なりて與アタへよ。厭アき易カしと云イはれんぞ、汝等ナンヂラ。
察兀惕忽哩チヤウトクリ(卷四の札兀惕忽哩)の扶植フシヨクのみなりきと勿ナ 云イはれそ。(明譯您如今卻ナンヂライマカヘツテ離ハナレ㆓了テ 我ワレヲ㆒、在アリ㆓王罕ワンカンノ 處トコロニ。您ナンヂラ 好生ヨク 做ナリ㆑伴トモト著︀テ、休ナ㆕要 有アリテ㆑始ハジメ無ナク㆑終ヲハリ、敎シムル㆔人ヒトヲシテ議ギ㆓論ロンセ 你每ナンヂラ、全マタク 倚タヨリ㆘仗 著︀テ 帖木眞テムヂンニ㆖、無ナケレ㆘帖木眞テムヂン㆖呵バ、便スナハチ不ズト㆒㆑中アタラ㆑用ヨウニ了。成吉思 汗の自ら察兀惕忽哩と稱するを見れば、この時までは、蒙古の合罕は、小部落の酋長に過ぎずして、金の官爵を榮譽としたるなり。)
三河ミカハ(斡難︀、客魯嗹、土兀剌)の源ミナモトは、誰タレにも勿ナ 下營カエイせしめそ」と云イひて遣ヤりぬ。(親征錄に「三河之源、我祖︀實興。毋㆑令㆓他人居㆒㆑之。汝若事㆓吾父 汪可汗㆒、勿㆑使㆘疑㆔汝爲㆓ 察兀忽魯 之族㆒ 而累㆖㆑汝。卽 汪可汗 交㆑人易㆑厭。於㆑我尙爾、況汝輩乎。縱然今夏、豈能到㆓來冬㆒矣」とあり。察兀忽魯の事は、祕史と意 違ひ、又 二人の厭き易きことを王罕の事に移せり。元史には「三河、祖︀宗肇㆑基之地、毋㆑爲㆓他人所有㆒。汝善事㆓汪罕㆒。汪罕 性無㆑常、遇㆑我尙如㆑此、况汝輩乎。我今去矣。我今去矣」と云ひて、文は麗しくなりたれども、意味は全く親征錄に因れり。「我 今 去らん」の二語は、進むことか、退くことか。面白き樣にて、面白からず、蛇足なり。)
§180(06:38:03)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
脫斡哩勒トオリルを弟と云へる緣故エンコ
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは「脫斡哩勒トオリル(親征錄脫憐トーリン)なる弟オトヽに言イへ」とて言イハく「弟オトヽと云イへる緣故エンコは、屯必乃トンビナイ、察剌孩 領忽チヤラカイ リンク(親征錄察剌合 令忽チヤラカ リンク、統必乃トンビナイ)二人フタリの斡黑荅オクダ(親征錄塔塔タタ)奴ヤツコに依ヨり起オコりて來キしぞ。斡黑荅オクダ 奴ヤツコの子コ 速別該スベガイ(親征錄雪也哥シユエゲ)奴ヤツコありき。速別該スベガイ 奴ヤツコの子コ 闊闊出 乞兒撒安ココチユ キルサアン(親征錄闊闊出 黑兒思安ココチユ ヘルスアン)ありき。闊闊出 乞兒撒安ココチユ キルサアンの子コ 也該 晃塔合兒エガイ コンタガルありき。(親征錄折該 晃脫合兒ヂエガイ コントガル。蓋 卷三の者︀該 晃答豁兒に同じ。然らば脫斡哩勒は、速格該 者︀溫と兄弟にして、速客虔 氏なり。)也該 晃塔合兒エガイ コンタガルの子コ 脫斡哩勒トオリル、汝ナンヂ。誰タが部眾ブシウを[王罕ワンカンに]與アタへんとて諂ヘツラひ行ユける、汝ナンヂ。我ワが部眾ブシウは、阿勒壇アルタン、忽察兒クチヤル 二人フタリ、誰タレにも管ウシハかしめぬぞ。汝ナンヂを弟オトヽと云イへる緣故エンコは、我ワが高祖︀父オホヒオホヂ孛兒孩(屯必乃)の戶限トジキミ孛莎合の奴ヤツコ孛斡勒、我ワ