招マネ荅兒巴安ぎ喚ヨびに、聲コヱ荅溫 應コタヘ 後オクれたることなかりしぞ。孛囉忽勒ボロクルは、九次コヽノタビ 罪ツミを犯オカすとも勿ナ 罪ツミなひそ」と勅ミコトありき。
§215(09:19:01)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
又マタ「女子ムスメ 家族カゾクに恩賞オンシヤウを與アタへん」と宣ノリタマへり。
§216(09:19:04)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
別乞ベキとせらるゝ豁兒赤 兀孫ゴルチ ウスン 翁オキナ
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは、兀孫ウスン 翁オキナ(豁兒赤 兀孫 翁)に宣ノリタマはく「兀孫ウスン、忽難︀クナン、闊闊搠思ココシユス、迭該デガイ、この四人ヨタリは、見ミたる事コト 聞キきたる事コトを諱イみ匿カクさず吿ツげ居ヲたりき。心附コヽロヅきたる事コト 考カンガへたる事コトを語コトバり居ヰたりき。忙豁勒モンゴルの體例タイレイには、官人クワンニンの制セイに別乞ベキとなる法ハフありき。巴阿𡂰バアリンは、兄コノカミの子孫シソンなりき。(巴阿卿の遠祖︀ 巴阿哩歹は、孛端察兒の長子にて、巴啉 失亦喇禿 合必赤の兄なり。)別乞ベキの制セイは、我等ワレラの內ウチにて上カミより[爲ナる法ハフなれば]別乞ベキに兀孫ウスン 翁オキナ 爲ナれ。別乞ベキに戴イタヾくと、白シロき衣コロモを着キせて、白シロき騸馬センバに乘ノらしめて、位クラヰの上カミに坐スワらせて、侍カシヅきて、又マタ 年月ネンゲツに議ハカりてかく有アれ」と勅ミコトありき。(
別乞は、族長の稱號なり。蒙古の諸︀部長 往往 別乞と稱する者︀あり。薛徹 別乞は合不勒 合罕の長子の孫にして、禹兒斤の長なり。忽察兒 別乞は、也速該の兄の子なるが故に、別乞と稱せり。兀都︀亦惕 篾兒乞惕の脫黑脫阿 別乞、その長子 脫古思 別乞、朶兒邊の合只溫 別乞、斡亦喇惕の忽都︀合 別乞は、皆その一族の長なり。王罕に事へたる必勒格 別乞も、或一族の長なるべし。但 太祖︀の女 豁眞 別乞、阿剌合 別乞、桑昆の妹 察兀兒 別乞、札合敢不の二女 亦巴合 別乞、莎兒合黑塔泥 別乞の如く、女子にして別乞と稱するは、美稱に用ふるのみにて、族長の別乞とは異なり。又