Page:成吉思汗実録.pdf/171

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

に​驚​​オドロ​​可乞兀勒迭​かされたらん、​爾​​ナムチ​。​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​。​我等​​ワレラ​ ​二人​​フタリ​は、​何​​ナニ​とか​云​​イ​ひ​合​​ア​ひたりし。

​忽剌安忽惕​​クラアンクト​の​盟​​チカヒ​

​勺兒合勒渾 山​​ヂヨルカルクン ザン​(親征錄​卓兒完忽奴 之 山​​ヂヨルカンクヌ ノ ヤマ​)の​忽剌阿訥兀惕​​クラアヌウト​(卷五の忽剌安忽惕)​孛勒荅兀惕​​ボルダウト​(孤山なる孛勒荅黑の複稱。親征錄​忽剌河 班荅兀​​クラホ バンダウ​)にて、​我等​​ワレラ​ ​言​​イ​ひ​合​​ア​はざりしか。「​牙​​キバ​​速都︀​ある​蛇​​ヘビ​に​唆​​ソヾノカ​​雪都︀兒帖​されば、​彼​​カレ​の​唆​​ソヾノカ​​雪都︀兒堅​しに​勿​​ナ​ ​入​​イ​りそ。​牙​​キバ​​速都︀額兒​にて​口​​クチ​にて​證​​アカ​し​合​​ア​ひて​信​​シン​ぜん」と​云​​イ​ひ​合​​ア​はざりしか。​今​​イマ​ ​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​は、​牙​​キバ​にて​口​​クチ​にてやは​證​​アカ​し​合​​ア​ひて​離​​ハナ​れたる、​爾​​ナムチ​。「​大牙​​オホキ​​阿喇阿​ある​蛇​​ヘビ​に​離閒​​リカン​​阿荅兒塔​せられば、​彼​​カレ​の​離閒​​リカン​​阿荅兒罕​に​勿​​ナ​ ​入​​イ​りそ。​口​​クチ​​阿馬阿兒​にて​舌​​シタ​にて​證​​アカ​し​合​​ア​ひて​信​​シン​ぜん」と​云​​イ​ひ​合​​ア​はざりしか。​今​​イマ​ ​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​は、​口​​クチ​​阿馬阿兒​にて​舌​​シタ​にてやは​證​​アカ​し​合​​ア​ひて​分​​ワカ​​昂吉赤喇​れたる、​爾​​ナムチ​。​我​​ワ​が​罕 額赤格​​カン エチゲ​。​我​​ワレ​は、​少​​スコ​しもあれば、​多​​オホ​きを​求​​モト​めさせざりき。​惡​​アシ​しきもあれば、​善​​ヨ​きを​求​​モト​めさせざりき、​我​​ワレ​。

​轅​​ナガエ​と​輪​​ワ​との​譬​​タトヘ​

​二​​フタ​つの​轅​​ナガエ​ある​車​​クルマ​、その​第​​ダイ​二の​轅​​ナガエ​を​折​​ヲ​らば、それの​牛​​ウシ​ ​拽​​ヒ​くこと​能​​アタ​はざらん。​其​​ソレ​の​如​​ゴト​きの​爾​​ナムチ​の​第二​​ダイニ​の​轅​​ナガエ​にて​我​​ワレ​はあらざりしか。​二​​フタツ​の​輪​​ワ​ある​車​​クルマ​、その​第二​​ダイニ​の​輪​​ワ​を​折​​ヲ​らば、​起​​タ​つこと​能​​アタ​はざらん。​其​​ソレ​の​如​​ゴト​き​爾​​ナムチ​の​第二​​ダイニ​の​輪​​ワ​にて​我​​ワレ​はあらざりしか。

叔父に​王罕​​ワンカン​の​逐​​オ​はれたる時の​也速該​​エスガイ​の救ひ

​前​​サキ​の​日​​ヒ​を​云​​イ​へば、​忽兒察忽思 不亦嚕黑​​クルチヤクス ブイルク​ ​罕 額赤格​​カン エチゲ​(親征錄​忽兒札忽思 盃祿 可汗​​フルヂヤフス ブイルク カガン​)の​後​​ノチ​、​四十人​​シジフニン​の​子​​コ​どもの​兄​​アニ​と​云​​イ​ひて​罕​​カン​となりしぞ、​爾​​ナムチ​。​罕​​カン​となり​畢​​ヲ​へて、その​弟​​オトヽ​どもを​台 帖木兒 大石​​タイ テムル タイシ​〈[#「台 帖木兒 大石」は底本では「台帖木兒 大石」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§177(06:23:08)の漢︀字音訳「台-帖木兒-大子」に倣い三語に分割]〉、​不花 帖木兒​​ブハ テムル​(親征錄、太帖木兒、不花 帖木兒)​二人​​フタリ​を​殺︀​​コロ​したるぞ、​爾​​ナムチ​。​額兒客 合喇​​エルケ カラ​〈[#「額兒客 合喇」は底本では「額兒客合喇」。白鳥庫吉訳「音訳蒙文元朝秘史」§177(06:23:09)の漢︀字音訳「額兒客-合喇」に倣い二語に分割]〉なる