Page:成吉思汗実録.pdf/181

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は、​鬭​​タヽカ​はずに​降​​クダ​り​來​​キ​ぬ。​汪古惕​​オングト​(親征錄​王孤 部​​ワング ブ​元史 汪古 部)の​阿剌忽失 的吉惕忽哩​​アラクシ ヂギトクリ​(親征錄​阿剌忽思 的乞火里​​アラフス チキホリ​。元史、阿剌兀思 剔吉忽里)の​處​​トコロ​より​阿三 撒兒塔黑台​​アサン サルタクタイ​(阿三と云ふ撒兒塔黑 人)、​白​​シロ​き​駱駝​​ラクダ​ある​千​​セン​の​羯羊​​カツヤウ​(千の羯羊に白駱駝 一匹まじれる)を​趕​​オ​いて、​額兒古捏 河​​エルグネ ガハ​に​沿​​シタガ​ひ、​貂鼠​​テウソ​ ​靑鼠​​セイソ​を​買​​カ​ひて​取​​ト​り​來​​ク​る時、

​巴勒主納​​バルヂユナ​の水飮み卽ち濁水の誓

[​成吉思 合罕​​チンギス カガン​に]​巴勒主納​​バルヂユナ​に​水飮​​ミヅノ​みに​入​​イ​る​處​​トコロ​に​遇​​ア​へり。(この水飮みは、名高き巴勒主納の濁水の誓なり。祕史の文は、簡略なるが故に、參考の爲に、紀傳に見えたる叙事を下に引かん。││

飮渾水 卽ち​巴勒主惕​​バルヂユト​の諸︀說

太祖︀ 本紀帝 旣使於 ​汪罕​​ワンハンニ​、遂、虜︀ヘテ​弘吉剌​​ホンギラ​​別部​​ベツブ​ ​溺兒斤​​デルギン​以​行​​ユキ​、至​班朱泥 河​​バンヂユニ ガハニ​。河水方レリ

太祖︀ 本紀の飮渾水

帝 ​飮​​ノミテ​以誓。有 ​亦乞烈 部​​イキレ ブノ​ ​人​​ヒト​ ​孛徒者︀​​ボトナルモノ​、​爲​​レ​​火魯剌 部​​ホルラ ブニ​所 ​敗​​ヤブラ​、因、與之同。​哈撒兒​​ハツサル​ 別​哈剌渾 山​​ハラフン ザンニ​、妻子​爲​​ラレ​​汪罕​​ワンハンニ​ 所​虜︀​​ヘ​、​挾​​カヽヘテ​幼子 ​脫虎​​トフヲ​、糧絕、探シテ鳥卵、​來​​キテ​會于河。時​汪罕​​ワンハン​ 形勢盛强シテ 帝 微弱ナリ。勝敗​未​​ズ​、眾頗。凡タル者︀、謂之飮渾水、言セルヲ艱難︀也。この文は、全く親征錄に據りて、只「河水方渾」と「時 汪罕」以下の三十七字とを加へたるなり。溺兒斤は、卽ち親征錄 前文の帖木哥 阿蠻にして不余兒 湖の頭にありと祕史に記せる帖兒格 阿篾勒なり。帖兒格 阿篾勒の降りたるは、成吉思 汗の合勒合 河に沿ひ動ける時にあるを、親征錄は重ねてこゝに溺兒斤を虜︀ふと記せるは、誤りなり。元史は、又 前の降附の事をば「怯里亦 部 人、遂棄汪罕來降」と改めて、溺兒斤を虜︀へたることは、親征錄のまゝに書けり。されども統格 小河より巴勒主納 湖に遷るに、何ぞ不余兒 湖の邊を過ぐることあるべけんや。││

​札八兒 火者︀​​ヂヤバル ホジヤ​の​傳​​デン​なる馬くひ

札八兒 火者︀の傳太祖︀ 與​克烈​​ケレイノ​ ​汪罕​​ワンハン​隙、一夕​汪罕​​ワンハン​潛メテ​來​​キヌ​。倉卒シテ​不​​ズ​、眾軍大。太祖︀遽、從者︀僅十九人、札八兒 與レリ焉。至レバ​班朱尼 河​​バンヂユニ ガハニ​、餱糧俱、荒遠シテ。會野馬北ヨリ​來​​キテ​、諸︀王 ​哈札兒​​ハジヤル​ 射セリ。遂​刳​​ウツロニシテ​爲​​シ​、出于石ヨリ、汲、煮︀而啖ヘリ。太祖︀擧而誓