Page:成吉思汗実録.pdf/172

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​爾​​ナムチ​の​弟​​オトヽ​ ​殺︀​​コロ​されんとし、​命​​イノチ​を​助​​タスケ​かりて​出​​イ​でて、​乃蠻​​ナイマン​の​亦難︀察 必勒格 罕​​イナンチヤ ビルゲ カン​(卷五の亦難︀赤 罕)の​處​​トコロ​に​逃​​ノガ​れて​入​​イ​りしぞ。「​弟​​オトヽ​どもを​殺︀​​コロ​し​好​​ズ​きになれり」と​云​​イ​ひて​古兒 罕​​グル カン​(親征錄​菊律 可汗​​グル カガン​、元史 菊兒)なる​爾​​ナムチ​の​叔父​​ヲヂ​は、​爾​​ナムチ​の​處​​トコロ​に​出馬​​シユツバ​して​來​​キ​つれば、​爾​​ナムチ​は​百人​​ヒヤクニン​にて​命​​イノチ​を​助​​タスケ​かり​逃​​ノガ​れて、​薛涼格 河​​セレンゲ ガハ​に​沿​​シタガ​ひ​走​​ハシ​りて​合喇溫 合卜察勒​​カラウン カブチヤル​(親征錄​哈剌溫 之 隘​​ハラウン ノ ハサマ​)に​鑽​​キ​り​入​​イ​りたるぞ、​爾​​ナムチ​。さてそこより​出​​イ​づるに、​篾兒乞惕​​メルキト​の​脫黑脫阿​​トクトア​に​忽札兀兒 兀眞​​クヂヤウル ウヂン​なる​息女​​ムスメ​を​顏​​カホ​にて​與​​アタ​へて、​合剌溫 合卜察勒​​カラウン カブチヤル​より​出​​イ​でて、​也速該 罕​​エスガイ カン​なる​我​​ワ​が​父​​チヽ​の​處​​トコロ​に​來​​キ​つれば、​爾​​ナムチ​そこに​言​​イ​へらく「​古兒 罕​​グル カン​ ​叔父​​ヲヂ​より​我​​ワ​が​部眾​​ブシウ​を​救​​スク​ひて​與​​アタ​へよ」と​云​​イ​はれて、​也速該​​エスガイ​なる​我​​ワ​が​父​​チヽ​は​爾​​ナムチ​にかくとて​來​​コ​られて、​泰赤兀惕​​タイチウト​より、​忽難︀​​グナン​、​巴合只​​バカヂ​(親征錄​泰赤兀都︀兒 吾難︀​​タイチウドル ウナン​、​巴哈只​​バハヂ​。都︀兒は、敦の誤りなり。泰赤兀敦は、泰赤兀惕の なり。この誤りは、修正 祕史に本づきたりと見えて、喇失惕の集史も、兀都︀兒を人の名とせり。)​二人​​フタリ​を​率​​ヒキ​ゐて、​爾​​ナムチ​の​部眾​​ブシウ​を​救​​スク​ひて​與​​アタ​へんとて、​軍​​イクサ​を​整​​トヽノ​へて​往​​ユ​きて、​忽兒班 帖列速惕​​クルバン テレスト​(卷五の帖兒速惕。親征錄​塔剌速 野​​タラス ノ​)に​居​​ヲ​る​古兒 罕​​グル カン​を​二十​​ニジフ​ ​三十​​サンジフ​の​人​​ヒト​を​合申​​カシン​(親征錄 元史​河西​​ハシ​、蒙語 合申は、漢︀語 河西の轉なり。)​逐​​オ​ひて、​爾​​ナムチ​の​部眾​​ブシウ​を​救​​スク​ひて​與​​アタ​へたるぞ。

​也速該​​エスガイ​と​安荅​​アンダ​になれる​王罕​​ワンカン​の感謝

そこより​來​​キ​て、​禿兀剌 河​​トウラ ガハ​の​黑林​​クロバヤシ​に、​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​は、​也速該 罕​​エスガイ カン​と​安荅​​アンダ​になり​合​​ア​ひて、そこに​王罕​​ワンカン​なる​我​​ワ​が​父​​チヽ​は​感謝​​カタジケナ​みて​言​​イ​はく「​爾​​ナムチ​のこの​恩​​オン​の​報​​ムク​いを​爾​​ナムチ​の​子孫​​シソン​の​子孫​​シソン​に​報​​ムク​い​回​​カヘ​さんことを​皇天​​アマツカミ​