二人は、卷五の阿勒屯 阿倏黑、忽勒巴哩にして、喇失惕も親征錄に同じ。忽勒巴哩は、忽巴哩忽哩と名似たるに由り、修正 祕史の誤れるなるべし。)
§178(06:33:07)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
この言コトバにつき、王罕ワンカン 言イはく「嗚呼アア 息苦イキグルしき[かな](蒙語唉莎亦魯黑アイシヨイルク)。我ワが子コより、離ハナるゝ道理ダウリよりやは離ハナれたる。分ワカるゝ關係クワンケイよりやは分ワカれたる、我ワレ」と云イひ、心コヽロ 艱ナヤみて言イはく「今イマ 子コを見ミて惡アシしく思オモはば、かくの如ゴトく血チを出イダされん(殺︀されん)」と誓チカヒひて、小指コユビを彈ハジき、箭ヤ 削ケヅる小刀コガタナにて刺サして血チを流ナガして、小チヒサき樺桶カバヲケに盛モりて、「我ワが子コに與アタへよ」と云イひて遣ヤりぬ。(樺桶は、樺の皮の小桶なり。柳邊 紀略に曰く「樺木、徧㆑山皆是、類︀㆓白楊㆒。春夏閒、剝㆓其皮㆒、入㆓汙泥中㆒、謂㆓之糟㆒。糟數日、出而曝㆓之地㆒。白而成㆓花形㆒者︀爲㆑貴、金 史所 謂醬瓣也。」黑龍江 外記に曰く「山谷多㆓樺木㆒。土人以爲㆓箭笴㆒、爲㆓鞍版㆒、爲㆓刀柄㆒。皮以貼㆑弓、爲㆓車蓋㆒、爲㆓穹廬㆒、爲㆓札哈㆒。(原注 小船也。)縫㆑之如㆓栲栳㆒、大擔㆑水、小盛㆓米麫㆒、謂㆓之樺皮斗㆒。俄羅斯 亦 有㆑之、極小。雕鏤精︀巧、宜㆑儲㆓檳榔鼻煙㆒、號㆓老羌斗㆒。」)
§179(06:34:08)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
札木合ヂヤムカに對タイする嘲アザケり
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは、「札木合 安荅ヂヤムカ アンダに言イへ」とて言イはく「我ワが罕 額赤格カン エチゲより見マミゆる能アタはずして離ハナれしめたり、汝ナンヂ。(明譯 補塡在前ムカシノ 時トキ 毎ゴトニ㆑日ヒ、二人幼くして始めて安荅となれる頃の事なるべし。)我等ワレラの先サキに起オきたるは、罕 額赤格カン エチゲの靑錘オヲサカヅキを[以モテて馬乳ウマノチを]飮ノみたりき。我ワレに先サキに起オきて飮ノまるゝを妒ネタみたるぞ、汝ナンヂ。今イマ 罕 額赤格カン エチゲの靑錘オヲサカヅキを飮ノみ乾ホし、幾イクばくを費ツヒヤすか、汝等ナンヂラ」と云イひて遣ヤりぬ。
阿勒壇アルタン 忽察兒クチヤルの背信を責むる痛切の言コトバ
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガンは、「阿勒壇アルタン、忽察兒クチヤル(親征錄 元史案彈アンタン、火察兒ホチヤル)二人フタリに言イへ」とて言イはく「汝等ナンヂラ 二人フタリ、我ワレを棄スてて、面カホをや撇スてんと云イへる、汝等ナンヂラ。行オコナヒをや撇スてんと云イへる、汝等ナンヂラ。(面をすつるは、體を辱むるを云ひ、行をすつるは、事業を壞るを云ふ。親征錄)汝ナンヂ 二人フタリ 欲ホツシ㆑殺︀コロサント㆑我ワレヲ、將ハタ 棄ステン㆑之コレヲ乎カ、瘞ウヅメン㆑之コレヲ乎カ。(洪鈞の重譯には「汝二人惡㆑我、將