Page:成吉思汗実録.pdf/175

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

の​帖列格禿 阿馬撒兒​​テレゲト アマサル​(帖列格禿の口)にある​一半​​イツパン​の​人民​​ジンミン​ ​馬羣​​バグン​ ​糧食​​リヤウシヨク​を​虜︀​​トラ​へて​去​​サ​れば、​篾兒乞惕​​メルキト​(親征錄 蔑力乞、滅里乞、元史 蔑里乞 部)の​脫黑脫阿​​トクトア​(親征錄​脫脫​​トト​)の​子​​コ​、​忽都︀​​クド​(卷五の忽圖)、​赤剌溫​​チラウン​(親征錄 火都︀、赤剌溫)​二人​​フタリ​、その​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​と​共​​トモ​に​爾​​ナムチ​の​處​​トコロ​にあるが、その​戰​​タヽカヒ​の​中​​ウチ​に、その​父​​チヽ​に​合​​ア​はんと、​巴兒忽眞​​バルクヂン​に​入​​イ​らんと、​爾​​ナムチ​の​處​​トコロ​より​背​​ソム​きて​動​​ウゴ​きしぞ。

​四傑​​シケツ​の救ひ

そこに​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​、​爾​​ナムチ​は、「​乃蠻​​ナイマン​の​可克薛兀 撒卜喇黑​​コクセウ サブラク​に​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​を​虜︀​​トラ​へられたり、​我​​ワレ​。​我​​ワ​が​子​​コ​、​朶兒邊 曲魯兀惕​​ドルベン クルウト​(四傑)を​與​​アタ​へて​來​​コ​よ」と​云​​イ​ひて​來​​キ​つれば、​爾​​ナムチ​の​如​​ゴト​くは​思​​オモ​はず、そこに​我​​ワレ​は、​孛斡兒出​​ボオルチユ​、​木合里​​ムカリ​、​孛囉忽勒​​ボロクル​、​赤剌溫 巴阿禿兒​​チラウン バアトル​、この​四傑​​シケツ​を​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて​遣​​ヤ​りたれば、​我​​ワ​がこの​四傑​​シケツ​の​先​​サキ​に、​忽剌安忽惕​​クラアンクト​にて​桑昆​​サングン​は​對陣​​タイヂン​となり、その​馬腿​​ウマモヽ​を​射​​イ​られて​捕​​ト​へられんとして​居​​ヲ​る​處​​トコロ​へ、​我​​ワ​がこの​四傑​​シケツ​ ​到​​イタ​りて、​桑昆​​サングン​を​救​​スク​ひ、​妻子​​ツマコ​ ​人民​​ジンミン​を​住具​​ヂウグ​ごめに​都︀​​スベ​てを​救​​スク​ひて​與​​アタ​へたれば、そこに​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​は、​感謝​​カタジケナ​みて​言​​イ​はく「​子​​コ​なる​帖木眞​​テムヂン​に​去​​サ​り​畢​​ヲ​へたる​人民​​ジンミン​ ​住具​​ヂウグ​を​四傑​​シケツ​をおこせて​救​​スク​ひて​與​​アタ​へられたり」と​云​​イ​ひて​居​​ヲ​りき、​爾​​ナムチ​。

講和の望み

​今​​イマ​ ​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​は、いかんぞ​我​​ワレ​を​怒​​イカ​りに​怒​​イカ​れる、​爾​​ナムチ​。​怒​​イカ​る​理由​​リイウ​の(理由を明さん)​爲​​ナ​に​使​​ツカヒ​をおこせよ。おこするには、​忽巴哩 忽哩​​クバリ クリ​〈[#「忽巴哩 忽哩」は底本では「忽巴哩忽哩」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§177(06:31:08)の漢︀字音訳「忽巴里-忽里」に倣い二語に分割]〉 ​亦都︀兒堅​​イドルゲン​ ​二人​​フタリ​をおこせよ。​二人​​フタリ​をおこせずば、第二(第二の人 亦都︀兒堅)をおこせよ」と​云​​イ​ひて​遣​​ヤ​りたれば、(親征錄に「可案敦 阿速、渾八力 二人來報。否、則遣一人」とあり。この